第19話 『見下ろして、見下して』
グレイシャルがアブラハム・ラスクの拠点に、たった一人で正面から突っ込んでいる頃。
オーディスはボスが居た家の裏側、その更に防壁の外側で準備運動をしていた。
「おいっちにー、おいっちにー。ほれほれほれほれ」
良く分からない奇妙な掛け声を上げながら彼が、杖を持ったまま両手を後ろ側に伸ばし、身体を捻ったり前屈をしたりしていると、大砲を発射したかの様な場違いな音が聞こえて来る。
「おー、始まったみたいだな。それじゃあ行くか」
オーディスはそう呟くと同時に杖をその辺の茂みに放り投げた。
それから目の前にそびえ立つ防壁を器用によじ登り、一番上に到着する。
「よっと」
彼が一番上に到達すると同時に目の前の大きな家に、グレイシャルがぶん殴って飛ばした警備兵が、建物の外壁を突き破って内部に突入した。
「おー、やってんなあグレイ。殴られたヤツ、ありゃ死亡確定だぜ」
激しい音と白煙を上げながら揺れる家屋を見てオーディスはニヤリと笑う。
家から少し離れた所ではグレイシャルが三人目を殴り飛ばし、それを見たボスが叫んで、大勢がグレイシャルを囲んでいる場面が見られた。
出来る事ならば自分の愛する弟の勇姿をこの眼に焼き付けていたい。
だが、今はグレイシャルの作戦に則って行動するべきなのだ。
「そんじゃあボチボチ俺も始めますかねえ~」
オーディスはそう言って意識的に気持ちを入れ替えると防壁の上から飛び降り、敵の敷地内に足を踏み入れる。
そこでもう一度念の為にヘルミの魔力を探知すると、目の前の大きな家、その地下から彼女の魔力がハッキリと感じられた。
「この家で間違いねえみてーだな。でも正面から行ったら、せっかくグレイちゃんが陽動してくれてんのに意味無くっちまうな。どっかに裏口でも――」
オーディスが家の裏側を泥棒の様に漁っていると、随分と古い廃材が一部分だけ集中的に、壁に立てかけられているのを発見した。
もしや――
そう思ったオーディスは、その廃材を出来る限り静かに取り除く。
すると案の定、そこには随分と長い間使われて居ないであろう裏口があった。
その裏口には少し刺激を加えれば壊れそうな程に錆びている、おまけ程度の南京錠がくっついている。
「ははーん。見た感じこの扉、アブラなんちゃらの奴らも知らねえ感じだな。好都合だぜ」
廃材が立てかけられていた事もそうだが、何よりも蜘蛛の巣や埃の量が半端無い。
普通、手入れがされていたり誰かが使用しているのなら、これ程までに汚れる事は無いだろう。
要するに誰も知らず使わずの、オーディスしか知らない秘密の入口という訳だ。
彼はしめしめと喜ぶ。
そして、グレイシャルと戦って蹴散らされているアブラハム・ラスクの雑兵達の断末魔を聞きながら、目の前の錠前を破壊する事にした。
尚、具体的にどの様に破壊するのかと言うと、普通に力いっぱい前蹴りをするだけである。
「オラァ!!」
そして当然の如く、彼の前蹴りに耐えられる程の頑丈さを当の昔に喪失している扉と錠は、呆気なくバラバラになって吹き飛んで行った。
「はい余裕~」
いつもなら魔術を使ってガス溶断の様に南京錠を断ち切るのだが、グレイシャルの懐中時計がグルグル回っていた事を加味すると、今回は敵に魔術師が居る可能性が非常に高い。
なのでその者に探知をされない様に、オーディスは物理的に破壊する事を選択したのだ。
幸いにも正面でグレイシャルが暴れまくって居るので、少し物音が立ったくらいでは誰もオーディスの方に寄って来なかった。
なので彼は今の内に室内に侵入する事にする。
「もうちょいだけ時間稼いどけよ、グレイ」
彼は少しだけ前の事を思い出しながらそう呟いた。
――――
「ヘルミちゃんを救出する為に兄さんは『全員で突っ込む作戦』を提示していました。ですが、これは非常に頭の悪い作戦です。僕達は3人、対して敵の数は20人以上です。割けるリソースに余りにも大きな違いがありますので、正面から僕達がぶつかっている間に多分、ヘルミちゃんを連れて逃げられます」
「なんだぁ、テメェ……」
オーディスはキレた。
だが、グレイシャルはそれをガン無視して続ける。
「なので今回は僕一人で正面から行きます」
「はー??? おいグレイ、お前絶対俺より馬鹿だろ」
「えーとグレイシャル、それだと結局脳筋戦法じゃないの? ていうか、貴方一人で大丈夫なの?」
オーディスだけでなくイザベラまでもがグレイシャルに怪訝な表情を見せる。
けれど、恐らくこの中で一番マトモなグレイシャルがその程度の作戦を立案する筈が無い。
それをしっかりと理解している二人は、彼の次の言葉を待った。
「当然、僕は囮です。僕が一人で正面から行って暴れるので、その間に兄さんは頑張ってヘルミちゃんが囚われているであろう場所を特定して、見事救出して下さい。その後、ヘルミちゃんを連れて敷地外に出たら合図をお願いします。僕も帰れたら帰るので。あと、僕は一人で大丈夫です。お父さんの血の影響で肉体が強いらしいので」
グレイシャルの打ち出した作戦は至ってシンプルな物。
アルティメットゴリラパワーのグレイシャルが暴れ、色々とセコいオーディスが潜入して救出。
陽動と別働隊を組み合わせて目的を達成する、ゲリラ戦の基本的戦術である。
「あー……。うん、オッケー。それで行こう」
オーディスはグレイシャルの作戦の詳細を聞いてあっさりと了承した。
それだけグレイシャルの事を信頼しているのである。
けれど、イザベラは違う。
別に信頼していない訳では無い。
ただ、グレイシャルの作戦内容に自分が含まれて居なかったのだ。
「私は? もしかして仲間外れにするつもり?」
ここまで一緒に旅をして来たと言うのに、急に仲間外れにされるなんて堪ったもんじゃ無い。
彼女が頬を膨らませながらグレイシャルをジーッと見つめると、グレイシャルは困った様に笑いながら言った。
「まさか。イザベラさんにもしっかりと役割がありますよ。貴方にしか出来ない役割が」
「それって具体的に何よー」
「イザベラさんには、脱出してきたヘルミちゃんと兄さんが、野営地に戻るまでの護衛を遠距離からお願いします。兄さんの事は別に護衛しなくても何とかなると思うので、ヘルミちゃんにだけ集中して下さい。大丈夫ですか?」
「つまり私は狙撃手って事?」
「はい。以前イザベラさんが『私の得意な距離は遠距離』と仰っていたので、今回は正に適任かと思います」
「なるほどねえ。ちなみにだけど、狙撃する距離はどれくらい?」
グレイシャルはイザベラの質問を受けてしばしの間考える。
そして、数秒の後答えた。
「そうですね。敵に魔術師が居るのはほぼほぼ確定しています。その魔術師がどれくらいの距離までの魔力を感知できるのかは分からないですが、余裕を取って5キロメートルくらい先の、あの山の頂上からで大丈夫ですか?」
そう言うとグレイシャルはアブラハム・ラスクの拠点から後方に見える山を指差す。
オーディスはグレイシャルが感で設定した『5キロメートル』という言葉を聞いて、敵にバレない様に声を殺して爆笑している。
イザベラは「コイツ正気か」という顔をしてグレイシャルを見ていた。
グレイシャルは二人が急におかしな反応をし始めたので首を傾げて言う。
「えーと。何か変な事言いましたか?」
「いや、5キロ先から狙撃しろって言った事に驚いてるのよ。1キロ先からとかなら分かるけど5キロよ? そんだけ離れればバレないでしょうけど、ちょっと大変過ぎない?」
余談だが、実際の米軍の平均的な狙撃距離は600から1200メートルであり、世界記録は3540メートルだ。
狙撃の平均距離も狙撃銃の有無など何もかも現実とは違うが、この世界でも3キロ超えの狙撃は一般的な常識から大きくハズレている。
それを遥かに超える距離で狙撃をしろと、グレイシャルはイザベラに言っているのだ。
パワハラ上司も驚きの無茶ぶりである。
だが、イザベラは別にその距離の狙撃が出来ない訳では無い。
実際にもっと長い距離で目標の暗殺なども達成した事がある。
なので出来ない訳では無いが、今回は一度のミスで子供が死ぬ可能性があるのだ。
だからもう少し距離を緩和して欲しいのだが――
「お、おい、イザベラ! オメー5キロ先から狙撃しろって言われてんぞ……!! くくく!! ふはははははは!!」
オーディスが腹を抱えて笑っているのだ。
「何よオーディス。今笑う所あった?」
笑っているだけなら別に良い。
問題は彼が煽りカスな事だ。
「オメー『遠き雷』とかいうめっちゃカッコイイ称号だか二つ名だか貰っといて、たった5キロ先の的も狙えねえのか! ダッサ!!! これだから女は! ホントに遠距離得意なのか!?」
「はぁ!? アンタ言うに事欠いてそれ!? はい、カッチーン!! 私、マジで今のは頭に来たわ! そんなに言うならやってやろうじゃねえかこの野郎!!」
「うぇーい! やってみろよ! ホレホレ!! 魔眼で狙撃してみろよ!! ぶあっははははははは!!」
イザベラは烈火の如くキレ、オーディスの胸ぐらを掴んでブンブンと揺さぶっている。
対して、オーディスは激しく首を上下に振られながらも余裕そうだ。
しかも彼は笑いながらグレイシャルの方を見て、親指を立ててウィンクをした。
自分の兄のその仕草を見てグレイシャルは理解した。
どうやら、イザベラが狙撃に集中できる様に、最後の精神的なひと押しをオーディスがやってくれたのだ。
普段は気遣いという言葉の意味すら理解しているのかしていないのか不明なオーディスだったが、こういう時は妙にサポートが上手い。
「……そういう感じですか、全く――」
何となく察したグレイシャルは、心の中で兄への感謝をするのだった。
そしてイザベラはまんまとオーディスの口車に乗せられてしまったのだ。
――――
さて、そうして場面は現在に戻る。
ボスの家の中へ無事潜入したオーディスは、本職の泥棒や暗殺者ですら脱帽しそうな程、極まったステルス行動をしていた。
彼は移動時に一切の足音も立てず、自分の気配や魔力も意図的にほぼゼロまで抑えている。
目立つ赤髪なのだが、今ばっかりは影が薄すぎて屋内の照明か何かと勘違いしそうな程だ。
「さてと……。地下への入口はどこかなあ?」
裏口から真っ直ぐ進むと彼はリビングに出た。
両手の関節をパキパキと鳴らしながらオーディスは室内を物色する。
辺りにはこれと言って目ぼしいものは何も無く、強いて言えばテーブルの上に酒とコインとトランプが散らばっているくらい。
「んだよ、犯罪集団って聞いてた割には結構整理整頓出来てんじゃねえか」
二階へと続く階段が目に入ったが、そちらにヘルミは居ないだろうと判断した。
自分が強盗ならば奪い返されるリスクを考慮し、二階には奪った金品しか置かないからだ。
人質を二階に置いておけば、覚悟の決まった者なら窓から飛び降りてでも脱出する恐れがある。
それに、そもそもの話しヘルミの魔力は地下から感じ取れていた。
だから、二階を見る意味は無いのだ。
やはり目的は一階にあるに違いない。
そう仮定したオーディスは、一階だけを重点的に探索する事にした。
キッチン、倉庫、トイレ、寝床、風呂、多分サウナみたいな所など……。
余り時間が無いので急いで室内を全て嗅ぎ回ったが、それでも何故か地下への入口は見つからなかった。
「はー? どこに階段とかあんの? この真下からヘルミの魔力をビンビンに感じるし、地下に居るのは確定なんだけどなぁ……」
探しても探しても見つからない、地下へと続く通路や階段。
オーディスは焦りを感じ始める。
けれど、いつの日か仲間のサムライが『焦りは禁物でござる。取り敢えずは酒を飲めば名案が思い浮かぶ。お酒、サイコー!』と言っていた事を思い出した。
なので、テーブルの上に置いてあった空のグラスに、栓の空いたままのボトルを傾けて酒を注ぎ、それを手に取る。
彼はそれを飲みながら、なんとはなしに後ろを振り返った。
「わーお」
後ろにある窓ガラスの向こう側。
そこには丁度グレイシャルがアブラハム・ラスクの一人を、相手の剣ごと胴体を真っ二つにしている瞬間が映っている。
普通の人間がそんな景色を見れば、その悲惨な光景に吐き気の一つでも催すものである。
だが、オーディスは文字通り『普通』では無いので、その光景を見た所で何とも思わない。
寧ろ酒のツマミ感覚で彼と犯罪者達の戦闘を眺めていた。
「グレイちゃん良いね。そうそう、そこそこ。あっ、後ろ来てるぞ後ろ。ほーら、言わんこっちゃない。スカしてるから敵に斬られんだよ。……ん? 何でアイツを斬った剣の方が折れてんの……? 血出て無くね? えっ、斬られてるのに怯まずにそのまま殴り返した……?」
何だかおかしな光景を目にした気がする。
だが、恐らく酒の度数が高すぎる所為だろうとオーディスは思い、それ以上考える事も見る事もしないでおく事にした。
弟の戦闘風景の解説も面白くはある。
けれど、今は自分の役割を全うする時間なのだから。
「まぁ良いや。バカザムライの助言通り酒飲んだら良い案が思いついたしな」
オーディスはそう言うとグラスに僅かに残った酒を飲み干す。
そして空になったグラスを適当に放り投げた。
乱雑に扱われたグラスは割れてしまうが、正直自分の所有物では無いので、彼的にはどうなろうが知った事では無い。
「さーてと。それじゃあやりますかねえ」
いつもの様にオーディスはニヤけると、目の前にある邪魔なテーブルを蹴り飛ばす。
このテーブルもさっきのグラスの様に足が取れて壊れてしまったが、やはりこちらも、自分の所有物では無いので彼は何とも思わない。
オーディスはローブの袖を両方捲ると、利き手である右腕に魔力を込め始める。
「ま、遅かれ早かれどうせバレるんだから関係ねぇべ」
それから1秒後、彼の拳を燃え盛る炎が覆っていた。
オーディスは自身の魔力を炎に変換して拳に纏ったのだ。
それは正に、トルーマの民の技術の炎版である。
「おー、イザベラが雷纏ってたからやってみたけど結構いけんじゃん! やっぱ何でもやってみるもんだな!」
パクリはこうして生まれる……。
否、技術はこの様に形を変えて蓄積、そして開発されて行くのである。
「ふー……」
それはそうと、自画自賛も程々にしてオーディスは一度深呼吸をして両目を瞑る。
それからゆっくりと目を開けると、カッと目を見開き拳を振り上げ、一気にそれを床に向かって振り下ろした。
一切のズレなく垂直に振り下ろされた彼の拳。
それを食らった床は老朽化していた事も相まっていとも容易く破壊される。
そしてその下には、かねてよりオーディスが探していた地下空間が広がっていた。
「やっぱここかぁ!」
床を失ったオーディスは残骸と共に下へ落下する。
彼と一緒に落ちてきた家具などは軒並み落下の衝撃と破壊されたが、自らの意志で床を破壊し、そして落ちる事を想定していたオーディスは綺麗に着地した。
「……っと。てか、わざわざ炎纏っても大して魔力強化と変わんねえな。見た目がカッコイイだけだなこりゃ。練度の問題か? 手間が増えるだけだけだからこれからはいつも通りで良いわ」
ブツブツと言っている彼の目の前には想像通り牢屋があり、その中にはヘルミが囚われている。
彼女は祖父と離れ離れにされた事もそうだが、何よりも祖父を傷付けられた事に心を痛め、啜り泣いていた。
幼い少女が絶望に打ちひしがれて泣いている姿は、一般的な常識を持ち合わせていないオーディスから見ても堪えるものがある。
だから一刻も早く彼女を牢から救出しよう、そうオーディスは決意した。
けれど一つ誤算があったとするならば……。
「ん?」
落ちた先の地下空間に警備兵が二人居た事である。
「だ、誰だ!!」
「敵襲か!?」
警備兵の二人は先刻より地上から聞こえ始めた激しい戦闘音を受けて警戒していた。
加えて一階部分の床が落ちてきた事と、見知らぬ男であるオーディスが現れた事により、彼等の敵対心と殺意は全開になっている。
が、オーディスにとってその誤算は些細な狂いでしか無い。
料理で言えば塩を一粒多く入れたか入れてないか、その程度の誤差なのだ。
つまりどういうことかと言うと――
「っ!?」
「むごっ!?」
一気に警備兵二人との距離を詰めたオーディスは、警備兵達に声を出させない様に彼等の顔を左手と右手、それぞれの手で鷲掴みにする。
そしてそのまま二人を持ち上げ、オーディスはその手を起点にして火属性魔術を使用した。
「「!?」」
ゼロ距離で火属性魔術を食らった二人は、急に発生した熱と光で大層驚く。
そして僅かな時間の後、彼等の鼻や目、耳から炎が蒸気機関車の様に勢い良く立ち上ったのだ。
オーディスが狙ったのは顔では無い。
内部の臓器である心臓と肺と声帯、その炭化である。
目や耳から立ち上った炎は、あくまでも副次的な効果に過ぎない。
本来ならば対象の体内で魔術を発動する事は不可能である。
それは、相手の体内の魔力の流れが、自分自身が使用する魔術の魔力の流れと干渉する為、不発に終わってしまうからだ。
だが、オーディスは相手の口を起点にして魔術を発動し、その後発生した炎を操作した。
厳密には体外での魔術の行使である。
だからピンポイントで焼く事が可能だったし、体内でも魔術を維持する事が出来た。
最も、誰にでも出来る訳では無いが。
「心臓と肺と声帯、全部が炭化しちまえば助けも呼べねえもんなぁ。これでバレねえぜ」
当然、人体のその様な部分が一瞬で炭化するという事は、内部は凄まじい火力で焼かれた事になる。
恐らく二人の警備兵は痛みを感じる間もなく即死した事だろう。
絵面はともかくとして、特に苦しまずに死ねた事だろうし、オーディス的には人道的な殺し方だった。
「……死んでるな、おっけー」
オーディスは二人の鼓動が止まっている事を確認すると、人間だったものを適当に両脇へ放り投げた。
かくして、何も出来ずに二人の警備兵の命は潰えたのだ。
それもその筈、今は死体の事なんかよりも生きている者の方が優先である。
オーディスは牢屋に近づくと鉄格子を軽く叩き、中で蹲って泣いているヘルミに言った。
「ういーっす。大丈夫だったかヘルミ? 俺が助けに来てやったぞ」
ヘルミはオーディスの声を聞くとゆっくりと顔を上げて言う。
「……!? 嘘、オーディスお兄ちゃん?」
信じられないモノを見た様な表情。
どうしてオーディスがここに居るのか、彼女は理解出来ていない。
けれど、その顔はとても安心している様にも見えた。
ヘルミは鼻水や涙でグチャグチャの顔を拭って言う。
「どうしてここに来たの? 上には怖い人達がいっぱいいるし、一人じゃ危ないよ?」
「あー。上の怖いおっさん達はグレイがシバいてるから大丈夫。あと、ついでにローマンのじーさんとピーちゃんも無事だ。イザベラが治してくれた。ここまで大丈夫か?」
「う、うん」
「よし。なら後はお前をこっから出して逃げるだけだが……」
オーディスは牢屋の扉を引いたり押したりする。
けれど、扉は鍵が掛かっているので開かない。
「見ての通り鍵が掛かってんだ。ヘルミ、鍵がどこにあるか知ってたりするか?」
彼女はオーディスの問に首を横に振って答えた。
「知らない。ごめんなさい」
「知らねえなら別に良いわ。そんじゃ、今からこの鉄格子ぶっ壊すから。危ねえから隅っこに行って頭押さえて伏せとけ。良いな?」
「分かった。でも、本当に壊せるの? これ鉄だから硬いよ?」
「でーじょぶでーじょぶ。俺の事信用しろって。オーディスお兄ちゃんだぞ?」
「……! 分かった! お兄ちゃんの事信じるね!」
「おう!」
オーディスがヘルミに親指を立てて笑うと彼女は立ち上がる。
それから急いで牢屋内の隅っこに行き、猫の様に身体を丸めて頭を両手で守った。
ヘルミの避難が完了した事を確認すると、オーディスは鉄格子に対して指を鳴らす。
牢屋の見張りを殺したた時に魔術を使っているので、どうせもう敵の魔術師にはバレている。
だから、今更魔術を使わないステルスプレイは全く以って意味がない……。
そうオーディスは判断して魔術を行使したのだ。
彼が指を鳴らすと共に鉄格子の中心で小規模な爆発が起き、少なからず音が響く。
爆発から初めの数秒は煙で周囲が見えなかった。
だが、しばらくすると煙はすぐに晴れた。
「よし、もう顔を上げて良いぞヘルミ」
「うん」
オーディスの声に従ってヘルミは起き上がる。
そして爆発音がした鉄格子の方を見ると、そこには人間が丁度一人通れるくらいの穴が、格子状の金属を破って空いていた。
「わぁ、すごい! お兄ちゃんすごいね!」
「まあな。その辺の魔術師よりは強い自身あるぜ。それよかさっさと出てこい。逃げるぞ」
「うん!!」
ヘルミはさっきまでの涙が嘘の様に元気良く返事をして牢屋から出る。
オーディスは彼女が牢屋から出るなりしゃがみ込み、ヘルミの頭を優しく撫でて言った。
「良く一人で頑張ったな。ナイス根性だ。お前なら将来どんなクソ客が来ても言い返せる商人になれるぜ」
「うん、私頑張った! でも、お客さんに言い返しちゃダメじゃないの?」
「いーや。客は神じゃねえから、気に食わねえ事言って来たら暴言プラス出禁で瞬殺して良いんだ。神でもルールが守れねえならボコれ。強気で行かねえと一生舐めて来るからなクソ客は。最悪拳で分からせても良い」
「そうなの? あと、私商人になるか分からないよ?」
「そうだ、俺の母ちゃんが言ってた。そして商人は儲かるけど危ねえからやっぱ辞めとけ」
「もー! オーディスお兄ちゃんはいつも言ってる事が適当! どっちなの!」
「グレイにもいつも同じ事を言われてるよ。ま、続きは馬車で話そうぜ」
「って、わっ!!」
オーディスはヘルミとの会話を途中で遮り、彼女を左脇に抱えて立ち上がった。
彼がヘルミを抱えたのは、通路の両脇で未だ燻っている焼死体を子供に見せない為でもあるのだ。
ヘルミとの会話は荒んだオーディスの心を癒してくれる。
純粋な少女の優しさからしか得られない心の栄養、それをもう少し享受したかったが、ここは未だ敵の本拠地。
談笑をするにはまだ早い。
「今から逃げるけど、お前の足に合わせてたんじゃまた捕まっちまう。だから抱えてくぞ。文句言うなよ」
「わー!! 高いよー!! 足が付かない!! やー!!」
ヘルミは自分の本来の視線よりも高い所で持ち上げられているのは正直怖かった。
彼女は小声で「下ろしてー!」と言うが、オーディスはそれをガン無視して脱出を開始する。
まずは一階に戻る必要があるので、地下に来る為に自分が破壊した穴を使う事にした。
「せーの、ほれ」
彼は穴の真下から一階の床まで一息でジャンプをして上る。
それから来た時と同じ様に裏口まで行き、そこを通って外に出た。
オーディスは外に出て目の前にあるそびえ立つ防壁を見上げると、ヘルミを抱える手を離して彼女に自分で立たせる。
「……? どうしたの、オーディスお兄ちゃん? もう自分で走って良いの?」
「いや、ここに侵入する時は外からこの壁をよじ登って来たんだが、流石にお前を抱えて飛び越えたり登ったりするのは辛いなって」
「お兄ちゃん、マデュール王国では二階建ての家の屋根までジャンプで登ったんでしょ? 何で今は出来ないの?」
「え? アイツラの拠点から盗んだ物が、服のポケットから落ちたら嫌だからだけど」
「……」
「……どした?」
自分を助けてくれた恩人。
ヘルミのその贔屓フィルターを通して見ても、最早どちらが悪でどちらが正義か分からない。
「その、悪い人達が相手でも、奪うのは良くないんじゃないの?」
一応ヘルミは一般的な社会常識に基づいてオーディスに質問をする。
だが、相手は口から生まれたのかと思う程、息をする度に適当な事を言う男だ。
7歳の少女が勝てる相手では無かった。
「いーや。これは俺が戦って入手した物。つまり戦利品だ。頑張りには相応の対価が支払われるべきだろ? 無賃金労働なんて気が狂った時しかしたくねえぜ」
「そうだけど、それは戻した方が――」
「あのなヘルミ、ボランティア精神で生きてたらいつか痛い目みるぞ。世の中には人の善意に付け込んでアレコレ言ってくるゴミが居るんだ。俺はそういうのがマジで嫌い。だからこれを持って行く。分かったか?」
「うーん、良く分かんないけど……」
「ま、大人になれば分かる時が来る。そん時また考えれば良い」
オーディスはそう言ってヘルミを黙らせると、その辺に落ちてた棒を拾い、壁から僅かに離して指を鳴らす。
すると棒の先端から凄まじい火力の炎が、レーザーの様に持続的に射出された。
「よし」
炎の先端が防壁を貫通したのを確認すると、オーディスはいつものガス溶断みたく作業を始める。
その姿はさながら現場作業員であり、仮に現代世界の工場に居ても、完璧にそこの風景とマッチしてしまうだろう。
「きれい……」
オーディスの赤い瞳と赤い髪は炎の色と実に良く似合う。
それは、ヘルミが幼いながらに心を揺り動かされてしまう程に。
「これでよーし」
しばらくすると彼は炎を出すのを止めて、使っていた棒をその辺に放り投げた。
そして赤く熱せられている防壁をオーディスが前蹴りすると、壁はゆっくりと前方に傾き、最後には地面に勢い良く倒れる。
「これでもう大丈夫だヘルミ。さっさと逃げるぞ」
「……! うん!!」
そう言うとオーディスは再びヘルミを抱え、今しがた穴が開いた防壁を通って敵の拠点の外に出た。
後は逃げれば良いだけだが、その前に。
侵入する際に邪魔になるので、その辺の茂みに放り投げた自分の杖を回収する。
父親の物は大切にしろとグレイシャルには言うものの、自らは父親の杖をその辺に投げ捨てたりバット代わりにしたりと、かなりやりたい放題だ。
「あったあった。忘れる所だったぜ」
そうして右手に杖を持つと、オーディスは南西の方角を向いて走り出そうとする。
野営地に戻ってローマンにヘルミを合わせたら少しくらい金が貰えるのだろうか、何て事を彼は気楽に考えていた。
けれど、そう簡単に物事と言うのは進まない。
「――っ!」
何故ならば、後方から風を切りながら急接近してきた巨大な剣を、避けるのにオーディスは精一杯だったからだ。
金の事なんてすぐに頭から消えてしまう。
彼は間一髪の所で展開した炎の鎖を飛んで来た剣に当てて、その剣の軌道をずらした。
ずらされた大剣はオーディスの後方の木に当たると、そのまま貫通して地面を大きく抉る。
「きゃっ! なに!? 何か爆発した! オーディスお兄ちゃん!」
ヘルミは驚いてパニックになってしまう。
それに対してオーディスは一喝。
「うるせぇ! 危ねえから静かにしてろ!」
「う、うん!」
少々可哀想にも思えるが、そうでもしなければ気が散ってしょうがない。
いきなり剣が飛んで来た事。
角度的に確実に自分を殺しに来ている事。
そして、明確な殺意と敵意を感じ取れた事。
オーディスは上記の事から、間違いなくは敵の魔術師に狙われていると判断する。
だが、焦る必要は全く以って無い。
何故ならば――
「へー、今の避けるんだ。若く見えるのに随分と早業だね、君」
オーディスの前に、魔術を行使した張本人は自らやって来たからだ。
彼の後方には魔術で生み出されたであろう、剣や槍が数十本浮かんでいる。
内、いくつかの剣や槍は火や雷を纏っていた。
「投擲魔術か。キモいなお前」
「御名答。でも、一つの属性を異常なレベルに鍛え上げてる君よりはキモくないと思うけど。てか、君の名前何? 結構強い魔術師みたいだから教えて欲しいな。ちなみに俺はニコ」
「ゼッテー教えねえわ」
「残念。仲間になってくれたら心強かったのに」
敵の魔術師、ニコは後ろに5名程の部下を連れて居た。
囲まれては居ないが、どっちみち逃げられる様な相手で無い事は、目の前の魔術師が放つプレッシャーからすぐに理解出来る。
このままヘルミを庇いながら戦えば自分が死ぬ――
しかし、戦わなければそもそも死ぬ――
一体どうすれば良いのか、何が最善の選択なのか。
それを一瞬で判断したオーディスは、ヘルミを地面に下ろして言った。
「ヘルミ、今すぐ南西の方角に向かって走れ。そこにピーちゃんとローマンがいる。俺はこの魔術師の相手で忙しい」
「えっ!?」
ヘルミはオーディスが遂に狂ってしまったのかと思った。
走って逃げた所でどっちみち魔術師以外の追手の男達が追って来る。
それに鬼ごっこをした所で少女の足で勝ち目などありはしない。
「私じゃ無理だよ……。逃げられない。足遅いもん」
その程度の事はオーディスなら分かっている筈。
けれど、どうして彼はそれでも走れと言うのか――
ヘルミが困惑しながら小さな声で紡いだ声に対しオーディスは言った。
「良いから。俺の事を信じろ。後ろを振り返らないで、ひたすら南西に向かって走れ」
「でも――」
「大丈夫だ。イザベラが居る。さっきも言っただろ? 心配するな」
そう力強く言ったオーディスの目を見て、ヘルミはどこか安心感を覚える。
ヘルミの顔からオーディスは僅かな『覚悟』を感じ取ると、杖をニコに向けてから叫んだ。
「行け!」
「う、うん!!」
ヘルミはオーディスの合図を聞くと一目散に走り出した。
それに伴ってニコの部下達もヘルミを追いかけ始め、彼等はオーディスとニコの隣を通り過ぎる。
「良いのかい? せっかく助けた女の子が殺されちまうぜ?」
本当ならオーディスはヘルミを助けたい。
けれど、目の前の相手はそれを許し助けに行かせてくれる程甘くは無いだろう。
だが、これで良い。
ヘルミが居ないからこそ、オーディスは周りへの被害を考慮せずに大暴れが出来る。
そして、まだ自分達にはイザベラが居る。
脱出した後の事は全てイザベラの役割だ。
自分はただ、目の前に相手に全力を注げばそれで良いのだから。
「問題ねえよ。放っといてもどうせお前の部下は死ぬからな。オメーは自分の心配でもした方が良いんじゃねえの? ニコだかネコだか知らねえけどよ、どうせオメーは今から俺に殺されるんだからなぁ――!!」
オーディスは叫ぶと地面を杖で力強く突いた。
それに反応する様にニコはオーディスに向かって、展開していた数十本の剣と槍を全て射出する。
オーディス目掛けて発射された武器はその全てが命中。
着弾地点は土煙を上げながら、オーディスが居た場所の半径10メートル前後が更地へと変わっていた。
オーディスという人間が居た痕跡は、この地面から跡形も無く消え去ってしまったのだ。
ニコはニヤリと笑って言う。
「はい、俺の勝ち。先に魔術を展開してた方が勝つに決まってるでしょ。さて、アルベインの手伝いに行くか。こっちの魔術師よりもあっちの剣士、グレイシャルの方が厄介だし」
彼はそう言うと踵を返して拠点内に戻ろうとした。
だが――
「ユーラ・セルヴェル――」
土煙の中、そのはるか上空から聞こえて来たのは、今しがた自分が殺した筈のオーディスの声だった。
ニコは眉をひそめながら風属性の中級魔術である『ガスト』を使用し、辺りに立ち込めている煙を払う。
そうして見えてきた物。
それは、彼の想像を精神的にも物理的にも遥かに超える代物だった。
「おいおい、マジかよ……。何だこのサイズのゴーレムは……。しかも火属性のゴレームって何だよ! んなの有りかよ! 普通土属性だろ!」
ニコが目にしている物、それは彼が述べた様に炎のゴーレムである。
いつの日かオーディスが考案し、そして開発した、自らの母の名を冠するゴーレム、ユーラ・セルヴェル。
特筆すべきはその大きさ。
ユーラ・セルヴェルの身長は30メートルを優に超えていた。
そしてその大きさに由来する脅威の耐久力と攻撃力は、先程ニコが飛ばした剣と槍を全て溶かしていたのだ。
オーディスはそのゴーレムの肩に立ちながらニコを見下ろし、そして見下しながら叫ぶ。
「何が『俺の勝ち』だよ、このクソガキが!! 俺に舐めた態度取った奴は全員ブッ殺すって決めてんだよ! 家族以外はな!!」
そしてそのままの勢いでオーディスは杖をぶん回して魔術を発動する。
すると、拠点の防壁の下を起点にする様にして地面が胎動を始めた。
近場に居る者で大地に足を直接付けている者は、地震の様に揺れ動く地面に、マトモに立つ事も出来ない。
その僅か4秒の後。
揺れが収まると同時に、防壁の下から一斉に炎が立ち上って来た。
炎は既存の防壁を粉々に砕きながらその高さを上げ、最終的には十数メートルの高さへと成長し、全ての出入り口を封鎖する。
燃え盛る炎よりも熱くヒートアップするオーディス。
彼は今年最高にキレながら叫んだ。
「覚悟しろよクソ魔術師!! テメーは絶対に殺す! 焼き殺して地獄に送って、生まれてきた事を後悔させてやるぜぇ――!!!」
どうしてオーディスがこれ程までにキレているのか、何が彼のスイッチを入れてしまったのか。
それは当の本人にしか分からない。
けれども、夜の森で絶叫するオーディスの声は、どんな物音よりも響いている。
そしてその声は最も分かり易い、グレイシャルとイザベラに対しての合図となったのだ。