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1回限りの口付け

作者:

僕の名前はハル。首都圏に住んでいる大学4年生だ。留年していて今は23歳だ。僕の趣味は旅行でお金が貯まると直ぐにどこかに出かけに行く。誰も僕を知らない場所に行けば、自分の弱さや居場所のなさを隠せる気がするからだ。

もうすぐ来る最後の夏休みもどこに行こうか悩んでいたところ、母から思いがけない話をされた。

「実はね、遠くに住んでる親戚の娘がいるの。サクラっていう子なんだけど、彼女のお母さんがあなたに一度会わせたいって。」

聞けば、その従姉妹は母子家庭で母の妹と二人で暮らしているという。そのせいか人見知りで友達がいないらしく、引きこもり気味らしい。これまでその存在を知らなかった親戚に突然会うという提案にハルは戸惑ったが、沖縄に行ったこともなかったため、なんとなく了承した。予定は1週間だ。


【1日目】


夏休みに入った7月下旬、僕は眠い目を擦りながら電車に揺られている。今の時間はまだ5時半頃。僕はこういう時、必ず一番安い方法を選ぶ。たとえば、早朝の便に間に合うよう電車を乗り継ぎ、時間と費用を最小限にする。そうやって「無駄」を減らすことが、僕なりの安心だった。今回の旅もその一環だった。沖縄の空気は確かに楽しみだが、従姉妹と会うことには、正直期待どころか不安しかない。


沖縄につき空港近くのレンタカーで車を借りる。取り敢えず荷物を軽くするため、母の妹の家まで向かう。沖縄だから陽射しが強く空気がカラッとしている。ジメジメした暑さじゃない分沖縄の方が過ごしやすいなと思った。道沿いに見える家々が次第にまばらになり、目的地の古びた一軒家に辿り着いた。庭先に車を停めると、玄関から母の妹さんが笑顔で出迎えてくれた。


「遠いところありがとうね、ハル君。どうぞ入って。」


家の中は古さを感じさせる木の床と風鈴の音が心地よい。母親の背後に隠れるようにして、小柄な少女が立っていた。恐らくサクラだろう。


「ハル君、この子がサクラよ。」

「……はじめまして。」


ハルが声をかけると、サクラは一瞬だけ目を上げたが、すぐに下を向いたまま小さく頭を下げただけだった。その仕草に戸惑いながらも、ハルはそれ以上言葉をかけなかった。

その後、サクラの母親と短い会話を交わし、部屋を案内されると、ハルは深く座り込んだ。初対面のぎこちなさと、どこか閉ざされた空気が彼の心に静かにのしかかっていた。

少し休憩をしてから出かけようと外に出ると、サクラが庭の隅で何かを眺めているのが見えた。彼女の姿は風に揺れる草の中に溶け込むようで、その背中からは何かを語りかけるような静けさが漂っていた。

なにか声をかけた方がいいのかと悩んだのだか、僕は話すことが得意じゃない、俗に言う陰キャだ。今回の旅行を満喫するために余計なことは考えず車に乗り込んだ。


【2日目】


サクラとの接触は相変わらずなく、僕はひとりで沖縄の観光地を巡った。青い空と白い砂浜、観光客の賑やかな笑い声に囲まれていると、確かに楽しい。けれど、どこか満たされないような違和感が心の片隅に残った。たぶん、僕はサクラの「不思議な静けさ」を頭から追い出せずにいたのかもしれない。


【3日目】


3日目になっても、二人の間に大きな変化はなかった。食事の場でハルと母の妹さんが話しをしても入ってくることはなく、母の妹さんが話を振ってもサクラは短い返事をするだけで目を合わせることはなかった。その後キッチンからは母の妹さんが仕事に出かける準備をしている音が聞こえてきた。サクラはその間、静かに椅子に座り、手元の本をじっと見つめている。


「行ってくるわね。」


母の妹さんが声をかけても、サクラは一言、「いってらっしゃい」と呟くだけだった。その声には、どこか無理に作った明るさが感じられた。僕はそれを聞いて、胸の奥に小さな違和感を覚えた。


【4日目】


ハルが近くの商店で買い物をしていると、サクラが慌てた様子で店先を行ったり来たりしているのを見つけた。疑問に思ったが話しかけることはせずに少し様子を伺う事にしたが、とにかく焦っているようだった。僕は彼女の落ち着かない動きを見て、一瞬目を逸らした。こういう場面で声をかけるのは苦手だったし、正直関わりたくない気持ちが湧いた。でも、妙に彼女が不安そうに見えたせいか、気がつくと口が開いていた。


「どうしたの?」


突然声をかけられ、驚いたサクラは少し戸惑ったようだった。僕の声が震えていたのか?キモかったかなと色々な考えが頭な浮かぶ。戸惑いながらもひとりじゃ埒が明かないと思ったのか「……ネックレスを落とした」と小さく呟いた。

僕はうわー、めんどくさい事に首を突っ込んでしまったとちょっぴり思ったが、「一緒に探そう。」と声をかけた。

その一言に、サクラは一瞬戸惑った表情を浮かべたが、やがて頷いた。


二人で商店やその周囲を歩き回るうちに、ハルが小さな文房具屋でネックレスを見つけた。店主が掃除をした時に見つけて保管しておいてくれたそうだ。


「これじゃないか?」


小さな文房具屋の片隅で見つけたそれを差し出すと、サクラは一瞬、何かを言おうとしたようだった。けれど、彼女の瞳が潤むのが見えた瞬間、僕はそれ以上の言葉を探すのをやめた。

サクラが震える手でネックレスを受け取ると、軽く「ありがとう」と言った。それは、小さな声だったけれど、僕には驚くほど響いて聞こえた。

サクラの首元のネックレスには眩しい日差しが反射している。その時、初めてサクラがハルの顔をしっかりと見た気がした。


【5日目】


ネックレス探しをきっかけに、サクラの態度は少しずつ変わっていった。言葉数は相変わらず少なかったが、時折自分から小さな声で話しかけるようになった。もちろん僕も少し話しかけるようになった。


今日は雨が降っているからサクラの家で2人で過ごす。この前買っておいたお菓子を持ってくるとサクラもそれに手を伸ばした。何個も食べているようで甘いものが大好きらしい。お菓子が無くなった頃、縁側でぼんやりと風鈴の音を聞きながら、サクラがポツリと言った。


「……お母さん、忙しくてほとんど家にいないの。」


そういえばサクラの母親が家にいたのは僕が沖縄に来た日と、昨日の朝だけだったような。すぐに桜は続けて口を開いた。


「私、小さい頃にお父さんが亡くなったの。」


僕は驚いて彼女を見たが、その横顔はどこか遠くを見ているようだった。


「事故だった。私はまだ5歳で、何が起きたのかよく分からなかった。でも、気付いたらお母さんはすごく忙しくなってて、家にはあまりいなくて……私はずっと一人で家にいるようになった。」


彼女の声には悲しみというより、どこか達観したような響きがあった。


「それから、人に弱みを見せるのが嫌いになった、頼ったり、甘えたりするのが嫌い。」


僕は何も言えなかった。彼女の言葉が、まるで僕自身の心を映し出しているように思えたからだ。


「初めて人に話したよ。なんでだろうね?」


サクラがそう言って微笑んだとき、僕の胸の中に何か温かいものが広がった。きっと、僕たちは同じような弱さを抱えていたからだろう。



「だから、一人でいるのは慣れてる。でも、時々……少しだけ寂しい。そんな時にこのネックレスをみてお父さんを想像するの。」


ただ、彼女の肩越しに広がる田舎の風景を一緒に眺めていた。僕がここにいる間だけでもサクラの寂しさが無くなればいいなと思った。言葉がなくても、その時間は不思議と温かいものだと僕は感じた。


【6日目】


夕方、僕とサクラは地元の夏祭りに出かけた。境内には色とりどりの提灯が揺れ、賑やかな屋台が並んでいた。サクラは綿菓子を手にしてはしゃぐ子供たちを見て微笑み、その姿が新鮮で、僕の中ですごく印象に残った。


「この祭りには、ずっと一人で来てたんだ。でも、こうやって誰かと一緒に来るのは初めて。」


サクラは少し照れたように笑った。


「ほら、これやってみない?」


僕はヨーヨー釣りを指さした。


「え、やったことない!」


サクラが驚くと、僕はその言葉に驚いた。


「一人だと、こういうのってちょっと恥ずかしいから。」


2人で一緒に釣ったヨーヨーを見て笑い合い、サクラが小さな声で呟いた。


「こうやって誰かと楽しむのって、こんなに温かいものなんだね。」


その言葉を聞いた瞬間、僕はふいに彼女の寂しさを少しだけ癒せた気がして、ほんの少し胸を張りたくなった。


【7日目】


最終日、ハルが「どこか行きたいところはある?」と尋ねると、サクラは少し考えてから「海……」とだけ答えた。


僕が運転する車に乗り一緒に砂浜に向かった。サクラは裸足になり、波打ち際を歩き始めた。その姿は普段の彼女とは違い、少しだけ無邪気に見えた。


「冷たい。」


小さな声で笑うサクラの顔を見て、ハルも笑みを浮かべた。サクラはそれに続けてこう言った。


「海ってね、誰かが泣いてるみたいに見える時があるんだ。こんなに広くてきれいなのに、時々すごく悲しく見える。」


その言葉に、僕は彼女の中に隠された孤独を感じた。そして僕はふと何かを思い、海辺を歩くサクラの後ろ姿をこっそり写真に収めた。


日が傾く頃、空は赤から紫へとゆっくり変わっていった。僕たちは砂浜に並んで座り、波が打ち寄せる音に耳を傾けていた。風が吹くたび、サクラの長い髪が頬にかかりそうになる。僕が声をかけようとするたび、波の音がその言葉を飲み込んだように消えた。彼女の肩が僅かに震えているのが目に入り、僕の胸もなぜか締め付けられた。


「ハルさん……」


サクラが呟き、僕を見上げた。その瞳には、何かを伝えたいけれど言葉にできないような迷いがあった。僕は桜のことが心配なった。寒いのか?何かあったのか?色々な不安が押し寄せる。


短いが体感とても長い時間が経ち、サクラは僕に身体を寄せた。僕は一瞬何が起きているのか分からなくなったが、すぐにこの時に何をすればいいか理解した。そして僕はサクラを抱きしめた。


どれくらい時間がたっただろうか。1分だったか、それとも10分以上経っているのか分からない。身体を離し彼女の顔を見たらさっき僕がサクラの写真を撮った意味が何となくわかった。


彼女の表情は、どこか遠い未来を見つめているように見えた。もう会えないことを、僕も彼女も理解していた。だけど、それを言葉にすることはどちらも望んでいなかった。


僕は彼女の唇にそっと口付けをした。


彼女はそれを受け入れた。唇を離したあと彼女は僕にこういった。


「この夏のこと、忘れないで。」


彼女のその言葉が、波音に溶け込むように響いた。



---

帰りの飛行機でハルは、鞄の中に小さな紙切れを見つけた。

「ありがとう。またいつか。」

その文字はとても綺麗で、それだけが書かれた簡単な言葉だったが、ハルはその文字に込められた気持ちを痛いほど感じていた。


この夏、サクラとの時間は短く、静かで、どこか儚かった。だが、それがこれからも心の中で深く息づいていることを、ハルは確かに感じていた。


【エピローグ】


東京に戻ってから数週間が経った。いつもの生活に戻り、就職活動で慌ただしい日々の中でふと沖縄での時間を思い出すことが増えた。気づけばサクラの笑顔や、小さく囁くような声が頭に浮かび、日常に物足りなさを感じる。


そんなある日、ハルは大学の図書館で一冊の本を手に取った。それは沖縄の自然や文化についての写真集だった。ページをめくるたびに、あの夏の風景が鮮やかに蘇ってくる。


「サクラ、元気にしてるかな……」


ハルは小さく呟いた。彼女が最後に残した短いメッセージ、「ありがとう。またいつか。」を何度も読み返すうちに、彼の中でひとつの決意が芽生えていた。



大学を卒業した後、ハルは旅行会社に就職した。理由を問われるといつも「旅が好きだから」と答えたが、心の中ではサクラとの思い出がきっかけだったことを自覚していた。誰かの心を癒すような旅を提供できたら…そんな想いが彼を突き動かしていた。


ある日、新人社員として沖縄ツアーの企画に携わることになった。ハルは喜びと不安を胸に、再びあの地を訪れる。車を走らせながら、サクラと過ごした日々を思い返していた。


ふと気がつくと、あの古びた一軒家が目に入った。母の妹とサクラが住んでいた場所だ。しかし、庭先に人の気配はなく、家の窓も閉ざされていた。近所の人に尋ねると、彼女たちは数ヶ月前に引っ越してしまったという。


ハルは少しだけ肩を落とした。けれど、心のどこかで予感していたことでもあった。それでも、あの夏の思い出が消えることはない。



---


夜、彼は静かな浜辺に立っていた。月明かりが波間に揺れ、心地よい潮風が頬を撫でる。ハルはポケットからスマートフォンを取り出し、海辺でのサクラの写真を見つめた。


「また、いつか……」


その言葉を心に刻み、ハルは目を閉じた。あの夏のように、波の音が静かに心を包み込んだ。


そのとき、遠くで風鈴の音がしたような気がした。





---


終わり

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