第58話 『懐かしさ その3』
公爵の屋敷を後にしたグレイシャル達。
三人は港を目指して出発していた。
当然だがどこに騎士達の目があるかは分からないので、オーディスとグレイシャルはローブで顔を隠している。
紹介状も手に入れたので、これでスムーズに船に乗って外国に逃げる事が出来る筈だ。
後はヴァイタリカ王国行きの船を時間内に見つけて乗るだけ。
ここに来てやっと幸運が回って来たのかも知れないとグレイシャルは内心思った。
「それにしてもモーゼルさん」
「ん、どうしたんだい」
「レイル公爵の屋敷から港って近いんですね。まだ十数分しか歩いて無いのに、もう港が見えてきましたよ」
グレイシャルの目の前に見えるのは綺麗に整備された港。
漁船・商船・貨物船、多くの船や人が忙しく動いており、人の営みを感じられる良い雰囲気の場所だ。
「まあねー。ヘンちゃんの屋敷の門を出て左にひたすら真っ直ぐ行ったら港だから。良い立地でしょ?」
「えぇ。この街はバーベラと違ってのどかな風景では無いですが、その分活力が漲っている様に思えます」
「活力ありすぎてバカ共に追われてるけどな」
「えーと、まあ……。否定はしません」
普段ならオーディスの言葉を訂正しているが、流石に今回ばかりは騎士達が厄介過ぎる。
鬼ごっこでこれなのだから、彼らと殺し合いになった場合はどうなっていたのか、想像するだけで背筋が凍る様だった。
「てか、おっちゃん」
「なーんだい?」
「俺達、堂々と大通りを歩いて港に向かってるけど、問題無いんか?」
オーディスからの質問にモーゼルは即答する。
「うん、問題無いよ」
「マジで言ってる?」
「マジマジ、めっちゃマジ」
「俺の目にはよぉ、港と街の境界って言うんかな。そこにズラーと横一列で騎士が並んでる様に見えるんだが……」
彼の視線の先に見えるモノ。
オーディスが説明した通りそこには、港に入る為の道の全てを数の暴力で封鎖している王立第一騎士団の姿が映っていた。
見間違える筈の無いあの制服。
間違いなくヘンリーの騎士達だ。
モーゼルにもそれは見えている。
だが、彼は毅然とした態度で歩を進めながら言った。
「ヘンちゃんからの命令で君達は何としても船に乗せないと行けないからね」
「そんな事言ってましたか? 閣下は『港まで連れて行け』って言ってただけな気がしますけど」
「分かってないね。ヘンちゃんの性格上、それは船まで乗せろって意味だよ」
「そうなんですか?」
「そ。だから俺に任せてよ!」
そう言うとモーゼルは二人の方を向き、親指を立てながら笑った。
この数を相手にどうやって切り抜けるのか。
冷静になって考えてみれば、さっき公爵の屋敷に入る時も彼は自信満々だったが結局バレ、公爵に助けてもらったのだ。
普通にグレイシャル達は心配だったが、そんな事を考えている内に騎士達との距離は僅か数メートルまで縮んでいた。
「そこで止まれ」
騎士達はグレイシャル達を見ると、手を前に構えて三人を静止する。
「現在、この街ではシグリッド検問所から逃げ出したバゼラント王国の大罪人を捕らえる為、内外を問わず出入りがあった場合は検問をする様に、公爵閣下から通達を受けている。よって、申し訳無いが貴方達にも検査を受けてもらう」
またもや同じセリフ。
いい加減グレイシャルもオーディスも聞き飽きていた。
そんな二人に代わりモーゼルは堂々と胸を張って言う。
「検査? 具体的にそれって何するんだい?」
「身分証の確認と顔の確認だ。指名手配犯は赤髪の魔術師と白髪の子供だからな。という訳でまずは貴方から実施する。身分証を出してくれ」
彼はモーゼルに手を伸ばして身分証を提示する様に要求する。
しかし、モーゼルは首を横に振ると彼の手を引っ叩いた。
困惑する騎士にモーゼルは言う。
「嫌だよ。どうして俺がそんな検問を受けないといけない訳?」
「え、いや。そういう風に命令を受けているので従って貰わないと――」
「あのさー! 俺の顔見て誰だか分からない訳!? 俺だよ、オレオレ!! モーゼルです!! 俺が犯罪者に見えるって言うのか!?」
あろうことか彼は、コンビニの年齢確認を拒否する迷惑客の様に騒ぎ始めたのだ。
この騎士の数を前で普通の人間はこんな行動をしない。
余りにも非常識だし権力に逆らうのが怖いからだ。
だがモーゼルは違う。
彼には公爵という強力なバックが居る。
「この街に住んでる騎士なのに俺の事しらないの!? ヘンちゃんに言いつけるぞコノヤロー!! 君こそ所属は何処だよ! 先にそっちが名乗るのが筋ってもんでしょ!」
地団駄を踏みながら更にモーゼルはヒートアップ。
見かねた他の騎士、と言うより上官だと思われる服装の騎士が、モーゼルを宥める為に彼に近づく。
「申し訳ありませんがモーゼルさん、これも決まりですので……」
「決まり!? 君はその決まりを疑った事は無いのか!? 上から言われたことを鵜呑みにして実行してるだけの駒でいいのか!?」
『あー言えばこう言う』という言葉がまさにピッタリな状況。
グレイシャルとオーディスが呆れながら事の行く末を見守っていると、モーゼルの正面に居た騎士はとうとうキレた。
彼はモーゼルの胸ぐらを掴みながら言う。
「お前いい加減にしろよ! 好き放題言って人を困らせるな!! こっちだってこの街の人の安全を守る為に必死に犯罪者を追ってるんだ! それをお前一人の都合でしない訳にはいかねえんだよ! ヘンちゃんだか誰だか知らねえけど勝手に言いつけとけ!」
が、彼は好機とばかり騎士の腕を抓りながら言った。
「ヘンちゃんが誰だか知らないの!? 君、本当に騎士かい!?」
「は!? だから知らねえって言ってんだろ!」
「じゃあ教えてあげるよ! ヘンちゃんってのは俺の友達でお得意様で、レイル領公爵のヘンリー・テルサス・レイルの事! 君達のボスだよ!!」
「なっ――!?」
騎士はそれを聞いて驚く。
そしてそれと同時にモーゼルは空いている左手を力強く握って閉じる。
すると、地面の石畳の隙間からみるみる砂が集まって、モーゼルを掴んでいる騎士の周囲に浮かんだ。
この砂をモーゼルはどうするのだろう――
周囲の誰もがそう思った時。
それに呼応するかの様に浮かんでいた砂は、一瞬で金槌の様な形態に変化する。
モーゼルが左手を軽く払うとそれは、彼を掴んでいる騎士に向かって高速で振られた。
綺麗な弧を描き遠心力で加速した金槌。
如何に素材が砂と言えど、圧縮されれば岩の様な強度を誇るものだ。
騎士はそれに気付いてモーゼルを離し、回避する為に避けようとする。
が、モーゼルが作り出した砂の金槌の速度は騎士の反応速度を上回っていた。
鍛え抜かれた身体を持つ騎士が、身体強化で更に肉体を活性化せても避けられない程の速度……。
当然ながらそんな物に当たれば騎士は吹っ飛ぶしか無い。
「ごっ――!?」
間に合わかなった騎士は真横に吹っ飛び、10メートル程度行った所で壁に激突して地面に倒れた。
彼は痛みで立ち上がれないのか、苦しそうに呻いて横になっている。
「モーゼルさん!? 何してるんですか!?」
「バカじゃん」
グレイシャルとオーディスがモーゼルを見てそれぞれ感想を零した途端、周囲の騎士達は三人を取り囲んで剣を抜いた。
どうして自分達まで取り囲まれているのかとグレイシャルが思ったが、一緒に行動しているから仲間だと思われたのだろう。
実際仲間だが、彼が騎士を殴った件とは無関係。
しかし、社会とは大抵そういったものである。
「貴様! こんな事をしてタダで済むと思っているのか!!」
騎士の一人がモーゼルに言う。
それと同時に、後ろで控えていた彼の上官が慌てて近づいて来る。
上官はその騎士を含め、周囲の騎士に言った。
「お前達、さっきの彼の話を聞いて居なかったのか!? 彼はモーゼルと言って公爵閣下のご友人だ!」
「だからと言って仲間をやられて放って置く訳が無いでしょう!」
「いや、やめろ! 剣を下ろせ!」
「何故ですか!」
納得が行かない騎士達は上官とモーゼルを睨みながら聞く。
それを受けて上官は、彼らが先走らない様に結論から話す。
「『モーゼルは俺と同等に扱え』と閣下から言われているからだ! 良いか、彼に剣を向けるという事は閣下に反旗を翻す事に他ならない! 私はお前達をそんな恩知らずに育てた覚えは無いぞ!」
「くっ……!!」
「お前達は持ち場に戻れ! と言ってもすぐそこだけどな。早く行け!」
口惜しそうに唸る騎士達だったが、上官はよほど尊敬されているのか、彼にそう言われては騎士達は従うしか無い様子だった。
怒りを何とか抑えて騎士達は剣を鞘に収める。
上官はホッと胸を撫で下ろすとモーゼルに向き直って言う。
「俺の部下が本当に申し訳無い、モーゼルさん。本来なら貴方に剣を向ける事は許されない事です。ですが、いくら貴方でも人を傷つける行為は看過できません。次からは絶対に辞めて下さい」
「うん、ごめんね。勢い余ってあの人魔術で殴っちゃった……。次はちゃんと話し合いで解決するよ」
モーゼルが指を差した方向には仲間に介抱されている、さっきモーゼルの魔術の餌食になった騎士が居た。
上官は溜息を付きながらモーゼルに言う。
「話し合いも何も、モーゼルさんが始めから素直に検査を受けてくれれば良いだけですけどね」
「はははは、本当にごめんね……」
「ところで、今日はどう言った件でコチラに? 見た感じお連れの方も居る様ですが。さっきも説明があったと思いますが、我々騎士団は現在、閣下の命にてこの街に逃げ込んだ犯罪者を捜索しています。そもそもモーゼルさんは陸の商人の筈。港に何の用ですか?」
「あー……。まあ、今日はちょっと色々とあってね」
「色々? それは後ろのお二人と関係あるのですか?」
「まあ、そう。うん」
少しづつだが確実に上官はグレイシャルとオーディスの事を疑っている。
ローブで顔を隠し、更には検査を拒否したのだから当然と言えば当然だ。
このままモーゼルを放って置けば、また公爵の屋敷の時と同じ事が起きるかも知れない。
彼に花を持たせて上げたかったが、そうも言ってられそうにないのだ。
そう思ったグレイシャルは先に手を打つ事にする。
彼は数歩前に出て、モーゼルの隣に立って言う。
「僕達の所為でお騒がせしている様で申し訳無いです。ですが、こちらにも事情があるので検査には応じられません。ですが、その代わりに」
「その代わりに?」
グレイシャルはローブの胸の隙間から一枚の紙切れを取り出し、それを騎士達の上官に手渡した。
「それはヘンリー・テルサス・レイル公爵閣下からの紹介状です。僕達は閣下の紹介で渡航をする為に来ました」
ここに来ながらヘンリーが書いてくれた紹介状を自分でも読んだが、これは騎士達を説得するのに使えると思ったのだ。
その紹介状には短く、
『ローブをしている二人組みを船に乗せてやってくれ。宗教上の都合で顔は見せれないらしい。身分証も同じ理由。ヘンリー・テルサス・レイス』
とだけ書かれている。
それだけなら偽物と思われるかも知れないので、ヘンリーは自分の家の家紋を余白に大っきく、自分の筆跡が分かる様に書いてくれていたのだ。
その効果は絶大という他無い。
上官はそれを見るなり、
「おぉ……。これは確かに閣下の……」
と言ってブツブツ呟いている程だ。
何故始めから見せなかったのかと言われれば、上述の様にモーゼルに花を持たせてあげたかっただけである。
「これで信じて頂けましたか?」
グレイシャルが上官に聞くと、彼はそれをグレイシャルに返却しながら頷いた。
そして騎士達の方を振り返って上官は言う。
「お前達、道を開けろ! 公爵閣下の客人が渡航なさる!」
それを聞いて彼の部下が一気にザワつくが、一度彼に怒られた手前、素直に従うしかなかった。
横一列に港への道を塞いでいた騎士達は両側に寄り、グレイシャル達が通れる程のスペースを開ける。
「さぁ、どうぞ。モーゼルさんとお連れのお二方」
「うん、ありがとうね!」
「ありがとうございます」
「どーもー」
三人はそれぞれ礼を言って軽く頭を下げると港に入って行く。
その場に残った騎士達。
彼らはグレイシャル達を見ながら皆一様に「何だったんだアイツら……」という感想を抱くのだった。
――――
そうして無事に港に入れた三人はヴァイタリカ王国行きの船を探す事にしたが、目の前に運良く目的の船があったのでその手間は省けた。
その船の真横に着くまでの僅かな距離、グレイシャルはモーゼルと話す。
「モーゼルさん」
「なんだい、グレイシャル君」
「何から何までありがとうございました。閣下にもよろしく言っておいて下さい」
「あははは! 分かったよ、次来る時は泊まりで行くってヘンちゃんに言っておくよ」
「えぇ、是非とも。兄さんと一緒に行きますから」
「うん、楽しみに待ってるよ。と言っても、俺の家はバーベラだからもしかしたら会えないかも知れないけどね。ま、ここに立ち寄ったら一応ヘンちゃんの屋敷にも来てね」
「はい。兄さんも、次来る時が楽しみですね」
「えっ? あ、うん。まあな。公爵サマは結構おもしれー奴だからな」
会話はそれだけだ。
否、それしか話せない距離に目的の船は停泊していた。
寂しくもあるが嬉しくもある、今度こそ本当にモーゼルと別れる事になるのだから。
別れは何度経験しても慣れないものだとグレイシャルが思っていると、モーゼルが手を上げて大声を出して言う。
「すみませーん、船の責任者の方はいますかー?」
彼の声を聞いて忙しなく動いていたヴァイタリカ行きの船の乗組員は、手を止めてモーゼルの方を一斉に見る。
その内の一人がモーゼルに言う。
「おう! 今船長呼んでくるからちょっとそこで待っててくれや!」
「はーい!」
そうしてグレイシャル達が暫く待っているとさっきの男が、白髪白髭で眼帯をして帽子を被った如何にもと言った風貌の男を連れて戻ってきた。
その男はグレイシャル達を見ると首を傾げながら言う。
「おう、俺がこの船の責任者だが……。この前出した出港記録に不備でもあったけぇ?」
「え? いやいやいや、俺達は役所の仕事で来た訳じゃないし、そもそも役人じゃ無いよ」
「ほー。じゃあ何だ? 客か何かか? 悪いが今回のヴァイタリカ行きは貨物を運ぶだけだぞ。人が乗るスペースなんて――」
「グレイシャル君、紙見せて上げて紙。ヘンちゃんがくれたやつ」
モーゼルがグレイシャルの耳元で囁くと、彼は再びローブから紹介状を取り出して船長に渡した。
船長はそれを受け取って耳をほじりながら眺める。
「んー……? ヘンリー様からの紹介状? あんたらヘンリー様の知り合いか? 見た感じこの紹介状は本物だけど」
胡散臭そうに船長は三人を見つめる。
二人もローブで顔が見えない人間が居れば当然の反応ではあるが、そこはモーゼルのコミュニケーション能力で対応だ。
「あ、名乗るのが遅れたね! 俺はモーゼル、ヘンちゃん公爵閣下とお友達の商人だよ! それで後ろの二人もヘンちゃんのお友達! ちょっと急用でヴァイタリカまで行きたいんだけどホラ、あそこの国って便の数が少ないでしょ? だから君達の船に乗せてくれないかなーって……。ダメかな?」
「あー、あんたがモーゼルか。結構有名だよな、ヘンリー様の大親友って。まあいいや、ヘンリー様の友人ってんなら文句は無い。良いだろう、乗りな」
船長は親指を三人に向け、乗る様に指示をする。
「いや、乗るのは俺じゃ無くて後ろの二人だけね。俺は乗らないよ」
「えっ、そうなのか?」
「うん、そういう事でよろしく!」
そう言うとモーゼルはグレイシャルとオーディスの後ろに周り、二人を船の舷梯に押し込んだ。
「あっ、ちょっと!」
「おーおー、何だ何だ」
二人は急に押されてびっくりしたのか声を出した。
モーゼルが船から降りて船を見上げていると、船長がモーゼルに言う。
「アンタは本当に乗らないのか?」
「あぁ、俺はまだここで仕事があるし、次はテレアスまで行かないとだからね。二人だけよろしく頼むよ」
「ふーん。ま、そういう事なら分かったよ」
「それと何だけど代金の方は――」
「金なら良い。ヘンリー様の友人から金を巻き上げた日には商人としての評判が地に落ちるわ」
船長はそう言うと大きな声で笑った。
そして船に乗り込むと舷梯を外し、周りの船員に積荷のチェックが済んだかどうか聞く。
船員たちは船長の方を向いて大きな声で返事をした。
「問題ないです船長! いつでも出航できます!」
「よし! ていうか舷梯外しちまったから問題あったら怒鳴っとるわ! さあ、帆を広げて出航だ」
彼の号令と共に船員達は持ち場に着く。
ラハドの船と違って余り大きな船では無いが、それでも中型船くらいの大きさはあるので、それなりの人数が船を動かす為に動いていた。
グレイシャルはそんな彼らを見ながらオーディスに言う。
「どうやら丁度出航する時間ぴったりに船に到着したみたいですね」
「タイミングが良かったな」
「……えぇ」
その所為でモーゼルと交わす言葉は余り多くは無い。
船は少しずつだがゆっくり、確実に港から離れて行く。
彼と話す機会があるとするならば、それはもう今しかないだろう。
そう思ったグレイシャルは船の船尾に走って行き、港からこちらを見ているモーゼルに大声で叫んだ。
「モーゼルさん! 今までありがとうございました!! その――」
本当ならもっと言いたいことがある。
だが、言葉が詰まって出て来ないのだ。
散々別れの言葉を考えて来たのと言うのに――
グレイシャルは自分の情けなさと別れの悲しさで自然と涙が出てきてしまった。
検問所の件でのオーディスとの問答で、一生分の涙を流したと思ったグレイシャルだったが、身体は精神的に辛いことがあれば反応するし傷つくのだ。
ヤスとの別れの時もれ程までに悲しくは無かった。
それは彼が、底なしの明るさを持った太陽の擬人化の様な人間だからだが、モーゼルはそうでは無い。
モーゼルは普通の商人だ。
だからこそ、彼との別れも同じ様に普通に辛い。
「何だよグレイちゃん。泣いてるのか?」
ニヤニヤしながらオーディスはグレイシャルの頭を撫でる。
彼は言葉にならない声でえずいたグレイシャルに代わり、モーゼルに手を振りながら叫んだ。
「おーい、おっちゃん!」
すると港から大きな声でモーゼルが叫び返す。
「なんだーい!!」
「また後でな! 毎度ありー!!」
一週間前にモーゼルから聞いた商人流の別れの挨拶、それを彼は実践する。
モーゼルは「覚えていたのか」と少しだけ驚いたが、すぐ笑顔になり手を振り返して叫んだ。
「こっちも毎度あり!! 次もよろしくね!!」
「おう!!」
最後にオーディスはそう言ってガッツポーズをし、グレイシャルを連れて船尾を離れた。
これ以上ここに居ても得られるものは無いし、彼の姿は遠ざかっていくだけ。
グレイシャルはモーゼルに別れの言葉をしっかりと言えなかったのが悲しかったのか未だに泣いている。
オーディスが兄だとしたらモーゼルは父や叔父の様な存在だ。
それが失われたのはでかい。
「泣くなよグレイ、取り敢えず船長に挨拶でもしに行こうや」
「はい――」
しかし、いつまでも泣いている訳にはいかない。
グレイシャルは顔を伝う涙を拭うと前を向いて言った。
「ごめんなさい、ありがとうございます兄さん。もう大丈夫です」
「良いんだぜ、俺はお前の兄貴だからな!」
大声で笑うオーディス。
彼が船の上で馬鹿笑いをしていると、目的の人物が自分の方から近づいていて来た。
「あー。自己紹介してなかったけど俺がこの船の船長をしてるクラッソス・へデロンだ。よろしく」
白髭白髪の船長はそう言うと手を出して握手を求めてくる。
グレイシャルとオーディスがそれに応じて交互に握手と自己紹介をすると、彼はジーっと二人を見つながら言う。
「ウチの船はヴァイタリカ生まれが殆どだから料理もヴァイタリカの料理なんだが」
その言葉を受けてグレイシャルは答える。
「えっ? あ、別に全然大丈夫です。美味しく頂きます」
「そうか。それと、部屋もそんなにある訳じゃ無いし、君達の個室とかは用意出来ないから他の船員と一緒に寝る事になるけど」
今度はオーディスが答えた。
「外じゃなくて室内ってだけでもありがてぇから何でも良いぜ船長。よろしくな。あっ、でも働きたくねえから手伝いは絶対にしねーぜ。そこは頼むぜ」
「ふっ、ヘンリー様の友人に船乗りの仕事を手伝わせたとなっては評判が悪くなる。船乗りも形は違えど商人には違いない、人からの評判は利益に関わってくるからな」
「そうか、話が分かるな船長! いぇあ!!」
ガッツポーズをするオーディスは余りにも嬉しかったのか、そのままスキップをして船の探検に行ってしまう。
残ったグレイシャルは船長に再び頭を下げて礼を言う。
「突然の事だったのに乗せてくれてありがとうございます、船長」
「気にするな坊主。ローブも取れない身分証も見せられないなんて、何かやべー訳があるんだろ。ま、俺もお前くらいのガキが居るからな。ついつい優しくしちまうってだけだ」
「そうですか。貴方はきっと、良い父親なのでしょうね」
「そうでもねえさ。渡航が終わってヴァイタリカに帰っても疲れて寝てるだけだけだから、ガキと遊んでやれる日はそんなに多くねえ。アイツらには悪いけど、金の為だから仕方ねえな!!」
その金は誰の為に稼いでいるのか。
それが分からない程グレイシャルは馬鹿では無い。
しかし、それを口に出すのは野暮と言うものだと理解出来る。
だからこそ、これ以上はその事について深くは言わないのでおくのだ。
それよりも今は自分達の旅を優先しよう――
そう思ったグレイシャルは船長に聞く。
「ところでですが、ここからヴァイタリカ王国まではどれくらいの期間で到着しますか?」
「正直分からん」
「えっ、何でですか」
「今俺達が居る海はナベリウス大海峡って言うんだが、ここはその中でも竜の楽園に近くてな。航行中に竜が来たり来なかったりするんだよ。その所為で到着が遅れたり、逆に早くなったりするんだ。まあ、アイツらの気分次第と言ったところか」
竜に邪魔をされて遅くなるならまだしも、早くなるとは一体どういう事なのだろう。
不思議に思ったグレイシャルがその事について聞くと、船長は快く教えてくれた。
「竜の楽園に住む竜は、赤ちゃんの竜から始竜と言われる伝説の存在まで、それはもう幅が広いんだ。でな、竜の中にも色々と性格があるんだよ。人間に優しい竜・人間が嫌いな竜・人間に全く興味が無い竜……。他にもいっぱいいるが、大体はこの三種類だ」
「ふむふむ、それで……?」
「人間に優しい竜は、追い風を起こしてくれたり波を落ち着かせてくれたりするんだが、人間が嫌いな竜は、船を襲ったり爪で引っ掻いて来たり炎を吐いて来たりと邪魔をしてくる。人間に興味が無い竜はそのまま無視をして飛び去っていく」
「あー。つまり、遭遇した竜の種類に依るって事ですね」
「そういう事だ。だから毎回、ヴァイタリカ王国の騎士団から強い騎士を格安で派遣して貰ってるんだ。お陰でこの歳になっても海の男をやってられるって訳! 冒険者を雇うよりも良い! ガッハッハ!!」
彼はそれは嬉しそうに笑った。
常に死の危険と隣り合わせなのを金で解決出来るのだから、船長的には大儲けという事だろう。
何はともあれグレイシャル達は、無事にエンデロ大陸から脱出する事が出来た。
後はバジリスクを倒せるだけの力を身につけるまで、ヴァイタリカ王国でヘンリーが言っていた『強い騎士』に技術を教えて貰うだけである。
それがいつになるのかは誰にも分からない。
だが、ただ一つ言えることがあるとするならば……。
現世にグレイシャルが戻った事は何れバジリスクの耳にも入るだろうから、遠くない未来に再び相見える時が来るという事だけだ。
一つの街を滅ぼしてまで剣を手に入れ様とした奴だ、来ない筈が無い。
そう言い切れるだけの確信がグレイシャルの中にはあった。
「でもまあ、取り敢えず今は兄さんを大人しくさせるのが先かな」
振り返りながら呟く彼の目線の先。
そこには船員にちょっかいを出して居るオーディスが居る。
グレイシャルは溜息を付いてから、彼を嗜める為に歩き出すのだった。
――――
その日の夜、マデュール王国マリカスの冒険者ギルド二階の応接室にて。
髭が特徴的なその男は、左目に眼帯をしてクロード王国王立第一騎士団の制服を着た女魔術師に問い詰められていた。
「オルガ様、もう一度聞きます。グレイシャル・フリードベルクの情報を隠蔽していたのは貴方ですよね?」
「さあ、知らないけど……。それよりも遠路遥々クロード王国からここまで良く来てくれたね、イザベラ君。レイータ家の美しいご令嬢とこうして話が出来る日が来るなどとは、子供の頃の私に話しても到底信じなかっただろう!」
「……私はここまで転移の魔術で飛んで来ただけなので、別に遥々という程でも無いです。それはまあ良いとして。貴方がグレイシャルとオーディスに関する情報をこの国で制限していた証拠は既に集まっています」
そう言うとイザベラはテーブルの上に複数枚の紙を置いた。
彼女はそれを指でトントンと叩きながら言う。
「これはグレイシャルとオーディスがこの国で作成して使用した冒険者カードの、魔導決済の履歴です。三年前に彼らはここで作成し、そして数ヶ月前までこの国に滞在した事が見て取れます。言い逃れは出来ませんよ。一体どういうつもりで大罪人を匿ったのですか?」
オルガはその紙を持ち上げると、肘掛けに片腕を乗っけてリラックスしながら答える。
「ほう、良く調べられたね」
「魔導決済の技術はエレノア様が開発した物ですので、彼女に調べ方を教えてもらいました」
「そうか! いや、若いのに勉強熱心で良い事だ!」
「若いと言っても私は今年で38歳ですよ」
「えっ、その見た目で? 20歳前半に見えるんだけど……」
彼は持っていた紙を落とした。
外見と実年齢が大きく異なっていれば人間の脳は簡単にバグる。
「トルーマの民は雷神トルーマの子孫と言うこともあり、普通の人間よりは二倍程寿命が長いんです。ですから、貴方達の基準で言えば私はまだ19歳です」
「へ、へー……。やっぱり凄いね雷神の子孫って。まあでも、面白い話を教えて貰ったから私もそれに見合うだけの話をしよう」
そう言うとオルガは背筋を伸ばしてしっかりとソファーに座り直す。
そして、イザベラを見て言った。
「確かに私はグレイシャル君に関する情報は制限していた。ただし、それは君達に敵対する為にしたのでは無い。彼が旅を続ける気力を失わない様に、意図的に彼に流れる情報を制限しただけだ。その結果マデュール王国に彼が居るという情報も流れなくなってしまったがね」
それに、と続けて彼は言う。
「その証拠に、バゼラントの炎の日の事件が世間に公表されるよりも前に、私はグレイシャル君と接触していた。彼が犯罪者だとは知らずにね」
「でも、知った後でも情報を隠していましたよね?」
「そう、そこで矛盾が生じるんだ。グレイシャル君が冒険者カードを作ったのは炎の日の数日後。そしてバゼラントからマデュールに来るには数ヶ月は掛かる。これがどう言う事か分かるかい?」
イザベラは眉をひそめるだけで何も言わない。
なのでオルガは続けて話した。
「彼がバーレルの街を滅ぼすのは時間的に不可能という事だよ」
「転移の魔術を使える協力者が居るのなら可能では無いですか? 例えばオーディスなど」
「確かにオーディス君は転移の魔術が使えるし、何回か仕事を頼んだ事もあるけど、彼が使えるのは物を運ぶ方だよ。人を運ぶ方の転移は習得していない」
「それなら更に第三の協力者がいるのでは?」
「いや、そこまで行ったらもうグレイシャル君が滅ぼしたんじゃ無くて、君の言う第三の協力者だか加害者だか真犯人がしたんでしょ」
彼女はオルガの言い分に思う所があるのか口を閉ざす。
「私は数年間グレイシャル君にギルドの仕事を受けさせ、身近に置いて監視して来たんだ。そうすれば、もしも本当に犯罪者だったらすぐに処分を下せるからね。でも彼におかしな点は何も無かったよ。とても良い子だ」
彼の言葉にはどこか怒りが籠もっていた。
「君達みたいに自分の目で見ないで『誰かが言ったから』って理由だけで、善悪や真偽を決めつける人間が私は本当に嫌いだよ」
「――」
イザベラは彼の言葉を聞いてグレイシャルと対峙した時の事を思い出す。
思えば彼は騎士達から逃げる時も、誰一人として傷つける事は無かった。
オーディスは少し怪しいが、少なくともグレイシャルに一切の敵意や殺意は無かったのだ。
イザベラはソファーを立って言った。
「……オルガ様の考えは分かりました。それを踏まえ、上への報告は貴方の責任を問わない形でしておきます」
「そう言って貰えると助かるよ。それはそうと、誰の使いで来たんだっけ」
「レイル公爵閣下と王立第一騎士団団長レイモンド・アッシュの使いです」
「ふむ。ヘンリー様とあのレイモンド君か。ところで、もう帰るのかい?」
「えぇ、用も済んだことですし長居は失礼かと思って」
彼女がそう言うとオルガも席を立って言う。
「イザベラ君」
「何でしょうか」
「今日は良かったらマリカスで泊まって行くと良い。勿論宿も食事も最高級の物を提供しよう」
「有り難い申し出ですが、理由を聞いてもよろしいですか?」
若干の胡散臭さを感じたイザベラはオルガに聞く。
彼は疑われているのを分かっているのか、警戒を解く様に笑いながら言った。
「なに、君の上司の二人とは知り合いでね。お土産を持って帰って欲しいんだ。でも今すぐには準備が出来そうに無い。だから今晩は泊まって貰えれば、明日の朝の出立の時には渡せるだろうと思ってね。どうだろうか?」
「そういう事でしたら、ご厚意に甘えさせていただきます」
「良かったよ。それなら早速だが宿に案内しよう。付いてきたまえ」
「えぇ、お願い致します」
二人はそれだけ言うと一緒に部屋から出て、ギルドの外に向かった。
先程までは空気が悪い様に見えたがそれはあくまでも仕事の話。
プライベートにまで仕事を持ち込むのは礼儀として良くない事だ。
両者ともそれを理解している大人なので、踏み込んだ会話が成立するのだろう。
何はともあれ今日は疲れた。
朝はグレイシャル達と魔術戦、昼は魔術戦で荒れた街道の修復、夜は転移の魔術が使えるという理由で、こうしてマデュールまで事情聴取に来た訳だが。
正直言ってもう限界――
そう思ったイザベラは今日はもう何も考えない事にして、運良く巡ってきた出張という名の休暇を満喫するのだった。
ちょっと資料整理と改稿作業をしたいので更新少し遅くします。
具体的には6月24日に次話投稿です。




