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ローズアンドスカビオサ  作者: 須江野モノ
第一章 『始まりの炎』
25/118

第24話 『一つの終わり、一つの始まり』

 教会から自分の屋敷に帰る為、走り出したグレイシャル。

 目の前には想像を絶する光景が広がっていた。

 

 辺り一面は火の海。

 だが、全ての生命が息絶えていた訳では無い。


 しかし、その方がきっと、()()には幸せだっただろう。


「助けて、くれ――」


「痛い、痛い――」


「お母さん! ねえ、お母さん!」


 倒壊した建物の下敷きになって助けを求める者。

 全身に深い火傷を負い、身体の中まで炎で焼かれた者。

 焼死している母の死体に寄り添い声をかけ続ける、自らも火傷を負った幼子。


 彼等は皆、直に死ぬ。

 誰一人として助からない、助けられないのだ。

 本来なら治してくれるはずのテレアス教のホルムとリリエルはもう、死んでしまっているから。


「――っ! ごめん……」


 それでも救いを求めて彼等は生きている者に助けを乞い、グレイシャルの足や腕を無我夢中で掴んだ。


 だが、それも長くは続かない。

 彼等は、最後の力を振り絞って手を伸ばしていた。

 その力も一瞬で尽きる。掴むと同時に殆どの者が息絶えたのだ。


 グレイシャルは彼等を見て恐怖したが、それ以上に悲しみと深い怒りを覚える。


「何でこんな事に……。一体、誰が――」


 やるせない気持ちを堪えグレイシャルは走り出す。



 ――――



 今まで何人の死体を見ただろうか。


 もはや数えるのも馬鹿らしくなってくる程の(おびただ)しい数の死体。

 自分が寝ている間に事は何が起きたのだろう。

 盗賊の襲撃だろうか、それとも工業地区からの出火だろうか。


 虚しいことに、いくら考えても答えは出ない。


 ひたすら下を向いて極力悲惨な状況を見ない様に走っていたグレイシャルに、不意に声がかかる。

 もしかしたら自分以外に声を掛けたのかもしれないが、この状況で生きている者が一体どれほどいるのだろう。


「そこの人。そう、君だ」


 足を止め、恐る恐る自分に声を掛けてきた者を見る。


「やっと助けが来てくれた。すまないが、助けて欲しい」


 またグレイシャルに助けを求める者だ。

 だが、その者は――


「あなた、は。もう、足が……」


「あぁ、もう動かない。建物に挟まれてしまったんだ。万が一ここから出られたとしても、出血が酷くて直に死ぬ」


 彼は建物の下敷きになっていた。

 他の者と違い普通に喋れるのは恐らく、自分が長くないことを悟っているからだろう。

 そんな彼が一体、自分に何の用なのか。


 誰が見ても分かる。

 7歳の子供には彼を救うことは出来ないと。


「別に俺を生かしてくれって頼んでいる訳じゃない。(むし)ろ、その逆だ」


「逆? それって一体どういう――」


 皆まで聞かなくても、自分で言いながらグレイシャルは理解した。


 彼は建物に足を挟まれていると言ったが、そんな生易しい状況ではない。


 近づいてよく見てみると彼の足は、膝から下は()()()()()()()()、今は大腿骨で建物を支えている状況だ。


 恐らくこの瞬間も、彼は凄まじい痛みを感じているに違いない。


 だからこそ、彼はグレイシャルに()()を求めたのだ。


「その手に持ってる剣。それで、俺にとどめを刺してくれ。どっちみち死ぬんなら痛くない方がいい」


 彼の言う助けとは即ち『死』である。


 自らの命をグレイシャルに()ってもらい、無限に続くとも思える痛みから抜け出すこと。


「な、んで……」


 グレイシャルがサムライや騎士なら彼の首を刎ねたのだろう。


 だが違う。


 グレイシャルは侍でも騎士でもない。

 ただの子供なのだ。

 その子供に彼は、心身共に成熟した大人と同じことを要求している。


 仮にその『心身共に成熟した大人』だったとしても、味方とも言える同じ街の住人を殺すのと敵を殺すのでは、心にかかるストレスが違いすぎる。


 一生十字架を背負って生きていく事になるかも知れない。


「どうして、僕が……」


「君が一番近くにいるからだよ」


 グレイシャルは迷う。


 将来、騎士を志している者としては出来る限り多くの人を助けたいと思っているからだ。

 だが、実際に求められた具体的な()()は自分が思っていたモノとは真逆のだった。


「なあ、人を斬った事はあるか?」


 迷うグレイシャルに対して、男は少し違う切り口で話を始める。

 勿論、グレイシャルは人は愚か動物すら倒したことが無い。


「……! そんなこと、ある訳!」


「なら、今日が君の初めての日になる」


 そう言うと男は手を伸ばし、グレイシャルの持つ剣を自分の首に()てがった。

 よほど力強く握っているのか、男の手は切れて血が出ている。


「頼む。俺を殺してくれ、苦しいんだ」


 しかし、男はそんな事を気にしていないかの様に、更に力強く刃を握った。

 そして、刃を握る手と同じくらい男の()()宿()()()()は強いものだった。


「だが、それと同時に俺はムカついている。ここを、バーレルの街をこんな風にしちまった奴に」


 グレイシャルは過呼吸気味になりながらもなんとか返答する。


「奴って……。まだ、犯人がいるって決まった、訳じゃ。工業地区からの、火……かも」


「いや、間違いなく誰かの仕業だ。俺はさっきまで普通に歩いていた。それがいきなりこうなった。空から急に、()()()()()()()()()()()が降って来てな。工業地区の火じゃねえ」


 男は涙を浮かべ、剣を握っていないもう片方の手を心底悔しそうに握りしめた。


「俺は憎い、悔しいんだよ。出来ることなら仕返ししてやりたい。でも、もう無理だ。だからこの無念は君に託すよ、グレイシャル」


「――え」


 今、この男は何と言った? 

 確かに自分の名前を()()()()()()と呼んだ。


「どうして僕の名前を」


「あの時とは格好が違うから分からなくても仕方ない。俺だよ、ジアさんと二年前、君の誕生日を祝いに来た騎士の一人だ」


 そこまで言われてグレイシャルは思い出す。


 あの時、二年前にサリーとリリエルと郊外でお昼寝した時だ。

 彼は、ジアのことを「獅子顔マン」と呼んだ自分を「坊主」と言って叱った騎士だった。


「まさかこんな再会になるとはな。そして、これが最後だグレイシャル。君の夢は騎士になることらしいな、カール様から聞いたよ」


 どうしてこんな所にいるのかと、聞きたかった。

 だが、声が出ない。


「俺が二年前にこの街に来たのは、竜に襲われたバーレルの街の復興を手伝ったからだ」


 男が語りだしたのはライン歴925年にバーレルの街を襲った竜、それを討伐した後の話。


 彼が数いる騎士の中からグレイシャルの誕生日に招待されたのは、街の復興作業に()()()()()()したからだ。

 特に報酬が出る等は無かったが、彼はジア含む五人の騎士と共にバーレルの街に来て連日連夜、復興の為に尽力した。


「特に給料とかは無かったけど、俺は苦しむ人を見捨てられなかった。それをカール様が見てたみたいでな。『グレイシャルには良い刺激になるから』って招待してくれたんだ」


 あの日の真実。

 あの日、五人しか騎士が居なかった理由をグレイシャルは知る。

 そして尚更、彼を殺したく無くなった。


「あなたは僕が憧れる騎士、だったら、もっと……」


 声だけでなく、剣を握る手も震えて来る。


「『生きる為に頑張れ』って? それは無理だ。俺は、俺の限界を知っている。俺はここが限界なんだ。ジアさんとは違うんだよ、()()


 遂にグレイシャルは何も言えなくなってしまう。

 自分よりも強い者が、自分よりも賢い者が『自分はもう生きれない』と断言しているのだ。


 根性論だけで彼を説得するには、グレイシャルの実績が足りなかった。


「でもグレイシャル、君は違う。俺達と違って若く未来が有る。それに何より『月光の騎士』の息子だ。お前ならきっと、俺の無念もこの街の人の無念も……。いや、カール様がなんとかしてくれるな」


 男は儚く、しかしどこか愉快げに笑った。

 その顔からは一片の迷いも感じられない。

 この男は信じているのだ。


 自分と自分の父を。 


 グレイシャルは涙を流しながら彼に答える。

 決断をしたのだ。

 幼い子供がするには重すぎる決断を。


「それがあなたの、最後の望みなら」


 ここまで言われたのならもうやるしか無い。

 自分の意志で剣を彼の首に充てがえ、まるでゴルフクラブをスイングするかの様に振りかぶる。


「ごめんなさい……。ごめん、なさい」


「気にするな、君は悪くない」


 歯を食いしばり、涙を零さないように努める。

 もし当たりどころが悪ければ、彼の苦しむ時間が増えることになるからだ。


「ありがとうな、坊主」


 男は最後にそう言って笑った。

 次の瞬間、彼の首は振り下ろされた剣によって切り離されて宙を舞う。


 そして、返り血がグレイシャルの頬に飛んだ。


 初めて人を殺した――


 自分の手が震えている。

 悲しみと恐怖と怒りと絶望、様々な感情が自分の中でゴチャ混ぜになっているのを感じる。


 頬に飛んだ血と涙を、剣を持っていない方の手で擦りグレイシャルは言った。


「行かないと……」


 泣いている場合では無い。


 彼の話では父は大丈夫だという。

 ならば、他の家族も父が守ってくれている筈だろう。

 剣から滴る血をそのままに、グレイシャルは再び走り出す。


 人で溢れていた美しいバーレルの街は今や、炎と恐怖と絶望が渦巻く『死の街』と化していた。



 ――――



 あれから更に歩を進め、遂に自分の家がある区画の目の前までやって来たグレイシャル。


 通ったのは街道だけだったが、その全てが血と炎と肉の焦げる匂いで包まれていた。


 街道ですらあの様子なのだから、建物が密集している街の中は恐らく――


「いや。今は、他のことを考えている場合じゃ無い。お父さん達と合流しないと」


 この短時間で既に知っている人物を()()も失っている。

 これ以上、誰かを失うのはもう御免だ。


 それに――


「僕の居た森がまったく被害が無いってことは恐らく、人が少ない所には大きい火の玉? の影響が無かったってことだ。だから、きっと屋敷もその隣の農業区画も平気なはず」


 実体験から目的地の被害状況を推測する。

 しかし、それは希望的観測と言わざるを得ない。

 そんな都合が良いことは()()()()()のだ。


 まだ、今まで通ってきた街道の方がマシな状況だった。

 見てはいないが、市場や港や工業地区の方がまだ救いが有っただろう。


 ここの、自分の屋敷がある区画の惨状に比べれば。


「なんだよ、これ……!」


 そう言いながらグレイシャルは嘔吐する。


 この場所は誰にとっても最悪な場所だ。

 視線の先に有る物、それは死体だ。


 それだけならもう散々見て来た。

 異なるのは死体の状態。


 焼け焦げているだけではなく、全ての死体が下半身と上半身の二つに別れており、夥しいまでの血を流していた。


 道は一面、文字通り血の海になっていた。

 何十、何百といった人間が同じ方法で死んでいるのだ。

 剣や斧や槍が至るところに落ちていることから見て、無抵抗で殺されたという訳ではないだろう。


 抵抗した結果がこの惨状なのだ。


 あの騎士は言っていた。


 ()()()これを引き起こしたと。

 その誰かとは、街を一つ壊滅させるほどの巨大な火の球を降らし、武装した大人達を壊滅させる程の実力を持った者だ。


 一人か二人か、あるいは大軍か。


 それだけなら良かった。

 既に嵐が去った後だったなら。


 悪夢は終わらない。


 グレイシャルが向かっている方向と血の海が広がる方向が、()()()()なのだ。

 何度も死体の生臭さと焦げた臭いで嘔吐しそうになるが(こら)える。


 グレイシャルは敵に襲われるかも知れないことを警戒して、剣を構えながら駆けた。

 恐らく戦っても勝てないが、せめてかすり傷ぐらいは付けてやるという思いを抱きながら。


 血の海の上を走るごとに自分の全身に血が飛ぶ。

 血はまだ温かかった。


 あぁ、この匂いはきっと。一生忘れることは出来ないだろう――


 死体と血の海を超え、グレイシャルはようやく自分の家に戻って来た。


 彼を出迎えたのは街と同じ暁色の炎に包まれた自分の家だ。

 門は粉々になり、庭はめちゃくちゃ。

 屋敷は半壊。


 そして、至る所で使用人が血を流して死んでいる。


「――」


 言葉を失って立ち尽くしていると、足を何者かに掴まれた。

 グレイシャルは即座に反撃をしようとして剣を、自分の足を掴んできた者に向ける。


「あぁ、良かった。グレイシャル坊ちゃま。ご無事で、何よりです」


 敵だと思っていたが違った。


 それは、変わり果てた姿のイサークだった。

 彼は全身が焼け爛れ、そこら中から出血している。

 特に酷いのが左足だ。彼の左足は膝から()()()()()されていたのだ。


 すかさずグレイシャルは屈んでイサークの容態を確認しようとして、彼に手を伸ばす。

 だが、その手は彼自信に振り払われた。


「もう、私は無理です坊ちゃま。ですから、爺やの最期の願いを聞いて下さい」


「なん、ですか」


 グレイシャルは()()泣いていた。

 ここに来るまでに何度も酷い光景を見て慣れたと思っていたが、そんなことは無かった。

 知っている人物が、ましてや親しかった人物の今際(いまわ)(きわ)だ。


「今すぐ、お逃げ下さい。そしてどうか、お幸せに――」


 最後にイサークはそれだけ言ってグレイシャルに笑いかけると、糸が切れたように力なく倒れ絶命した。


 重度の火傷に加えて全身からの出血。

 極めつけは左足が切断されている事。

 彼の身には想像を絶する苦痛が常時駆け巡っていただろう。


 それでも彼は最後の瞬間まで笑っていた。

 自分の大切な宝物の、これからの幸せを祈って。


「――!!」


 声にもならない声で獣の様な慟哭をする。


 そんな時、屋敷の方から突然大きな爆発音が鳴り響いた。

 全ての窓ガラスが割れ、屋敷の屋根と一階の壁が吹き飛ぶ。


 土煙と黒煙と炎で屋敷の中の詳しい状況は分からなかったが、至るところで火花が散っていた。それも凄まじい速度でだ。


「誰かが、戦ってる?」


 戦っているのは()()()()()

 最早考えるまでも無かった。

 涙を拭かずに立ち上がり、屋敷に向かって進む。


「ここからじゃ入れない」


 多くの入り口や壁、窓からは火が出ているので中には入れない。


 だが、先程の爆発で吹き飛んだ所にはまだ火が回っていない様だ。

 グレイシャルはそこから屋敷の内部に入ることにした。

 原形を留めていないので判別が出来ない程だが、記憶にある通りならここはトイレだ。


 最大限に警戒をしながら崩れた壁を通って脱衣所に入る。

 扉を開けようとするが開かない。恐らく、瓦礫が扉の先で邪魔をしているのだろう。

 グレイシャルは出来るだけ煙を吸い込まない様に深呼吸をしてからドアに片手で触れる。


「力を開放せよ……ガスト!」


 それなりに魔力を込めて風属性の中級魔術を唱える。

 すると突風が拭きドアごと瓦礫を吹き飛ばした。

 脱衣所の扉が有った所から恐る恐る顔を出して廊下の状況を確認する。


 なぜなら、敵が自分の家に侵入しているのは確実だからだ。


「誰も居ない? ならこの音は……」


 炎以外の音が聞こえて来る。


 今やこの屋敷は木が焼けて弾ける音と、鋼と鋼がぶつかり合う音のみが支配している。

 普段なら美しいと感じる鋼と炎の音が、今はただひたすらに怖い。


「こっちかな」


 耳を澄ませて音の鳴っている方を探る。


 どうやら音は二階から響いて来ているようだった。

 グレイシャルは脱衣所から出て足音を立てない様に廊下を歩く。

 階段も殆どが崩れていたが、頑張れば登れるくらいにはまだ形を保っていた。


「この音の先で、お父さんと()()が戦ってる」


 父は生きていると言う確信がどこかにあった。

 この絶望的な状況の中であっても、父ならばどうにかしてくれるという淡い期待も。


 一縷(いちる)の望みを賭け、今なお燃える屋敷を背に一歩ずつ階段を登って行く。

 早くこの屋敷から出なければ自分も焼死するかも知れないが、それでも家族に会いたかった。


 母と妹とサレナは今どこにいるのかは分から無いが、きっと生きているとそう信じたい。

 ()()()と一緒に屋敷に居たのだ。

 ならばこの状況の中でもなんとか父がしてくれていたはずだ。


「よい、しょっと……!」


 不安を抑え込んでなんとか階段を登りきる。目の前に広がるのは一階以上に酷い有様だ。

 一階はまだ部屋が所々残っていたが、二階はもう天井や屋根が落ちていていた。


 部屋と部屋の区切りが非常に曖昧になっていて、一つの大きい瓦礫のようになっている。


 立ち込める煙と炎と積もる瓦礫で視界は最悪だ。

 だが、()は確実に近くなっていった。

 グレイシャルは音の鳴る方へ歩き出す。


 音の正体を、カールが誰が戦っているのかを確かめるべく、かつて執務室だった場所を彼は覗いた。



 ――――



 燃え盛るフリードベルク邸の二階、執務室にて。


 カール・フリードベルクは圧倒的な殺気を放ちながら剣を構え、()()()()()()()()()()()を睨みつけていた。


 もし相対する者が相当の実力者でなければ、それだけで勝負は決まっていただろう。

()()()』で無ければ。


「今すぐ、この街から立ち去れ」


 カールにそう言われても男は一切動じない。

 ()()()()()()()を片手で持ちながら、涼しい顔を()()()していた。


「何度言えば分かる、カール・フリードベルク。私は、貴様が月剣(げっけん)を渡すまで何処にも行かんと言っただろう」


 男の風貌は異質なモノだった。


 頭まで覆うボロボロの長いローブに仮面。

 その仮面の意匠(いしょう)はヤギの頭の骨を模してあった。


 極めつけは男の瞳だ。


 仮面の奥から度々見える、赤い虹彩に蛇の様に細長い瞳孔。

 瞳に映るモノ全てを射殺すかの様な恐ろしい目をしている。


 それに加えてカール以上の長身だ。

 見ただけで多くの者は戦意を失うだろう。


 だが、カールは違った。


「それなら僕も何度でも言おう。()()()そんな物は無い。オルド王国にでも行くと良い」


「既にオルド王国は捜索した。その内の一人が、かつて貴様が月剣を持ってクロードに渡ったと言っていた。そして私は貴様の痕跡を辿りここに居る訳だが――」


 仮面の男は溜息を付くと同時に消えた。

 否、正しくは消()()()()()()()()()速く動いたのだ。


「――っ!」


 槍をカール目掛けて綺麗な直線を描きながら刺突する。

 それに何とか反応して剣の腹で受け止めるが、槍の勢いを全く殺せなかった。

 防いだ剣ごと壁に押し付けられ、一切の身動きが取れなくなる。


 ただの真っ直ぐな突き。

 一見、見切りやすい攻撃だが、それは()()()()()()()()()()()()()の場合だ。


 常識を越えた速度で迫り来る槍を、一体誰が完璧にいなせるのだろう。


「が、はっ――」


 壁に押し付けられた衝撃で剣の腹が身体にめり込む。

 恐らく肋骨が二、三本折れただろう。

 カールは苦しそうに(うめ)きながら口から血を吐いた。


「私は殺戮(さつりく)を楽しんでいる訳では無い。ただ、貴様の持つ月剣が欲しいだけだ」


 どう考えても仮面の男はカールを殺せる状況だ。

 少し槍の先端をずらせば腹部を即座に貫くことも出来るだろう。

 だというのに、何故殺さないのか。


「だったら何故、街の人々を殺した。何故、この街を燃やした!」


 怒りを露わにしてカールは男に向かって怒鳴りつける。


「月剣を渡さないからだ。貴様はこの街や住人を大切に思っているのだろう? だからだ。私が魔術を唱えるよりも早く渡せば、こうはならなかった。猶予は与えたぞ。それを活用しなかったのは貴様だ」


 仮面の男の槍の、カールを壁に押し付ける力が更に強くなる。

 カールは苦悶の声や表情を我慢することが出来なかった。


「貴様が殺したのだ、カール・フリードベルク」


「そんな訳無いだろ……! 自分の罪を、人に押し付けるな!」


 必死に声を振り絞り、男の滅茶苦茶な理論に反論する。

 男は鼻を鳴らし、カールを見下す様な目で見つめた。


 仮面越しに見る男の目には、飲み込まれそうなほど深い闇の気配を感じる。


「ここまでしても月剣の在り処を言わぬのか。ならば、次は貴様の家族を殺す」


「なっ――! ふざけ……るな!」


「大真面目だとも。貴様には確か妻と息子と娘が居たな。これが最後だ、カール・フリードベルク。月剣は何処に有る。言わねば、貴様の命は元より家族の命も無い。今から五つ数える。それまでに言え」


 そう言うと男は数字を数え始めた。



「一つ」


「……おい! 待て!」


「二つ」


「話を、聞け……!」


 カールがいくら言っても仮面の男は聞く耳を持たない。

 どうにかして止めないと行けないが、カールは一切動くことが出来ないのだ。


「三つ」


 自分の全てとも言える家族、それは絶対に失いたく無い。


 だが、それと同時に。


 自分を信じて月剣を託し「バゼラントに行く」と言った時に笑いながら応援してくれた()()()を、裏切りたくも無かった。


「四つ」


 カールは涙を流す。

 どちらを選べば良いのか、どちらを選ぶのが正解なのか。


 しかし、既に分かっていた。どちらを選んでも、誰かを裏切るという事を。


「分かった」


 そしてカールは選択したのだ。


()()()()の場所を言えば、僕はともかく……。家族は助けてくれるんだな」


 仮面の男はカールを押さえつける槍を解放し、支えを失ったカールは床に倒れた。

 なんとか片膝を立てて起き上がるカールに男が近づく。


「そうだ。どこに隠した」


 カールは荒い呼吸を整える。

 男はそれを許したのか、カールが自分から喋り出すのを待っていた。


 そして、落ち着いてきたカールは話し出す。


「月剣の、場所は――」


「月剣の場所は?」


 悔しかった。


 赤級(せききゅう)である自分が『月光の騎士』と言われた自分が力及ばず、一方的に叩きのめされて命を落とすことが。


 だが、愛する家族の命がかかっている。


 ()()()の側を離れたら、いつかはこうなるかも知れないと分かっていたのなら……。


 そう考えずにはいられなかった。

 だが、自分の命で家族は救える。

 街の人々は無理だったがせめて、残った命は誰かの為に使いたい。


 カールは歯を食いしばり、意を決した。

 仮面の男を見上げ話し出す。


「月剣の場所は――」


 その時だった。


 突如として強風が吹き、瓦礫の山を吹き飛ばしたのだ。

 塞がれていた入口の方から、土煙に紛れて誰かが飛び込んで来た。


 カールも仮面の男も余りにも突然のことで、理解が追いつかず止まっている。

 ()()()()()()()()以外は。


「らぁ――!」


 その者は渾身の飛び蹴りを仮面の男に放った。

 飛び蹴りをモロに食らった男は後ろに吹き飛び壁に激突し、上から降って来た瓦礫に潰された。


 この蹴りにカールは見覚えがあった。


 それは獣人の武術だ。


 だが、それを使えるは自分の知っている限りジアとサレナだけ。

 そして今、ジアはここには居ない。

 サレナは分からないが、この男が言うにはまだ生きているらしい。


 だが自分の目の前にいるのはサレナでは無い。

 背丈が違いすぎる。


 仮面の男を蹴り飛ばしたこの者は誰なのだろうか。


 土煙が収まり、ハッキリと見ることが出来た。

 そう、仮面の男を蹴り飛ばしたのは――


「お父さん! 大丈夫!?」


「グレイシャル、何故ここに!? 危ないからどこかに逃げろ!」


 それはグレイシャル。

 自分の愛しい息子だった。

 その息子がたった今、自分を助けに入ったのだ。


 しかし本当に自分は助かったのか?

 たかが子供の蹴りや瓦礫くらいで倒せる様な相手じゃない。


 先程まで戦っていたカールがそれを誰よりも分かっていた。

 本当ならば今すぐグレイシャルを抱きしめたかったが、そんなことをしている暇は無い。


 息子が命を賭けて作ってくれたこの好機、仮面の男を仕留める機会を失う訳にはいかなかった。


「僕は――」


 グレイシャルが何かを言っているが聞いている暇は無い。


 即座にカールは立ち上がり、グレイシャルが手に持っていた剣を奪い、息子を自分の後ろに立たせた。

 痛みで頭がどうにかなりそうだったが、泣き言は後だ。


 今は、奴を殺すのが最優先である。


 幸い今日は満月だ。


 奴を倒す分の魔力はもうカールには無かったが、()()()から持ってくれば良いだけのこと。


「お父さん――」


「グレイ、一歩でも僕の側から離れちゃダメだよ」


 そう言うとカールは剣を胸の前で両手で構える。

 見る見るうちにカールの持つ剣は青白く輝き出した。

 その(まばゆ)いばかりの光を放つ剣を、カールを大きく頭上に振り上げる。


 グレイシャルは今まで何度かその光を見たことは有ったが、ここまで強く輝いているのを見るのは初めてだった。


 カールは練り上げた魔力を一気に解放する。

 前方の瓦礫に埋まっている仮面の男に向かって。


「カール・フリードベルク……。貴様――」


 男が何かをするよりも、カールが剣を振り下ろす方が速かった。


「『月光(げっこう)ォ!』」


 光は一気に収縮し、瞬く間に再度膨張する。

 その際に強烈な光と熱、そして風を伴いながら。


 グレイシャルは吹き飛ばされない様にカールにしがみつくだけで精一杯だ。


 絶対的な破壊を伴いながらカールの放った光は、瓦礫や男だけでなく前方に見える屋敷の二階部分、及び屋根を飲み込む。


 破壊はそれだけに留まらない。

 光に飲み込まれた物は(たちま)ち塵へと変わっていった。


 だが、カールの剣圧に耐えきれなかった床が崩れ始める。

 その衝撃は執務室だけで無く、光に飲み込まれていない筈の他の二階部分にも伝わっていた。


 カールとグレイシャルは二階部分の崩落に巻き込まれ、一階へと落ちて行く。



 ――――



「おい、グレイシャル! しっかりしろ、グレイシャル!」


「うぅ――」


 崩落に巻き込まれたグレイシャルは頭を打って倒れていた。

 カールは自分の身は守れたが、負傷している状態ではグレイシャルまで手が回らなかったのだ。


 幸いなことにグレイシャルは瓦礫で頭を打って出血、気絶をしていただけだった。

 すぐに目を覚ましたグレイシャルはカールに尋ねる。


「お父さん、僕は――」


 カールはグレシャルが言葉の続きを話すのを待たずに、息子を抱きしめた。

 グレイシャルも父の温もりに触れて安心したのか、一度は止まった涙が再び溢れ出して来る。

 多くの『死』を、地獄とも言えるそれを短時間で経験したのだ。


 無理も無かった。


「あぁ、辛かったねグレイシャル。でも、もう大丈夫だ」


 グレイシャルは父の胸の中で涙を流す。

 憧れていた人の死、大好きな友達の死、大切な人の死。

 その全てが頭の中に焼き付いて離れない。


「お父さん、僕は。人を、殺して――」


 えずきながら何とかカールに説明しようとする。

 自分の罪を誰かに許して欲しかったからだ。

 カールは詳しい事情は分からなかったが、状況的に仕方のない事が起こったのだと察した。


「そうか、辛かったね。でも、その話は後でちゃんと聞くよ。まずはここから出よう。二階は崩れちゃったし、多分一階も同じ様にもうすぐ崩れる。それに火の手も強くなって来たからね」


 カールは周囲を警戒していた。

 正体不明の敵の脅威は去った訳だが、仮面の男が残していった炎の傷跡は余りにも深い。

 早く逃げなければ、建物の倒壊か火災に巻き込まれて死ぬのは確実だった。


「立てるかい、グレイシャル」


 グレイシャルは父に全てを話したかったが我慢する。

 涙を袖で拭いながら立ち上がった。


「良い子だ。じゃあ、まずはここから出よう。……おっと、忘れるところだった。ありがとう()()()。助かったよ」


 そう言ってカールはグレイシャルから先程奪った剣を返す。

 グレイシャルは短く返事をして剣を受け取り、鞘に戻した。


 二人はどうやら執務室の真下に落ちていた様だ。


 執務室の真下といえばグレイシャルが屋敷に侵入してきた脱衣所である。

 脱衣所は運良く火の手を免れており、先程の衝撃でトイレの一部が崩壊し、外まで続く大穴が空いていた。


 なので手っ取り早く逃げるには丁度良かったのだ。


 カールはグレイシャルよりも先に、外に向かって歩き出す。


 だが、この()()


 『もうすぐ外に出れる』というこの状況が大きな油断を生み、カールに致命的な()を与えた。


 カールの真横にある瓦礫から、()()()()()を持った男が飛び出して来たのだ。

 先程のカールの一撃が効いていたのか速度はかなり落ちていたが、それでも、今のカールを仕留めるには十分すぎる速度だった。


「えっ――」


 グレイシャルが気の抜けた声を上げると同時に、屋敷は土煙と轟音が支配する。


 咳き込みながら風属性の中級魔術を唱え、土煙を何とか収めた。

 収まった土煙の向こうにグレイシャルが見たモノ、それは――


「なるほど、それが『ルアの一撃』か……。見事だ。だが、それまでだ」


 胸の中心を燃え盛る槍で貫かれていたカールだ。


 衣服には火が着いており、胸からの出血も凄まじい。

 何とか槍を引き抜こうとしていたが、もはやそれを為すだけの力は残っていなかった。


「何故……。お前は、生きている」


()()()からだ。まあ、多少の傷は負ったがな」


 よく見れば仮面の男は、ローブの至るところから血が滲み出血していた。それだけでなく仮面の一部も壊れており、真紅の瞳が直に見えている。


 男は槍を一気に引き抜くとカールを蹴り飛ばし壁に激突させた。

 壁に叩きつけられ、ゆっくりとカールは倒れる。


 彼は、既に死んでいた。


「お父、さん……」


 グレイシャルが涙を流しながら父を呼ぶ。

 それと同時に槍を覆う炎が消えた。


「まさか息子が持っていたとはな。道理で『無い』と言い張る訳だ」


 血が滴る槍を片手で持ちながら、男はゆっくりとグレイシャルに近づく。

 反射的にグレイシャルは剣を抜いた。

 そして、仮面の男に向けて叫ぶ。


「来るな!」


 男は少し離れたところで立ち止まり、グレイシャルを凝視する。

 蛇の様な目に見つめられたグレイシャルは絶対的な『死』を感じた。

 だが、退く訳には行かない。


 目の前に居るこの男は、自分の父を殺したからだ。


 何があっても、その存在を許容することは出来ない。


「グレイシャル・フリードベルク、だな。私の目的は一つ、君の持っている『月剣ルア』だけだ」


「月剣……? この剣が何だって言うんだ!」


「そうか、君の父は何も教えていなかったようだな」


 溜息を付きながら、槍に付着したカールの血を払う。


「だが知らない方が良いことも有る。もう一度言う。私の目的はその()だ。それを渡せば私は金輪際(こんりんざい)、君に関わらない事を約束しよう」


「もしも。もしも僕が、お前の提案を断ったら……。どうする」


「そうだな――」


 男が槍を薙ぎ払う様に軽く振るう。

 すると、先程まで一切の炎が無かった脱衣所の四方が炎の壁で覆われた。


「君をこの場で殺して、その剣を奪うまでだ」


 男の目に力強い意思が宿る。

 その瞳に宿る感情は()()では無かった。

 もっと別の感情だ。

 例えるならば『哀れみ』の様な。


 グレイシャルにはその目がとても憎く思えた。

 『殺意』でも『嘲り』でもない『哀れみ』を向けられる事は、自分とカールに対するこの上ない侮辱だ。


 自分達は『戦うに足る相手』にすら思われていないのか――


 剣を握る手が怒りで震える。


「そうか、分かったよ――」


 グレイシャルは俯き、ゆらゆらと揺れながら仮面の男に向かって数歩近づく。


「だったら、そうすればいいだろ!」


 顔を上げたグレイシャルは全力で男に向かって踏み込んだ。

 サレナから教わった獣人の技術、彼等ほど足のバネを活かすことは出来ないがその分、魔力で幾分か身体の強化をしてある。


 こんな事で()()()を殺せるとは思っていない。


 だが、それでも――


 ここで死ぬとしても一撃、この男に自分の手で入れなければ気が済まなかった。

 そうで無くては、死んでいった父が浮かばれない。


「おおおぉ――!」


 剣を両手で構え雄叫びを上げ、殺意を剥き出しにしながら一直線に突っ込む。

 相手が上級程度の実力だったならそれで十分通じただろう。

 だが――


「そうか、残念だ」


 仮面の男は心底残念そうに呟くと、槍の穂を横にしてグレイシャルの手の甲を叩く。


「――っ!?」


 グレイシャルは突然の痛みで剣を手放してしまう。

 剣は勢いを途中で殺され、宙を舞った。

 仮面の男は左腕を上げてその剣を掴む。


「さらばだ、グレイシャル・フリードベルク」


 一瞬だけ男がグレイシャルの視界から消える。

 だが、それもほんの一瞬だ。


 瞬きの何十倍も短い時間――


 直後、自分の胸に激しい『熱さ』を感じた。

 それだけでなく、自分の口から()()()()の様なモノが溢れていた。


 その液体はとても赤かった。


「なん……だ――」


 違和感を感じて下を見ると、先程まで自分が持っていた剣が自らの胸を深々と貫いていた。


 グレイシャルは両膝を着く。

 呼吸をしようとするが、気道を貫いている剣が邪魔をして上手く空気が出入りしない。


 凄まじい出血だった。


 即座に息は浅くなり、次第に意識も朦朧として来る。

 遂には上半身の直立を維持することが出来なくなり、前のめりになって倒れた。


「クラ・メタ……。ファースー――」


 掠れる視界、消えゆく意識。

 最後に聞こえたのは、仮面の男が自分を見下ろしながら呟いた()()だった。

これで一章終了。

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