33.これから運動?
まだ判らない単語やフレーズも多いけれど、シンが教えてくれた勉強法によれば、とにかく聞き流しでもいいから大量に言葉に触れることが会話の上達の秘訣だそうだ。
書く方もテキストで練習しているけど、今のところひらがなとカタカナが精一杯で漢字やローマ字を交えて文章を書くところまでは行っていない。
数字は何とか覚えて計算も出来るようにはなったけど、シンに言わせたら小学校低学年レベルだそうだ。
口調は軽いんだけど言う事はえげつない奴である。
本当の事しか言わないから信用は出来るが。
だからレイナとしては毎日コツコツと積み上げていくしかない。
日が変わる頃に勉強を切り上げ、トレーナーに着替えると部屋を出る。
玄関に行く途中でシンとばったり会った。
「これから運動?」
「実験」
「頑張って」
それだけで別れる。
お互いに非干渉ということになっている。
シンはシンで色々と忙しいらしくて朝出かけていって帰ってくるのは夜遅くだ。
ここしばらく一緒に食事していない。
週に一度は報告会を兼ねて一緒に食事することになっているのだが、どうにもシンが忙しすぎて無理だ。
つまりレイナは放置されている。
シンによれば、いよいよ会社を辞めると同時に新しい自分の会社を立ち上げるということだった。
よく判らないけどしばらくは一人でやってくれと言われた。
夜間中学について報告したかったのだが、それは後でもいい。
廊下に出て白銀の髪を隠して帽子を深く被り直し、マスクをする。
アニメにはこういう姿の不審人物がよく出てくるのだが、現実にはむしろありふれた格好なのだそうだ。
帽子はともかくマスクは何のためなのか判らないのだが。
エレベーターで一階に降りて無人の受付に手を振る。
録画してあるそうで、これでレイナが外出した証拠になるとか。
エントランスでテレビを観て覚えた準備体操をしてから走り出す。
シンとレイナが住んでいるマンションは駅やその周辺の繁華街から少し離れた住宅地にある。
ベッドタウンなので昼間でも人通りがないが、その分不審人物もいない。
ただし夜中に運動したり犬を散歩させたりする人は結構いるようで、レイナも走っている間に何人かとすれ違った。
無言でスルーする。
干渉されたくないのはお互い様らしい。
助かる。
しばらく走ると大きな河があった。
川沿いに道路が走っているが、滅多に車が通らないので実験には最適である。
河原に降りると道路の街灯の光もかすかに届くだけになる。
聖力で周囲を探って人気が無いことを確認する。
時々、ホームレスとやらの人が寝ていたりするので警戒は怠らない。
最近は結構寒くなってきたのでまずいないのだが。
レイナがここで何をやっているのかというと、聖力の使い方の練習だった。
ミルガンテでは教えて貰えなかった。
聖女の役目は大聖殿の広報と大聖鏡に聖力を注ぐことだけで、レイナが聖力を使って何かすることは禁じられていた。
従って使い方がまだよく判らない。
というか知らない。
これでは拙いということで、色々と試行錯誤しながら練習している。
シンは頼りにならなかった。
神官になるための修行しかしていないので聖力の使用方法についてはレイナ以上に無知だという。
「そもそも何か出来るほど聖力が余っているわけじゃないからね。
大聖殿に供給するだけで一杯一杯だったよ」
それでも薪に火をつけたりコップ一杯の水を出したりしてはいたそうだが、そんなことは別に聖力を使わなくても可能だ。
身体の損傷を治すにしても、せいぜい切り傷を塞ぐ程度しか出来なかったそうな。
「それが肉体丸ごと創造してしまうんだもんなあ。
マジで規格外だよ」
そんなことを言われても。
ていうかやれと言ったのはシンなのに。
ブツブツ愚痴を言いながらレイナはこぶし大の石を拾って河に向かって無造作に投げた。
山なりに飛んだ石は河まで届かなかった。
同じくらいの石を、今度は聖力を使って投げる。
河の中心付近で水柱が立った。
十回ほど続けてみたが、特に聖力が消耗した様子もない。
別にメーターとか数字板とかがあるわけではないので気持ちだけだ。
アニメでは「ステータスオープン」と唱えると空中に表示が出ていたが、現実にはそんなものはない。
限界が判らないので常にセーブしている。




