幕間12
ウィンザー城の王宮執事補であるダグラスは執務室で決裁書類を処理していた。
執事長のフィリップが休暇をとっている間はまだ若輩ながらこのダグラスがウィンザー城の責任者だ。
いや、それは言い過ぎか。
今回持たされている権限はウィンザー城の通常業務に関するものだけで、王室やその関連事項についてはタッチしない。
現在、国王陛下やご家族、それに随員が滞在していないからこそフィリップもウィンザー城を離れられる訳で。
今頃はどこかのコテージで家族とまったりしていることだろう。
王宮執事の仕事は難しいものではないが、何せお相手が王室だ。
気を遣うなんてもんじゃない。
幸いにして今の王室の方々は優しくて弁えた方が多いので、そんなにピリピリしているわけではないのだが。
問題は王室の方ではなくて何とかして接近したり接触しようとしてくる連中だ。
英王室は庶民にも開けた一族ということで、このウィンザー城も実際に国王陛下が滞在することがあるにも関わらず観光客を受け入れている。
もちろん一般に開放してある部分と王室が使用する場所は厳密に区切られてはいる。
だが同じ建物なのだ。
しかも広い。
全部を警戒するなんて不可能。
これはウィンザー城に限った話ではない。
一般人でもその気になれば警備や監視をかいくぐってプライベートな部分に侵入出来てしまう。
実際、数年前にも衛兵の警告を無視して警戒区域に侵入して逮捕された不届き者がいた。
数十年前には不審者がバッキンガム宮殿に侵入して女王陛下の寝室にまでたどり着き、少し会話までした事件すらあった。
あってはならないことが起こってしまうのが現実だが、王室の方々が存在しない場合は最悪の事態にはならないことも確かなので、ダグラスたち執事にとっては精神的な休暇のようなものだ。
そう思っていたのだが。
ノックの音がして返事も待たずに若い男が入って来た。
「執事補!
今日王家のどなたかのご訪問は予定されてますか?」
「何だ藪から棒に。
待つくらいできんのか」
「すみません。
でも緊急で」
「まあいい。
ご訪問のご予定はない。
執事長がいないのがその証拠だ」
このカニンガムという男は従僕だ。
とはいえ下層階級出身というわけではなく、言わば研修中で宮殿の一通りの役職を勤め上げてから執事や家令を目指すという過程で現在は従僕を務めている。
確かケンブリッジ出だったか。
割合有能なはずなんだが。
こんなに慌てるとは何かあったのか?
その疑問はすぐに解消された。
「警備から通報がありました。
貴顕が観光客に混じってウィンザー城をご訪問されているのではないかと」
「貴顕が?
どなたなんだ」
「存じ上げませんが、複数の警備員の報告ではまだ若い女性で侍女と護衛を伴っておられると」
侍女と護衛か。
それなら確かに貴顕だ。
英国は王室や貴族が健在とはいえ、一般庶民との垣根は随分低くなっている。
百年前なら貴族令嬢が一人で行動することなど考えられなかったが、数十年前にはもう単独で行動しても問題にならなくなっていたほどだ。
王室の方々はともかく貴族の子弟でも普通の学校に通って平民と一緒に行動するし、民間の企業に普通に就職する。
休みには一人で出歩いたりして。
これは英国だけではなくて世界的な風潮だ。
そんな状況の中で侍女や護衛を伴っているとしたら。
「我が国の王室の方々の予定は把握している。
緊急連絡も無い」
「とすれば国外の貴顕では?」
「あり得るな。
外国の国王陛下ご自身ならともかく、ご家族ならそのご予定を当局に通報する義務はないし、お忍びで動かれたらこっちは把握しようがない」
おそらくそれだろう。
その場合は何があってももちろん当人の自己責任になるが、例えばウィンザー城にいるときに何か起こったらこっちにとばっちりが来かねない。
「どこの国の貴顕か判るか?
というよりは本物の貴顕なのか?
どうして判った?」
召使いや護衛がつくのは王族や貴族に限らない。
富豪や重要な政府関係者の子弟という可能性もある。
するとカニンガムはスマホを突き出してきた。
「警備の者が撮った写真を送らせました。
隠し撮りになってしまったのであまり画質は良くありませんが」
それって犯罪だろ、と言いかけてダグラスは口をつぐむ。
この場合は超法規的な対応が必要だ。
差し出されたスマホを受け取って画面を見てみる。
ドールハウスを観る威厳に満ちた細身の美少女と侍女らしい同年代の少女。
礼拝堂で天井を見上げている銀髪の美少女。
本人自身が名画の一部のようだ。
運転手と護衛に傅かれてベンツに乗り込む白銀の長い髪の美少女。
ダグラスは思わず生唾を飲み込んだ。
間違いない。
貴族どころではない。
どう観てもどちらかの王室の方だ。
容姿からして北欧系か。
そのお身体から発する輝きが画面から溢れ出してくるようだった。
「……カニンガム」
「はい」
「車に乗り込んでおられるということは、もうウィンザー城から退去されたんだな?」
「そうですね」
顔を見合わせる。
ダグラスは内線電話で警備室に連絡をとってから言った。
「特に苦情は入っていないようだ」
「良かったです」
「その代わりに『どこかの王女がご訪問されているのではないか』というような質問が多数寄せられているらしい」
「我々が知る限り、そんな情報はありません」
「だな」
「です」
二人揃ってため息をついてからダグラスが言った。
「この件はここまでだ。
我々には関係ない」
「はい」
「執事長には私から報告しておく。
戻って良し」
「了解しました」
何事もなく終わって良かった(汗)。




