第11話 『長い長い船の旅』
遅くなりました。色々リアルが忙しすぎて!!!!
グレイシャルとオーディスがニーナの手を借りてヴァイタリカ王国から出航して2週間。
この日、クロード王国に向かうクラッソスの船は、大規模な嵐に見舞われて激しく揺れていた。
大規模な大嵐の主な原因は天候の悪化では無くて、近くにある『竜の楽園』と呼ばれているどこの国の領土でも無い土地、強いて言うのなら竜達の国に居る竜達のイタズラに依って引き起こされている。
我々人間が幼い頃に蟻の巣に水を流し込んで苦しむ様をじっくりと観察していた様に、竜にとっても、自分よりも遥かに小さい存在が苦難をどの様に乗り越えるのかは興味があるのだ。
さて、そのせいで積み荷のいくつかは想像を絶する高波に依って2割程が海に落下。
残り8割の内、2割程が沈没を回避する為、クラッソスは意図的に海に沈めた。
前船員とクラッソスが必死こいて船を動かすそんな中、グレイシャルとオーディスは別行動を取っている。
具体的には、オーディスは船が波の影響を受けて沈まない様、甲板で魔術を使用して四方八方から迫る波の高さを調整しているのだ。
これは別に長い航海の影響で二人の仲が悪くなった訳では無い。
ただ単に荒れ狂う海に対抗するには魔術師が必要なのだ。
だが、それを踏まえて考えるとおかしな事が一点だけある。
それは――
「おい船長! なんでこの船には俺以外の魔術師が居ねえんだよ! 5年前は居ただろ! 理由教えろよ!! ライン航海法ってやつで、一つの船に必ず一人は迎撃魔術師を乗せねえていけねえんだろ!?」
「馬鹿め! 理由は簡単! 単純に俺の船の専属の迎撃魔術師が長期休暇を取ったから居ない! 以上!」
「馬鹿はオメーだろ! そんな状態で運航すんじゃねえよ! 護衛対象の俺が自分で自分の身を守ってどうすんだよ! 仕事しろよ! てか、普通に法を犯すな法を!」
「ガッハッハッハッハ!! この状況だから船を出せた訳でもあるぞ! なんせ、ここいらは俺達ヴァイタリカの船乗りにとっちゃ庭みてえなもんだからな!」
「地図的に言ったらバゼラントからしても庭だろ! ……ってどあああああ!!」
オーディスは高波を全身に被り、口を大きく空いていたことで幾分か塩水を飲み込んでしまう。
クラッソスはそんなオーディスを見ても眉一つ動かさず、冷静に舵を取りながら言った。
「いや、俺達の国の方が竜の楽園に近いんだ。竜はバゼラントまで飛ばない。つまり、バゼラントの奴らは知識として竜が何をしているのかを知っていても、俺達の様に体験として知っている訳じゃ無いんだ。この差はデカいぞ」
「ぶふへえぇ!! ぺっぺっぺ!! 俺も知らねえよ! 勿論グレイもな!」
「ふん! それじゃあ、死にたくなかったら俺の言う通り魔術を使いなオーディス! 嵐を抜けるのはこの感覚からして数時間後だろうし、その時は丁度夕飯だ! 一仕事した後の飯は上手いって昔から言うぞ!」
「疲労感をスパイスにする奴は料理人として5流だよ! あぁ、クソ! 絶対クロード王国に付いたら迎撃魔術師として勤務した分の金貰うからな!」
怒りを力に変え、海の男として踏ん張るオーディス。
人には向き不向きがあるし、適性があるかどうかはやってみるまでは大抵は分からない。
今回のオーディスの場合はあるとも言えるし、無いとも言えるだろう。
まあ、要するに気合次第という事なのだ。
――――
兄が甲板で気合を入れながら迎撃魔術師としての仕事をしている頃。
グレイシャルは船内の割り当てられた自室で優雅にも読書をしていた。
読んでいる本は2週間前の自分の誕生日に、ヴェルナンドからプレゼントとして貰った本だ。
その本は『ロール・ガルドの歴史』と言う、実際に起こった事実のみを淡々と記録した物。
否、書き手の意志が含まれていない以上、本と言うよりも伝票と言った物の方が近いかも知れない。
ロール・ガルドと言う地についてひたすらに書き記されたその書物を、グレイシャルは取り憑かれた様に読んでいる。
船に上がってからと言う物、やれ海賊だのやれ竜の襲撃だのでまともに時間も取れなかったので、その欲をやっとの思いで解放しているのだ。
「『ロール・ガルドがいつ頃出来たのかは定かでは無いが、人々はいつしか自分達の暮らしている大陸の名前をロール・ガルドと呼んだ』それでこの本が作られたのが千年近く前と……。いやあ、すごい本を貰っちゃったなあ。もしも売ったら一生遊んで暮らせるかも」
ページをパラパラと捲りながらグレイシャルは独り言を呟く。
「それにしてもここ『ライン王国の前身、サウナールの地の女帝。初まりの魔術師ガランドリンは戦う事を辞め、我らロール・ガルドの民を見殺しにした。彼女の代わりにノートリアは剣を取り、帝国と戦う道を選んだ。戦いを知る必要の無い者が、戦わざるを得ない状況を作り出した罪深き魔女。我らは決してガランドリンを許しはしない。自らの責任を果たさぬ限り、汝の運命は縛られたまま也』」
他の文章には書き手の感情が含まれていないのに、ガランドリンという人物にまつわる部分だけは、書き手の激しい憎悪や怒りが「これでもか」という位に伝わって来る。
「こんなに恨まれるなんて、ガランドリンって人は一体何をしたんだ……? いや、何もしなかったから恨まれてるのか? 取り敢えずガランドリンって人のページを見れば調べれば分かるかな」
それから数分間、グレイシャルは本を端から端まで何度も何度も目を通し、ガランドリンという人物への記述を探した。
しかし、探しても探しても『ガランドリン』が何者であるかは見つからなかった。
普通、本に名指しで批判する程の恨みがあるのならば、ダラダラと何十ページにも及んで悪口を書きそうなものだが、どんなに探しても見つからないのだ。
「えー……。すごい気になるのに書いてないなあ。ロール・ガルド出身の人物じゃ無いから書いてないだけかな? だとしたらガランドリンって人の事を詳しく知るには、今度はサウナールについて詳しく書かれてる本を買わないとかぁ~」
勉強をすればする程、知らない事が増えていく。
知らない事が増えていく程、知りたいという気持ちが強くなっていく。
「面倒くさいなぁ……」
そう言うとグレイシャルはベッドに転がり込んだ。
好きだからと言ってずっと全力でいられる訳でも無い。
グレイシャルだって人間、時には息抜きも必要だし現実から逃げてゴロゴロするのも大切な事なのだ。
丁度船は荒波で揺れに揺れまくっており、乗り物酔いを一切にしないグレイシャルにとってそれは揺り籠の様に思えた。
「うーん、みんな頑張ってる所悪いけど僕は一回寝させて貰おうかな……。どーせ僕が言っても剣しか振れないしね、どーせ」
グレイシャルは不貞腐れ気味に言うと欠伸をしてから体を大の字に伸ばして目を瞑る。
彼が不貞腐れ気味なのは簡単な話で、嵐に突入する前に自分も手伝おうとしたのだがクラッソスとオーディスに、
「魔術が使えない剣士が一体何を手伝うって? 波でも斬って収めてくれるのか? ノートリアでも嵐は斬れないぞ。分かったら部屋で本でも呼んでろ」
「そーそー。オメーはポンコツで剣しか振れねえ馬鹿なんだから寝とけよ」
と言われたのが原因だ。
せっかく皆の為に頑張ろうとしたのに、それを拒否されて戦力外通告をされれば誰だって落ち込む。
だからグレイシャルは決めたのだ。
皆が泣きついて頼りにしてくるまで仕事は手伝ってやらないぞ、と。
心地良い荒波の揺り籠。
気が付けばグレイシャルは夢の向こうへと到着していた。
――――
「よおグレイ。スヤスヤで気持ち良さそうじゃねえか」
「……む?」
目を覚ましたグレイシャルが一番初めに目にしたのは、濡れて乱れた髪をタオルで拭きながら、自分の隣のベッドに座っているオーディスだった。
彼は楽しさ半分、疲れ半分と言った表情である。
上半身を起こしてグレイシャルは振り返り、後ろに付いている窓から外を見た。
すると外は暗くなっており、波の音もだいぶ落ち着いた物になっている。
その証拠に寝る前まで揺り籠の様だった船も、今では四輪駆動のオフロード車が舗装された道路を走る様に揺れていない。
「あれ、僕どれくらい寝てたんですか」
グレイシャルが首から下げている懐中時計で時間を確認すると同時に、オーディスが口を開く。
「午後6時。俺が外に出て波の調整をし始めたのが丁度正午。お前が寝たのは多分午後2時くらい。だから、4時間くらい寝てた計算だな」
「なるほど……。うわぁ、寝すぎたなぁ。今日の夜寝れないかも」
時計を再びしまいながらグレイシャルが呟くと、オーディスはグレイシャルの頭をポンポンと優しく叩きながら言う。
「魔術が使えなくて一人だけ仲間外れだったからな。本を読んで時間潰すって言っても、たった2冊だけじゃ難しいだろうし」
「むう……。僕だって好きで部屋に籠もってた訳じゃ無いですよ。本当なら魔術を使って兄さんみたいに役に立ちたかったですし。それに、魔術が使えなくたって僕はこの船の誰よりも力持ちです! だから船員さん達と一緒に何か出来たかも――いたっ!?」
オーディスはグレイシャルが皆まで言う前に彼の額にデコピンをする。
それはそこそこの威力だったらしく、グレイシャルはそれを受けて再びベッドに転がってしまった。
自分の額を擦って天井を仰ぎながら、不貞腐れ気味にグレイシャルは言う。
「兄さんはどうして僕に意地悪ばっかするんですか? たまには優しくして下さいよ」
それに対してオーディスは笑いながら返事をした。
「ばーか。オメーが可愛いからずっと構ってるんだろ」
「可愛い? 本当にそう思ってるんですか? そう思ってるなら何で『ポンコツ』とか『役立たず』って言うんですか? 兄さん、所謂無能な人間は嫌いでしょ?」
「好きなポンコツと嫌いなポンコツが居るってだけ。そんな大それた事じゃねえよ。グレイ、お前は俺の好きなタイプのポンコツだ。だから好き。以上。これ以上説明要るか?」
「……!! 兄さん――!!」
自分の大好きな兄の言葉を聞き、グレイシャルは大急ぎで上半身を起こしてオーディスに抱きついた。
他人、特に家族に依存気味なグレイシャルにとっては、オーディスの言葉は最高の麻薬なのだ。
「はっはっは!! 良い子だグレイ! これからは俺に、今以上に優しくして過ごせよ!」
「それは無理です。兄さんは甘やかすと僕以上にヤバいので」
「はぁ~? なーに調子こいてんだガキ、おいコラ」
そんな風に二人が仲睦まじい会話をしていると、グレイシャルとオーディスの部屋の扉を誰かがノックした。
あと数秒で取っ組み合いに発展していたので最高にナイスなタイミングである。
「誰でい! 今ちょっと弟を躾けてる最中で忙しいんだよ! 後にしろ!」
「同じく! 剣士に接近戦を挑んでくる愚かな魔術師に現実を教えてあげるのに忙しいので!」
オーディスとグレイシャルが扉の向こうに向かって叫ぶと、向こう側で笑い声が聞こえてきた。
「そう言うなよ二人共! こっちだって両手に料理持ってるんだから忙しいんだ! 早くドアを開けて受け取ってくれ」
その声はクラッソスの船のコックの声だった。
時刻は丁度6時、夕飯の時間だ。
それに気づいたグレイシャルはオーディスを軽々ともう一つのベッドに押し飛ばして言う。
「あ、そう言えば夕飯の時間! 兄さん! 夕飯ですよ夕飯! 僕達の楽しみの!」
さっきまで一触即発だったと言うのに、それが無かったかの様に笑顔を向けるグレイシャルを見て、オーディスの方も毒気を抜かれてしまう。
「あー、うん。そうだな、そう言えば楽しみだわ。うん」
「……? どうしたんですか兄さん?」
「いや、何でもねえよ」
それだけ言うとオーディスは起き上がって部屋のドアを開けに行った。
彼が扉を開けるとそこには、大きなトレーを器用に両手で持っている、ニコニコ笑顔が素敵な若い男性のコックが立っている。
彼はオーディスを見るなり両手のトレーを手渡して言う。
「はい、今日のご飯だよ。今日は嵐で偶然甲板に打ち上げられたアズマグロとネギのスープに、前にオーディスが教えてくれたオーディスパン! それから船のオーディス花壇で育ててる野菜!」
余談だが、オーディス花壇とはオーディスの土属性魔術で作られた花壇である。
本来は観賞用の花を植える為に作っていたのだが、野菜が食べたくなったコックが偶然船にあった種を撒いたら、得体の知れない草が生えてきたのだ。
ちなみにだがこの草は、グレイシャルの見た図鑑の記憶が正しければ食べても大丈夫な物である。
「それじゃあ僕は他の人にも配らないとだから! じゃあね!」
それだけ言うとコックはグレイシャルとオーディスの部屋を後にした。
残されたオーディスとグレイシャル。
二人はゆっくりと顔を見つめ合って頷きあうと、椅子に座ってから言った。
「まあ、取り敢えず食べましょうか」
「だな」
そうして二人の穏やかな夕食は始まる。
さっきまで喧嘩をしていたと思ったら仲良く会話をしながら食卓を共にする二人。
一見変わっている風に見えるかも知れないが、男兄弟なんてそんな物である。
――――
食後、グレイシャルはいつもの様に風呂に入っていた。
風呂とは言っても騎士団の大浴場やグレイシャルの家にあった浴場ほど立派な物では無い。
どこかの国で作られた安っぽい作りの、水を生成して温める魔導具と、水を溜めておく大きい木の樽がロープで繋がれているだけの物だ。
「ここには金を掛けないのに、クラッソス船長は排水設備には金を掛けるのか……」
樽に肩まで浸かりながら呆れ気味に呟くグレイシャルの視線の先。
そこにあるのはどう見ても高級そうな浄化装置、もちろん魔導具である。
クラッソスは風呂で生成されて使用されたお湯をこの浄化装置にブチ込み、日常生活でも使える様に別の容器に蓄えて保存しているのだ。
大量の生水を船に積み込んで保存しておくのは科学技術が発展していない世界では難しく、魔術を用いいても時間を操作する以外に方法は余り多くない。
その為の浄化用魔導具なのだが……。
「普通こんな高級で大型の魔導具を船に積まないでしょ……。あの人、色々と僕とは判断基準が違うんだな」
グレイシャルの言った通りその魔導具は日常生活で使うには余りにも力が過剰過ぎる。
例えるならば、卓上USB扇風機で良い物を業務用の特大扇風機を購入して使用する様なものだ。
それが「ダメ」とはグレイシャルは決して言わないが、自分が納得するだけの理由はどこにも無い気がしてならない。
「まぁ、突き詰めれば何でもかんでも結局は自己満足の世界だしなぁ。そういう事なんでしょ、うん」
色々と考えても答えは見つかりそうに無かったので、グレイシャルは自分なりにそれっぽい答えを出し、それ以上この件について考えるのは止めた。
ちなみに船に乗ってからの2週間、毎日彼は風呂に入る度にこの事を考えている。
「さて、良い感じに体も温まってきたしそろそろ出ようかな。よいしょっと――」
グレイシャルは掛け声と共に樽の両端を手で掴んで立ち上がった。
樽から出た彼は風呂場の扉を開けて脱衣所に入り、フカフカのタオルを手に取って身体全体を満遍なく拭く。
ちなみに、毎日オーディスはクラッソスの命令で洗濯物や掃除をさせられているので、そのお陰で船の中はいつでもどこでも綺麗だ。
心の中で兄への感謝の言葉を述べていると身体の水気が全て拭き取れたので、彼は早々にゆったりとした寝間着に着替えて脱衣所を後にする。
そうして戻って来た自室。
「あれ、兄さんは?」
そこに自分の兄の姿は無かった。
オーディスはグレイシャルよりも先に風呂に入ったので、いつもなら一足先に部屋に戻って来ている筈。
それなのに居ないという事は、考えられる可能性は死んだか隠れているかどこか散歩でも行っているかだ。
「現実的に考えて死にはしないだろうし、兄さんは隠れんぼとか嫌いだろうし……。まあ、普通に散歩でも行ったんだろうな」
それならばと、グレイシャルも自室に置いておいた剣を片手に持って部屋から出て、船内をウロウロと彷徨い始める。
調理室や倉庫、他の船員の部屋や船長の部屋、トイレ等の部屋を片っ端から捜索したがオーディスは見つからない。
「あ、そう言えばまだ外を見てなかったな」
灯台下暗し、室内に居るものと思い込んでいたグレイシャル。
彼は早速階段を上がって甲板へと躍り出る。
すると予想通りオーディスはそこに居た。
オーディスは酒瓶を片手に持って手摺に寄りかかり、遠い目をしながら海の向こうを眺めている。
彼の事を余り良く知らない人間が見れば、ただ単純に格好つけてるだけに見えるかも知れない。
けれど、オーディスという人物の事を深く知っている人物から見れば、すぐにいつもと違う彼の寂しそうな雰囲気に気が付く筈である。
勿論グレイシャルは気が付く。
なので、すかさず近づいてオーディスと同じ様に手摺に寄りかかって声を掛けた。
「夜風に当たりながら一人で酒を飲むなんて、一体今日はどうしちゃったんですか兄さん。僕で良ければ話くらい聞きますよ?」
オーディスはゆっくりとグレイシャルの方を向くと、溜息を付いて言う。
「いや、ちょっと女に飢えててな」
「……はぁ。心配して損しました」
「いや普通に冗談だよ。これからの事を考えてたら少し不安でな」
「これからの事? 『なるようにしかならない』っていつも自分で言ってるし、僕にもそう言ってるのに?」
「いやな? 俺だっていつも通りなら大して気にしねえよ。久しぶりに長期休暇を貰ってヴァイタリカから出れたって大喜びするぜ。けどよ、コーム様とかいう明らかにヤベー奴に目を付けられてるって考えると、どうにも碌な事が起こらねえ気がするんだよなあ」
正直オーディスの感じている不安はグレイシャルも感じてはいた。
超常の存在である『死』その物に興味を持たれている時点で、これから先に『普通』という言葉が通用する事は少なくなるだろうと。
だが――
「まあ、それは今に始まった事じゃ無いですから僕はもう気にしてませんよ」
「お? 驚かないってことは強がりか?」
「違います。普通に、家に帰ろうとしたら家族も街も全部燃やされて殺されて、自分独りになって、挙句の果てに大好きだった母国に追われて貴族から冒険者、冒険者から騎士、そしてまた騎士から放浪者になれば、誰だって何が起きても大抵の事じゃ驚きませんよ」
体験したくない事ランキングのフルコースを淡々と言われたオーディス。
そう言えば自分の弟はとんでもない口論カードを持っていた事を思い出した。
まあ、グレイシャルからすれば持ってなどいたくないカードなのだが。
「わーったわーった。俺が悪かったグレイ。だからもう、それ以上その自虐はやめろ」
「ふふ、僕も冗談ですよ」
「ほんとか?」
「半分本気です」
「かーっ! 嘘つくなこの野郎!」
「いでっ!?」
グレイシャルの物言いに少しだけイラッとしたオーディスは、少しだけ力を込めてグレイシャルの頭をいつもの様に引っ叩いた。
グレイシャルはグレイシャルで全く痛くは無いが、わざとオーバーリアクション気味に痛がる。
彼がいつも大袈裟な理由。
それは、その方が面白いからに他ならない。
「あっ! おいコラ、オーディス! 毎晩船の倉庫から酒が消えてると思ったらお前がこんな所で飲んでたのか!」
いきなり自分の名前を呼ばれて驚いたオーディスは振り返る。
するとそこには、鬼の形相を浮かべながらガチギレしているクラッソスが居た。
「ゲッ……」
大袈裟な方が面白い理由は具体的に言うと、騒いだことに依って船員の誰かが近づいてきて、オーディスが勝手に酒を飲んでいる事を咎められる方が面白いしスッキリする、という点にある。
オーディスはグレイシャルに叱られても気にも留めないが、迫力のあるクラッソスに怒鳴られれば結構ビビるのだ。
オーディスがどうしようかと迷ってる間にはクラッソスはズンズンと近づいて来る。
そして遂に、オーディスは何も出来ぬまま彼に胸ぐらを掴まれていた。
「おい! その酒は俺が今日の夜飲もうと思って大事に取っておいたやつだぞ! それをお前は……! お前という奴は……!!」
「誤解だぜ船長! この酒は栓が空いた状態で偶然甲板で見つけたんだ! 俺は倉庫に行って盗ってなんかねえよ!」
「盗って無くても飲んだんなら一緒だぜオーディス! おら! 白状しやがれ!」
「いや、本当に俺は――」
「そう言えば僕、毎晩兄さんが部屋から出て行ってどこかに何かを探しに行く音を聞いてたんですよね。暗くて良く見えませんでしたけど、手に酒瓶みたい物を持っていた気がします」
「なっ!? おいクソガキ! 適当な事抜かしてるんじゃねえぞ!」
ちなみに今しがたグレイシャルが言った事は本当に適当だし、酒瓶は昼間の波が原因で本当に偶然甲板に上がって来てしまっただけだ。
だが、怒りでまともな思考が出来ないクラッソスにとって、それが嘘か本当かなど判断する事は出来ない。
で、あるならば。
クラッソスに残された選択は一つ。
「うるせぇぞオーディス! テメエ、今日は一晩中説教してやるからな! 魔術師だからって大切にして貰えると思うなよ! ウチは平等だ!」
「意味わかんねえよクソジジイ!!」
オーディスの叫びを超えを聞いて満足したグレイシャルは、去り際にオーディスの事を煽ってからニコニコと笑みを浮かべながらその場を後にした。
「それじゃあ兄さん、良い夜を」
「クソガキィ――!!」
普段まともに口喧嘩をしても負けてしまう。
肉弾戦に持ち込めば勝てるが、それではどちらかが怪我をしてしまう。
だから、卑怯かも知れないが第三者に優しくボコってもらうのが一番人道的だし「してやったり」という気分になれるのだ。
「これに凝りたら普段から僕に優しくする事ですね兄さんは」
微笑みながら階段を下って廊下を歩き、自室の扉を上機嫌で開けたグレイシャルは、手に持っていた剣を自分のベッドの横に置いて靴を脱ぎ、それから布団の上に転がり込んだ。
航海中の船はあまりする事が無く、一日中自室で本を読むくらいしか無い。
しかし、動かなくても体力というのは消費されて行くモノ。
柔らかいベッドに横になった瞬間、グレイシャルは耐え難い眠気に襲われる。
「もうそろそろクロード王国に着くのかな……。僕、いい加減……。地面に――」
最後にグレイシャルが土の上を歩いたのは2週間前。
彼は海は好きだが、大地はもっと好きなのだ。
だから、せめて少しでも早く再び自分の足で地面を踏みしめる日が来る事を祈りながら、グレイシャルは眠りについた。
上で騒いでいる船長と自らの兄の声が、子守唄の様に聞こえている内に。
――――
「うへぇ……」
「まぁまぁ兄さん。元気だして下さいよ」
「うるせぇ……。元々はオメーが適当な事を船長に言うからだろ……」
次の日の朝、グレイシャルとオーディスは自室で、窓から差し込んでくる朝日を浴びながら朝食を摂っていた。
オーディスは昨日グレイシャルに自分を船長に売った事をまだ根に持って居た様で、朝起きてからずっとグチグチ言っている。
対してグレイシャルは、口には出して言わないが「ざまあみろ」と思っていた。
「はー……。たくよ、本当に誰が毎晩酒を飲んでたんだよ。この船には幽霊でもいんじゃねえか? 死神様の国の船なんだから居てもおかしくねぇだんべ」
「あー、それなんですけど、僕普通に犯人知ってるんですよね」
「誰? 教えろグレイ。俺がそいつをしばき倒してやる」
オーディスは若干怖い表情をしながらグレイシャルに詰め寄った。
グレイシャルは凄みを利かせるオーディスに、全く臆さず話す。
「ネズミです」
「はー? おもんな。嘘つくなよ」
「いや、嘘じゃないですよ。兄さんは知らないかも知れないですけど、ヴァイタリカ王国には大型のネズミが何故か繁殖してるんですよ。ちなみに、ネズミ肉の燻製とかも売れてるくらいには美味しいらしいですよ」
「で? お前はその大型のネズミが酒を盗んだって言うのか? 馬鹿言っちゃいけねえ。幾らオメーが生物に詳しくたって、そんな事をする動物がいて堪るかよ」
「いやー、居るんだからしょうが無いじゃ無いですか」
「なら証拠見せろよお前」
「あ、全然良いですよ」
という事でグレイシャルは証拠を見せる為、オーディスは証拠を見る為に即座に朝食を済ませる事にした。
毎日の食事の質が非常に高い事もあり、食べ物はスルスルと胃の中に落ちて行く。
それから数分後、食器を空にした二人は自室を出た。
グレイシャルを先頭にして二人が向かったのは船の最下層甲板である倉庫だ。
そこには驚く程大量の荷物や日常生活で必要な雑貨や船の備品、輸出に必要な貿易品等が置かれている。
「んで? どこにそのネズミちゃんがいんだよ」
オーディスがその場で周囲を見渡しても大きいネズミなど見当たらない。
不審に思ったオーディスがグレイシャルに聞くと、彼は「まあ見てて下さい」と言ったので、オーディスはその場で見ている事にした。
「えーと、確かネズミ達の巣はこの箱だった気が――」
グレイシャルはブツブツと言いながら箱を次々と覗いたり叩いたりしている。
「あ、あったあった! ここだ! 兄さん! こっちこっち!!」
しばらくするとグレイシャルはオーディスに対して手招きをした。
オーディスは溜息を付きながら、妄想気味な弟をどうやって治そうか考えて、グレイシャルが立っている箱の隣に近づく。
「嘘だろ」
だが、その箱の中に居たモノを見てオーディスは自分の目と精神状態、そして現実化どうかを疑った。
何故ならそこには、首輪をつけられた小型犬の様な大きさのネズミが、箱の中に入って優雅に睡眠をしていたのだ。
おまけに首輪にはネームプレートの様な物まで付けられている。
どこからどう見てもこの船で飼われているネズミだった。
「こんなんがこの船に居たんか。普通に知らなかったんだが」
「えぇ。何でもコックのおじさんがペットとして飼ってるとか。普段はこの倉庫で他の害虫とか害を為すネズミとかを獲ってるらしいんですけど、たまに人間の食事も食べちゃったりお酒も飲んだりするらしんですよ」
「そうか……。俺はこんなネズミのせいで理不尽にキレられたのか……」
「いや、昨日の件は完全に兄さんが悪いでしょ。甲板に酒瓶が転がって来ちゃったんなら、そのままそれを持ってここまで戻しに来れば良かったんですよ。それを調子乗って飲むから船長に怒られるんです」
余りのグレイシャルのド正論に言い返したくてもオーディスは言い返せない。
だからせめてもの抵抗として歯をギリギリとして威嚇していると、背後から階段を使って下りてきた船員の一人が二人に声を掛けた。
「あー、居た居た二人共。クラッソス船長が二人の事を探してたよ。操舵輪の前まで来いってさ」
「あ、セルダさん。こんな所までわざわざどうも」
「うい。ていうか、何でオーディスはそんな威嚇してる犬みたいに険しい表情なの?」
「あー、これですか? ちょっと色々ありましてね。まあ、放っておけばすぐに治りますよ」
「そっか。ま、取り敢えず伝えたから。なるべく早く上まで上がってきてね」
「はーい」
グレイシャルとの会話を済ませたセルダと呼ばれた船員。
彼はそれだけ言うと再び階段を上がって言った。
セルダが居なくなったのを確認してからグレイシャルはオーディスに話しかける。
「さて、それじゃあ僕の言っている事が本当だって分かった所で、甲板に行きますか兄さん」
「……チッ」
オーディスは舌打ちで返事をした。
グレイシャルはそれを受けてオーディスに向けて苦笑いを浮かべると、振り返って階段を上がり始める。
「ったく、どーしてこんなクソでけえネズミがいんだよ。意味分かんねえ。ぜってえ後でネズミの燻製をこいつの前で食ってやる」
オーディスはオーディスで、何かブツブツと呟きながらグレイシャルの後を追い掛けて行く。
そうして二人はしばらく船内を歩いた。
クラッソスの船はそこまで大きくは無いので、一分程早歩きで歩けばすぐに最下層から甲板まで出ることが出来る。
「うわ、太陽眩し……」
「ゲッ……」
この日、初めて全身で浴びる太陽。
二人は一瞬、余りの眩しさで目を覆った。
だが、直ぐに慣れてくると心地の良い陽射しと風、それから潮の匂いを全身で感じられて気持ちが良い。
グレイシャルは両腕を真上で組んで身体を伸ばした。
「んんん~! ぷはぁー! 良い朝ですね兄さん!」
「うん、そこそこな」
「そこそこなら十分ですよ。さ、船長の所に行きますか」
「うーっす」
太陽を浴びて少しだけ気分が改善されたオーディスはまともに返事をする。
やはり人間、太陽の光を浴びるのが大切なのだ。
さて、そんなこんなで二人はクラッソスが居る操舵輪の前までやって来た。
クラッソスはグレイシャルとオーディスを見て、帽子をもう一段階深く被りながら言う。
「『始まりにして有、終わりにして無。全ての因果は星の流れの中にある――』俺はこの言葉が好きなんだがグレイシャル、オーディス。お前達は知っているか?」
「いや知らんが」
興味無さそうに即答するオーディスとは対称的に、グレイシャルは微笑みながら返事をした。
「その言葉の続きは『全てには意味があり、全てには意味が無い。あらゆる可能性は常に、同時に存在している。なればこそ、我は己の正しさを貫くまで』ですよね。数千年前、エンデロ大陸に生息した巨人族と戦争をし、一人残らず殲滅して人間の国を作り上げた初代バゼラント王国国王、ヨルク・バゼラントが晩年に呟いた言葉だった筈です」
「そうだ。流石はバゼラントの生まれだな。おかしいと思うか? バゼラントを憎んでいる俺が、初代バゼラントの王の言葉が好きな事が」
「いいえ。言葉に罪はありません。それに、その時代にはネクロライト王国は存在していませんでしたから、そもそも当時は敵同士ではありませんでした。過去と現在、それは分けて考えるべきだと僕は思ってます」
「ふふ、その通りだ。我らが敵になったのは千年前。それ以前は敵では無い。だから好きになっても問題は無い」
「えぇ、そうですね。所で、話があって僕と兄さんを呼んだんですよね? 何か用ですか船長。歴史談話なら何時間でも付き合いますが……」
グレイシャルがニヤニヤしながら船長に詰め寄る。
すると船長は苦笑いをしながら、
「嬉しいがそれはまたの機会で頼む。お前達を呼んだのは歴史の話がしたいからでも、俺の好きな言葉を聞かせたいからでも無い」
「じゃあ何だよ」
「気が付かないかオーディス? 目の良いお前なら既に見えていると思うんだがな」
「いや、どこにだよ」
「ほれ、前。前見ろ前。進行方向。この船の向かう先だよ」
「前だあ~??」
怪訝そうな表情をしながらオーディスはクラッソスに言われた通り船の進行を方向を見た。
初めは何も見えない。
だが、それでもオーディスは諦めずに目を凝らして先を見ようとした。
「んー?」
そうすると少しずつだが前方に何かが見える気がした。
ぼやけてはいたがそれは陸地の様でもあり、港の様でもあり、船の集団の様でもあったのだ。
こういう景色をオーディスは見た事がある。
と言うよりも、この景色を見る為にここまで来たのだから、分からない筈が無いのだ。
「こりゃ港じゃねえか。それも見た事があるな……。どこだったっけな。あそこだ。ほら、クロード王国公爵のレイルがオラオラ言わせてる街」
「……もしかしなくてもレイル領フォータですか?」
グレイシャルが確認する様にクラッソスに聞くと、クラッソスは近くに置いてあったオレンジを皮ごと丸齧りし、飲み込んでから返事をした。
「そうだ。やっと着いたんだ。お前達が5年前に逃げて来たフォータの港にな。そして今度は、お前達はもう一度逃げる為にこの港にやって来た。ある意味運命じゃねえのか? この街とトコトン縁があるようだな。羨ましいぜ!」
「あはははは……」
クラッソスは愉快そうに笑ったが、グレイシャルとオーディスとしては全く以て嬉しくも楽しくも無い。
けれど、こうして長い長い船旅が終わって目的地に到着出来た事、それ自体は非常に喜ばしい事だ。
一時は中断せざるを得なかった『人殺し』と『父の汚名を雪ぐ』為の苦難に満ちた旅。
大地に再び足を置いた時、グレイシャルとオーディスの運命はまた動き出す。
動き出した運命がどの様な結末を辿るのか。
それをこれから、二人は自分達の手で決めに行くのだ。




