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第2話



気が緩んだ途端、泣きそうになった。

都なんて大嫌いだ。

フランソワにとっては楽しいところかもしれなけど、わたしには全然優しくない。

だからといって、領地に帰りたいとも思えなかった。

もはや故郷は、わたしにとって楽しいところではなくなってしまった。

みんな変わってしまった。

みんな嫌いだ。

みんなも、わたしのことが嫌いなんだ。


迷子の子どものようにとぼとぼと路地の奥へと進もうとしたわたしの腕が、突然強い力で引っ張られた。

「ヴァネッサ!」

振り返ると、そこにはフランソワが立っていた。

髪が乱れ、いつもきちんと結ばれているクラヴァットが歪んでいる。

「どうしたの、その格好?」

「どうしたじゃないよ!母さんにヴァネッサが行方不明だって聞いて、探してたんだ。危ないところだった」

心配してくれたことが嬉しくて泣きそうになったけど、素直ではないわたしはつんとあごを上げた。

「ちょっと散歩してただけじゃない。おおげさだわ」

フランソワはむっとした顔でわたしを睨んだ。

「何も知らないヴァネッサ。もしこのままこの道を進んでたら、一生会えなかったかもしれないのに。たとえ会えたとしても、それはもう僕の知る君ではないんだ」

「どういうことよ」

「とりあえず家に戻ろう。母さんも心配してる」



「つまりね、君のいた田舎では考えられないような悪いひとたちが、都にはいっぱいいるんだ。人通りの少ない道に一本入っただけでも、人買いにさらわれたり、強盗にあったり‥‥ヴァネッサは女の子なんだから‥‥」

がらがらと馬車に揺られながらフランソワはわたしに説明した。

しかしわたしは、自分の家の馬車とは比べ物にならないくらい豪華で揺れの少ないフランソワの馬車に夢中になっていた。

領地では馬車をもっているだけでみんなから「すごい」といわれていたけど、この馬車に比べるとどれだけ自分の家の馬車がみすぼらしいか分かる。

御者のお仕着せは真新しい紺色の制服で、左胸のところにフランソワの家のエンブレムが入っている。

窓に取り付けられたカーテンのふちには繊細な刺繍が施されていて、取っ手ひとつでも、繊細な流線型を描いている。

「ヴァネッサ、聞いてるの?今回はたまたま運よく若様が見つけてくださったけど、普通だったらこの都で人ひとりを探すなんて無茶なことなんだよ。せっかく都に来たのなら、都の女性を見習って、もう少し淑女らしさってものを‥‥」

わたしはぴたりと動きを止めて、フランソワを見上げた。

「今なんて言ったの?」

「え、だから、もう少し淑女を見習って‥‥」

「違う。運よく、誰が、わたしを見つけたって?」

「若様だよ。会ったんでしょう?」

「若様って、あの‥‥あなたの友達の男の人?」

「そうだよ。僕が君を探していたら、彼に偶然会って、それで君が歩いていった方向を教えてもらったんだ」

わたしは顔が熱くなった。

彼はわたしに気がついていたのだ。

まんまと貴婦人として振舞うことができたと思っていたのに。

彼はいつからわたしに気付いていたのだろうか。

もしわたしに会釈をする前からだったとしたら、これほど格好悪いことはない。

わたしがいい気になって気取ったあいさつをしていたのを、内心あざ笑っていたのかもしれない。

しかもそのとき、わたしは迷子になっていたのだ。

「言ったの?彼に、わたしが迷子になったって、言ったの?」

そのことを、よりによって彼に知られるくらいなら、一人で迷っていたほうがはるかにましだった。

「そりゃあ。だって、僕も必死だったんだから、仕方ないじゃないか」

「絶対に田舎者だって思われたわ!」

「そんなことないよ」

「うそよ。わたしったら、馬鹿みたいだわ。なんてみすぼらしい女だって思ったでしょうね」

「そんなことないって。君は魅力的だもの。確かに都の淑女みたいにしとやかではないかもしれないけど、素朴で、健康的で」

フランソワがわたしを見詰めた。

今まで見たことないような、真剣な‥‥。

「僕はいつだって振り回されて、気がつけば走らされているんだ」

馬車が緩やかに停まり、目的地に着いたことが告げられた。

「都に来れば変わると思ったけど、結局僕はこうして必死になって君を追いかけるんだね」


一人になった部屋でベッドの端に腰をかけて、わたしはフランソワの言葉を思い出していた。

フランソワまで村の男の子たちのように、わたしの心を置いて先に行ってしまおうとしている。

どうして、みんなそんなふうになってしまうのだろう。

今までのように、みんな仲良く楽しく遊ぶだけでは、なぜいけないのだろう。

「よく、わかんないな」

呟いた自分の言葉は、なんだか白々しく響いた。

本当は薄々気がついている。

もう子どもではいられないことを。

しかし頭では分かっていても、心がまだついていけないのだった。



次の日、ひとりの少女がフランソワの家にやってきた。

おばはその少女のことを、「クシャのお嬢さん」と紹介した。

クシャというのは珍しい名前だけど、よく耳にする名前だ。

その日はフランソワも家にいて、わたしと少女の対面の場にいた。

「ヴァネッサの友達になってもらおうと思って、来てもらったんだよ。年も一緒だし、気が合うんじゃないかな」

「マリーよ」

「よろしく、マリー。わたしはヴァネッサ」

マリーはブルネットの美少女だ。

少女が頭を動かすたびに、華奢なむきだしの肩にかかるカールした髪が揺れる。

マリーはそっけなくあいさつしただけで、もうわたしを見ようとはしなかった。

先ほどから、ちらちらとフランソワを見ている。

わたしの友達になりに来たというよりも、フランソワが目的のようだ。

「フランソワ、今日は一緒にいられるの?」

わたしはフランソワに近づき、彼を見上げた。

「悪いね、ヴァネッサ。でも、今日は大切な用事があるんだ」

心苦しそうにフランソワが言うのに、わたしはわざと馴れ馴れしく彼の腕に触れ、すねたような表情をつくった。

「今日も、でしょう。毎日それじゃない」

わたしの態度を不思議がるでもなく、いつもと変わらない様子でフランソワが答えた。

「君が帰るまでにできるだけ時間をとりたいと思ってはいるんだよ」

マリーが眉をひそめてわたしを見ていることにも気付いていない。のんきなものだ。

「本当に、そう思ってくれてる?」

「僕がいつだってそう思ってるって知ってるでしょう」

マリーの視線が、わたしとフランソワの間を行ったり来たりしていた。

二人がどの程度の仲なのか、その可愛らしい頭の中で考えているのだろう。

わたしは内心でほくそ笑んだ。

マリーがフランソワに気があるのは間違いない。

わたしはわざとフランソワと特別な関係であるように振舞って、マリーへの反撃に出た。

最初の攻撃は、マリーからだった。

わたしを無視することで挑発してきたのだ。

ここで大人しくしているようなわたしではない。

狙い通り、彼女はわたしを無視し続けることができなくなった。わたしが勝ち誇った顔でちらりと見ると、すごい形相で睨む彼女と目が合った。

「僕は一緒にいられないけど、ヴァネッサは一人で行動することがないように、マリーと仲良くしてね」



マリーはわたしをパーティーへと誘った。

着ていくドレスは、またもや借り物で、マリーのマゼンダ色のドレスだ。

滅多に手に入らない最高級の素材で作られた、手触りのいいドレスに、細かい宝石が散りばめられている。

クシャと聞いてわたしが連想した通り、マリーはあの有名な冒険家ラドワ・クシャの娘だった。

ラドワ・クシャは若い頃に危険な航海を成功させて、今はその地との交易を一手に担っている大商人だ。

一代で莫大な財をなした話題の人物。

宝石のほとんどが‥‥わたしが今着ているドレスに使われている宝石だって、その地からやってきたものなのだ。

他にも食品から木材、質のいい蜜蝋、香料まで、わたしたちの生活の中に当たり前にあるものたちがすべてその地から輸入しているのだとフランソワから聞いて驚いたのを覚えている。

どうしてそのマリーがフランソワと知り合いなのかと言うと、ラドワ・クシャが娘を連れて度々貴族の社交場に顔を出しているからだ。

日常からかけ離れた驚愕の世界、海の果ての世界の端っこ、ねじれた木、いびつな形でそびえたつ巨石群、そしてはだしで土の上を走り回る顔に化粧をほどこした人々。

彼の話題は豊富で、貴族たちはその冒険譚を聞きたがり、ひっぱりだこなのだ。

娘のマリーはそのとき、俯き加減で父のそばに控えていた。

フランソワが言うには、たまたま何かの機会に話すことがあり、それ以来会えばあいさつを交わす仲だという。

本当のところどうなのか分からないが、わたしはそんなことなどを気にしていられなかった。

彼がいたのだ。

あの、フランソワの知り合いで、昨日わたしが迷子のところを見られた、なんとか侯のお坊ちゃん。

会場に入った途端、吸い寄せられるように彼を見つけてしまっていた。

それはマリーも一緒だったようだ。

「アレクサンドル様」

マリーがため息のような声をもらした。

仰々しい、誰の名前だと思っていたら、例の貴公子の名前だった。

他にも彼に話しかけようとタイミングを見計らっていた令嬢たちの間をすり抜け、マリーはあの男の前に出た。

「お久しぶりですわ、アレクサンドル様。子爵家のパーティーでお会いするだなんて、珍しいこと」

わたしは他の女性の視線が気になったが、なんとか彼女について行ってマリーの隣に立っていた。

男が例の、何の感情も浮かばないガラス玉のような瞳でマリーを見下ろし、会釈した。

わたしのほうへは一瞥さえもよこさない。

「これは、クシャのお嬢さん。フランソワのところでお会いして以来ですね」

二人はわたしを完全に無視して、その後もわたしのまったく分からない話を続けた。

スカートに隠れたつま先を立てたり横にしたりしながら、いい加減二人を残してどこか別の場所に移動しようかと思ったとき、アレクサンドルは別の男性に呼ばれてそちらへ行ってしまった。

結局彼は、一度もわたしを見なかった。

わたしはむすっとしてマリーに話しかけた。

「今の、誰よ」

「あら、やっぱり知り合いではなかったのね」

「さっきの彼の態度を見て、わたしの知り合いだと思う人はいないと思うわ」

「でも、一度もあなたのほうを見ないだなんて、逆に不自然じゃない。わたしのすぐ隣にいたら、普通は一度くらい見るわ。完全に無視するだなんて、意識しなきゃ出来ないわ」

「そうかしら。まぁ、いいわ。それで、誰なの?」

「宮廷で最も力のある、トゥエル侯のご子息。本当なら、子爵家なんかのパーティーにいるはずのない人よ。彼がいるというころは‥‥やっぱり!見て、あそこ!」

マリーは興奮して頬を赤く染めていた。

言われたほうを見てみると、庭園へと続く暗がりに、数人の男性がたむろっていた。アレクサンドルもその中にいる。

会場にいる誰もが彼らを気にしつつも、見てみぬふりをしているのを雰囲気で感じた。

「誰なの?」

「シャルル王子とその取り巻き。もちろん非公式の参加よ。また何かいけないことを企んでいるのかもしれないわ。あぁ、それにしてもアレクサンドル様はなんて美しいのかしら。いけない分かっていても、それでもついていってしまう気持ちも分かるわ」

うっとりと瞳をとろかせるマリーの言っていることの意味が分からない。

「どういうことなの?」

「まったく、あなたってどんな田舎から来たの。彼らの悪名は知れ渡っているというのに。彼らが来ると、良識のある親なら娘を隠すでしょうね」

「そんなに悪いことを?」

「彼らにとって酒も女も暴力も、羽目外しは日常茶飯事よ」

「さっきの‥‥アレクサンドルっていう人も?」

「率先してするわけじゃないけど、一緒になってやっているわ」

「そんなに悪い人には見えなかったわ」

マリーが嘲笑を口元に浮べてわたしを振り返った。

「あなたも、彼の美しさに頭をやられてしまったのね。そこなのよ。みんなそう言って、自分なら彼に愛を教えられると言って彼に近づくの。でも、駄目。誰一人として彼に人間らしい感情を持たせることはできなかったわ。結論はね、彼は根っからの冷血漢で、遠くから観賞するのはよくても、近づいてはいけないということなの」

それでも彼に近づく女性は後を絶たないけどね、と付け足した。

「あそこに見える、彼女」

マリーは会場にいるピンクベージュのドレスの女性を視線で示した。

金色の巻き髪の美人だ。

「子爵令嬢よ。センスがよくって、会話も楽しくて、何より美人。あのかたも、敗れた一人だわ。彼女でも駄目だったなら、他の誰でも駄目よ。あなたも無理な望みはもたないことね」

わたしはぼんやりと彼女を眺めながら、根っからの悪人なんていないわ、と心の中で呟いた。

後になって思えば、そのときのわたしは幼かった。

彼も愛に目覚めれば更生してくれるはずだと、無邪気にも信じていたのだ。



何人かの男性にダンスに誘われたが、わたしは断った。

踊れないのだ。

今までそんなことを学ぶ必要がなかったので、村の踊りくらいしか踊れない。

逃げるように庭に出た。

村の祭のときに森の中で見たように、絡み合う男女をいくつか見つけた。

それらを避けて通るうちに、ずいぶんと会場から遠くへと来てしまった。

音楽もほとんど耳に届かないほど、静かで暗い。

ベンチを見つけて、そこに腰掛けた。

ほっと息を吐いて靴を脱いだ。

つま先の細くなった靴など普段はかないから、足が痛くなっていた。

ホールにいたときもよっぽど脱いでしまいたかったが、歩いたときにスカートのすそからつま先が見えてしまうので、脱ぐことができなかった。

ちらちらと他の女の人を見てみたが、マリーが言うようにほとんどの女性がこのようなつま先の細い靴を履いていた。

いったいどうやって、ずっと平気な顔で立っていられるのか不思議だ。

スカートが肌蹴るのも気にせずに、膝を引き寄せてつま先を撫でた。

ひんやりとした風が、ほてった頬に気持ちよかった。

一人余韻にふける、贅沢な時間が過ぎた。

しばらく経ったころ首を巡らせてぎょっとした。

少し離れたところにあるベンチに、一人の男が座っていた。




あの男だった。




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