その5
「それじゃあ、悩んでたのって、実のご両親のこと?」と訊いたのは清水朱央であった。学校までのY字路がそろそろなのをすこし残念に想いながら、「どんな人たちなのか知りたいってこと?」
「うん」祝部ひかりは答えた。「それで昨夜お父さんに相談したら、早速その団体のひとに連絡を取ってくれたってワケ」こちらも同じく分かれ道なんか来なければいいのにと想いながら、「もっと嫌がる? まごまごする? もんだとばかり想ってたからすこし驚いた」
彼らはいま、昨日の『ウィリアム書店』でのドタバタ、それに自分から相談を持ち掛けておいて結局話せなかったことへの謝罪と説明がしたいとのひかりの提案を受け、各々の学校までの分かれ道をこうして一緒に歩いているところであった。
「ほんとはもっと悩んだんじゃない?」朱央は言った。会話の内容にどこか違和感を感じながらも、「ひかりちゃんのこと大好きだしさ、おじさん」
「やっぱそうかな?」ひかりは返した。こちらもこちらでその違和感には気付いていたが、それは見ないようにして、「やっぱ私と会わせたくなかったりするのかな?」
というのも、そもそも昨日、最初にひかりが朱央に相談したいと想っていたことは、実の両親のことなどではなく、ひかりが引き起こしたかも知れないある事件――例の野球部員・内海祥平の記憶喪失事件――と、その原因かも知れないある現象――突然現われ彼を引き込んだあの『窓』――についてだったからである。であるがしかし、
「僕ならちょっとしんどいかも」と彼らの会話はそのまま続く。朱央の目から見ても、ひかりの養父・優太の彼女に対する愛情は、本当の父親と同等かそれ以上のように見えていた。彼は続ける。――「だけどさ、きっとそれ以上にさ」
「きっとそれ以上におじさんは、ひかりちゃんのことを信じてるんだと想うよ」とまるで彼らのその繋がりが切れることなどないと確信しているかのように、「正直ちょっと嫉妬する。僕もそうなれたらって想ってるから」
すると、この言葉にひかりは――特に最後の部分についてひかりは――足を止めると、それに合わせて足を止め、「どしたの?」と聞いて来た彼、自分で自分の発言に気付いていないであろうこのかわいい幼なじみに対して、そのキュートなほっぺに対して、いっそキスのひとつでも加えてやりたいと想ってしまったのだが、すぐに、そんなことを想った自分におどろき顔を赤くすると、「なに? どうかした?」と続ける彼から目をそらし、
「そ、そうよね」と、ふたたび歩き出しながら応えた。「本物のお父さんやお母さんがどんなひとだったとしても」自分の居る場所、帰る場所は、いまの父母の居る場所なのだし、「それは変わらないものね」
「そうだね」朱央は応えた。さっきの言葉の不用意さに気付かないまま、「おじさんもおばさんも、ひかりちゃんのこと大好きだもんね」
それからふたりは、取りとめのない会話をいくつかしてから別れた。ひかりは赤くなった顔を元にもどすので必死だったし、朱央は、そんな彼女の態度を不思議に想いながらも、昨日よりは随分落ち着き、元気にもなった彼女に安心してもいたから――が、これが少々まずかった。
と言うのも、結局ここでひかりは、問題の『窓』と、それが引き起こしたかもしれない事件――ひとをひとり引き込み飛ばし、その記憶を喪失させたかも知れない事件――について朱央に相談することをすっかり忘れていたからである。そうして――、
*
「え? 頂けるんですか? このボールペン?」とそうして小張千秋は訊き返していた。借りていたボールペンを再び受け取りながら。
「ええ、もう、よかったら、是非」右京海都は応えていた。先ほど返してもらったばかりのボールペン――死体の口に入れたばかりのボールペン――をふたたび彼女に渡しながら、「予備ならいくつも持ってますので」
左武文雄を加えた彼ら三人は、問題の死体――上半分だけの焼死体――があった公園を出、いまは右京の運転でもうひとつの現場、最初に通報のあった火災現場へと向かっているところであった。
「すみません、ほんと助かります」後部座席の小張は言った。失くした自分のボールペンを探しながら、「ペンがないとわたし、メモも取れないし頭も掻けないし、さっきみたいに死体のお口やお耳や時にはおし――」
「あー、そうそう、それで?」とここで左武が口をはさんで話題を変えた。「結局、どんなことが分かったんですか? 小張さん?」運転席の右京の顔が、あきらかにうんざりして来たのが分かったからである。「先ほど、あの死体を見て」
「へ?」小張は応えた。席の下から顔を出し、「そう言えば、まだ話してませんでしたね」前部座席に身を乗り出しながら、「まず、焼かれた……と言うか焼けたのは、生前のことです」となんだか楽しそうに。「それから動けなくなって、それでこちらも生前……かなあ? 遅くとも死んだ直後……? にザクッ。と上と下とが切り離されたんだと想います」
「はあ」続けて左武は訊いた。「それは一体、」と、小張のなんだか無邪気な声に若干引きつつ、「なんでそう想ったんですか?」
理由はこうだ。
「先ずは両手のこぶしです」小張千秋は答えた。「これから見に行く足の方も同様だと想いますが、こちらのこぶし、こちらはどちらもギュッと握られ、縮まっていました」
これはつまり、焼かれながらもジタバタしていたことを示しているし、それから、
「それから死体の口や鼻に、少ないながらも灰やすすが吸い込まれているのが見えました」
とこれは被害者が、焼かれながらも呼吸をしていた証拠だと想います、と。
「なるほど」ここで右京が応えた。少なくとも、ボールペンを譲った甲斐はあったワケだ。「切り離されたタイミングと状態はどうして?」
「血の流れっぷりと切断面ですね」小張は続けた。「死後しばらく経ってからなら血液凝固はもっと進んでいたでしょうし、あんなきれいな切断面、暴れていては無理でしょう?」
そう。確かにそれは、あまりにもきれいな切断面であった。腰の骨をも含めた。
「正直、そこももの凄いミステリーなんですけどね」と小張。「詳しくは鑑識さんの報告を待つことになりますが、あれじゃあまるで」ギロチンとか、それよりもっと大きな刃物か、「あるいはなにか、刃の付いた大きな『窓』みたいなものがあって、それにピシャッと閉められたみたいにも見えるんですよね、あれ」
「うん?」とここで左武は訊き返した。そもそも果たして、そんな窓やギロチンが存在するかはさておいて、「“そこも”ってどういう意味ですか?」と。一番の謎はそこではないのかと。
「え? あ、はい、そうですね」小張は応えた。「そこも言わないとですよね」左右の両手を、口の前で合わせながら、「ひとつは、あの上半身に運ばれた形跡がなかったことです」と。
問題の死体の周りには、運んだ人間の足跡はもちろん、あそこにたどり着くまでに付いていてもおかしくないはずの血の痕がまったく見当たらなかった。そうして、
「そうしてこっちもやっぱり、鑑識さんの報告待ちってことになるんですけれど」と小張。乗り出していた身体を後部座席へ戻しながら、「うーん? ほんと困ったかも」
「なにがですか?」とこれは右京。ここまで困った声の小張は久しぶりだった。
「うーん?」小張は続けた。腕を組み、首を傾け、「死体の断面なんですけどね」
「断面?」
「焼け方がおかしかったんです」
「焼け方?」
「からだの内側から焼け始めているように見えたんですよ、あの死体」
「は?」
「ほんと、困りましたよねえ」――“あいつ”とはまた違う力を持った殺人者がいるのか、「『人体自然発火現象』? なんですかねえ? こっちは」
(続く)




