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ローズアンドスカビオサ  作者: 須江野モノ
第一章 『始まりの炎』
20/118

第19話 『狩るモノを狩る者』

 馬に乗りながら川へと向かう一行。

 サリーは走る度に泥を周囲に撒き散らしている。

 それに追いつかれたら自分達も汚れてしまうので、ジアは馬に全速力で走る様に命じた。


「おいおい、頼むぜお馬ちゃん! ていうかあのわんころ、魔術で支援されてる訳じゃないのに足速過ぎだろ!」


「私のサリーはすごいんだからね!」


「はいはいすごいすごい! とりあえず落ちねえように、しっかり掴まっとけよ!」


 全力で追いかけても中々追いつくことが出来無いジアの馬。

 サリーは長らく、自分と追いかけっこをして勝つ者が現れなかった。


 だが、今日は違う。

 自分と同じくらい足が速い相手がいる。


 泥まみれで身体もかなり重い。

 絶好調には程遠いが、好敵手であるジアの馬に手は抜かない。


「ワオーン!! ワン! ワン!」


「ジアさん、サリーなんて?」


「『待て待て!』だってよ! バカ狼が! 服が汚れるから離れろって言ってんだろ!」


 街道に響き渡る二頭の足音と、三人の叫び声。

 目的地である川はもう目前。



 ――――



「あーー……。なーんか大した距離走ってねえのにすっげえ疲れたぜ」


「私は楽しかったわよ?」


 ジアとジアの愛馬はくたびれた顔をしていた。


「そうかよ。ならさっさとサリー洗って来ちまいな」


 彼はリリエルをしっし、と手で追い払う。

 服が汚れる心配が無くなってどっと疲れがやって来たのだ。


「川はもう少し行った所だからジアさんも行こう?」


 ジアはリリエルに手を差し出される。

 疲れてはいるが、まあそれくらいならいいかと思い、ジアはリリエルと手を繋ぎ歩き出す。


 サリーは到着したと同時に水の流れる音がする方向へ、グレイシャルはそれを追って森の奥へと走って行った。

 リリエルとジアの二人、も少し遅れてそこへ向かう事にする。


 さて、先に川に到着したグレイシャルとサリー。

 サリーは水を見るなり川に飛び込んだ。


 毛の汚れを落とす為に水の中で高速で回転したり、水草や垂れている木の枝に体を擦りつけたりして、器用に汚れを落としていた。


 グレイシャルは川には入らず、水際で屈んでサリーの()()()を眺めている。

 潜って泳いだり、大きな水しぶきを立てたり、水底を一気に蹴って何処まで飛べるか試したり。

 身体が大きいサリーはもう、こういった大きな水場でしか思う様に動くことが出来ないのだ。

 二年前とはもう違うのだ。


「リリエルの家のお風呂小さいからなぁ」


「ワン!」


「サリーもやっぱりそう思う? だよねえ。今度、また僕の家おいでよ。お風呂一緒に入ろう?」


「ワンワン!」


 グレイシャルは、狼の言葉は分からないがサリーの言っていることは何となく分かる。

 サリーは、人間の言葉は分かるが声帯の都合上、上手く伝えることが出来ない。

 ジアが居なければ伝わって半分と言った所だ。


 まあ、それでも十分なのだが。


「人が居ない所で悪口言うなんて酷いわよ!大体、グレイのお家のお風呂がでかすぎるだけで、私の家は普通だから!」


 サリーと不満を語っていたら追いついて来たリリエル。


 しまった―― 


 と思ったがもう遅い。

 バッチリ聞かれていた。


「サリーもサリーよ! 家のお風呂でも身体伸ばしてるじゃない! そんなに言うならグレイの家の子になりなさい! お父さんが頑張ってお風呂工事したのよ!」


 ちょっと狭いと言っただけでそこまで言うのか――


 サリーもカチンと来る。


「ワン! ワンワン! ワオーン!


「『泳げないからダメ! グレイの家の子になっていいならなる! みんな優しい!』だってよ」


 ジアが通訳をする。

 もう少し優しい翻訳をすれば良いのだが、サリーが言った言葉をそのまま伝えてしまう。

 それが悪かった。


 リリエルは本日二度目の噴火、大激怒だ。

 彼女にとってサリーは弟で、自分は姉。

 弟を指導するのも自分の役割なのだ。


「あっそ! じゃあ勝手にすれば! もう家に帰って来ないでね!」


 両頬を膨らませ、腕を組んでそっぽをむく。

 たまには突き放す事も必要だ。


 サリーも同じようにプイ、とリリエルが居る向きと反対方向である川上を向き、そっちに向かって泳ぎだしてしまった。


「おいおい、追いかけなくて良いのかリリエル?」


「サリーなんか知らないもん! サリーはバゼラントウルフで強いんだから、一人でも生きていけるでしょ!」


 取り付く島もないとはこのことだ。

 こうなったら後は、どっちが先に折れて謝るかの頑固さバトル。

 熱き戦いの火蓋はこうして切られた。


「あー! サリー、待ってよー!」


 グレイシャルも悪口を言っていた気がするが、サリーに全てのヘイトが向いたのでお咎めなし。

 しかし乗りかかった船。

 自分だけ逃げるのは悪いと思い、グレイシャルはサリーを追った。


 サリーはリリエルが見えなくなる所まで来ると陸に上がり、身体を全力で振り水気を飛ばす。

 グレイシャルはいつもの様にサリーに乗ろうとして近づく。

 サリーもグレイシャルを乗せる為に姿勢を低くする。


「わっ! まだ冷たいや……」


 サリーの毛は水気を吸って冷たかった。


 何度か触ってみるがサリーの毛量ではやはり、身体を振っただけでは完璧には乾かない。

 何か敷こうかと考えたがグレイシャルは、昔アリスがサレナの髪の毛を乾かしていたのを思い出した。


 詳しいやり方を聞いた訳では無いが、グレイシャルは火属性と風属性の魔術を丁度良い塩梅で混ぜて、温風を出す複合属性魔術だと推測する。

 そして、実際それは正しかった。


 グレイシャルは仮説を証明する為に左手で火属性の初級魔術、右手で風属性の初級魔術を唱える。


「火よ、我が手に宿れ……ファイア! 風よ、流れを作れ……ウィンド!」


 実はあれからサレナに何度か魔術を教わり、隠れて練習していたりしたのだ。

 別にすごい才能が有るとかでは無かったが、喉が渇いたらすぐにコップを水で満たせるくらいには使える様になった。

 つまりは初級魔術師並ということだ。


 そしてグレイシャルの思惑通り温風が吹く。

 サリーは急に温かいものが出てびっくりしたが、グレイシャルがやったのだとすぐに理解する。


「ウゥ~ン」


 気持ち良さそうな声を出して大人しく乾かされていた。

 数分間そんな事をした後にグレイシャルは再び、まだサリーが濡れているかをチェック。


「うん……。これならいいかな!」


 元気よくサリーに飛びつき、そのまま勢いよく座る。

 その衝撃を出発の合図代わりにして、サリーは歩き出した。


 トコトコとしばらくサリーは歩く。


 何も、本気で家出をした訳でもないし、リリエルが嫌いな訳でもない。


 時間が必要なのだ。

 相手の言ったことを全て、いきなり受け入れるのは難しい。

 そういう時、人は時間を掛けてゆっくりと、その感情が自分に収まるサイズになるまで調整する。


 それを我々は『頭を冷やす』と言ったりする。

 サリーが狼だが、知的生命体である以上同じことだ。


 何も言われずに自由に散歩をすること、それはサリーの夢だった。

 しかし、いざ叶ってみるとなんとも切ない。つまらないからだ。

 いつも隣にあるはずのモノが居ない。


 身体は満たされても心が全く満たされなかった。


「クゥーン……」


 強気に飛び出して来たものの、悲しさが溢れてくる。

 それがどうしてかサリーは知っている。


 しかし認めたくない。


 恥ずかしいし、狼なのに犬扱いされていたりはするが、一応プライドは有るのだ。


 でもやっぱり――


「ねえサリー。リリエルが居ないと静かだけど、なんか寂しいね」


 中々踏ん切りがつかないサリーにグレイシャルが語りかける。


「乗ってる僕も物足りないし、サリーも物足りないんじゃない?」


 いつも自分の背中に乗っている重みが今日は一つだけ。

 いつもは二つなのに。


「僕があんな事言わなければ、こんな事にならなかったのにね。ごめんね、サリー」


「ワン? ワンワン……」


 グレイのせい? 違う、僕が調子乗ったから……。


 どんどんとサリーの元気が無くなって行く。


「ねえ、一緒に謝りに行こうよ。ちゃんと謝ればリリエルは許してくれる筈だよ。優しいからさ」


 サリーは立ち止まり、どうするべきか考えた。

 そうして今までのことを思い出す。


 まだリリエルとは出会って二年くらいしか経っていない。

 自分は仲間とはぐれ、見捨てられた。

 その末に、()()()()()()()()()()()弄ばれた。


 消える筈だった命。

 それを助けてくれたのがリリエルだ。


 種族の垣根を超えて、本当の弟の様に接してくれた優しい彼女。

 姉のような母のような存在。


 そんなリリエルと離れて暮らす?

 出来る訳が無い。

 一時でもそんな事を本気で考えた自分が、サリーは情けなく思えた。


「ワン。ワン!」


 なんて言ったのかは分からない。

 だが、なんて言おうとしているのかは分かる。


「うん、そうだね。今から謝りに行こ! 僕も謝らないとだし」


 グレイシャルはよしよしと、サリーを撫でた。

 サリーも先程までの暗そうな顔は何処へやら。

 すっかり元気になっていた。


 回れ右をして、来た道を引き返す。

 早くリリエルに謝らなければ。


 サリーは勢いよく走り出す。

 一歩一歩確実に、着実に。


 早く会いたい、早く謝りたい。

 早く――


「どうしたのサリー? まだまだ先だよ?」


 サリーは次第にゆっくりになっていく。

 走りから歩きへ、そして遂には止まってしまった。


「ねえサリー? ねえってば」


 グレイシャルがいくら呼びかけ、撫でて、果ては軽く叩いても返事が無い。

 一体どうしてしまったのか。


 サリーから一旦降りて何があったのか確認する。

 しかし、何も無い。


「何も無いじゃんサリー。ほら、行くよ――」


 何も無い?

 ()()()()()

 そんなことはなかった。


 サリーは今までグレイシャルが見たことが無いくらい怖い形相で前方を睨み、聞いたことの無い様な低い唸り声を上げて威嚇をしていた。

 先程までのリリエルとの言い合いが遊びだったかの様にさえ思える。


 本気の本気で警戒をしているのだ。


 グレイシャルはそんなサリーの様子からただ事ではないことを悟り、同じ様にサリーが睨んでいる方角を見る。


「……何も無いじゃんサリー。脅かさないでよ!」


 だが、やはり何も無かった、何も見えなかった。

 しかし、サリーの威嚇は一層激しくなり、遂には吠え始める。

 今まで聞いたことないサリーの叫び。


 感じたことのない視線、悪意。


 そして、明確な()()だ。


 この時グレイシャルは初めて、殺意というものを向けられた。

 それはサリーのモノか?


 否、サリーではない。

 ()()()()()()()()()()から来る、巨大な生物から向けられたモノだ。


「なに、あれ……」


 それは熊の様に見えた。


 ただ、普通の熊とは明らかに違う。

 図鑑で見たどの熊よりもでかかった。

 10メートルはあろうかという巨体が、音もなく歩いている。


 あり得ない光景だが、実際に見せられては信じるしか無い。


 まるで悪夢の様だった。


 その熊は、腕を除けば色合いは普通の熊だ。

 だが、両手両腕の色が毒々しすぎる。

 何ならナニかが()()()()()のだ。


 そして、その()()()が木の根っこに垂れた。

 よくよく観察してみるとナニかが垂れたその部分は次第に黒ずんでいき、最後には完全に朽ちてしまった。


「ナニあれ、気持ち悪い……っわ!」


 サリーは悠長に観察しているグレイシャルの服に齧り付き、真上に向かって放り投げた。

 そして無理やり自分の背中に乗せたのだ。


 その後サリーは、グレイシャルが姿勢を整える前に全速力で走り出す。

 それを見た熊は、獲物を逃すまいと二本足で立ち上がり意気込んだ。

 直後、森中に凄まじい叫び声が鳴り響く。


 熊は直ぐに四足歩行に戻った。

 巨体由来の爆音を響かせながら、逃げる二人を追って速力で走り出す。


 その獲物を狙うハンターの叫び声は、遠く離れた所で水遊びをしているリリエルとジアにも聞こえて来た。


「えっ? 今の音なに?」


 リリエルは音のした方角をじっと見つめる。

 そういえばさっき、あっちの方向に二人が行った筈。


 何が起こったのかジアに聞こうと振り返るがジアは、


「ここで待ってろ」


 と言ってリリエルの頭を軽く撫でると、音の聞こえた方角に向かって走り出し、どこかに行ってしまった。

 彼は左右の腰にそれぞれ一本ずつ差してある短剣を引き抜いて逆手に持ち、木から木へ飛び移りながら高速で移動する。


「あーあ。本当にガキの御守りは面倒だけどしょうがねえなあ」


 ジアはチラリとリリエルの方を向いてぼそりと呟く。


 リリエルはどうするべきか迷った。

 突如大きな音が聞こえて、その直後にジアが短剣を引き抜いて猛スピードで向かったのだ。

 どう見ても只事ではない。グレイシャルとサリーに、何かが起きているのは疑いようが無かった。


 しかし、自分が行っても何か出来るのだろうか。

 ()()ジアが戦わななければ行けないようなことが起きている。


 そんな中に治癒魔術しか使えない自分が行っても、足手まといになるのが関の山――


「ううん、違う。もし傷ついてたら私が治さないと」


 来るなと言われても従わない。

 何故ならリリエルは――


「私、お姉ちゃんだもん!」


 ジアの後を追うようにリリエルは走り出す。

 既に獣人の姿は見えないが、サリーの足跡はくっきりと残っていた。



 ――――



「しつこいなあもう!」


 グレイシャルとサリーは森の中をひたすら逃げ回っていた。

 サリーは素早い。しかし、熊と比べると流石に体の大きさが違いすぎる。

 一歩で進む距離の差、そのせいで次第に熊との距離は縮まっていった。


「――!!」


 熊が咆哮をし、あまりにも長い爪を振り回しながら近づいてくる。

 当たれば即死、掠っただけでも腕の一本や二本は無くなるだろう。


 サリーは必死に避ける。

 グレイシャルを爪から守るため物凄く低い姿勢で木々の隙間を超え、時には木に登り、時には熊の股下をくぐり抜け、逆方向に逃げたりもした。


 だが、それも限界だ。

 相手が悪すぎる。

 遂に追いつかれたのだ。


 この時サリーには二つの選択肢があった。

 自分が熊にやられるか、グレイシャルを囮にして逃げるか。


 選択は素早く行われる。


 サリーは即座に自分を犠牲にする選択を取り、グレイシャルを振り落とした。


「痛ってて……」


 砂埃にまみれてグレイシャルは地面を転がる。

 そして起き上がったグレイシャルが見た光景。

 それは、熊の毒々しい腕に掴まれていたサリーだった。


「えっ――」


 首を絞められているのか、サリーは弱々しく唸っている。

 サリーは自らの死を悟っていた。

 最後にグレイシャルの方を見て、目で『早く逃げろ』と語りかけている。


 グレイシャルは怖くて今すぐ逃げ出したかった。

 だが、サリーを見捨てるくらいならここで死んだ方がマシだと本気で思ったのだ。


「――っ! おい! こっち見ろよ熊野郎!」


 近くに落ちていた丁度いい大きさの石を拾い、熊に思いっきり投げつける。

 思った通り、投げた石は熊の頭に当たった。


 サリーに集中していた熊はグレイシャルの方をゆっくり振り向く。

 そして怒りを露わにして、再度咆哮する。


「――――!!!」


 熊はサリーを木に思いっきり投げつけ、両手を自由にした。

 サリーを解放したわけではない。最早()()()()()()()()()()()だけだ。


 それよりも今は、自分に楯突く矮小なる存在を殺したくて殺したくて、殺したくて堪らなかった。

 獲物を変えた熊はグレイシャルに向かって、地面を全力で蹴って飛んだ。


 熊とグレイシャルの間には40メートル程の距離が空いていたが、10メートルの大きさの熊の脚力を持ってすれば、そんな距離はゼロにも等しい。


 熊の爪は無惨にもグレイシャルの身体を跡形もなく消し去ることになるだろう。

 恐怖のあまり、今度こそ両目を閉じて一歩も動くことが出来ないグレイシャル。


 明確なまでの死が近づく。

 刹那、激しい衝撃音が鳴り響いた。


 どれだけ経ったろうか――

 自分はもう死んでしまったのか――

 それにしては微かに、まだサリーの弱々しい声が聞こえる――


「おう、目ん玉開けろや! 勝手にどっか行きやがってよお。バゼラントウルフ付きって行ったって、どっちも戦いの『た』の字も知らねえガキだろ」


 雑だが決して嫌な感じはしない、優しい声。

 グレイシャルはその声の主を確認する様に、ゆっくりと目を開ける。


 目の前に見えたもの。

 それは、ジアの背中だった。


「え、どうしてここに?」


 状況を確認する必要がある。

 さっきまで自分を殺そうとしていた熊は何処に行ったのか。


「うるせえクソガキ。黙ってそこで立ってろ。いいか、一歩も動くなよ。死ぬぜ」


 ジアが短剣を構えていた。

 そして、キツく睨んでいる先に居たのはさっきの熊だ。


 どういう訳か熊は数十本の木を薙ぎ倒し、かなり離れた場所で倒れていた。


 自分に向かって飛びついて来てた筈なのに、どうして逆に倒れているのか。


「これ、ジアさんがやったの?」


「一発()()()やっただけだ。致命傷には遠すぎる。こっからだぜ」


 ジアは短剣と短剣をぶつけ合って音を鳴らし、牙を出す。

 ()()()()()()()()()()のだ。


 だが、ジアがいくら大きいと言っても相手は更に大きい。

 だと言うのにどういう訳かジアの方が、グレイシャルには大きく見える。

 狩るモノを狩る者、とでも言うのだろうか。


「――――!!」


 熊は蹴られた痛みから起き上がり、即座に反撃に転じる。

 先程の飛びつきの比ではない速度。

 姿を捉えるだけでもやっとだった。


 熊の爪がジアに届く刹那、ジアは左手の短剣を爪に合わせて、それを軸にして受け流す様に身を回転させながら浮き上がる。

 そして浮き上がった勢いを利用し、そのまま熊の脇まで飛び込み、逆手に持っていた右手の短剣を深く突き立てた。


 熊は痛みでよろめき距離を取る。

 そして再び、同じ様に飛びついた。


「今まで力と速さだけで生きてきたんだろうな。()らしい、知性の無え戦い方だ」


 ジアは先程と同じ様に、爪に刃を合わせて受け流し飛ぶ。

 その勢いで今度は反対の脇に飛びつき刃を突き立てた。


 それを繰り返すこと計五回。

 両脇・両鼠径部・首の五箇所に傷を付けた。


「ジアさん! それじゃ倒せない……と思う! 血が出てるだけで動いてるし!」


 グレイシャルの言う通り、熊は出血こそすごいが、血が出ただけで動きには全く影響はなかった。

 だが、それは釈迦に説法というもの。


「んなこたぁ分かってる。今までのは準備だ。でも、もう終わったからいつでも行けるぜ」


「いつでも行ける? なにを――」


 グレイシャルが言い切るよりも早く、熊が飛びつくよりも早く今度はジアが動いた。

 と言っても、飛びついた訳ではない。

 文字通りジアは『転移』したのだ。


 先程自らが()()()()()場所に。


「――――!?」


 熊は目の前に居たはずの獲物がいきなり消え、次の瞬間自分の鼠径部に居るのを認識する。


 だが、()()()()()()()()()()


 転移した次の瞬間。

 ほぼ同時とも思える速度で熊の五箇所は切り離されていた。

 バラバラになった熊は声すらあげること無く、呆気なく死んだ。


「もう動いていいぞ」


 ジアはグレイシャルの元に歩いて近づく。


「大丈夫か? 怪我は?」


「僕はないよ。でも、サリーが……」


 グレイシャルは弱々しく横たわるサリーを見る。

 詳しくサリーの状態を確認したかったが、近づくのが怖かった。

 あの巨体に首を絞められ、木に思いっきり投げつけられたのだ。


 息をしているだけでも苦痛だろう。


「サリーはお前の友達だろ。その友達の最後なんだ。見届けてやれ」


 ジアはそう言ってグレイシャルの手を握り、サリーに近づく。


「――!」


 サリーは想像していたよりもひどい状況だった。

 首の骨は折れ、身体の骨も全身バキバキ。

 何より、あの熊の腕から垂れていたものが血管を通じて全身に流れていた。


 身体におかしな色が、本来サリーにはない緑色が混ざっているのだ。


「さ、サリー……」


 グレイシャルは膝を付き、自分の顔を両手で覆い、声を上げて泣いた。


 その声に気が付き、もう一つの足音もやって来る。

 リリエルだ。


「大丈夫!? なにがあったの!? 怪我は――」


 リリエルの視界にサリーと、泣いているグレイシャルが映る。


「ウソ……。なにこれ、ねえ。ウソでしょ。やだよ、サリー! 死んじゃやだ!」


 彼女は横たわるサリーに近づき大粒の涙を零しながら、弟を助ける為に処置をしようとした。


「大丈夫!? ねえ、どこが痛いの? 首? 身体? 平気、平気よ。お姉ちゃんが治してあげるから」


 涙を流し嗚咽を堪えながら治癒魔術を唱える。


「失われし時間を再び……アウラ」


「驚いたな。リリエル、お前治癒魔術が使えるのか」


「うるさい! 黙って! 集中してるの! 失敗したら死んじゃうの!」


 リリエルは治療を続けた。

 必死に魔力を込めたお陰か、サリーの砕けた骨はすべて治る。

 だが、サリーは尚も苦しみ、動けずに居た。


 外傷は全て治っている。

 だと言うのに、サリーは尚も苦しんでいた。


「どうして!? どうして治らないの!? 骨は全部治したし、傷口も塞いだ! 血も止めたのに! サリー、ねえ。何処が痛いの!?」


 サリーの身体を激しく揺する。

 だが、逆にサリーは身体を揺すられると苦痛で叫んだ。

 グレイシャルもリリエルもどうして良いか分からず、完全に動きが停止する。


「んー。そういえばこの熊どっかでみたことあんなあ。どこだっけか」


 突然、ジアが能天気にもそんな事を言い出す。

 リリエルは当然、彼に怒鳴った。


「ふざけないで! あんたも熊殺して終わりじゃなくて、怪我人の手当までしなさい! 騎士団長なんでしょ!?」


 しかし、ジアはリリエルを無視して続ける。


「どこだっけかなあ……。なあ、お前覚えてる?」


 ジアは目を閉じて独り言を呟き始く。

 リリエルにはジアがただの障害者の様に映っている。

 彼女はジアを無視して、再びサリーの治療に戻った。



 ――――



「いつだっけ。あの汚え液体垂らした熊、昔お前と倒したよな?」


 ――忘れたのかいジア? 君が騎士団に入って最初の任務があの熊、ヴェノムベアの討伐だったろ。その時に倒したよ。()()


「あぁ? そうだっけか。まあいいや。その時も騎士が大量にアレに感染? したろ。そん時どうやって治したっけ」


 ――仕方ない。忘れん坊のジア君にこの私、天才魔術師のエイル()()()が教えてしんぜよう。


「だる。はよ言えや」


 ――コホン。あの時は君が騎士達の感染した血を吸い取って、代わりに君の中で抗体を持たせた血を飲ませて治したんだよ。


「あー。そうだったな。でもそれ相手が人間だろ? 今回は狼だぜ? それにそれならよ、俺の中に前回の抗体あんだろ」


 ――君だって半分獅子だろ。一緒一緒。それに獣人の血はほぼ全ての毒を無効化するし、人間にとっては万能血液なのさ。あと、個体によって毒の性質が異なるから毎回この作業は必要だ。さあ、そうと決まれば早く助けて来なさい。いつまでも喋ってると、頭がおかしい奴に見えるぜ?


「そうだな。じゃあ、また後で」


 ジアは目を開けてサリーの方に近づき、リリエルとグレイシャルをどかす。


「ちょっと! 今治してるの! 邪魔しないで変人!」


「確かに俺は変人に見えるかもしれないが、別に一人で喋ってた訳じゃねえよ。サリーの治し方聞いてただけだ」


 疑いの眼差しをリリエルは向ける。

 グレイシャルは命を助けられた手前、疑いたくはなかった。

 が、先程の行動があまりにも奇怪過ぎたのだ。


「まあ見てろって」


 そう言うとジアはサリーの身体で、一際毒々しくなっているところを短剣で切り裂く。


「なんで治したのに傷つけてんのよ! バカ!」


「落ち着いてリリエル!」


 殴ろうとするが、リリエルはグレイシャルに羽交い締めにされて静止された。

 ジアは無言でグレイシャルに親指を立てて続行する。


 口を大きく開けて、先程傷つけて血が出ている所に牙を立てて血を吸う。

 サリーは一瞬ブルっと震えたが、ジアを信じて我慢する。

 そしてある程度血を吸うと、ジアは自分の腕を切り、サリーの口元に持っていく。


「さあわんころ。騙されたと思ってこいつを思いっきり吸え。でも、吸いすぎると俺が干からびるから程々にな」


 ジアがそう笑いかけると、サリーは腕に齧り付き彼の血を吸い始めた。

 すると、みるみるうち網目の如く身体全体に伸びていた毒々しいものは消えていく。


 30秒ほど吸血を続けるとそれは完全に消え、サリーはすっかり元気になった。

 立ち上がって尻尾をブンブン振りながら、ジアに頭を擦りつけている。


「おうおう! 礼なら俺じゃなくてエイルとリリエルにしてやりな。リリエルがいなけりゃお前は骨折で死んでたし、エイルがいなけりゃお前は毒で死んでたから――」


「このバカ!」


 ジアが喋り終わるのを待たずに、リリエルはサリーに飛びつき抱きしめた。


「一人でどっかに行かないで! 危ないことをしないで! 私からもう、二度と離れないで! ずっと、一緒に……いて」


 次第に声は弱々しくなり、最後には、リリエルは再び泣いてしまう。

 サリーは慰める様にリリエルの涙を舌で拭き取った。


「本当にバカなんだから」


 リリエルはもう一度サリーを強く抱きしめ、サリーは満足そうに鳴いた。



 ――――



 そんなこんなで身体を洗い終わったので一度教会に戻ることにした一行。

 サリーはさっきまで死にかけていたので、走らないでゆっくり歩いて帰ることにした。


「『サリーの為に、サリーに負担はかけない!』って言ってたのに、背中には結局乗るんだな……」


「もうずっと一緒だから良いの! ねー、サリー!」


「ワン!」


 すっかり仲直りした二人。

 グレイシャルもどさくさに紛れてリリエルに謝って許してもらっていた。


「あ、そう言えばジアさん。僕気になったことがあるんだけど」


「んー? なんだ?」


「さっきジアさん、エイルに感謝しろって言ってたけど、エイルさんって八十年前に死んでる人でしょ? 一体どういう事?」


 グレイシャルは先程のジアのおかしな言動に興味を持った。

 いきなり独り言を呟き始めたかと思えば、突然解決策を持って戻って来た奇妙な獣人。

 気にならない筈がない。


「あー。俺の物語読んだなら分かると思うけどよ。俺はダーゲリオスを倒す為にエイルを食ったんだ。食ったと言っても肉を全部食ったわけじゃねえ」


「じゃあどういうこと?」


「心臓をあいつに()()()のさ。俺はそんとき死にかけてて、エイルも死にかけてた。そこであいつは俺に、自分を食べる様に言った。俺達シクリッドパンサー族は、食べた人間の魂を取り込むことが出来る」


「えー、でも食べたらもう話せないよ? 友達なんでしょ?」


「そこがお前達と違う所なのさ。取り込んだ魂は俺の中で今も暮らしてる。たまに力も貸してくれる。さっきみたいにな。まあ、同居ってやつだ。一つの器に二つの魂が入ってるってのは気持ち悪いが、悪くはないぜ。それが親友ならよ」


 ジアは胸をトントンと叩き続ける。


「俺が魔術を使えているのはエイルの魂のお陰だ。こいつが習得した技術を俺はそのまま借りているだけ。俺の力だが、俺の力じゃねえ」


「さっき熊倒したのも?」


「熊を斬ったのは俺だが、飛んだのはエイルの『転移の魔術』だ。まあ、二人で一人って感じだな。昔もそうだったから対して変わらねえよ」


「ふーん。そのエイルさんって人のお陰でサリーが助かったんだから。お墓参りに後で行くわ。グレイもね」


「是非ともそうしてくれ。エイルも喜んでるぜ『お供物は酒にしてくれ』って言ってな」


 冗談かそうでないのかはジア以外には分からないが、エイルがジアの中に居ることだけは皆、はっきりと理解したのだった。

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