神官見習いの自殺を止めようとしたら異世界に来てしまいました
見切り発車です。
レイナはふと立ち止まった。
前を歩く護衛騎士が目敏く気配を捉えて振り返る。
だがそれだけで声はかけてこない。
護衛対象の行動には干渉しない。
それどころか疑問すら持たない。
完全無欠な聖殿騎士だから。
同じくレイナの後ろについている侍女も足を止めただけで慎ましく控えている。
この人たちにとって私という存在は何なのかしら、とちらっと思ってしまった。
少なくとも人間扱いはされていない気がする。
高価な置物や聖遺物扱いされていそう。
いや、ひょっとしたら非干渉必須の危険物だと思っている可能性すらある。
君子危うきに近寄らずといきたいところだが、仕事だから仕方なく御付をやっているに違いない。
というような暗い思考が頭を過ぎったけど、もちろん表情には出さない。
そもそも私付きの護衛騎士や侍女はどうでもいい。
私はなぜ立ち止まったのか。
何かが目に入ったからだ。
改めて自分の視界に存在するものをざっと眺め回しても特に違和感はない。
レイナは今、大聖殿教務棟の外壁をぐるりと回る大回廊にいる。
見晴らしは良すぎるほど良い。
目の前にそびえ立つ大聖殿本堂の偉容。
そのあちこちに散らばった豆粒のようにしか見えない、それぞれ自分の用のために足早に過ぎていく神官や巫女、聖殿騎士とその配下の兵たち。
ここは大聖殿の敷地の最奥で、だから一般信徒の姿はない。
全員が聖教の関係者だ。
あとはそう、見学なのか巨大な大神鏡の前に群れている白服の見習い神官たち。
全世界から集められた神官見習いは大聖殿付属の研修所で神聖なる義務を叩き込まれ、そしてあちこちの小聖殿に散っていく。
特に優秀だったり何らかのコネがある者は大聖殿本堂の神官に採用されるかもしれないが、いずれにしても聖教の忠実なる部品として機構に組み込まれる。
それはレイナとて同じ。
例外はない。
それが強力な聖力を持って生まれてしまった者の運命だ。
いやいや、そんなこともどうでもいい。
私の足を止めたのは何か。
レイナは意識して自分の魂を構成する聖力を目に集中させた。
視界がぐわっと広がる。
というよりは拡大か。
見習い神官たちがあたかもレイナのすぐそばで群れているように感じながら、それと同時に護衛騎士が緊張するのも見えている。
この護衛騎士とてレイナの側に配置されるくらいだから結構強力な聖力持ちなのだが、それでもレイナの前では赤子同然だ。
よって護衛騎士の緊張はレイナには向いていない。
周囲を把握して、万一の場合は出来るだけ被害が出ないように動くための予備動作だ。
侍女たちの方は微動だにしていない。
護衛騎士は守ってくれないし、自力で何とか出来るはずもない。
よって何もせずにすべて受け入れる。
達観にもほどがある。
それもどうでもいい。
レイナは目の前で蠢めいているように「見える」見習い神官たちをざっと眺め回した。
すぐに判った。
様々な種族や民族からなる群だけあって、見習い神官たちは実に色々な特徴を持っている。
髪、肌の色は漆黒から金に至るまで見本市のようだったし顔形や身体つき、姿勢は千差万別だ。
むしろよくこれだけ種類を揃えたものだと感心してしまうほどだ。
そう、外見上はまるで統一感がないせいでかえって均一の集団に見える。
態度・行動も揃っていてあたかも統一させられた兵士並。
そしてその中で一点だけ、違う者がいた。
どこといって特徴のない中肉中背のその見習い神官は、ただ一人だけ集団と違うものに視線を向けている。
「面白い」
ついうっかり呟いてしまった。
護衛騎士が全身で身構えるのを感じて内心で舌を出す。
前回、レイナが「面白がった」時の惨事はよく知られている。
実のところ、噂に背鰭尾鰭がついて天に駆け上がっていたりするのだが、レイナとしては実害がないので放置している。
どっちにしても警戒されるのだからどうでもいい。
「参ります」
レイナは短く言って足を踏み出した。
護衛騎士が流れるような動作で距離を保ち、侍女が平然とついてくるのを「感じ」ながら、レイナは先ほどの見習い神官を心に焼き付けた。
アレはいずれ、何かやりそうだ。
それに便乗すれば、この死ぬほど退屈で絶望的な生活に少しだけ色をつけることが出来るかも。
それくらいは期待してもいいのではないかとレイナは思う。
物心がついてから14年間、ずっと籠の鳥を続けてきて、将来も死ぬか聖力が尽きるまで同じ日常が約束されているのだ。
もちろん反逆とか脱走とかは思ってもいないが、少しくらいの悪戯は許して欲しい。
期待しないで待っているから、と名前も知らない彼に心で呼びかけ、レイナは本日の聖務に向かった。
聖力。
それは現実をねじ曲げる力だ。
いかなる物理法則の制限を受けることなく、あらゆる事象を改変してしまえる力。
とはいえ、本当の所は「力」と言って良いのかすら不明だ。
計測どころか定義すら出来ず、ただそれが発揮された結果のみが存在する。
しかもそれは人間の意志によって発動、いや発揮されるため、そんなものが人間社会と共存出来るわけがない。
もちろん誰でもその「力」を振るうことが出来るわけではない。
ごく少数の、それこそ村や街には数十年ごとに一人、一都市に数人、一地方に数十人というレベルで発現するとされている。
放置すれば社会が乱れる。
だから人類はその「力」を管理し抑制する方向に梶をとった。
具体的には国家を越えた管理組織を設置し、「力」を持つ者を集めて仕事を与えた。
そこに至るまでは紆余曲折な経緯があったらしい。
古代から中世にかけて「力」を持つ者が台頭し、勢力を広げて互いにぶつかり合うこともあったと歴史にはある。
だが長続きはしなかった。
なぜなら「力」は遺伝しないから。
いかに強大なる「力」を持っていても、次代に自らが築いた勢力を引き継げないのでは王朝が続きようがない。
「力」を振るえば自分の寿命を延ばしたり永遠の若さを保つことも出来なくはないが、そのような不自然な支配はいずれ覆される。
そもそも過大な「力」の行使は心身を共に消耗させる。
限界を越えて「力」を消耗した者は死ぬ。
自らの敗北や消滅を悟った者が無謀で破滅的な行動に出ることもあった。
何度も文明が滅びかけるような試行錯誤を経て現在はひとつの管理組織がすべてをまとめている。
大聖教。
宗教の形を取ってはいるが、特定の神を崇めているわけではない。
いや大自然とか世界とか、そういった「現象」に傅いているというべきか。
あらゆる国の上に置かれるが支配や君臨ではなく、ただ聖力を持つ者を集め、導き、管理するための組織だ。
その意に従わない者を力で制圧する権利と義務も負っている。
聖力を持つ個人は聖力を駆使する集団には敵わない。
狼を羊の集団の保護者にしてしまえば羊は安泰というわけだ。
「でも、それって狼の自由と権利を剥奪することなのよね」
レイナは周囲に気づかれないようにため息をついた。
物憂げにパーティー会場を眺める。
今期の神官見習い研修が終わって配属が発表されたのだ。
レイナには直接関係はないが、上層部の権威付けやら色々な思惑の結果として同席させられている。
もっとも見習い神官たちとは護衛騎士たちによって隔てられている。
大聖殿最高位の「聖女」とは身分が違いすぎて直接会話など論外だそうだ。
よって会場から一段高い場所でお付きの者を侍らせながら見せ物になっているというわけだ。
当然だが着飾っている。
聖女の身分を示す紫色の神官服を纏っているだけだが。
最高級の生地を最高の職人が仕立てたというふれこみだが遠目には違いがわかるはずもない。
それでもレイナは見習いどころか普通の神官たちとすら身分が違うことになっている。
年齢から言えば見習い神官たちの方が総じてレイナよりかなり上のはずなのだが。
実際、見習い神官は当局によって聖力を見い出された歳で召集されるため、下はほんの子供から上は初老まで千差万別だ。
ちなみに幼児の場合は別のルートがある。
それでもレイナより年下に見える者は数えるほどだ。
なぜかというと、聖力の強弱によって発見時期が異なるから。
聖力は条件定義すら無理なため、検出も結果によってしか出来ない。
まず、世界の隅々まで張り巡らされた諜報網が聖力の発現が疑われる現象をピックアップする。
その情報に基づいて専門調査員が現地に赴き状況を確認。
聖力保持が疑われる者を特定出来た場合は発掘調査団が後を引き受ける。
大抵の場合、何かの間違いや偶然なのだが、聖力が関係している場合でも放置されることもある。
聖力の有無とは別に、その者が振るえる「力」の大きさ? には個体差がある。
強弱と言っていいのかどうか判らないが、改変出来る現実の規模や繊細さ、その「深さ」には顕著な差が認められる。
聖力が基準以下の場合は徴用されずに放置される。
もちろん監視はつくが。
ある程度以上の聖力があると認められた者だけが大聖殿に連れてこられるわけだが、その中でも下働きや護衛騎士に任じられる者もいる。
その辺りについてレイナはよく知らない。
なぜかというと、レイナは神官見習いとして徴募されたわけではないからだ。
物心がついた頃には既に大聖殿で暮らしていた。
レイナはいつも一人だった。
同期や仲間といった存在はいない。
むしろレイナ個人のために育英組織が立ち上げられたと聞いている。
レイナが発見された時に、あまりにも規格外の聖力が認められたため、むしろこのまま秘匿・抹殺した方が良いのではないのかという意見が大半を占めたそうだ。
当時の大聖殿幹部にたまたま穏健派が揃っていたこともあってレイナは生き延びた。
数十年前には巨大な聖力を持ちながらなぜか見逃されていた者が拉致に抵抗し、大規模な被害を出したと教えられている。
その経験を持つ連中が実権を握っていたらどうなっていたことか。
その当時の状況だったらレイナは人知れず消されていたかもしれない。
もっともほんの幼児の頃ですらレイナの聖力は桁違いだったらしいから、下手するとさらに大きな被害を出していた可能性もある。
そういう理由でレイナは慎重な上にも慎重に育てられた。
最初から将来の聖女に決まっていたのだが、幸いなことに育英方針も穏健だった。
というよりは現実的と言うべきか。
深窓の姫君として育ててしまったら世間的な常識を知らない暴君が出来てしまうかもしれない。
籠の鳥も駄目だ。
何せレイナはその気になれば現実をねじ曲げることが出来るのだ。
無知のまま何かの拍子に実際の社会を知って混乱したレイナが暴走したら。
そういった意見を元に、レイナは孤高の聖女にしては割と自由に育てられた。
幼児の頃から貴族階級だけでなく庶民生活にも馴染み、変装しての街歩きや時には外泊や旅行すらしたことがある。
もちろん厳重な護衛いや監視付きだが。
何かを止めたり禁止する場合は懇切丁寧に理由を説明し、レイナの聖力が発揮されずとも意見が通るように導かれた。
なのでレイナは暴君には育たなかったが、それでもその気になれば最高権力を振るう事が出来る存在はやはり敬遠されがちで、だから紹介された「ご学友」たちとは疎遠なままだ。
レイナとしてもお友達は欲しいが取り巻きや臣下は願い下げなので、もうこのままでもいいと思っている。
それにレイナも来年には成人と見なされる15歳になり、正式な「聖女」としてお披露目される予定だ。
「聖女」とは何か。
実は大聖教の成立時にそう名乗る存在が大きな働きをしたと伝えられている。
何分、現在の文明の黎明期でもあり、当時はとても正式な記録を取る余裕がなかったこともあって、聖女が一体何だったのか、何をしたのかについては曖昧なままだ。
さらに「勇者」とか「賢者」などについての記録も散見出来るのだが、これらも聖女に輪をかけて不可思議な存在として書かれていて、今となっては想像するしかない。
ただ聖教の成立直前に「魔王」と呼ばれる存在が前文明を崩壊に追い込んだことは確かだ。
これらについては大聖殿直属の歴史記録所が研究を進めているらしいがレイナはよく知らない。
興味もないが、どうせ聖女も勇者も魔王も聖力使いだったことは間違いなかろう。
大聖殿の幹部連中と戯れに話したことがあるが、どうも男だったら勇者、女性は聖女、そして悪が魔王、というざっくりした分類が定説であるようだった。
だったら賢者は? と聞いても誰も答えられなかったが。
レイナはその聖女とやらになる、というよりは聖教において認められることになっているのだが、では何をさせられるのかというとよく判らない。
多分、大聖殿の権威付けとして使われるのだろうが、レイナとしてはどうでもいい。
魔王とやらと戦わされるのに比べたらよっぽどマシだ。
ただ、今現在は魔王など影も形もないが、いきなり出現する可能性については否定出来ないのが不気味ではある。
考えても仕方がないことは考えないようにしているから別にいいのだけれど。
レイナの「視界」の中で何かが「動い」た。
もちろん目による視界ではないし、実際に動いたわけでもない。
レイナがごく細い聖力を繋いでおいた彼に変化があっただけだ。
表情を変えないまま確認する。
彼はパーティー会場から離れつつあった。
少し前にトイレに行くふりをして会場を出たようだ。
そこまでは参加者の誰でもやっていることだったのだが、彼は人通りが絶えた時を見計らって会場とは反対の方向に向かったらしい。
「出ます」
レイナは短く言って立ち上がった。
聖女に何か話しかけていた誰かが驚いて絶句するが知ったことではない。
聖女の意志には誰も逆らえない、というか逆らってはいけないことになっている。
レイナは未だ正式な聖女ではないが同じことだ。
侍女が話し相手にお詫びの意味で深く頭を下げるのを後目にレイナは足早に動いた。
護衛騎士が先行する。
さすがに鍛えている上に聖力が強いだけあってレイナの突然の動きにも遅れは取らない。
仕方がない。
レイナと護衛騎士は侍女を置き去りにして裏からパーティー会場を出て回廊を駆けた。
行く先は大聖殿の本殿。
レイナの聖力が捉えている彼も同じ方向に向かっている。
何をしようとしているのか?
大聖殿はとにかく大きいし目的地は無数に考えられる。
もっともレイナには心当たりがあった。
最初に見たときに彼が凝視していたもの。
大聖鏡。
それは大聖殿の中央にあってどこからでも見えるようになっている。
一見すると鏡のようには見えない。
人の背の数倍はあろうという巨大な球体で、それが何の支えもなしに宙に浮いている。
その表面にはこの世界のどこでもない場所が明滅するように映し出されているのだが、実際には大聖鏡自体がただの映像だ。
つまり表面にどこかの何かを写した巨大な鏡が浮いていることになる。
これが何なのか、何のためにここにあるのかは誰も知らない。
判っているのはこれが大聖教発祥当時から存在すること、これを維持し続けることがむしろ大聖教の目的であることだけだ。
そう、レイナを含めた大聖教の神官たちの聖力は、この球体を維持するために使われていると言ってもいい。
実際には大聖殿の特別な場所にある装置に聖力を注ぐことで大聖鏡が存在し続けているらしいのだが。
レイナの聖務もそれだ。
もとより神官の義務として、大聖殿以外の聖殿でも同じことが行われている。
大聖教の聖殿は世界各地にあるが、すべての聖殿にはこの大聖殿に繋がる装置があって、注がれた聖力はすべてこの大聖鏡に注がれるのだ。
そうレイナは教えられたが本当かどうかは知らない。
世の中には知らない方が楽に生きられる事も存在する。
それを言ったら家庭教師に呆れ顔をされたが。
彼がパーティー会場のある聖務棟を抜け、大聖殿に足を踏み入れる。
速い。
何らかの聖力を使っているのかとも思ったが、単に若くて体力があるだけだろう。
一方のレイナはまだ少女で、しかも普段から走ったりはしない生活だ。
既に息が上がっている。
やむを得ない。
護衛騎士が振り向いて「お止めください」と言おうとするのにかまわず聖力を身体に籠める。
レイナは一瞬にして彼に追いついた。
その背中に手を伸ばし、神官衣を掴むと同時に彼が跳んだ。
まっすぐ大聖鏡に向かって。
「やめなさい! それに触れると」
間に合わなかった。
大聖鏡はただの映像だ。
そして周囲は敢えて開けっぴろげになっている。
誰でも近寄れるように。
そしてその愚かさを万人に示せるように。
「死ぬのよ!」
言いながらレイナも引っ張られて大聖鏡に向かう。
拙い、と思う暇もなかった。
大聖鏡に飛び込んだ形で倒れた彼に折り重なるようにして、レイナも息絶えた。
この一見心中とも思える不祥事は大聖殿のみならず大聖教自体を揺るがせた。
揺るがせはしたが、ただそれだけであった。
レイナは正式な聖女には未だ就任しておらず、いわば一介の聖女候補でしかなかったし、同時に亡くなった少年に至っては単なる就任したての見習い神官でしかない。
向こう見ずにも禁忌に触れた不届き者が死んだ。
共に愚かであった、ということで関係者は始末書で済んだ。
レイナの護衛騎士と侍女はむしろ同情され、簡単な審議の結果無罪となって結果的に栄転していった。
そしてしばらくたつと、その惨事はああそのような事があったっけと噂で聞く程度まで縮小されていった。
大聖殿は揺るぎなく存在している。
少年は、呆然とした表情で座り込んでいる少女に言った。
「……何でついて来ちゃったの?」