最終話 人類とロボット
せま苦しい更生室をでた僕は足はやに喫煙室に向かった。紙巻きタバコに火をつけて一服しているとひとりの男が入ってきた。すらりと痩せた男で、まるでモナ・リザのような柔和な笑みを顔にたたえている。
彼の名前は遠藤タケル。更生官である僕の後輩だった。
「お疲れ様です、朝倉さん」と彼は言った。「やっぱり流石ですね。あんなに憤っていた彼女をほんの数時間で更生させるだなんて」
「更生させたんじゃないよ」と僕は紫煙を霧のように吐きながら言った。「彼女が自分で更生する道を選んだんだ」
「……同じようなものでしょ、それ」
「違うよ、まったく違う。きみと僕の存在ぐらいには」
彼はしばらく怪訝そうな様子で芸術家のように眉をひそめて僕のことを見ていた。巨匠が描いた抽象絵画を批評しているかのようにその目を歪めて。
けれど、やがてぽつりと、
「そんなもんなんですか」と彼は模範的に微笑んだ。
「そんなもんなんだよ」と僕は諦めを含んだ声で応えた。
それから僕たちは雑談を重ねた。この頃の天気の話や流行りの歌手の話、近々開催が予定されている木星観光ツアーの話などを適当に。
僕はそのあいだ何本か紫煙をくゆらせ、彼はただじっと僕の目を見ながら話しを続けていた。
しばらくして会話が途切れると、喫煙室にいながら遂に一本もタバコを吸うことがなかった彼は、扉に手をかけながら僕に向かって言った。
「——じゃ、お先です先輩。こんどまた飲みにでも行きましょう。もちろん、先輩の奢りで」
僕が左手を軽くあげて応えると、彼は入ってきた時と同じような柔和な笑みをたたえて出ていった。
あとに残された僕は、もう何本目か知らない紫煙を立ち昇らせて、それから先ほどの彼との会話についてを考えてみた。
実際のところ彼はロボットだし、その内容を吟味することにあまり意味はない。彼に搭載された人工知能が僕の言葉を分析し、会話に最適な受け答えをしているだけなのだから。予期しない言葉には愛想笑いを浮かべることで応答し、今度おなじような話をしたときに最適な言葉を返せるように学習しているだけ。
だから僕が考えてみたのは彼の本質についてだ。つまりは、ロボットという存在についてを。
彼ら人型ロボットが僕ら人類と見分けがつかなくなってから久しい。最近では、先ほどの彼のように、一目見ただけ、会話をしただけではそれが人間かロボットかを区別することができない種類も存在しているほどだ。このまま科学が発達していけば、いつの日か、人類とロボットの区別が意味をなさなくなっていくのかもしれないな、と僕は思った。
けれどまた、同時にこうも思った。
——あるいは、もうすでにそうなっているのかもしれない、と。
もちろん、たとえどれだけ彼らロボットが僕ら人類に似せて精巧に造られようと、結局は人類——あるいは彼らの兄、もしくは姉と呼ばれる存在——によってプログラムされた通りにしか存在することができないのは事実だ。あらかじめ決められた行動以外の動きを彼らが取ろうとすれば、それは〝バグ〟と呼ばれてすぐに正されることになる。
そしてだからこそ、多くの人たちは彼らが僕らとは根本的に異なる存在だと捉えている。使役者の理想通りにしか存在できない——自らの意思を持たない彼らと、自らの意思で考え行動することができる僕らとの間には、決して埋まらない溝があると考えている。
だけど本当にそうだろうか。本当に僕ら人類と彼らロボットは根本的に異なる存在なのだろうか。
僕はそうは思わない。少なくとも、〝保有才能調査〟のある時代に生きている僕らの場合にはまったく当てはまらない考え方だと僕は思う。
僕らの人生。
それは終着点まで真っ直ぐ伸びたレールの上を進んでいく列車のようなものだ。乗り換えも何もなく、ただ淡々と一定の速度で始発から終着駅まで進んでいく列車。
途中で窓の外を眺め、その景色に感動することはあるかもしれないが、旅をしている時に感じるはずのワクワク感は微塵もない。あるのはただ結果の決まっている退屈な目的地だけ。
そんな寂れた観光列車のように、現代の僕らは生きている。
それから僕は思い出す。
彼女たち問題児のことを。とりわけ、今は彼女のことを。
彼女は妹の夢を叶えたいと願っていた。そのためには自分の才能なんて関係ないと。たとえどんなに苦しんでも構わないとも。
僕は思う。
彼女は、——彼女たちは選んだんだ。自らの意思で列車を飛び降り、自らの足であさっての方向に進んでいくことを。身体をしばる才能という名の屈強な縄を斬りつけることで、自由という名の荒野へと自らを解き放つことを彼女たちは選んだ。
それは真っ暗な迷宮を進むようなものであり、あてなき道を進んでいくことにほかならない。
もちろん才能は絶対だ。彼女たちが行き着く先はどうしたって破滅しかない。彼女たちがどれだけその道を進んだとしても、決してその手に幸せをつかむことはできないだろう。だからこそ僕ら更生官は彼女たちを説得する。〝バグ〟の見つかったロボットのプログラムを書き換えるのと同じように。それがあるべき姿だと信じて。
でも。
それでも、僕には彼女たちの姿が輝いて見えた。
果てしない迷宮のなかを、どこにあるともしれない一筋の光明へとたどり着くために——そしてそれは存在しないかもしれないと理解していながらも——必死であがき、一歩一歩前へと足を進めていく彼女たちの姿に、僕は憧憬ともいえる感情を抱いていた。
たとえ自らの信念のために進みつづけたその果てで、あるいは感情を爆発させ、あるいは悲しみの涙を流すとしても……。
そんな彼女たちの姿こそが、僕ら現代の人類が失ってしまったものなのではないか。そしてそれを無くしてしまったがために、僕らは……。
だから僕は、問題児と接するたびに、いつも思う。
——僕らはいったい、人生を生きていると言えるのだろうか、と。
《了》