第6話 『期待と現実』
オーディスが自分の家の近くまで戻ってくると、館の周辺には甲高い金属音が鳴り響いていた。
怪訝に思い、ゆっくりとその音の正体を確かめるべく近づく。
するとそこには、ひたすら岩に向かって剣を振るうグレイシャルの姿があった。
剣を持つその手には血が滲んでいる。
「あー、親父のスパルタが発動したか。大変だねえ」
溜息を付きながらオーディスはグレイシャルに近づく。
突然の足音でグレイシャルが振り返る。
「……って、うわっ! オーディスさん!? びっくりしたぁ」
「驚かせてすまねえなぁ」
よほど集中していたのか、グレイシャルは急に現れたオーディスを見て驚いていた。
朝、食堂で見た時と比べて明らかにグレイシャルの顔が暗かい。
その原因が何であるかは考えるまでも無かった。
オーディスは、グレイシャルが剣で斬りつけていた岩を眺める。
「どーせ親父が『この岩斬るまで飯食わせねえ』みたいなこと言ったんだろ? たく、ガキにとんでもねえこと要求すんなあ」
当たらずとも遠からず、と言った所だった。
グレイシャルは苦笑いをする。
「まあ、そんな所です。もう数時間はやってるんですけど、一向に魔力による強化が出来なくて……。少しだけ、刃が僅かに入るくらいでいつも止まっちゃうんです」
「なるほどねえ~。あ、俺が代わりにぶっ壊しといてやろうか? 親父も流石に気づかねえだろ!」
ありがたい申し出だったが、それでは意味が無いことをグレイシャルが一番分かっていた。
だから――
「ありがとうございます。でも、これは僕がやらないといけないんです」
グレイシャルは断るのだ。
楽な道に逃げてはいけない。
この先自分が向かう道は、そんな甘い覚悟では到底進むことは出来ないからだ。
再び剣を構え直す。魔力を剣と身体に巡らせ、振り下ろす。
しかし、何度やっても剣が岩を切り裂くことは無い。
多少表面を削るくらいだった。
次第にグレイシャルにも焦りが出てくる。
額を滴る汗を乱雑に拭い、再び構えた時。
「おい、ちょっと待てや」
見かねたオーディスがグレイシャルの肩を掴み、動きを止めた。
それを受けグレイシャルは苛つきながら答える。
「なんですか、時間が無いんです。放して下さい」
「飯食いてえのは分かるけどよ、流石に焦り過ぎだぜ。そんなんじゃ出来るもんも出来なくなっちまう」
「――っ! 知った様な事を! オーディスさんに僕の何が――」
かなりズレた事を言っているオーディスに一切の悪気は無かった。
対してグレイシャルは、自分の覚悟を否定されたかの様に思えオーディスに対し、魔力制御の練習で募っていた不満をぶちまける。
だが、その口はすぐに閉じることになる。
というよりも、強制的に黙らせられた。
オーディスはグレイシャルが皆まで言うよりも早く行動する。
右手に魔力を込め、オーディスは思いっきりベルフォードが作った岩を殴りつけた。
轟音と共に岩は砕け散り、周囲には岩の破片が飛ぶ。
突然のことでグレイシャルは呆気にとられる。
自分に友好的だと思っていたオーディスが突如激怒したからか?
否、それは違う。
オーディスは怒ってなどいない。
寧ろその逆だ。
彼は至って冷静だった。
「なぁグレイ、時間が無いってのは分かった。でもよ、お前はそもそも魔力の扱いすらままならねえだろ? だったらまずはそこだ。今から俺が親父に言って来てやる。もう少し優しくしろってな」
「え? あ、ちょっと!?」
分かっているのか分かっていないのか、オーディスはやっぱりズレた事を言いながら館の中に向かった。
引き止めるが既にオーディスは館の中。
が、30秒後。
館の中から皿が割れる音や窓ガラスが割れる音、何か硬いものを高いところから落とした様な音が鳴り響いて来る。
「ぬはぁ!!」
最後には窓から、ズタボロで血塗れになったオーディスが叫び声を上げながら、グレイシャルの前に落ちてきた。
「お、オーディスさん!? この短時間で一体何が!?」
地面でピクピクしながらオーディスは言う。
「いや、親父に『もっとグレイにあった課題? を出せ!』って言ったらボコボコにされた。まあ、そういうことでしばらく俺は動けねえから、俺がここでアドバイスだけしてやるよ」
そう言うとオーディスは親指を立て、痛みを堪えながら二カッと笑った。
――――
それから数時間、グレイシャルは動けないオーディスにアドバイスをされながら剣を振り続けた。
初めは岩の表面を削る程度だったが、今では刃が20センチメートル程入るようになっている。
グレイシャルはそもそも、魔力の扱い方を『しっかり』とは教わったことが無いの。
カールにも教わってはいたが、カールは感覚で魔力制御をしていたので説明がすこぶる下手だった。
サレナに至ってはそもそも戦闘が本職では無い。
対してオーディスは地獄の戦士、魔術を最も得意とする魔力制御のエキスパートだ。
彼の説明は恐ろしく分かりやすく、グレイシャルの頭の中にスルスルと入って来た。
餅は餅屋、というやつだ。
ちなみにオーディスが壊した岩の代わりに、新しい岩をベルフォードが作りに来る。
そのついでにグレイシャルは手を治療してもらった。
岩とグレイシャルの手は元に戻したが、オーディスだけは治されなかった。オーディスはキレていたが、まあ自業自得だ。
「グレイ、もっと流れを意識しろ。一方通行じゃなくて循環をイメージ! 循環循環! グルグル! 最終的には全部、無意識で出来るようになってもらうぞ!」
「はい!」
オーディスの言う通りに魔力を流し、剣を振るう。
剣は岩の更に奥へと入っていく。
ここまで入ったのは初めてだった。
このペースなら明日の朝までに切り裂くことが出来るかも知れない。
そう思うとやる気が漲ってきた。
成果が感じられない努力よりも、成果を実感できる努力の方が人は頑張れるのだ。
更に深く。
もっと深く。
グレイシャルは剣を、抉る様に突いた。
「はぁ――!!」
剣は岩の破片を撒き散らしながら、鍔の部分まで岩に深々と突き刺さった。
初めてのことだった。
ここまで数時間、初めて剣の根本まで岩に入ったのだ。
グレイシャルは感動で泣きそうになるが、後ろでそれを指導するオーディスは許さない。
「おら! とっとと剣抜け! 後、お前の課題は岩を切り裂くことだろ! 貫通じゃねえよ! この――」
突如、オーディスの言葉が止まる。
不思議に思ったグレイシャルは近づき、オーディスに話しかけた。
「オーディスさん? 急に黙ってどうしたんですか?」
オーディスはプルプルと震えていた。
何かを呟きながら。
「――た」
「え? なんです?」
「――なおった」
「なおった?」
「治ったぜ! これで、ようやく動ける!」
オーディスは勢いよく立ち上がる。
グレイシャルは目の前で急に立たれたので驚き、尻もちをつきそうになるが間一髪、オーディスがグレイシャルの腕を掴んで支えた。
「おっと、危ねえ危ねえ」
「あ、どうも……」
「ま、とりあえず俺が教えられることは全部教えたぜ。これで後はお前の努力次第だ。岩を切れるかどうかはな」
「――えぇ。本当にありがとうございます。後は自分で頑張ります。応援しておいてください」
グレイシャルは頭を下げて礼を言う。
オーディスは振り返って歩き出し、後ろにいるグレイシャルに向かって適当に手を振りながら館の中に入って行った。
館の入り口の扉が閉まると同時に、館には明かりが灯る。
「もうすぐ夕飯の時間か……」
明かりが灯るということは夜であるということ。
地獄では明るさがいつでも変わらないので、そういうところで変化を付けているとオーディスが言っていた。
「明日の朝までが期限だけど、このペースならなんとか行けるかも」
グレイシャルは再び剣を構え直し、魔力の流れを意識しながら剣を振るい始める。
――――
オーディスは館の中に入り廊下を歩く。
目的地は食堂だ。
いつも通りならそろそろ夕飯の時間になる筈だった。
食堂の方からは調理をしている音と、食欲を誘う『いつもの』香りがする。
彼は食堂の扉を開けて中に入り、テーブルのすぐ側にある自分の椅子に座った。
椅子に座って身体を猫の様に伸ばしながらオーディスは呟く。
「あーあ、たっくよぉ。本気で殴るこたあねえだろ……」
父への不満を口にする。
確かに先に殴りかかったのは自分だが、それにしても息子相手に手加減しないのは大人げないと思った。
「もう子供じゃないというのに我儘を言うからだよ、オーディス」
食堂の奥、厨房でエプロン姿のベルフォードは料理をしながらオーディスに言った。
オーディスはだらしなく口を開け、天井を見つめて父に言う。
「あー、うん。ところで、全身がバキバキなんだけど治してもらってもいい?」
ベルフォードの正論に真っ向勝負を挑んでは勝てないと察したオーディスは、言い返すことはせず話題をすり替える。
ベルフォードはそんな息子に溜息を付きながら、指を鳴らしてオーディスに治療を施す。
オーディスの傷は瞬く間に癒え、身体に付着していた血も無くなっていた。
「お! 感謝するぜ親父! これでいつも通りだぜ!」
「まったく、現世に行ったら私はいないんだぞ? 怪我をしない様に気を付けなさい」
この怪我はアンタのせいだろ!
と言いたくなるのを我慢し、オーディスは更に別の話題に切り替える。
「はいはい。ところで、グレイシャルに出したと思われる課題だけど、本当にあいつが一日で岩を切り裂けると思ってんのか? あいつ、魔力制御の方法すらさっきまでよく分かって無かったぞ?」
オーディスは先程までグレイシャルに付きっきりで教えていたから分かる。
一日であの岩を切り裂く事が出来るほどの制御を覚えるのは不可能だと。
才能があったとしても三日で出来るかどうか、と言った所だ。
それなのにベルフォードは――
「いいや? 全くもって思ってないよ」
「……は?」
「確かに私は『明日の朝までに切り裂けないなら、現世へは行かせない』と言った。けど、それはグレイシャルを本気にさせる為の嘘だよ」
ベルフォードは話を続ける。
「確かに『嘘』と言うのは基本的に毒だ。だが、時として薬以上の効果を発揮することもある。今回がたまたまそうだった、というだけのことだよ。決して私はグレイシャルを馬鹿にしようとか傷つけとうとか、そんなことは思っていない」
オーディスはベルフォードにもう一回キレようかと思っていたが止めた。
何故なら、父の目は真剣だったからだ。
彼は彼なりにグレイシャルの事を気にかけているのだ。
「――そうかよ。だったら、もう少しアドバイスとかしてやっても良いんじゃねえの?」
だから、嫌味を言っておくくらいにしておこう。
ベルフォードは笑いながら答える。
「確かにそれでもいいが、あの子はこの先長い間君と一緒に行動するんだ。私じゃなくて君とね。だったら、少しでも君と仲良くなっておいた方が良いと思っただけさ」
「はぁ? もしも俺が声を掛けなかったらどうするつもりだったんだ?」
「どうもこうも、君はグレイシャルの事を大切に思っているだろう? だから、君の言う『もしも』なんて考えてないよ」
「けっ! ホント面倒くせえな!」
口を尖らせ不満を表現しているオーディスとは反対に、ベルフォードはとても楽しそうだった。
気がつけば食材を調理する音はしなくなり、皿に料理を盛り付けている音が聞こえて来る。
「よし、今日も美味しそうだ。オーディス、ちょっといいかな?」
「んー? なんだよ」
ベルフォードは笑顔でオーディスに手招きをし、オーディスは渋々近くに行った。
するとベルフォードはオーディスに、料理の盛られた皿を手渡す。
「これをグレイシャルに渡して来て欲しい。ずっと動きっぱなしで疲れただろうからね」
今日のメニューはとてもシンプル。
だが、とても体力が付きそうで美味しそうだった。
「ステーキか……」
「勿論オーディスの分もあるよ。だからつまみ食いは――」
「いや、そんなことしねえよ。俺をなんだと思ってんだ……」
溜息を付いて肩を落としたオーディス。
その肩にベルフォードは手を置いた。
「じゃあ、頼んだよオーディス」
「ういうい。ぼちぼち行ってくらあ」
オーディスはそう言って回れ右、食堂の空いているドアを通って廊下に出て玄関に向かう。
片手には水の入ったコップ、片手には食器とステーキやスープを持っているので玄関の扉を開けられないことに気づく。
なので、普通に蹴り壊した。
「のおおわぁ!?」
突然、真後ろで木が折れる音がしたグレイシャルは背中をビクりとさせて驚いた。
オーディスは「してやったり」という顔をしながらグレイシャルに話しかける。
「おっすグレイ! 飯が出来たから持ってきたぜ!」
「あ、オーディスさん。ありがとうございます。そこに置いておいて下さい。後で食べますね」
オーディスは言われた通りその辺に適当に置いておいた。
「早く食べねえと冷めちまうぞ?」
「分かってますよ。でも、今いい所なんです。もう少しで何かが掴めそうな……」
オーディスは岩を見る。
その岩には、先程よりも深い縦の線が刻まれていた。
この分なら本当に斬っちまうかもしんねえなあ――
顔に考えが出ていたのか、グレイシャルに不思議な顔をされる。
あまり長く居てはベルフォードが言っていたこと、実は『岩を斬らなくても良いこと』をグレイシャルに話してしまいそうだったので、オーディスはそそくさと館の中に入って行く。
食堂に戻るとベルフォードが食事の準備を終わらせ、オーディスの事を席に座って待っていた。
彼はまた本を読んでいる。
「たまにはエプロンしながら食えよ」
ニヤニヤしながら父に言う。
ベルフォードの方はもう少し上品にだが、やっぱりニヤニヤしながら答える。
「調理中はともかく、食事中に私は汚さないから要らないよ」
「嘘つくなよ、この前くしゃみしてスープ零してたの見たぞ」
「君の夢の話だろう?」
「かもな」
仲睦まじく食事を楽しむオーディスとベルフォード。
最後の晩餐になるかもしれない親子二人っきりの食事は、とても楽しく、寂しくもあった。
二人はそのまま雑談をしながら食事をする。
最後の食事はいつもと同じように、特別なことは何も無く過ぎていった。
「あー、食った食った。当分親父の飯が食えねえって考えるとちょっと辛えわ」
「おや、ここに来て嬉しいことを言ってくれるね、オーディス」
ベルフォードは食器を厨房に運び終え、魔術で洗いながら話す。
オーディスは頃合いを見計らって火属性魔術を行使、食器を乾燥させる。
「今日は珍しく手伝ってくれるんだね」
「まあなー……」
オーディスは頬杖をつきながら溜息を付く。
現世に対して悲しみや不安、それと同時に期待もあった。
ベルフォードはそんなオーディスの考えを見透かしたかの様だった。
「もし君が死んでしまったとしても君の魂は死後、私が地獄で管理しよう。だから安心して行ってくると良い」
「別に自分の心配はしてねえよ。親父の言った通り、どうせ死んだら地獄に戻ってくるだけだからな。でもグレイはよ……」
「そうだね。グレイシャルは『地獄で生まれた魂』じゃないし、あの子のことだから罪を犯すことも無いだろう。だから死後は、死神コームの管理下に置かれるだろうね」
「そっかー……」
「既に別れを想像して悲しんでいるのかい?」
「そういう訳じゃねえけどよ。俺の隣で、俺が近くにいたのに死なれたらアレじゃん」
『アレ』が何を意味するのかは正確には分からない。
だが、何をオーディスが恐れているのかは、ベルフォードには伝わっていた。
食器を仕舞い終わったベルフォードは、オーディスに近寄り頭を撫でた。
千年ぶりに頭を撫でられたのでオーディスは驚き、椅子から立ち上がろうとする。
が、それはベルフォードはによって止められた。
「肉体を持った君と触れ合えるのは最後になるかも知れないんだ。たまには良いじゃないか、オーディス。君は、私の大切な子なんだから」
そう言われてしまってはオーディスも憎まれ口を叩くことが出来ない。
大人しくベルフォードに撫で撫でされていた。
「……いつまでしてんだ?」
「あぁ、すまない。つい、ね」
「なんだよ、それ」
オーディスは困った様な顔で笑うと、今度こそ父を振りほどき椅子から立ち上がった。
何処へ行くのかという顔をしているベルフォードにオーディスは答える。
「風呂行って寝るわ。あんまり親父とベタベタしてると、俺もガチで辛くなるからよ」
「そうかい。わかったよ。あぁ、それとだけどグレイシャルには――」
「分かってるよ。グレイにはこれ以上何も言わねえ。あいつが自分で頑張んなきゃダメって言うんだろ?」
「うん。それなら良いんだ。おやすみ、オーディス」
「あー。おやすみ親父」
食堂を出てオーディスは宣言通り風呂に向かう。だが、廊下を歩いていると窓の外から、岩と剣がぶつかる音が聞こえてくる。
足を止めて外を見ると、そこには一心不乱にただひたすら、剣を岩に打ち込み続けるグレイシャルの姿があった。
「――」
アドバイスをしたいが、これ以上は出来ない。
父に止められてしまったからだ。
グレイシャル自身の為にならないからと。
もどかしかった。
とりあえず溜息を付き、頭を掻きながら風呂へと向かう。
「あーあ」
脱衣所の扉を開けて二秒足らずで服を全て脱ぐ。
オーディスは早脱ぎの達人だった。
「この風呂に入るのも最後か……」
風呂場の扉を開けてオーディスがそう呟く。
「最後になるかどうかは君次第だ。まあ、私の願いとしては最後にはなって欲しく無いけどね」
「は? なんでいんの?」
声のした方を振り向くと、いつの間にやら全裸のベルフォードがそこには居た。
「なんとなく、私も君と風呂に入りたくなっただけだよ。さあ、裸でここにいると冷えてしまうから早く入ってくれ」
ベルフォードはオーディスを両手で押す。
そう、彼が湯船に落ちるまで。
大きな音と水柱を立てながらオーディスは湯船に沈んだ。
「おい! いきなり何しやがる!」
起き上がってベルフォードに怒る。
だが、ベルフォードはとても幸せそうに笑っていた。
こんな風に笑う父を見るのは千年ぶりだった。
オーディスは舌打ちをしながらそのまま湯船に浸かる。
無詠唱で魔術を行使しながら。
「お? おお?」
ベルフォードは魔力を感じ取り反応するがもう遅い。
オーディスのイタズラに対処出来ず、彼が発動させた突風により湯船の中に吹き飛ばされた。
「ざまあみろや!」
笑いすぎて溺れそうになる程オーディスは腹を抱えて笑っている。
「ははは、してやられたよオーディス。随分と魔術の使い方が上手になったね」
「おう! 伊達に毎日罪人を実験台にしてる訳じゃねえぜ!」
さらっととんでもないことを言うが、地獄の倫理的には問題ない。
相手は罪人なのだから基本何をしても許される。
二人は食事に続き入浴も一緒に楽しんだ。
先にベルフォードが「まだ仕事が残っている」と言って湯船から上がった。
オーディスもベルフォードの5分ほど後に、のぼせそうだったので上がる事に。
ベルフォードが用意してくれた替えの服に着替え、オーディスは二階にある自分の部屋に向かう。
部屋に入ると自然と眠気が襲って来た。
明日は何をしようか。
あぁ、明日はもう、現世に行くんだった――
ベッドに入って数分でオーディスは完全に寝てしまう。
いつの間にやら廊下に居たベルフォードは、扉の隙間からオーディスの姿を見て、
「おやすみ、オーディス」
と、優しく呟いた。
息子の、旅の無事を祈って。
――――
「音が、止んだ――」
朝、ベルフォードが一番先に目覚める。
昨日ずっと館の外で響いていたあの音、グレイシャルが岩を剣で斬っていた音が消えた。
何故消えたのだろうか。
自分の出した課題をクリアしたからか。
それとも達成できずに絶望して止まったのか。
本来のベルフォードの朝のルーティーンとしては、起きたら初めに食事を作ることだ。
だが今日は違う。
初めに入るはずの食堂をスルー、玄関へと向かう。
理由は勿論グレイシャルの成果を見るためだ。
岩を両断出来ていなくても岩の四分の一ほど削れていれば、あの年齢の子供ならば十分過ぎる程だ。
「さて、どうなったことやら」
ベルフォードは玄関の扉を開けて、グレイシャルが課題をしているはずの庭へと向かう。
途中、庭の手前にあるベンチに、グレイシャルが食べたと思われる昨日の晩ご飯が置いてあった。
なので指を鳴らして厨房の流しまで転移させる。
「ちゃんと食べたんだね」
一歩進むごとに期待が膨らむ。
もしかしたらグレイシャルならば、という期待を抱かずにはいられない。
最後のアーチをくぐり、目的の場所に到着した。
だが、ベルフォードの目に映ったのは思い描いていた希望とは真逆の光景だった。
ほぼ無傷の岩と、その直ぐ側で眠るグレイシャル。
岩は四分の一どころか『昨日作り直した時と同じ』だったのだ。
多少、小さな傷は出来ていたがその程度だった。
岩に近づきながら、失望が隠せず溜息を付こうとして視線を下げたその時。
グレイシャルの手が見えた。
彼の手はズタボロになり、至る所から出血している。
場所によっては骨まで見えていた。
「こんなになるまで、よく頑張ったね――」
恐らく寝ずに剣を振ったり、魔力の流し方を間違ったり……。
その果てに疲れ果てて倒れたのだろう。
ベルフォードは屈んでグレイシャルの両手を取り、治癒魔術を使用した。
みるみる内に血は止まり、皮膚が元に戻る。
5秒ほどで、痛々しかったグレイシャルの手はいつもの健康そうな手に戻った。
「これでよし。痛かっただろう。言ってくれれば、いつでも怪我は治したのに……」
ベルフォードは寝ているグレイシャルに微笑みながら立ち上がる。
その際にバランスを崩して倒れそうになってしまったので咄嗟に、岩に片手をついた。
だが、その時。
岩についている手に違和感を感じた。
ベルフォードが岩の方をなんとはなしに見る。
「……? 何もな――」
何も無い。
そう言おうとした瞬間。
『ゴト』という音を立てながら岩が、まるで崩れたジェンガの様にバラバラになって崩れた。
何故こんな事になっているのだろうか。
少なくともベルフォードは、手を付いた以外では一切岩に触れていないし、その手をついた時でさえ、本当に手をつけただけだ。
バラバラになる様なことは何もしていない。
だとすれば、誰がやったかは明白だった。
恐らくオーディスだろう。
彼が起きてきたら問い詰めて――
「どわあああ!! なんじゃこりゃあ! 親父、でけえ音がしたからたら来てみたら何だよコレ! 岩がバラバラじゃねえか!」
「いや、君じゃないな。君は嘘が下手だし、私が君の嘘を見抜けない筈が無い」
「は? いきなりなんで俺は喧嘩売られてんの?」
キレながらベルフォードに殴りかかるオーディス。
ベルフォードはオーディスの攻撃を片手で全て受け止めながら考えていた。
そして答えに辿り着く。
「まさか、グレイシャルが?」
「へぶああ!」
今まで受け止めていた筈のベルフォードは、急にオーディスの攻撃を躱した。
受け止められる事を前提で殴っていたオーディスは、支えを失い地面に顔から転んだ。
ベルフォードはオーディスを無視して、岩の破片とグレイシャルの手元に置いてあった剣を見比べる。
すると確かに『どの破片も』剣で斬られた物だった。
間違いなどでは無かった。
この少年は手がグチャグチャになるまで剣を振り続け、その末に魔力制御の方法を会得したのだ。
ベルフォードは尊敬の念と愛情を込めて、寝ているグレイシャルを抱いた。
「君はすごいよ、グレイシャル。私は『真っ二つにしろ』って言っただけなのに『バラバラ』にするなんて」
笑顔で、愛おしそうに抱く。
その温もりでグレイシャルは寝覚め、同時に驚愕した。
目が覚めたら『地獄の王』が笑顔で自分を抱いているのだ。
驚かない者は居ないだろう。
「え、あ!? ベルフォードさん!? ちょ、何して――」
尚もベルフォードはグレイシャルを抱き締める。
それどころか、より一層頭を撫でたりして可愛がっていた。
「あはは! すごいね! 文句無しだよ! あ……」
そこまでしてベルフォードはようやく、自分が『地獄の王』としての威厳が保てていない事に気づく。
顔を赤らめ、咳払いをしながらベルフォードは立ち上がり、グレイシャルに改めて言う。
「合格だ。現世でも頑張っておいで、グレイシャル」
「あ、はい、お陰で少しだけですけど前に進めた気がします。ありがとうございます」
グレイシャルは困惑しながら頭を下げて深々とお辞儀をした。
会話が終わったのを察したオーディスはグレイシャルとベルフォードの間に割って入る。
「おうグレイ! 出発の前にまずは風呂入ろうぜ! その後は親父の朝飯食って、準備して出発だ!」
「あっ、はい!」
「うん、そうすると良い。私は二人が湯船に浸かっている間に朝食の準備をするとしよう」
ベルフォードは二人に背を向け、館の中に入って行った。
グレイシャルとオーディスは目を合わせ、そして吹き出してしまう。
何か面白いことがあった訳でも、特別な事があった訳でも無い。
ただ、笑いたかったのだ。
――――
『二人』の失われた日常を埋めるのは過去では無い。
何が隙間を埋めてくれるのかは誰にも分からない。
私でさえも――
だが、互いが互いにとって補完し合う存在となれば、それはそれで良いのかもしれない。
調理をしながら、エプロン姿の地獄の王様はそんな事考えていた。
勿論、笑顔で楽しそうに。