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ローズアンドスカビオサ  作者: 須江野モノ
第二章 『異界の兄弟』
26/118

第1話 『炎の世界』

「こらグレイ! 何してるの!」


「ワオーン!」


 朝だ。

 気がつくとグレイシャルは食堂に居た。


 周りを見渡せば、幸せな日常が当たり前の様にそこにはある。

 美味しそうなパンとスープがテーブルの上には置いてあった。

 いつもより少し()()()()()感じたが、ここが自分の居場所だ。


 先程まで何かとても怖い思いをした気がするが思い出せない。恐らく悪い夢か何かだろう。

 目の前に広がる光景こそ、自分の望むモノだ。


「僕は――」


 リリエルに返事をしようとして()()()が自分の顔から垂れる。


 それは涙だった。


 何故自分は泣いているのか、何が悲しいのか。

 グレイシャルは何も思い出せなかった。

 けれどそれは、忘れてはいけない大切な事の様な気がしてならない。


「グレイ、どうして泣いているの?」


「ワオン?」


 二人が優しく擦り寄って抱きついてくる。

 しかし、どこか違う。違和感があった。

 二人の()()()()()()のだ。


 声を絞り出して二人に問う。


「どうして、冷たいの?」


 その言葉を言った直後。

 突然の事だった。


 さっきまで笑っていた二人の顔が急に黒い(もや)に覆われて見えなくなる。

 背筋が凍りつきそうになるほど恐ろしかったのか、グレイシャルは二人から飛び退いた。


「冷たくなんて無いわよ。私達はずっと、このくらいの温度だから」


「ワオーン……」


 リリエルがそう言うと、サリーの全身に緑色の毒々しい血管の様なものが浮かび上がる。

 忘れる筈がない。

 それは、ヴェノム・ベアに襲われた時の物だった。


「有り得ない、だってその毒は!」


「有り得なくなんて無いわよ。これは貴方が原因で起きたこと。貴方の()()()()()()()()なの」


 否定しようとしても、纏わりつく様なリリエルの言葉が自分を縛り上げ、過去の傷を抉る。

 気が付けばグレイシャルの脈は跳ね上がっており、額からは汗が吹き出ていた。


「違う、僕は……。僕のせいじゃ――」


「『自分は悪くない』って言うの、グレイ? そう……。なら、これは?」


 一体何なのだ。

 何だと言うのだ。


 状況は何一つ飲み込めないがこれだけは分かる。

 今自分に話しかけているのは『本物のリリエル』では無いと。


 何故ならリリエルはもう――


 リリエルの形をしたモノが指を鳴らすと、グレイシャルの後ろにある食堂の扉が勢いよく開き、何かが彼にぶつかった。


 グレイシャルは姿勢を崩して床に倒れる。


 それはとても重く、熱かった。

『それ』をどかして起き上がり、何がぶつかったのかを確認する。


「なん、で――」


 自分にぶつかった()()の正体。

 それは、深い火傷を負い血塗れになっていたイサークだ。

 彼は左足が無かった。

 イサークは呻き声を上げながらグレイシャルを見上げ、直後に鬼の様な形相で睨んだ。


「坊ちゃま。爺やは言った筈です。『逃げてくれ』と。何故逃げなかったのですか? そのせいでカール様は死んだ。()()()()()()で!」


 グレイシャルはよろめきながら後退りをするが尻もちを着いてしまう。


「違う……僕のせいじゃ――」


 首を振って否定するが、何処にも逃げ場は無い。


「何が違うのグレイ? サリーがこうなったのも私が死んじゃったのも、イサークさんとカール様が死んじゃったのも、全部貴方が弱いからでしょ?」


「ウウゥ……」


 サリーの形をしたモノがグレイシャルを威嚇する。

 イサークはグレイシャルの足を掴んで力強く握った。

 痛みで悲鳴を上げるが、誰も助けてはくれない。


「違う! 僕じゃ無い! 僕じゃ……」


 顔を酷く歪めてグレイシャルは恐怖する。

 涙が溢れ、その一粒が床に落ちた時だった。


 食堂が突如として炎に包まれ、空気が一気に重苦しくなる。

 先程まで白かった世界は、途端に暁が支配する空間へと変わった。


「グレイ、シャル……」


 誰かが自分を呼ぶ声が聞こえる。

 グレイシャルは部屋の周囲を見渡すが、リリエルの形をしたモノとサリーの形をしたモノとイサークと、燃え盛る炎しか目に入らない。


「グレイ、シャル」


 何かがそう言うと同時に自分の頭に何かが垂れてくる。


 髪の毛に手を当て拭い、グレイシャルは何が垂れてきたのかを確認した。


「なに、これ――」


 それは『血』だ。


 グレイシャルが首を上に向けると、そこに居たのは、


「お父、さん」


 イサークと同じく全身に酷い火傷を負い、胸の中心を槍で貫かれ天井に(はりつけ)にされていたカールだった。


 ポタポタとカールから流れ落ちる血は、次第にその勢いを強くする。

 それに比例するかのようにカールの表情も険しくなっていく。


「グレイ、シャル!」


 今までグレイシャルが見たことも無い恐ろしい顔をして、カールはグレイシャルを睨みつける。

 その瞳に宿る意思はたった一つ。


 グレイシャルに対する『怒り』だ。


「お前のせいで僕は死んだ! お前が奴に剣を渡していれば、お前がもっと強かったなら! 誰も死ななかった! 誰も苦しまなかった! 全部、お前の責任だ! お前なんて生れてくるべきじゃ無かった!」


 何度も父に叱られたことはある。

 だが、ただの一度も、これ程までに強い言葉で非難(ひなん)された事は無かった。


 そもそも、カールを初めとしてこの食堂に居る人物は既に死んでいるのだ。

 フリードベルク邸も、もう存在しない。

 だからこれが現実である筈は無い、これこそ()()()だ。


 天井で怨嗟の声を発するカールもまた、グレイシャルの自責の念が作り出した幻に過ぎ無い。


「違う、僕は、ただ――」


「何が違うのグレイ? 口では否定しているけど、心の奥底では罰せられたいと思っているんでしょう? だから私達はここに居るのよ。認めたら楽になるわよ?」


 リリエルの形をしたモノはグレイシャルにすり寄り首を締めた。

 振り解こうとするが、彼女の力は少女の身体が出せる力を大きく超えている。


 異常なまでの力を前に為す術が無い。


「坊ちゃま。貴方さえ居なければ!」


「ウゥー! ガオゥ!」


「グレイシャル! お前さえ居なければ!」


 皆が口を揃えてグレイシャルの存在を否定する。

 彼女の指がギリギリと首にめり込み上手く声が出せない。

 それでもグレイシャルは否定する、しなければならない。


 そうしなければきっと、自分の心は壊れてしまうから。


「なら、どうすればよかったんだ……。あのまま、逃げろって言うのか――」


 幻達は誰一人としてグレイシャルの問いに答えない。


「お前達だって分から無いんだろ、何が正しいのかなんて――」


 目の前にいる幻がどれほど怖くても、所詮はグレイシャルの心が生み出したモノ。

 いわばもう()()()グレイシャルだ。

 グレイシャルに分からないことが、幻に分かる筈は無い。


「だったらもう、消えてくれよ。口を出すだけ出して何もしないのなら、邪魔なんだよ――!」


 そう言うとグレイシャルは腰のベルトに差してあった自分の剣を勢いよく抜いた。


 その時、周囲に変化が生じる。


 より正確に言うなら、夢から目覚めたという方が正しい。


 今、グレイシャルは上半身だけ起こして剣を構えている。

 悪夢で飛び起きたのだ。

 グレイシャルは呼吸を荒くして前方を睨む。


「夢……?」


 余りにも生々しい夢だった。

 気がつけば自分はまた涙を流している。

 それ程までに恐ろしい夢だったのだ。


 グレイシャルは左手で涙を拭いながら気づく。


 自分の着ている服の胸の部分が、()()()()()()()の穂の形に破れているのだ。

 そして更によく見れば、胸だけでなく自分の服のほぼ全てに血が染み付いていた。


 心底ゾッとした。

 先程見ていたものは夢だったが、今自分が見ている()()()現実だからだ。

 サリーもリリエルもイサークもホルムも。


 そして父も、みんな死んだのだ。


 しかしそこで一つの疑問が生じる。

 自分も確かに、あの仮面の男に殺された筈。


 逆上して斬りかかるも剣を奪われ、あまつさえその剣で胸を貫かれて死んだ。

 その記憶がしっかりと頭には残っている。


 そして男は言っていた。

『グレイシャルを殺した後に剣を奪う』と。


 ならば自分は死んでいて剣も無い筈だ。

 そうでなければならない。


 しかし――


「これは、間違いなく僕の剣だ。確かあいつが月剣(げっけん)とか言ってた……」


 心臓に手を当てみると、少し速くはあったがしっかりと鼓動を感じられる。

 それは『自分が』生きているという、他ならぬ証拠だった。


 グレイシャルは立ち上がって周囲を見渡す。

 そこには見たことのない景色が広がっていた。


「ここは何処だろう……? バーレルの街じゃないのは分かるけど」


 周りは木が生い茂る森だ。

 だが初めて見る木だった。

 図鑑が好きだったので良く見ていたがどの図鑑にも、今自分の目の前にある木は載っていなかった。


 試しに木を剣で斬りつけて調べてみたが刃が通らない。

 恐ろしい硬さだ。


 次にグレイシャルは空を見上げる。

 バーレルの街を覆っていた炎と同じ暁が広がっていたが、今その色はどこか違って見えた。


「そうだ、今は何時だろう」


 思い出したかの様に首から下げていた時計を取り出す。

 父は死んだが母と妹とサレナの安否は分からない。

 とても心配だった。


「こっちは大丈夫だったか。お金はどこかに落としちゃったけどまあいいや。あの仮面の男に壊されたと思ってたけど、良かっ――」


 時計の針を見て絶句する。


 グレイシャルの持つ懐中時計は魔力時計という、大気中の魔力を元に現在時刻を割り出す、現代社会における電波時計の様な物だ。


 その時計が今、異常な挙動をしていた。

 文字盤の変化は無い。

 おかしいのは短針と長針だ。


 二つの針は()()()()()()()()と回っていたのだ。


 確かジアが言っていた。


『近くで魔術が使われれると空気中に含まれる魔力が増え、結果として時間がズレる』と。


 しかし周囲で魔術を使った形跡は無い。

 ならば何故、針はこうも出鱈目に回っているのだろうか。


 現状、答えを出すには余りにも判断材料が少なすぎるが、グレイシャルは今分かっていることから一つの仮説を立てた。


「木でよく見えないけど多分ここには太陽が無いし、生えてる植物が少なくとも僕の居るエンデロ大陸には無い種類ばっかだ。それに加えてこの時計――」


 試しに初級魔術を時計の近くで行使してみるが、一向に針の回転は止まらない。


「やっぱり。初級魔術じゃ何も変わらない。それをこれだけ回転させるってことは多分、かなり強力な魔術だ」


 もう一つ調べたいことがあったのでグレイシャルは走り出す。

 森から出ようとしている訳では無い。単純に移動が必要だったのだ。

 1キロ程走って息が上がったところで、グレイシャルは再び時計を見る。


 しかし、時計の針は()()()()回転していた。


「これだけ動いても回転が変わらないってことは、近くで魔術が使われたんじゃない」


 再びジアの言葉が思い出される。


「この()()()()が、魔術で出来ているんだ――」



 ――――



 この空間は魔術で構成されている。


 自分でも馬鹿馬鹿しい仮説だと思ったが、状況証拠的にはそう考えるのが最も自然だ。

 だが、実際そうであっても自分ではどうにも出来なそうなので、グレイシャルは取り敢えず()()()()()()しておいて森から抜け出すことにして歩き出す。


 体力はもしもの時の為に温存したいからだ。

 走るのは愚策。


「まずは開けた所に出ないと。どんな魔物が出るか分からないのに、森なんていう危ない所に居たら絶好の的だもんね」


 森の中にいて誰かが見つけてくれる可能性は低い。

 自分からアクションを起こした方が生存する確率は上がるのだ。

 二、三日なら飲まず食わずでもなんとかなるらしいが、流石にそれ以上は厳しいとジアが言っていたのを思い出す。


 一人だと寂しさや恐怖に苛まれそうなものだが、今はそういった事は感じていなかった。

 というよりも、それだけの余裕が無いのだ。


 街を燃やされ、家族を殺され、一人だけ生き延びてしまった。

 この先どうやって生きて行くにしろ、まずは生きてこの魔術から抜け出さなければ始まらない。


 ふと右手に握っている剣を見る。

 仮面の男とカールが『月剣ルア』と言っていたこの剣。

 ただの綺麗な剣にしか見えないと言うのに、何故こんな物の為に父や街は……。


 そう考えずにはいられなかった。


「これが無ければ、みんな今頃――」


 今日だけで一生分泣いたので涙は流れなかったがその分、悲しさが増した気がする。

 自分の付いた溜息がやけに大きく響く。


 今この場所には、自分の足音と呟いた独り言の音しか聞こえてこなかった。

 それ程までに静かなのだ。

 人の気配などは無く、動物や魔物の鳴き声さえ無い。


 グレイシャルはしばらく無言で歩いていた。

 すると、少し先に森では無い景色が見える。


 少しだけ早く歩きそこに向かう。


「これは、畑?」


 目の前に見えるのは視界いっぱいに広がる黄金色に熟した小麦畑だった。

 これだけの数の小麦が自生しているとは考えられない。

 つまり、誰かがこの空間にもいると言う事だ。


「まあ、味方かどうかは分から無いんだけどね」


 期待と不安を丁度半分ずつ抱きながらそう呟き、畑に足を踏み入れようとしたその時。

 自分の背後で「ジャリ」という、地面と靴が擦れる音がした。

 普段なら一切気にならない物だがここでは()()()一つが珍し過ぎる。


 グレイシャルは咄嗟に振り向き、剣を音の鳴った方に向けた。

 だが、誰も居ない。


「色んなことがあったから疲れて聞き間違えたのかも」


 剣を一度降ろし、再度前を向いてグレイシャルは畑に歩き出す。


 だがそれと同時に、自分の右頬に殴られた時と同じ衝撃が走り、数メートル後ろに吹き飛び背中を木にぶつける。


 痛くは有るが、幸い骨は折れていなかったので直ぐに立ち上がることが出来た。

 何者かに襲撃を受けたのは間違い無い。

 今の衝撃で口の中が切れてしまったグレイシャルは血を吐き出し、自分を殴ったと思われる者に剣を構えた。


「ガキか、でも構わねえ……」


 腰に布切れが一枚あるだけの()()()()の男が目の前にはいた。 

 その男は()()だった。

 目は血走っており、フラフラと身体が左右に揺れている。

 体中には生々しい切り傷や火傷、痣があった。


「そこで止まれ、近づいたら斬る」


 グレイシャルの声に反応して男は止まった。

 距離は6メートル程、これくらいが今の自分が一気に詰められるし逃げられる限界の距離だ。


「これから俺に殺される奴が何を言ってやがる」


「お前はバーレルの街の住人か?」


 一瞬バーレルの街の住人かと思ったが、それは男自身によって否定される。


「バーレル? どこだそりゃ。そんなことよりも早く、その()()()()()()()!」


 男が叫びながら飛びかかって来る。

 警戒をしていたので初撃を避けることは出来た。

 避けられると思っていなかったのか、男はそのままの勢いで地面に転がっる。

 グレイシャルはその隙に男の背後を取った。


「動くな。僕の勝ちだ。一歩でも動けば、首を刎ねる」


 男の首に剣を充てがいながら降伏を呼びかける。

 ここまで残酷な事を平然と言った自分に驚いたが、生きる為には仕方が無い。

 この場所は予想通り、常に誰かに命を狙わる可能性が有るのだろう。


「黙れ。ガキの分際で俺に指図するな」


 かなり強気だが有利はこちらに有る。


「今すぐお前を殺しても良いんだぞ。いいか、質問するのは僕だ」


 少しでも動けば直ぐに首を落とす覚悟が今のグレイシャルにはあった。

 グレイシャルも男に負けぬ様に強気で出る。


「答えろ。ここはどこだ」


「はぁ? てめえもここにいるなら知ってるだろ……。いや、待て。お前――」


「いいから答えろ」


 剣を少しだけ深く食い込ませる。

 男の首の皮膚が切れて血が出てくるが気にしない。


 男は両手を上げて「分かった、分かった」と観念するように言った。


「ここは地獄だ」


 男は笑いながら言う。


「ふざけるな」


「ふざけてなんかねえ。ここは()()だ。比喩的な意味じゃねえ。文字通りの意味の地獄だ。罪を犯した魂がその罪を償う為に死後に来る場所だ」


 にわかには信じられなかった。

 だが、仮にここが地獄だとするならば、時計の針が常に魔力の影響を受けている理由も説明が出来る。


「それならお前は罪人と言うことか」


「そうだ」


「何故、僕を襲った」


「意味はねえ。強いて言うな()()()()()()()だ」


 男は振り返り、グレイシャルの顔を見て笑う。

 その表情はまるで狂気に満ちたピエロの様だった。

 生理的嫌悪感を抱いたグレイシャルはこれ以上この男と話したくなかったので、早々に会話を終わらせることにした。


「そうか。それなら僕が、お前を殺しても文句は言わないな」


「は――?」


 剣を横に一閃、周囲に男の血が飛び、首が転がった。

 司令塔を失った身体を力なくその場に倒れ、痙攣していた。


 グレイシャルは軽蔑する様に()()()()()()を見下ろし、その場を後にする。



 ――――



 襲撃を受けて少し体力を消耗したが目立った外傷は無かった。


「警戒しておいて良かった。また同じ様に襲われるかも知れないから気を付けないと」


 グレイシャルは畑の中を歩きながら思案する。

 先程あの全裸男が言っていた言葉。


『ここは地獄、罪を犯した者が死後に来る場所』


 果たして自分は本当に生きているのだろうか。

 胸に手を当ててみるとやはり、心臓は動いていた。


 奴が罪を犯してこの場所に居たのは明白だ。

 もし仮に自分が死んで地獄に落ちたとするなら、何故自分はここに居るのか分からない。

 バーレルの街で騎士にとどめを刺したからだろうか。


「いや、でもアレは頼まれてやったことだし。それでもやはり罪になるのか……?」


 天国に行ける程良い行いをしてきた訳では無いが、地獄に落ちる程悪いことをしてきた自覚も無い。

 そもそも、死後に何処に行くというのは誰の裁量で決まるのだろう。


「まあでも、あいつは『罪を犯した魂』って言ってたし。それはつまり肉体から魂だけがここに来るってことだよな、多分。それなら僕は服も時計も剣も持ってるし、それに該当しないのでは?」


 自分で言っておきながら頭が混乱しそうだった。

 グレイシャルが呟いているのは『死んだら肉体は現世に留まり、魂だけが地獄に行く。自分の意志で落ちる訳ではないので、何かを地獄に持っていくことは出来ない筈』という仮説だ。


 これがもし正しければ自分は死んでいないことになる。

 しかし、そうなると初めの疑問に戻ってしまう。


 ()()()()()()()()()()()()


 確かに自分は仮面の男に殺された筈だ。

 そして剣も奪われた筈。

 だが確かに自分はここに居るし、剣も有る。


 これでは矛盾している。


 あの仮面の男の事は何も知らないが、それでも実力は()()()()()()()()

 仕留め損ねる事など、万が一にも億が一にも有りはしないだろう。

 現に、カールは目の前で殺されたのだから。

 カールよりも弱い自分が生きているのはおかしい。


「一体何が何だか――いて!?」


 頭を何かにぶつけた。


 グレイシャルの目の前にあったのは案山子(かかし)だ。

 考え事に夢中で小麦畑に立ててある案山子に気づかず追突してしまったのだ。

 おでこを手で擦りながら案山子を眺めてみる。


 その案山子は趣味の悪いデザインだった。


「……人の骨が十字架の形で磔にされてる」


 夢で見た光景が脳裏をよぎる。

 磔になったカールと目の前に案山子が重なってしまう。


「――っ」


 視線を案山子から切りグレイシャルは再び歩き出す。


「おいおい。人様の首は斬れるのに、たかが案山子にビビってんのか?」


 背後から唐突に声がかかる。


 その声は知っている。

 何故なら、さっき自分が()()()()()()全裸の男の声だからだ。


 振り向いて剣を抜こうとするが遅い。

 グレイシャルが動くよりも速く全裸男は距離を詰める。

 彼は走った勢いをそのまま利用して、グレイシャルに右ストレートを繰り出した。


 グレイシャルは避けようとするが間に合わない。


 渾身の右ストレートを腹に食らったグレイシャルは大きく後方に吹き飛び、小麦を薙ぎ倒していく。

 突然の衝撃で胃の中の物が出そうになるが、既にバーレルの街で空っぽになっていたので何も出なかった。


「なんだよクソガキ、随分頑丈じゃねえか」


 全裸男はニヤつきながら、未だ地面に伏しているグレイシャルに近づく。


 二人の間にはかなりの体格差がある。

 その状態で拳を直撃させられたら普通は内臓が破裂して死ぬのだが、間一髪、魔力に寄る身体強化が間に合ってグレイシャルは生きていた。


 だが、それでもダメージがでかすぎる。

 しばらくは動けそうもなかった。

 対して全裸男は絶好調に近く、腕をグルグル回しながら近づいてくる。


「なんで……。どうして生きてる! お前の首を確かに僕は!」


「だからさっきも言っただろ。()()()()()からここに居るって」


 今なお地面に転がっているグレイシャルの目の前に、遂に男は辿り着く。


「もう()()()()()()んだよ。だから、お前じゃ俺は殺せねえ。例え首を刎ねられようと骨を砕かれようと、数分すれば元通りだ」


 男は屈み、グレイシャルの髪の毛を掴む。


「だったら僕だって、もう死んでるかも知れない。殺したって意味は無いだろ!」


「っく。ふふ。ははは!」


 何がおかしかったのか、全裸男は思いっきり吹き出し愉快そうに笑った。


「いやあ、おめでたいねえ。自分が生きてるか死んでるかすら判断が出来ないとは」


「なっ――」


 何故男にはそれが分かるのか。

 先程までいくら自分が考えても()()()()のせいで分からなかったのに、会って間もないこの男は何を知っているのか。


 グレイシャルは不本意だが聞く。


「何故、僕が死んでいないと分かる」


「決まってんだろ。地獄(ここ)じゃあ全ての罪人はお前みたいな格好はしてねえ。ただ罰を受け続ける者に服や時計、ましてや剣なんて与えられる訳ねえだろ!」


 全裸男は掴んだグレイシャルの頭を軽く地面に打ち付け、話を続ける。


「初めは()()()()()かと思って様子を見てたんだけどよお。どうやらお前、本当に何も知らねえで地獄に来ちまったみてえだなあ。いやあ、嬉しかった。()()()()()()()()甲斐があって良かったぜ」


 打ち付けるだけに留まらず、男はグレイシャルの頭を地面に擦り付ける。


「それによお。お前が生きてるんなら、別に殺さなくても使()()()は幾らでもあるんだぜ?」


「使い……道?」


「そうだ、使い道だ。俺はもう肉体がねえ魂だけの存在だから現世へは戻れねえ。でもよお、てめえを殺して()()()()()()()()()、俺は()()()を通ってまた復活って訳」


 ニコニコしながら男はグレイシャルの剣を拾う。

 先程自分が()()()()()()()同じことをグレイシャルにやり返すつもりだ。


 グレイシャルは髪を捕まれて後ろに引っ張られる。

 馬乗りになられて剣を首に充てがわれても、口以外動かせない。


「こんな、ところで――」


 生きていると分かったのは大きな収穫だ。

 だた、その代わりに失う物が大きすぎる。


「じゃあなクソガキ。お前の身体は精々俺が使ってやるからよ」


 男がそう言うと、グレイシャルの首に少しずつ刃が通って行き、血が少しずつ流れ始める。


 もう少しだけ刃が進めばグレイシャルの命は儚く散るのを免れない。


 僕は死ぬのか――


 グレイシャルは死を覚悟したその時だった。


 不意にもう一つの足音が聞こえて来たのだ。

 全裸男のモノでは無い。グレイシャルと全裸男の向いている方から聞こえて来る。

 その音はどんどんと近づいて来る。そしてその人物は、気がつけばもう目の前に居た。



「おい――」


 全裸男に声をかけた人物は独特な見た目をしていた。


 ゆったりとしたグレーのズボンに白い半袖のシャツ、変わった模様のポンチョという服装だ。

 目の色と髪の色は、空と同じ炎の如き暁色していた。

 年齢は20代前半と言った所だろうか。


 そして、森で見た木と同じ見た目の杖を持っていた。

 恐らくあの硬い木から削り出された物だろう。


「ようやく見つけたぜ」


 赤髪の男がそう言うと、全裸男の目が仇を見るような目に変わる。

 さっきまでの狂気に満ちたピエロの目つきで無い。

 ()()な瞳をしていた。


「てめえは……。そうか、もう追手が来やがったのか」


 グレイシャルに馬乗りになっていた全裸男が立ち上がり、赤髪の男に剣を向ける。

 赤髪の男は唾を吐き捨てると気怠そうに話す。


「逃げてるって自覚有るならよ、とっとと捕まってくれねえか? 正直、お前みたいな()()を追いかけるの面倒なんだわ」


 耳を小指でほじりながら、赤髪の男は全裸男にそう吐き捨てた。

 剣を向けられているというのに全く動じていない様だ。


 それとは対照的に、全裸男は怒りを募らせていた。


「カス? この俺が、カスだと?」


「そうだよ。だっておめーよ、カスじゃなかったら地獄に落ちねえだろ」


 至極当然な正論をぶつけられ、全裸男は剣を握る手が震えている。

 他人を傷つけることは得意でも、傷つけられるのは慣れていないのだ。

 全裸男は典型的なカスだった。


「殺してやる! 地獄の戦士なんざ――」


 全裸男が逆上して、剣を振り回しながら赤髪の男に突っ込んだ。

 もともと二人の物理的な距離はかなり近かったが、全裸男が踏み込んだ影響で最早1メートル程の距離まで詰まっていた。


 ここから対応できる者はそう多くはない。

 一割程が逆に相手を圧倒し、大多数の九割は死を迎える。


 赤髪の男は前者だった。


「ウォース・ズー――」


 赤髪の男はそう呟き、地面を杖で突く。

 すると、地面から炎の鎖が出現し全裸男の両手両足を拘束した。

 そ

 れだけではない。

 全裸男の全身を、凄まじい勢いの炎が()いているのだ。


 全裸男は手に持っていたグレイシャルの剣を落とし、声にすらなっていない音を出して叫び、とうとう力尽きて倒れた。


「ハイ終わりー。後はこのゴミを上層に送りつければ今日の仕事完了」


 そう言うと赤髪の男は今尚燃えている全裸男の周りの土に円を書き、その中に()を書いた。

 その印をグレイシャルは見たことがある。


 そう、それはかつてホルムが市場で使って見せた転移の魔術だ。

 だがホルムの転移の魔術は少しだけ違っていた。


 赤髪の男が再び地面を杖で突くと魔術が起動し、炎の輪が全裸男を覆う。

 炎は段々と強くなり、最後に一際強く燃え上がると全裸男の姿は消えていた。


「今のは……転移の、魔術」


 独り言が聞こえたのか、赤髪の男は倒れているグレイシャルの方に近寄って来る。

 そして目の前で屈むと杖でグレイシャルの背中を叩き出した。


「痛っ!? ちょ、何するんだよ!」


 余りの痛みに立ち上がったグレイシャルは赤髪の男に怒鳴る。

 それを見て赤髪の男は愉快そうに笑った。


「んだよ、元気そうじゃねえか。心配して損したぜ」


 赤髪の男はそのまま横に手を伸ばして、地面に落ちている剣を拾いグレイシャル渡した。


「ほらよ、お前のだろ? たく、こんな雑魚に負けてんじゃねえぞ」


 敵だと思って警戒していたので、グレイシャルは突然親切にされてとても驚く。

 赤髪の男の素性は良く分からないが、とりあえず丁寧に接することにした。

 知らない場所だ、少しでも友好的な人物が居たほうが良いだろう、と言う判断だ。


 グレイシャルは剣を受け取って礼を言う。


「えっ。あ、ありがとうございます――」


「ところでおめー、見慣れねえ格好だけどどこの所属だ? いくら表層って言ってもガキには辛えだろ」


「所属? え、あの……」


「は? いや、だからどこの()の担当だって聞いてるんだが……。お前も、()()()()()()の一員だろ?」


 グレイシャルには相手が何を言っているのか分からない。

 赤髪の男もまた、グレイシャルと何故話が噛み合わないのか分からなかった。


 二人の間にしばしの沈黙が流れる。


 グレイシャルはとても気まずかった。

 赤髪の男はと言うと、その間ずっとグレイシャルのことをジロジロと眺めながら何かを呟いている。


 しばらくすると赤髪の男は真剣な表情で質問をして来た。


「なあ。お前、どうして地獄に来た?」


「分からないです――」


「そうか。じゃあ質問を変えるぞ。ここに来る前に、最後に何があった?」


「最後……」


 顔を伏せてグレイシャルは黙ってしまう。

 頭に焼き付いたあの光景がチラついたからだ。


「話したく、無いです」


「まあ、人には色々事情があるしな。言いたくないこともあるよな」


 赤髪の男は頭を掻きながら話していた。

 気に触ったのかと思い、グレイシャルは咄嗟に謝罪する。


「ごめんなさい」


「謝んなよ。それよか今ので分かったけどお前、地獄に落ちてきた魂でも()()()()ねえ、正真正銘の迷子だな」


「まあ、そんな所……? ですかね、多分」


「なら現世に帰してやるよ。ここは地獄、罪無き者が居て良い場所じゃない。お前にはお前の居場所が有るハズだ」


「そう、ですか――」


 嬉しいはずなのだが、グレイシャルの顔は暗く陰っていた。


 確かに先程まで帰りたいと思っていた。

 しかしよくよく考えてみれば、帰る場所など最早何処にも――


 そんな時、目の前に突然、赤髪の男の手が差し出された。

 不思議そうに目をパチクリさせていると、男は笑いながら言う。


「そういえば自己紹介してなかったわ。俺の名前はオーディス、よろしくな」


 赤髪の男が、オーディスが「さっさと握れ」と言わんばかりにこちらを見つめてくる。

 グレイシャルはそれがとてもおかしく思えて、彼がしたように笑い、手を握って握手をした。


「僕の名前はグレイシャルです。グレイシャル・フリードベルク、グレイって呼んで下さい。よろしくお願いします、オーディスさん」

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