その4
不破友介は、赤い顔に黒いあごひげを生やした初老の男性――のように周囲からは見えていた。
彼の髪の生え際はもともと薄い上に頭頂部まではあと少し、目は落ちくぼんで鼻は高く、真っ赤なあるいは真っ黒な服を好んで着る癖があり、それが理由かは分からないが、彼はまるで、物語の最後の最後で人間の魂を取り逃がしてしまう、そんな心優しきダメ悪魔のような印象を富士夫やまひろに与えていた。
「昨夜も丁度、皆さまのお話をされていたのですが」そう不破友介は語った。ベッドで眠る山岸の祖母の横で、彼が見たであろう彼女の最期の様子を、「とてもお楽しそうに、寝る前のココアが冷め切ってしまうのも忘れて」と。
まひろや富士夫の子ども時代、茄夫や鷹士の初恋の想い出、彼らの父母の馴れ初めや、そこに自分がどんな魔法を掛けてやったか等々、そんな想い出話をつらつらつらと。
「まだまだ喋りたりないご様子ではあったのですが、やはりそれでも夜更かしはいけない」と彼が彼女をベッドまで運び、ゆっくり眠るよう言ったのだが、すると彼女は最後に、「ああ、でもそろそろ、あの子たちにも会いたいかもねえ」と言って彼に訊いたのだという。「どうだろ、不破さん。会えるかねえ?」
この“あの子たち”とは、富士夫たちの父が生まれるずっと以前、おとぎ話のような大昔に、彼女が失くした、彼女の子供たちのことだろう――そう不破は解釈したのだという。
「それはもちろん」彼は返した。「いまの咲子さまなら、かならずお会い出来ますよ」
「ああ、もう、それなら、いいんだけどね」
そうして彼女は眠りに付き、それが彼が聞いた彼女の最後の言葉だったのだという。
グス。
とここまで聞いて山岸まひろは、ながれ落ちそうな涙を手もとのハンカチで押さえたが、その横で山岸富士夫は、口をかたく閉じ、ベッドで眠る祖母を見ていた。こちらは涙を流さずに。もちろん。彼もまひろと同じく胸が詰まり、目頭が熱くなるのを止められはしなかったがそれでも、不破の言葉や祖母の死に顔に、なにやら出来過ぎている感じを受けていたからである。
*
「いや、今夜はこちらに泊まることになると想う」それからしばらくして山岸富士夫は言った。花盛りの庭の真ん中に立ち、遠くをながめながら、電話の向こうの妻に向かって、「まひろも残ると言ってくれてるし、お前は家にいてくれ」先ほどの不破の話の通りなら、祖母が亡くなったのは今日になってから、通夜は明日、葬儀その他は明後日になるだろう、と。
「うん。会社の方は早川さんが……あ、いや、穏やかな、眠るような顔をしていたよ」彼は続けると、二言三言夫婦の会話を交わしてから、その電話を切った。もちろん最後に「ありがとう」そうして、「愛してるよ、美紀」の言葉も忘れずに。数日前のホテルでの出来事がすこし胸に痛んだが、それでも。
「兄さん?」とここでまひろが彼に声を掛けた。こちらも庭へと下り、いつもと変わらぬそこの様子に少しく戸惑いながら、「お義姉さん、なんだって?」
「手伝いに来たいと言ったが断わったよ」富士夫は応えた。「子どもたちもいるし、正直それほど、手伝ってもらえることもないしな」
が、しかし、実際のところ、いま横に彼女・美紀がいてくれたらどれだけ心づよいか、それは富士夫本人が一番よく分かっていた。実務的なことはさておき、ただ、とにかく、横にいてくれればと。
そう。それほどまでに今回の祖母の死――彼女は山岸家の精神的支柱であり中心でもあった――は、父の跡を継いで間もない富士夫には大きな痛手、ショックであった。であったが――、
「義姉さんさ」とここでまひろが訊いた。それでもやはり遠慮深げに、「どうなの? 調子」
こちらも前にすこし書いたが、富士夫の妻・美紀は現在、治る見込みのほとんどない、とある遺伝性の病気にかかっていた。
「ま、悪くはなっていないよ」富士夫は応えた。口もとだけでも微笑んで、少しでも明るい口調となるよう注意して、「もちろん、良くも……」
が、それでも彼は言葉に詰まった。手伝いに来たいと言った美紀に、自分の横に居て欲しいと願った彼女に、「お前は家にいてくれ」と伝えたのはこのためだった。
そう。彼はいま、この家で、大切な祖母を亡くしたばかりのこの家で、あと数年もすれば離れてしまうであろう彼女に、会えるだけの勇気が持てなかったのである。
「兄さん?」ふたたびまひろが声をかけ、
「すまない、まひろ」と、こちらをふり向き富士夫は言った。顔を見られないよう、下を向いたまま、「肩を、貸してくれないか?」
「うん」まひろは応えた。兄の様子に正直すこし驚きはしたが、「僕のでよかったら」と。
「すまない」
それから富士夫は膝を曲げ、まひろの肩に広い額を乗せた。声はあげなかったが、ちいさく震えているのが分かった。なみだは出ていなかったが、それでもまひろは、とおくを見詰め、彼の顔を見るようなことはしなかった。花盛りの家の花たちは、そんな彼らを気にする風もなく、そのきれいな身体を誇らしげにひろげ、明日の風に吹かれていた。そうして――、
「ふむ?」と不破友介はうなっていた。二階の窓辺に立ちながら、彼ら兄妹の美しくも滑稽な様子にもちろんこころ打たれるハズもなかったが、それでもちょっと、悪いような、かわいそうな気持ちになって、「咲子さま?」と。「まひろさまはさておき、富士夫さまにはお伝えしてもよかったのでは?」と。そうして――、
*
「え? でもそれだと道がちがいますよ」と丁度その頃、右京海人は訊き返していた。「火事の現場は※※なんでしょ? 左に曲らないと遠回りになっちゃいますよ」
と言うのも、後部座席に座る彼の上司で頭痛のタネで、マッチポンプ的トラブルメーカー兼トラブルシューターの小張千秋が、目的地とは反対方向に車を進めるよう彼に指示して来たからであった。彼女は答えた。
「ええ、はい、火事の現場は※※なんですけどね」とテトテトテト。スマートフォンを繰りながら、「どうやら**側の公園でも見付かったそうでして」
「**側?」右京は訊き返した。トントントン。と指でハンドルを叩きながら、「確かにそこなら、道は間違ってませんけどね」とここで、
「見付かったってなにがですか?」助手席に座る左武文雄が小張に訊いた。
「あれ?」小張千秋は応えた。「言ってませんでしたっけ? わたし」
ピロン。と新しいメッセージが届いた。
「うっわ、こっちもひどいですね」小張は続けた。届いたのは、これから向かう現場の写真だった。「焼死体です。こっちは上半身だけですけど」そうして――、
*
そう。そうして不思議なことに、その焼死体のまわりには血溜まりが出来ていた。もちろん、上半身と下半身とを切り離されたのだから、流れ出た体内の血液がそのまわりに血溜まりを作るのは当たり前と言えば当たり前であるが、それでも、
「うーん?」と小張は首を傾ける。「てっきり“あいつ”の仕業かと想ってたんですけどね」
ここで言う“あいつ”とはもちろん、例のスティーブンス一家殺害事件や、その他都内および近郊で連続している奇妙な殺人事件、それらの容疑者――本庁内では『SQ』あるいは『GA』などと呼ばれているらしいが――のことである。であるが――、
「“あいつ”なら殺す前に血を抜いている?」彼女のうしろで右京が訊いた。小張は答えた。
「ええ、はい、いつもの“あいつ”ならそうですね」地面にしゃがみ、死体の断面を興味深そうに見つめつつ、「それが、やり方を変えたのか、また別の人物なのか」
いつもの彼女ならまずしないような予断だが、それでも彼女はそれをした。この奇妙な焼死体――上半身と下半身がとおく切り離されて置かれた焼死体――が発見されたと聞いた時に。おそらく“あいつ”の仕業であろう、であって欲しい、とほぼ無意識に。でないと、奇妙な力を持つ殺人者がふたりに増えてしまうから、と。
「すみません。どちらかボールペン持ってませんか?」小張は訊いた。後ろに立つ左武と右京に、「わたし、車に置き忘れて来ちゃったようで」そう言ってしゃがみ込んだまま、今度は死体の顔の方に移動しながら、「終わったら、すぐにお返ししますので」
鑑識のメンバーも既に到着していたが、いつものことなのだろう、苦い顔と腕組みで――彼女が現場から証拠を持ち出さないかを注視しつつ――我らが女署長の出番が終わるのを待っている様子だった。
「私のでよければ」右京が応えた。胸ポケットのボールペンを彼女に渡しつつ、「どうです? なにか分かりそうですか?」
「ええ、はい。それなりに」彼女はそう答えるとそのまま、
スッ。と空いてる死体の口へそのボールペンを入れた。
「へ?」と右京は声を出したが、彼女はそれには気付かぬ様子で、そのまま、
クイッ。と死体の口を拡げると、その中をのぞき込み、それから更に、「うーん?」と言って中の臭いを嗅いだ。着けていたマスクも外してみたが、臭気はさほど感じなかった。
「ちょっと……署長?」右京は言ったが、
「あ、ありがとうございました、右京さん」と悪びれもせず彼女は応えた。「おかげで色々分かりましたよ」と地面から立ち上がり、彼にペンを返しながら、「けど、困ったと言うかなんと言うか、これは、“あいつ”の仕業じゃありませんね」と。
(続く)




