『どんなに悲惨な旅行でも、きっとここよりはマシ!』
「これはお前の運命にもなるぞ。
せいぜい炎に焼かれて苦しむがいい」
空港の到着ロビー(だと想う。多分)に人影はまばらで、到着客たちの足取りは重く、空港職員たちの態度は横柄かつノロノロとしていて、彼らの目は絶望に満ちていた。
出口正面の壁には、この国の大統領(というか独裁者)の笑顔の写真がデカデカと飾られ、無料配布の空港パンフレットには『ようこそ! **国へ』という歓迎の言葉の後に、『どんなに悲惨な旅行でも、きっとここよりはマシ!』という、冗談なのか警告文なのかよく分からない文章(多分、後者)が続いていた。
が、まあ、それでも幸いなことに、それを手にした山岸ナオは、いまだ9才の女の子だったので、この皮肉なのか自虐なのか注意喚起なのかよく分からない文章(多分、全部)をどのように受け止めてよいかよく分からなかった。なので彼女は訊いた。前を歩く赤毛の男に――「ねえ、ミスター」と。
「ねえ、ミスター、ここってどこの国?」パンフレットをぱらぱらとめくりながら、「これには一応、日本語っぽいのも載ってるみたいだけどさ」所どころ知らない、見たことのないひらがなが混ざっているし、「なんか漢字も? 昔のひとの漢字みたい」
「うーん?」赤毛の男は言った。立ち止まり、壁の大統領を見上げながら、「ちょっと待ってね」
それから彼は、右手人差し指を口の中へパクッと突っ込むと、
「へ?」とおどろくナオにも構わず、こんどはそのツバだらけの指をスポッと抜いて、
「うーん?」とふたたびうなりつつ、「東銀河、東部辺境、ファイマイナス宇宙域」と言って続けた。「大字字三丁目、太陽系、第三惑星……うーん? やっぱり、時空間的には地球だな」
「はあ、」とナオ。「そりゃまあ、さすがに地球だろうとは想ってたけどさ」ツバだらけの彼の指をきったないなあと想いつつ、「地球のどの国かって聞いてるの」
「え?」とミスター。「それは日本さ」どこかにしまったタオルハンカチを探しながら、「もちろん時空間的にはだけど」
「日本?」ナオは訊き返した。改めて周囲を見回し、「たしかに、さっきのジュラシックパークやお誕生日会に比べればアジアっぽくはあるけどさ」空港職員の肌は浅黒く、壁の大統領はインド映画にでも出て来そうな目と鼻とひげ面をしている。それに、「それにみんな、日本語じゃなくない?」
「え?」とふたたびミスター。ハンカチ探しは諦めて、「まあ、“時空間的には”ってだけだからね」と濡れた右手はズボンで拭くことにした――汚いなあ。「ここは間違いなく日本だけど、まったく間違いなく日本ではないんだよ」
「……はあ?」
と、言うことで。
前回登場時、この赤毛のバカ野郎のせいで、紫色のティラノサウルスもどきに追いかけられていたナオちゃん&赤毛のバカ野郎ですが、彼らはその後もそのまま、その恐竜から逃げる為、行き先設定も適当なまま異世界ジャンプと云うかマルチバース・ジャンプを決行、この奇妙な空港ロビーへとたどり着いて(というか堕ちて来て)いたのでありました。
「あー」とふたたびのナオ。「それじゃあ、あなたの知ってるお母さんたちがいる地球ってのにはまだまだとおいってこと?」
彼の話では、彼がナオを連れて行こうとしている地球は、彼女がもといた地球にとてもよく似ていると言うことだったが、
「ここがこんなにちがう地球だってことは、それだけそっちの地球からもとおい場所にあるってこと?」と続けてナオは訊き、
「だから、場所は同じなんだって」とミスターは返す。「ここは君の地球ともヤスコちゃんたちの地球ともうりふたつで、時間的・空間的に占めている座標もまったく同じなんだよ」
「うん?」とナオ。頭のまわりをはてなマークで一杯にして、「だったら、なんでこんなにちがうのよ?」
「うーん?」とミスター。彼女の視線から目をそらし、あごの辺りを掻きながら、「問題は確率的にどの座標にあるかなんだよなあ……」
目的の『地球の日本の練馬区』に行くためには、時間と空間だけでなく、その『地球の日本の練馬区』が存在する宇宙の確率的座標にも合わせないといけないのだが……、
「だったら合わせてよ」とナオは続け、
「うーん?」とひき続きミスターはうなった。あごの辺りをパリポリ掻いて、「うん、まあ、そうだよなあ……」
「うん?」とナオ。なんだか更に不安になって、「あなたって、そっちの宇宙から来たのよね?」
「うん?」とミスター。あごの辺りをパリポリパリポリパリポリ掻いて、「うーん、まあ……、そうだよねえ……」
「だったら、もといた宇宙の座標に合わせればいいだけじゃないの?」
「あー、まあ、それは……、そうなんだけどね……」
問題は、前回のポータルジャンプからの着地……からの急激な運動(紫恐竜からの逃走)……からの行き先設定なしの再度のジャンプにあった。
「本来、着地した宇宙の確率的座標をログに入れてから次の宇宙へと飛ぶべきなんだけど……」もちろんそれは忘れていたし、「そこに加えて、行き先設定なしのジャンプだろ?」
つまりこれは、どの橋の上にいるかも分からない男が、どの川に飛び込んでいいのかも分からないまま命綱なしのバンジージャンプをしてしまったようなもので、しかも、
「はたして本当に飛び込める川があるのかも分からない状態にあるんだな、これが」
とつまり彼らは現在、時間と空間的には目的の場所に目一杯近付いて来ているが、それと同時に、これ以上離れられないほどに目的の場所から遠く離れてしまっているということでもあった。
「で、でも、まあ、なんとかなるさ」と赤毛のバカ野郎が言い、
「なんとかって……」と言葉に詰まったナオが、手にしたパンフを大きく振り上げ床に叩き付けようとした、その時――、
ピンポンパンポーンッ
と突然、空港のアナウンスベルが鳴り、
「@‘‘*&%@@@ッ$$#!!!」と何事かを伝え始めた。
が、しかしその言葉は、日本語によく似たイントネーションではあったものの、まったく違った言語だったので、ナオにはその意味が分からなかった。のだが、それでも、
「ウソだろ……」というミスターの困った声と、空港職員たちのざわめきで、結構な緊急事態なんだろうな、ということだけは彼女にもすぐに分かった。
「どうしたの? ミスター?」と彼女は訊き、
「“トラロス”?」とミスターは答えた。「うーん?」と更に困った声になりながら、「そういう名前の民族の叛乱蜂起があったらしい」
「“はんらんほうき”?」
「要は、内戦みたいなものが始まったらしいんだけど……って、困ったなあ。どうも、この空港も彼らの標的のひとつにされているようだ」
(続く)




