第20話 『十二柱の神々』
川で身体を洗ったので教会に戻る途中。
一行は、サリーや馬に乗って街道を歩いていると、おかしな集団に遭遇する。
具体的には変な見た目をして、看板を持ち、更には意味不明な妄言を叫びながら行進をしていたのだ。
看板には『反戦・反王政』と書いてあり三十人ほど居る。
彼等は剣や斧で武装をしていた。
「ジアさん。あれ、何……?」
リリエルが不気味がってジアに聞く。
「あー。ありゃセン王の体制とバゼラントの軍拡に反対してる集団だ。王都でもこの前暴れてたから鎮圧したんだけどよ、こんなとこにも居んのかよ。嫌な世の中だねえ」
ジアは溜息を付きながら反体制派の集団の先頭とすれ違い、横を通り過ぎようとする。
それに続いてサリーに乗ったグレイシャルとリリエルも付いて行く。
だが、止められた。
先頭で看板を持った者がジアの馬の前に看板を出し、行く手を塞いだのだ。
彼等は一行をグルリと取り囲む。
サリーは威嚇をしてその人間たちを睨んだ。
「サリー落ち着いて、相手は人間だからダメよ?」
リリエルに頭を撫でられて渋々矛を収めるが、反体制派はそうではない。
「何だこの魔獣!? 最近の騎士団は魔獣まで使ってるのかよ」
「獣人の騎士団長に魔獣とは、いよいよ終りが近いな」
口を揃えてサリーやジアの悪口を言われ、グレイシャルとリリエルはすこぶる頭に来た。
大切な友人達をバカにされて頭に来ない者は居ない。
二人が反体制派の大人達に文句を言い返そうとした時、ジアは二人を止め馬から降りる。
後ろを振り向き『任せろ』と言う目をしていた。
「おい、お前ら。俺を馬鹿にするのは良いけどよ、ガキ達の友達を馬鹿にするのは違うんじゃねえか?」
「あ? 黙れよ獣人が」
「黙らねえよ。第一、こいつは魔獣じゃなくて狼だ。しかもバゼラントウルフは精霊に近い。そんな事も知らねえほど学がねえから、簡単に軍縮だなんだって言えるんだろうなあ」
ジアは反体制派を煽る。
もしジアが普通の人間並みの強さだったら、この場でタコ殴りにされて生死の境を彷徨うのだろうが、たかが普通の人間に負ける筈は無い。
そのことをリリエルとグレイシャル、サリーは知っていた。
だから心配は無かった。
そんな時だった。
「これはこれは! バゼラント王国、ヨルク騎士団団長のジア様ではありませんか! こんな片田舎で何をしてらっしゃるんですかな?」
集団の中から一人、仰々しい物言いと共に現れたのは、剣を腰に携えた若い男だ。
20代後半といった顔立ちの男は、グレイシャル達に品定めする様な眼差しを向け、鼻で笑った。
「もしや、こんな年端も行かぬ子供達に自らの政治思想を植え付けているのですか? それが騎士団の仕事とは……。セン王は、民を洗脳してまで権力を失くしたくないのですね」
下卑た笑みを浮かべたその男は、周りの反体制派の男達に笑いかける。
それに賛同するかのように、同じく反体制派の集団も笑った。
「えぇ……。何この人達。ジアさん、もう行こうよ?」
グレイシャルは恐怖のあまり、ジアに逃走を提案。
先程、熊との戦闘の際に感じた『死』の恐怖とはまた別の恐怖、人の悪意とも言えるそれは、幼いグレイシャルには刺激が強すぎた。
サリーはグレイシャルが怯えているのを察知し動き始める。
行く手を阻む大人達を無理やり押しのけて、輪の中から脱出。
しかし、ジアはまだ輪の中だ。
大人達は一瞬グレイシャル達を見たが、それだけだ。
特に止めようとしたりはしなかった。
あくまでも、目的はジアにあるのだろう。
「なあ、もう良いか? 俺はこの後用事があるからもう行きてえんだ。お前らの相手をしてる暇はねえ」
「黙れよ獣人が。野蛮な獣風情が、人間様を上から見下ろしてんじゃねえぞ!」
「そうだ! 俺達の家族はお前のような害のある魔獣と、無能な王と騎士団によって殺された! 人殺しが!」
加熱する反体制派の大人達とは真逆に、ジアはどんどん冷めていく。
「知らねえよ。お前の家族が死んだのは力が無かったからだろ。それに聞くけどよ、力の無い者はどうすればいい? 誰かが守ればいいんだろ? その為にセン王は軍備を増強して人や物を強化しようとしてる」
溜息を付きながらジアは続ける。
「なのにお前らは軍拡に反対してると来た。意味が分からねえ。戦わない為の抑止力として力を持つんだろ? なのにどうして反対するんだよ。そんなんだから、いつまで経っても獣なんかに馬鹿にされんだよ」
ジアの言い分によって、怒りが我慢の限界を超えた反対派の男の一人が、ジアに向かって斬りかかる。
「――っ! 黙れ! この魔獣が!」
剣がジアを斬るよりも速く、ジアは右の拳で男の顔面を横から強打する。
殴られた男は10メートル程吹き飛び、囲っていた集団をボーリングの様に倒していった。
ジアは倒れた男達によって空いた道を踏まない様に器用に歩く。
それに続いてジアの愛馬も来る。
そのまま倒れている男たち放って置いて、グレイシャル達と教会に帰ろうとしたその時。
後ろから声をかけられ呼び止められる。
「それが騎士団の、騎士団長としての行いですか? 国民を殴って放っておくのがセン王の方針なのですか?」
声をかけたのは先程の若い男だ。
余裕そうな感じからして恐らく、この反体制派を率いているリーダーだろう。
ジアは馬に乗り、いつでも出発する準備を整えてから振り向かずに話す。
「かもな。この国を変えるために行動するのは悪いことじゃねえ。だがな、やり方っていうもんがあんだよ。法律も何もかも無視して変えるのは革命って言うんだ。てめえらはそれをしようとしてる。本来ならこの場で全員、国賊として処刑してやっても良いんだぜ?」
「処刑ですか。かなりの問題発言では?」
「問題なもんかよ。いきなり人に向かって斬りかかってくる犯罪者に、国を壊そうとしているテロリストに人としての権利が保証されてる方が問題だろ、クソガキが」
唾を吐き捨て、ジアは不機嫌そうに馬を出発させる。
それに続いてサリーも後を追った。
――――
気味の悪い集団から離れしばらく言った所でグレイシャルはジアに聞く。
「ねえジアさん。さっきジアさんが言ってた『戦わないた為に抑止力として力を持つ』ってどういう事?」
「そのまま。例えばだけどよ、お前の職業が強盗だとする。その時に、強い兵士が守っている家と、誰も守っていない家がお前の目の前に有るとしよう。さあ、どっちを狙う?」
「誰も守っていない家!」
考える素振りも見せず、グレイシャルは即答する。
「そういうことだ。国も同じなんだよ。戦う力がなければ他の国は絶対に攻めて来る。話し合いとか外交だけで解決するなら、俺達騎士や兵士、傭兵や冒険者は一切要らねえし武器も要らねえ。でもそうじゃないのが現実だ。それをあいつらは分かってねえ」
「じゃあ『無能な王』って何のこと? セン王様って馬鹿なの?」
リリエルが不敬罪とも取れる発言をする。
本来ならジアも取り締まるべきなのだが、子供の言うことなのでスルーして質問に答えた。
「いや、セン王は優秀だ。魔術が嫌いなだけでな。あいつらがセン王を憎んでるのは、セン王が戦争をしようとしているから……らしい。もし本当にそんな事をしようとしてるのなら、俺が知らない筈は無いからな。まあ、あいつらの妄想だろ」
「ワン! ワンワン!! ウー!」
サリーはジアの方を見て、口を大きく開けて牙を見せていた。
恐らく怒っているのだろう。
「気にすんなよサリー。俺もお前も魔獣じゃねえ。俺からすればあいつらの方がよっぽど獣だぜ。自分の気にいらないモノを排除しようとする、本能に支配されてるバカだ」
「ジアさん、サリー怒ってるみたいだけどなんて言ってるの?」
「『魔獣って言われた! 僕は狼だ! 許せない!』ってよ」
リリエルは尚も怒っているサリーを宥める為に頭を撫でてやり、次に両耳を引っ張り、最後に両頬を餅のように伸ばした。
「大丈夫よサリー。あなたが例え魔獣でも、私はずっと大切にするから」
「クゥーン……」
感動のあまりサリーは鳴いた。
しかし、それにジアは水を差す。
「ちなみにバゼラントでは魔獣の飼育禁止だからな。見つけたら始末されちまうぜ?」
「ワゥン!?」
サリーは、もしもそうなってしまったら考えると怖くてたまらなかった。
次第に歩みは速くなる。
「んー? ちょっとサリー? なんか速くない?」
グレイシャルがお尻の上をポンポンと叩いて落ち着かせようとするが無駄だった。
どんどん速度は上がり、遂には走り出した。
「ちょっと! 走っっちゃダメだって! こら、サリーのバカー!」
グレイシャルとリリエルとサリーは、それぞれ絶叫を上げながら教会へと走って行く。
ジアはそれを追いかけながら笑っていた。
さて、そうしてグレイシャル達は教会に着く。
時刻はもう午後5時20分程。
パーティーは午後6時過ぎくらいに始まるとカールが言っていた。
ならばもうどっかへ行って遊んでいる時間はない。
なので、リリエルの家でゴロゴロして過ごすことにしたのだ。
「おや、帰って来たのかい? 楽しかったか?」
教会を抜け、奥の居住スペースに入るとホルムがみかんを食べていた。
リリエル達は楽しかったといえば楽しかったが、どちらかといえば怖い思いをたくさんしたので素直に『楽しかった』とは言えなかった。
ホルムはそんなリリエル達の顔からなんとなく察した。
「そうか。まあ、そういう日もある。生きているだけで万歳、というやつだな。ジアに感謝しよう」
「いや、俺は別に感謝されるようなことはしてねえよ。ただ後ろから付いてっただけだ」
照れくさそうに頬を掻き照れている獣人。
グレイシャルはジアによじ登って、髭を触りながら挑発する。
「ジアさん、もしかして照れてるの? お髭と身長はでかいのに心は猫ちゃん!」
「あんだとコラ! クソガキが!」
ジアはより一層顔を赤くして叫び、よじ登っているグレイシャルを振り落とす為に自分の身体を、まるでサリーの様にブンブンと振った。
そんな中、サリーは突然大きな声を出してホルムに話しかける。
突然のことで、グレイシャルもリリエルもジアも動きが止まった。
ホルムだけはいつも通りお茶を飲んでいたが。
「なんだい、サリー?」
ホルムは愛息子の話をしっかりと聞く為に、椅子ごと身体をサリーの方に向け座り直す。
サリーが語りだしたのは今日のことだ。
「ワンワン。ワンワン……。ウゥー。クゥーン……」
教会を出て宿に行ったこと。
川で熊に襲われてサリーが死にかけたこと。
反体制派に遭遇してヒヤヒヤしたこと……。
ちなみに複雑なサリーの言葉はジア以外理解出来ないので、ジアが通訳をしていた。
ホルムはそれを聞いてサリーを撫でる。
「やはりそうか。何かあるとは思っていたが、そんなことが。辛かったね、サリー」
「ワンワン! ワン!」
サリーは何かを訴えるように吠えながら、ホルムのお腹あたりに頭を擦りつける。
ジアはそれを翻訳する。
「えーと『僕、リリエルとグレイ守る! 戦う! 教えろ!』だってよホルム」
「ふーむ……」
ホルムはそれを聞いて立ち上がり部屋の中を、腕を組み何かを考えながら歩き回っていた。
どうすればいいのか。
戦いたいというのなら戦う方法を教えられなくもない。
だが、自分の子供には、リリエルとサリーには戦いとは縁のない人生を送って欲しいのだ。
だから、教えたくなかった。
だが、愛する息子の頼みだ。
出来ることなら叶えてやりたい。
だからホルムは葛藤していたのだ。
そんなホルムに一番初めに声をかけたのがグレイシャルだ。
グレイシャルはジアの背中にくっつきながら言う。
「おじいちゃん、戦う為に教えるんじゃなくて、戦わない為に教えれば良いんじゃない?」
「……? どういうことだ、グレイシャル」
「抑止力ってことだ。みんなサリーが強いって知ってれば誰も襲わねえだろ?」
ジアがグレイシャルをフォロー。
ホルムはそれを聞いて唸る。
確かにその通りではあった。
「そう、だな……。リリエルもいずれは私の元を離れて一人で活動することになるだろう。いつまでも私が守ることは出来ない。だから、その時の為にサリーを鍛えておくのも悪くないか」
自分を説得する様に呟いた後、ホルムはサリーの目を見ながら語る。
「お姉ちゃんのことを、ちゃんと守ってやるんだぞ?」
「ワン!」
「稽古は少し厳しいものになるかも知れない。私も歳だからな、上手く加減が出来なくても許しておくれよサリー」
「ワン! ワオーン!」
尻尾を振り回しホルムに飛びついて顔を舐めるサリー。
これがサリーなりの感謝なのだろう。
「『パパー! ありがとー!』って言ってるぜホルム」
「それくらい通訳なしでも分かる。私はこの子の父親なのだからな」
ホルムはサリーを抱きしめる。
「ところで、おじいちゃんどうやってサリーに戦い方教えるの? 四足歩行でお手本見せるの?」
「そんな訳あるか。私はこう見えても昔、素手で悪い奴を懲らしめた事がある。魔術でなく、格闘でな。ジアには遠く及ばないが、それでも黒級くらいはある」
「じゃあ、今日からやるの? もうすぐ出発しなきゃだけど……」
「いや、明日からにしよう。美味しいご飯が待っているのに、疲れてあまり食べられなかったら嫌だからな」
そう言うとホルムはサリーの背中に乗り寝そべった。
それを見て、今まで黙っていたリリエルもサリーに飛びつく。
「ずるーい! 私もサリーに乗る!」
そして更に、それを見ていたグレイシャルも疼き出す。
「おい、グレイシャル。お前は行かなくていいのか?」
「ぼ、ぼくには……。ジアさん、が……」
目の前で行われるもふもふ大会。
あんな所こんな所までもふもふされるサリーと、しているホルムとリリエル。
正直、我慢の限界だった。
「やっぱ僕も! 二人だけずるい!」
グレイシャルはジアから飛び降り、二人と同じ様にサリーをもふもふした。
ジアはというと、勝手にキッチンに行きお茶っ葉を漁りコップに入れる。
そして魔術で水を出し、火で沸かす。
少し雑だが紅茶の完成だ。
紅茶を飲みながら椅子に座り、ホルムに話しかける。
「おうホルム。お茶、貰うぜ」
「ご自由に~」
もふもふに埋もれながら、ひらひらと手を振るホルム。
ジアは「どうせ毛の中に埋もれてて何も見えてないんだから、勝手にお茶くらい淹れてもいいだろう」という魂胆だ。
だから事後承諾。
まあ、許可されたので問題ない。
「なんか高そうな味がするな。よくわかんねえけど」
熱いので冷ましながら飲む。
すると、少しモジャっとした感触が口の中に有った。
取り出してみるとサリーの毛だ。
「あーあ。部屋中にわんころの毛が舞ってらあ」
ボーっとしながら、夕日を背景にして窓際で遊ぶグレイシャル達を、ジアは眺めていた。
――――
時計の針は6時を示す。出発の時間だ。
魔力時計で確認したので間違いは無い。
グレイシャルはジアと馬に、リリエルはホルムと一緒にサリーに乗ることになった。
もうすぐ春だが、太陽が沈んだ後の世界。
夜はまだ冷える。
だが、もふもふの狼と、ゴワゴワだがもふもふの獣人が近くにいたグレイシャルとホルムとリリエルはそこまで寒くはなかった。
「よし! それじゃあグレイの家に出発よー! サリー、ごー!」
両耳を優しく引っ張り、両頬を餅の様に伸ばし、最後に鼻のボタンを押せば起動完了だ。
サリーは元気に遠吠えをして歩き出す。それに続いてジアの愛馬も歩き出した。
教会からグレイシャルの家まで人が歩けば40分、走れば20分程。
サリーが全力を出せば走って5分~10分で着き、ジアの馬もそれくらいだ。
パーティーまでもう、余り時間は無い。
だと言うのに一行は歩いている。
なぜ走らずに歩いているかというと理由は二つだ。
一つはサリーが死にかけて、数時間前まで全身の骨がバキバキだった事。
もう一つは――
「ねージアさん。なんでサリーとお馬ちゃん走らせないの?」
「んー? いや、だってこの気温で昼間みてえに走らせたら、普通に風が冷たいし……」
単純に寒いからだと、グレイシャルの質問に返答した。
冬や春先といった季節は如何に身体がもこもこ・もふもふで覆われていようと寒いのだ。
「あんなに大きい熊も倒せるのに、寒さには勝てないの? サリーなんて全然寒く無さそうよ!」
リリエルが褒めると、サリーは嬉しそうに喉を鳴らす。
「そりゃお前バゼラントウルフは寒さに強えよ。祖先がオルドウルフだからな」
「オルドウルフ?」
「なんだグレイシャル、知らねえでサリーと遊んでたのか? ならしょうがねえ、教えてやるぜ」
ジアはそう言うと得意げな顔でグレイシャルとリリエルを交互に見てから話し出す。
「オルドウルフってのは、オルド王国で馬代わりに使われているでっけえ狼だ。足がバゼラントウルフよりも遥かに速くて身体もデカくて強え」
「はい! 質問!」
「なんだグレイシャル」
「なんでオルドでは馬代わりに狼使ってるの?」
「オルドは常冬の国で、いつも雪が深く積もってる。だから普通の馬じゃ身動きが出来ねえ。後、さっき言った通り強いからだ」
「はいはいはいーい! 私も質問!」
グレイシャルと入れ替わりで質問をしたのはリリエルだ。
「強い方が良いのは何となく分かるんけど、具体的にはなんで? 戦うの?」
「そうだ。オルド王国は帝国側と千年間も戦争をしているからだよ」
ジアの代わりに答えたのは、サリーの後ろに乗って本を読んでいるホルムだった。
目線は本のまま、ホルム続きを話す。
「オルド王国は砦でアラドラメク帝国やベイローグ王国の兵士を迎え撃っている。だから、そこに物資を運ばなければいけないのだが、近くの街から砦までは距離もあり強い魔獣・魔物も出る。馬では逃げ切れないし数も多いんだ。だから、速くて強いオルドウルフが必要なんだよ」
「……ってことだリリエル」
「喋ったのお父さんじゃない! ていうか、よく知ってるわね。流石私のお父さん!」
リリエルは満面の笑みで、後ろを向いてホルムに抱きつく。
「ねえねえおじいちゃん」
「なんだいグレイシャル」
「何の本を読んでるの?」
「あぁ、この本のことか――」
一旦本を閉じ、グレイシャルに本の表紙を見せる。
しかし今は夜だ。いくら隣同士で並走しているとはいえ、少し距離があれば見えなくなってしまう。
グレイシャルは目を凝らすがよく見えなかった。
「おや、すまない。私としたことが気を使えなかった」
そう言うとホルムは魔術を唱え、サリーの背に載せていたランタンを宙に浮かせ、グレイシャルにも文字が読めるようにする。
「渦よ……ボルテックス」
ランタンは、サリーとジアの馬の間で宙に浮きながら並走している。
なんとも不思議な光景だ。
「わー! すごいおじいちゃん! これで見えるよ! ジアさんがランタン忘れるから!」
「いや、俺のせいじゃねえ。サリーが踏んづけて壊したんだよ。サリーを叱れ。あと、流石にそこまで堂々と魔術を使うのはやばいんじゃねえか?」
ジアは心配からホルムに声をかける。
『心配』と言っても別にホルムを心配している訳では無い。
昼間の反体制派の様に、騎士団長なのに云々言われるのが面倒なのだ。
ましてや魔術を取り締まる立場で有るのに見逃しているのを誰かに見られたら……。
そう簡単に処分はされないだろうが、信用が落ちるのは嫌だった。
そんなジアの心を見透かしたかのように、ホルムはジアに告げる。
「そこまで心配しなくても周りの人からは見えないぞ。バレる心配も無い。安心したまえ、騎士団長殿」
「あー、うん、まあ……。そうだな、もし誰かにバレそうになったら俺はお馬ちゃんとグレイシャル連れて転移するわ」
開き直ったようにニッコニコの笑顔で牙を見せたジア。
一方グレイシャルは興味津々で本の表紙を眺めている。
その本はテレアス教の聖書だった。
表紙をホルムがめくると、ズラリと目次が並んでいる。
「さて、この聖書改訂版にはこの世界の成り立ちから、今日のテレアス教の活動に及ぶまで幅広く書かれている。どこから知りたいのかね?」
ジアとの問答もそこそこに、ホルムはグレイシャルに読み聞かせすることにした。
グレイシャルは悩みに悩んだ末に、
「初めから!」
と、元気に言った。
ホルムは「よかろう」と言うと目次の次のページを開き朗読を始めた。
「『今より138億年の昔、無から二つの炎が生じた。一つの炎は万物を作る知識を持ち、一つの炎は万物を作る力を持っていた。知識の炎は力の炎の力を借り、物質・時間・空間というものを創り上げた――』」
ホルムが語りだしたのはこの世界の成り立ちだ。
138億年という途方も無い遥か昔のこと、その聖書が事実を書いているのかどうかはともかく、グレイシャルにとってホルムが話す物語は実に興味深かった。
空色の瞳をまるで宝石の様に輝かせてグレイシャルは聞いている。
リリエルとジアとサリーは聞き飽きたかの様な顔をして、退屈そうにしていた。
「『そうして何もなかった空間に宇宙が出来た。次第に、その穴を埋める様に多くの星々が知識の炎、即ち創造神によって創られた』」
「知識の炎が創造神なら、力の炎は何の神様?」
「ふうむ。力の炎は別に何の神でも無いな。強いて言うなら『力』という概念そのものだ。だからといって創造神が『知識』という概念、という訳でもない。神というのも個人的には違うと思っている……。そうだな、冴えない芸術家辺りに該当するだろう」
「ちょっとお父さん。またそんなこと言って。創造神はテレアス様のお父さんなんだから、そんなことばっか言ってると罰当たるわよ?」
ホルムはリリエルに言われてハッとする。
グレイシャルに説明をしている筈が、いつの間にか自分の考察を展開していたからだ。
「あぁ、すまないねグレイシャル。私はテレアス教の大司教では有るが、テレアス教をただの宗教として見ている訳ではなくてね。歴史の教科書としても見ているのだ。だからたまに熱が入ってしまう。私は歴史が好きなんだ」
豪快に笑うと、彼はサリーのお尻を優しく撫でる。
そんなことよりもグレイシャルには気になったことがあった。
リリエルの先程の発言だ。
聞き間違いでなければリリエルは『創造神はテレアス神の親』と言ったのだ。
それは一体どういうことなのか。
聞かずにはいられなかった。
「ねえおじいちゃん今の、創造神がテレアス様の親ってどういうこと?」
「あぁ。創造神は星々を作った後に最初の生命を創造した。それが十二の神々だ。創造神が自らの息子・娘と呼びたいそう可愛がったらしい」
「十二? 十二人兄弟ってこと!? すごい大家族だね……」
あたかも初めて聞いたかの様なリアクションをするグレイシャルにツッコミを入れたのはリリエルだ。
「ねえ、ちょっとグレイ。あなた神様が十二柱居るって初めて聞いた訳じゃないでしょ? 私もサレナさんも教えた筈だけど。ていうか、テレアス教徒なのに知らないの?」
「あれ、そうだっけ……。聞いたような聞いてないような?」
このままではマズイ、真面目に話を聞いていなかった事がバレたら怒られると考えたグレイシャルは、とりあえず会話を先に進める。
「そ、それよりおじいちゃん! 具体的に十二の神様って誰が居るの?」
かなり苦しいがなんとか話を繋ぐ。
そして、それが吉と出る。
「創造神の子供、十二の神の名前は上から順に、真竜アルタイル・死神コーム・雷神トルーマ・魔神アーネ・太陽神アズマ・水神マリス・癒神セレアス・戦神テレアス・大地神コア・叡智神トライヤ・炎神ベルフォード・月神ルアだ」
サリーが段差を通ったので一部聞き取りづらい部分もあったが、ホルムは全てを伝えた。
「んー……? 大半知らない名前だったけど、死神とか雷神とかアズマとかルアとか、聞いたことある名前もいる。でも、その神様達ってテレアス教の神様じゃないでしょ? ていうか、どうして一番上の神様だけ『真竜』なの? なんの神様なの?」
グレイシャルの質問の嵐はホルムを襲う。
ホルムは一番答え易そうな事から答え始めた。
「真竜アルタイルについて先に話そう。彼は創造神が一番初めに創った生命、言わば全ての生物のモデルとなった存在だ。何の神でも無いが、強いて言うなら竜の神だな」
なるほど、とグレイシャルは頷く。
だが、まだ大事な疑問が解けていない。
死神はコーム教の、太陽神はアズマ教の、月神はルア教の神の筈だ。
全部は覚えてはいないが確かそのよ様サレナが言っていたと、グレイシャルは記憶していた。
「ねえ、何人か別の宗教の神様混ざってない?」
「別に混ざっては居ない。元々この世界には十二の神が居て、その中の誰を信じるかが国や地域によって違うだけだ。だから、正しくは別の宗教というよりも宗派という方が正しいな」
説明を聞いて逆に混乱した。
テレアス教の物語の中に創造神が居て、その創造神が十二の神を作った筈だ。
なのにホルムの説明では、テレアス教は十二の神の中の戦神テレアスを信仰しているだけで、実は他の宗教が信仰している神とは兄弟関係に有るということだった。
グレイシャルは納得がいかなかった。
一つの宗教で一つの神話を用いているなら分かるが、世界中の宗教で一つの神話を使用しているのは余りにも不自然だからだ。
国が違えば暮らしも文化も変わる。
つまり、祈る対象も生まれる願望も変わってくるのだ。
だから国ごとに神話が出来る筈である。
なのに、一体どうして一つの物語だけが残っているのだろうか。
「えーと……?」
頭では分かっていても、上手く疑問を言語化出来なかった。
それを察してジアがグレイシャルに答える。
「つまり、実際に神々が居たっていう事実とか伝承とかが記録として残ってるんだよ。だから他のパチもんが入る隙は無い。例えばそうだな……。血、とかだな」
「血?」
「血族、子孫ってことだ。昔、神々は地上に降りて来て人との間に子を成した。それがルアの民とかトルーマの民とか、アズマ人とかだな。おめえの母ちゃんもトルーマの民なんだから、それがもう証拠だろ」
そこまで言われてグレイシャルは思い出す。
いつの日か、サレナが『アリスはトルーマの民』と言っていた事を。
「なるほど、そういうことだったのか」
腕を組んで頷き、納得する。
しかし、そうと知ればまた疑問が出て来た。
「神話が一個しか無い理由は分かったけど、どうして神様の子孫が四種類? しかいないの?」
「ホルムに聞け。俺は聖書とか興味無いから知らん」
ジアはそっけなく言い放つ。
グレイシャルはそれに従ってホルムに尋ねる。
「神々が地上に降りて来たのは今から1万年だ。その時既に神々は真竜アルタイル・死神コーム・雷神トルーマ・癒神セレアス・炎神ベルフォード・月神ルアの六柱だけになっていた」
「えっ。なんで?」
「『始原の戦い』という物のせいだ。神々は偶然より生まれた邪神を滅する為に戦い、その末に半分の神が命を落とした」
「……? それと地上に降りて来るの、何の関係があるの?」
「元々神々は『神の丘』という場所で暮らしていたのだが、そこが戦いの場所になって荒れ果てたのと、創造神は『神の丘』という場所が戦いの原因になったと考えたからだ。自分も含めて誰も立ち入れぬように鍵を掛け閉鎖。それに伴い神々も地上へと降りることになった。そうすれば二度と、争いは起きないと考えたからな」
「そうなんだ……。なんか可哀想。ちなみに邪神はどうなったの?」
ホルムは聖書を閉じ、溜息を付きながら答える。
老体にはサリーに乗っての移動は腰に来るのだろう。
「邪神は結局、神々の力を持ってしても滅ぼすことが出来なかった。だから、強大過ぎる力を創造神は六つに分けて封印を施した。『辺獄』という檻を造りその中に魂を、身体は五つに分けて生き残った神々に託した」
「その辺獄にも鍵をかけたの?」
「勿論。魂とはいわば、莫大な魔力の塊。邪悪なる者に邪神の魂が渡っては――」
「邪悪×2ってことだな!」
唐突に会話に入って来たジア。
知らなくても喋れるから喋っておいたのだ。
「……そういうことだ」
「なんだかすごい、壮大だね。ところで、神様の子孫は四種類しかいないのに、今の話だと神様は六人生きてるよね? どうして? ていうか、アズマ神は死んでるのにどうして子孫が居るの?」
「真竜アルタイルは竜の楽園で竜と共に今も暮らしている、らしい。雷神トルーマと月神ルアは1400年ほど前、アラドラメク帝国の皇帝であるファルグレイブ・ハーデスと戦い敗死した。死神コームは死後の世界の管理を、癒神セレアスは聖書を書き上げた後、忽然と消えた」
ホルムは手に持っていた聖書を再び、グレイシャルにひらひらと振って見せる。
「炎神ベルフォードは? あと、アズマの民はどうして――」
「ベルフォードもセレアスと同じく忽然と消えた。アズマの民がいる理由はその昔、太陽神アズマが勝手に地上に遊びに行き、そこで人と子を成したからだ。他の神は人間と真面目に愛し合って子を成したがね」
「アズマ神は真面目じゃなかったの?」
「さあ。だがまあ、好きでもない女性と子供を作るような神では無かったと思う。聖書を読む限りではね」
そう言ってホルムは笑う。
そして、なんとはなしに進行方向を見てみると、目的地はもう目前だった。
「さあ、随分と話してしまったがもう到着のようだ」
「わ! ホントだ! もう僕の家に着いた! おじいちゃんのお話面白くて、すぐ時間経つね!」
「嬉しいことを言ってくれる」
一行は門をくぐり玄関の前へ。
そこまで行くと使用人数人が出迎えに来た。
使用人はジアから馬を預かると厩舎へ、サリーも連れて行かれそうになるが「僕は招待された客だぞ!」と言うかの如く威嚇して回避した。
「ごめんなさい! こらサリー! グレイの家の人に何してるの! おバカ!」
ぺしん、と頭を叩かれて悲しそうな声で鳴いていた。
一行の騒がしい音を聞いて屋敷の中から一人の人物が出て来る。
金髪で長髪で丸メガネの長身。執事の服に身を包んだ美しい女性。
「お帰りなさいませグレイシャル様。パーティーの準備は出来ていますのでどうぞこちらへ。ホルム様、ジア様、リリエルちゃん。あとサリーちゃんも」
「ワン!」
あととは何だあととは!
と言いたげな目と声で吠えるが無視されるサリー。
そうして、サレナはグレイシャルと手を繋ぎ歩き出した。