9.限界だった
「シンを見つけて大聖鏡に飛び込んだのが初めての我が儘だったのかも」
「そういやいきなり掴みかかってきたよね。
何で?」
「あの時、シンだけが変な動きをしていたのが見えたから。
思わず追いかけてしまった」
本当に衝動だった。
でもいきなりかと言われたら違う気がする。
「私、自分でも気づいてなかったけど限界だったんじゃないかな」
「そうなのか」
「うん。
ずっと言われるままに生活していて、表面的には大人しく従っていたんだけど、内心は不満が爆発しかけていたと思う」
シンがぞっとしたように身を竦めた。
「爆発しないでよ?
聖女の聖力が爆発したらどんなことになるか」
「それが判っているから私も我慢していたんだけど。
でも限界だった」
話しているうちに自分でも納得出来た。
レイナは何かしなければならなかった。
だからシンを追って大聖鏡に飛び込んだ。
「そうか。
当代の聖女候補様は希に見る理想的な御方だと噂だったんだけど」
「あのまま行ったら聖女になってから爆発していたと思う。
今はとりあえずその不満が消えちゃったみたい」
だから落ち着いているのか。
なるほど。
この訳が判らない異世界はレイナにとっての新世界だ。
ミルガンテや大聖殿には何の未練も無い。
そもそも親しい人もいなかったし、家族のことはもう何も覚えていない。
そんなのがいたことすら忘れていた。
「だから何を言われても大丈夫」
「ならいいけど」
シンはまだ不安そうだった。
聖女の莫大な聖力についてよく知っているだけに安心出来ないのだろう。
何せ聖女は現実をねじ曲げてしまえる。
人一人を創造してしまえるほどだ。
レイナがその気になったら何でも出来てしまう。
「……まあ、いいや。
基本的なことから説明するね。
まず僕、ミルガンテのロシタレル・ハントは転生者だ。
だった」
「転生者」
よく判らない。
「つまり、ハントとして生まれる前の人生の記憶がある。
それが今の僕、明智晋。
この時代だと32歳。
サラリーマンをやっている」
「サラリーマン?」
「ああ、サラリーマンって勤め人のことだよ。
ミルガンテで言うと商店の店員みたいなものだね。
あるいは職人とか」
「ごめんなさい。
よく判らない」
シンはあちゃーっ、というように頭を抱えた。
「そういえばレイナって大聖殿育ちで世間を知らないんだっけ。
ミルガンテの常識も判らないと」
「失礼ね。
常識くらいは知ってるわよ!」
馬鹿にされた気がしたので反論したら言われた。
「それじゃ、レイナが毎日食べていたものとか使っていた道具とか、どうやって作られてレイナの元に届いていたか説明出来る?」
「うっ」
言われてみたら判らない。
食事はただ提供されるものだったし、身の回りの道具は気がついたら揃っていた。
大聖殿から出た事も無い。
従ってミルガンテのことも何も知らない。
知っているのは聖女教育とやらで叩き込まれた聖教の教義や歴史だけだ。
「……私、とんでもない無知なの?」
「まあ、レイナが悪いんじゃないから気にしないで。
とにかくサラリーマンはいいとして、僕はこの世界で生まれて普通に学校に行って就職した」
「学校?
就職?」
「そこもか!
とりあえず後で説明するからスルーして。
で、僕は色々あったけど最後は死んで、気がついたらミルガンテで生まれていたわけ。
前世を思い出したのは聖力があるとバレて大聖殿に連れてこられてからだけどね」




