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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
妖界篇

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59. 最期の望み

 ここの何処かにハクは居るのだろうか。

 無事だろうか。

 記憶を消されたりしていないだろうか。


 早く見つかればいいけど……

 そう思いながら、三階建の建物と、その背後に聳える五重塔を見やる。


 不意に、明るくなった遠くの空に、鳥の一団がこの廃寺を背に飛んでいくのが目に入った。

 チラと見えただけだし結構離れたところにいるので、最初はただの鳥の群れかと思った。


 でもよく見ると、鳥の背に乗るような人影が見える。更に目を凝らすと、チラッと銀色の髪が靡くのが見えた気がした。


 ……見えた “気がした“、だ。


 目はいいほうだけど、確実とはいえない。

 柊士たちと寺の正面にいたら、きっと気付けなかっただろう。


 ただ、この状況下で、皆を混乱させるようなことを言うかは大変迷う。

 でも、もし本当にハクが連れて行かれたんだとしたら、事だ。


 俺は声を潜めて、こっそり亘に声をかけた。


「ねえ、亘、あっちに鳥の群れがいたんだけど、もしかしたら、なんだけど……その中に、ハクがいたかも……」

「は!?」

「あ、いや……見間違いかも知れないけど、ハクの髪が見えた気がしたんだ」


 亘の声に反応したのか、皆が視線をこちらに向ける。こっそり声をかけた意味が全然ない。

 しかし亘はお構いなしに、眉根を寄せて顎に手を添えた。


「確かに見たわけではないのですよね? 二手に別れますか?」

「いえ、あまり戦力を分散させるのは得策ではありません。奏太殿の護りも必要なのでしょう? ひとまず、誰かを偵察へ向かわせましょう」


 凪がそう言うと、桔梗が素早く鳥の姿に変わる。


「あちらの空にいた一団でしょう? 私も少しだけ気になったのです。私が後を追いましょう。皆様は、中の捜索を」


 そう言うと、翼を広げて羽ばたかせ始める。


「無理をせず、何かあれば報告を!」


 凪が声をかけると、桔梗はコクリと頷いて、鳥の群れを追って飛び立っていった。


「あちらは桔梗に任せましょう。引き際はわきまえている筈です。何かあれば呼びに来るでしょう」


 凪にそう言われて俺は小さく頷いた。



 三階建の建物内に入ると、庭と同じく人気は全く無い。その中を、警戒しながら一部屋一部屋開けて、ハクが居ないかを確認していった。

 時折、何人かの兵士に遭遇したが、亘や凪達が手早く対処していく。

 しかし、一階、二階、三階と各部屋を開けて行っても、何処にもハクの姿はない。

 寺の背後にある五重塔も同様だった。俺達が閉じ込められていた地下牢も含めて見ていったが、敵の姿はあっても、ハクの姿はない。


「やはり、先程の一団が白月様を連れ去ったのかもしれませんね」


 凪はそう言うと唇を噛む。

 桔梗が戻ってくれば居場所が掴めるはずだが、まだ戻ってきている様子はない。


 まだだろうか。

 そう思い、空を見上げる。


 そこでふと、空から地上へ白いキラキラしたものが降りて行っているのが目に入った。


 ざわっと背筋に寒気が走る。

 空の結界を解いている者がいるのだ。

 そしてそんな事をするのは一人しかあり得ない。


 しかも、太陽は出ていないが、青空が少しだけ寺の上空から覗いている。


「遼ちゃんだ! また空の結界が!」


 周囲は既に明るくなり朝を迎えている。

 あれが広がり太陽の光が届き始めれば、幻妖京の二の舞いだ。

 それに、万が一戦いに気を取られて気づいていないなんてことになれば、正面で戦っている者たちが焼き尽くされてしまう。


 白い光が降りて行っているのは、寺院の正面、つまり、戦いが行われているはずの場所だ。


「行こう! 柊ちゃんが気付いてるかわからないけど、気づいてないなら、あれを塞がないと!」


 俺がそう言うと、亘が目を見開く。


「奏太様! 無茶はしないとあれ程……!」

「あれを塞ぐだけなんだから、無茶じゃないだろ! やらなきゃ、皆、焼かれる!」


 亘や柊士が俺を心配して、ああ言ってくれているのはわかってる。

 でも、自分にしか出来ないことくらい、きちんとやりたい。特に、味方がピンチの時なら尚更だ。


 そう思っていると、思わぬ方向から加勢の声が上がった。


「参りましょう。陽の気の使い手にしか出来ぬことです。放置すれば、我が方にも人界の者にも多大な被害が生まれるでしょう。我らも必ず、奏太殿を守ると誓います」


 静かにそう言う凪に、亘は考えを決めかねるように一度、目を伏せる。


「万が一あっちが劣勢になったら次期当主である柊ちゃんだって危ないだろ。今、柊ちゃんが動ける状況かもわからないんだ。何のために陽の気の使い手がもう一人いるんだよ!」


 俺がそう言い募ると、亘はフウと息を吐き出した。


「正直、結様と奏太様の身の安全が守られれば、次期御当主のことなど二の次でも良いのですが、仕方がありませんね……」


 ……いや、何てことを……


 少しばかり耳を疑ったし、一緒に来ていた人界の妖達から咎めるような声が聞こえてくる。

 それはそうだろう。

 ただ一方で、亘が本当に俺のことを優先しようとしてくれているのがわかって、少しだけ嬉しい気持ちもわいてくる。何だか複雑だ。


 ひとまず、亘が納得してくれるのなら淕が泣いて怒りそうな発言については一旦保留ということにしておこう。


「空に手を向けていられるということは、戦場の真ん中ではなく、ある程度安全を確保できるところにいるのでしょう。こっそり近づき、捕らえましょう。捕らえる役割は我ら妖にお任せを」


 亘が言うと、凪や人界の妖達も頷く。


「奏太様は何かあれば陽の気で御自分の身を守ってください。結界を閉じるのは、安全の確保が出来てからです。気づかれてはなりませんから、何があってもギリギリまで堪えてください。いいですね?」

「わかった。遼ちゃんのことは、亘たちに任せる。俺は、結界を塞ぐことに集中するよ」


 俺がそう答えると、亘は真剣な眼差しで頷いた。


 周囲を警戒しながら、光が降りていく位置を目指していく。当初、寺の正面だと思っていたその場所は、どうやらそれよりも少しだけ外れた場所に降りていっているようだった。


 俺達は戦場となっている場所を避けて回り込み、光が降りていく場所に向かう。


 そこは、寺院の外、人気のない外塀の直ぐ側だった。塀と広めの土の道、それから茂みしかないような場所だ。


 塀の角から様子を伺うと、その一箇所に、兵が三名程かたまっているのが見えた。

 更にその中心には、遼が塀にもたれかかり、血だらけの状態で座り込んでる。

 亘に斬られた傷の手当もしていないのだろうか。

 空を仰ぎ、血に濡れたその両手を高く掲げていて、そこに白い光が吸い込まれるように降りている。


 見る限りでは、その他には兵が待ち構えている様子はない。

 亘や凪達も周りに視線を走らせているが、やはり他にはいないようで、視線を交わし首を横に振って確認しあっている。


「向かいの茂みに隠れている者がいないとも限りません。我らが茂みから囲みます。人界の方々は奏太殿と共にあの者らの動きを」


 小声で言う凪の言葉に亘が頷くと、彼らは素早く茂みに飛び込んで行く。


 すると、程なく茂みの向こう側から、ギャッ! ギャア! という叫び声が響いてきた。

 やはり、茂みの中に兵を忍ばせていたらしい。こちらが遼に気づいて近づこうとしたところを、狙おうとしていたのだろうか。


 茂みから響く声に、遼を守っていた者たちも臨戦態勢に入る。

 それと共に、亘が連れてきた人界の妖たちが遼に向かって駆け出していった。

 向こうは遼を除いて三名、こっちも三名だ。

 遼を入れれば四対三。こっちが一人足りない。

 それなのに、亘は全く動く様子がなく、それどころか、相変わらず俺の肩をぐっと押さえ込んでいた。しかも両手で。


「あのさ、さっき言ってたみたいに、自分の身くらい自分で守るよ。人手が少ないんだ。亘もあっちを手伝ってきてよ。遼ちゃんは亘達に任せるって言っただろ」


 俺がそう言うと、亘は疑うような視線をこちらに向ける。


「私とて、白月様を苦しめた者など、この手で始末してやらねば気が済みません。ただ、やはり奏太様を野放しにはできません」


 ……野放し……


 そんな話をしている間にも、互いが刀を合わせ、戦闘が激しさを増していく。


 そこで俺はふと異変に気づいた。

 空から降りていた陽の気が途切れている。

 更に、高く掲げられていた遼の手が降り、その手が胸の前で合わされるのが目に入った。


「陽の気だ!!」


 俺は思い切り亘を振り払い、慌てて塀の角から飛び出した。


 背後から舌打ちが聞こえてきたが、そんなのは無視だ。放っておけば、戦いに気を取られ、皆が陽の気に気づくことができずに焼かれてしまう。


「陽の気だ! 避けろ!」


 俺は駆け出しながら、もう一度声を張り上げる。


 いち早く俺の声に反応したのは人界の妖達だった。恐らく、遼を警戒しながら戦っていたのだろう。

 発せられた陽の気を上手く避けて対処している。それに、人界の服装だったことも功を奏しているようで、僅かに陽の気に晒された者もいたが身軽に服を使って防いでいた。


 一方で、戦いの最中で放たれた陽の気に巻きこまれた敵方の兵達は、まさか、敵味方関係なく陽の気が放たれるとは思っていなかったのだろう。もろに陽の気を浴びることになり、うめき声を上げていた。


 遼の目が、苦々しげに俺の姿を捉える。

 どこか虚ろに見えるその目に、ゾクッと背筋が寒くなる。


「……またお前かよ……奏太」


 遼の酷く冷めた声が聞こえた。


「……結局、本家の連中が、俺達の邪魔を……」


 遼がそう言いかける。しかし、全てを言い切る前に、ドス、ドスッと、刀が二本、遼の脇腹と肩口に突き立てられた。


 茂みに潜んだ兵を一掃したのか、凪達朝廷の兵達が飛び出して来て、視界の影から遼に攻撃を加えたのだ。

 数的優位に立った味方の兵達は、あっという間に敵兵を打ちのめしていく。


 うぐぅっとうめき声を上げて蹲る遼に、凪は


「まだ殺さぬ」


と凍えるような声音で言い放った。


「……何なんだよ……、お前ら……どいつも……こいつも……」


 遼から絞り出すような声が聞こえてきた。

 体を何とか起こし、こちらを見据える目には、憎悪が湛えられている。


「白月様をどうした?」


 凪の厳しい声が響く。それに、遼は口元を僅かに歪めた。


「……は? 寺の中だよ」

「中にはどこにもいらっしゃらなかった。だから聞いているのだ」


 遼の表情が一瞬のうちに変わる。眉根を寄せ、顔を強張らせた。


「……居なかった……? そんなわけ無いだろ……識に人質に取られたんだ……騒動を……収めて戻ってやらなきゃ……あいつは……」


 遼の息遣いは荒い。その顔には、苦悶の表情が浮かんでいる。

 ただ、その声音にはハクを……結を、心配する感情が垣間見えた気がした。


 その言葉に、凪の声にも戸惑いが混じる。


「……質に取られた?」

「……やはり、あの鳥の群れが……」


 他の者も動揺を隠せずにいる。


「……はっ……マジかよ……アイツ、逃げたのか……? ……結を……連れて……」


 遼はハアハアと息をしながら絶え絶えに言うと、うぅぅとうめき声を上げ、腹を抑え込む。


「……クソ……クソが……!」


 遼の声が悲痛な音を帯びる。


「……また、助けにいけないのか……また、奪われたまま……この手から……放れていくのか……」


 死の際に立たされた遼の心からの叫びが、慟哭が、今までの遼の心の奥にあった真実を映し出しているような気がして、胸が締め付けられる思いがする。


「……クソ……何なんだよ……なんで、動けねーんだよ…… ……俺にはもう……何も……できねーじゃねーか……あいつを……」


 遼はハアハアと荒い息遣いで、途切れ途切れに言葉を吐き出していく。


「……俺……が……助けてやんな……きゃ……」


 その声は、だんだんと掠れ、小さくなっていく。

 

「……俺が……あいつを……結……を……」


 悔しさからか、無力感からか、涙混じりにそう言うその様子が、どうしても見ていられずに俺は思わず、遼の方に一歩踏み出した。


 制止しようとする亘を無視し、苦々しげに遼を見つめる者たちの間を縫って、俺は遼の側に座る。


「……そう……た…………返せ……かえせよ……結を……たのむよ……あいつを……俺のところに、かえしてくれよ……」


 遼は弱々しく俺の腕を掴む。その目に浮かぶのは、威圧でも命令でも憎悪でもなく、縋るようなものだ。

 握られた腕は、振り払おうと思えばいつでも振り払えるくらいの力だ。きっともう、手にも力が入らないのかもしれない。


「……返せないよ」


 俺は、ゆっくり、静かにそう告げる。


「遼ちゃんには、返せない」


 残酷だろうか。今にも命の灯を消してしまいそうな者に、現実を突きつけるのは。


 それでも、嘘はつけない。


 無事に助けられたとしても、遼の未来がどうであっても、結は……ハクは、遼には返せない。

 ハク自身がそう望まない限り。

 それだけのことを、遼はしたのだ。


「でも……」


 ……でも、これだけは約束できる。少なくとも、俺は、その為にここに来たから。


「結ちゃんは、俺達が助けるよ。もう、辛い思いをしないように、笑って過ごせるように、俺達が助ける」


 俺がそう言うと、遼は顔をゆっくり上げる。遼の目は、もう何も見えていないかのように虚ろだ。

 それでも、遼が唯一求めるものが、しっかり映し出されているようにも思えた。


「遼ちゃんだって、もう一度、結ちゃんの笑顔を見たかったんだろ。だから、結ちゃんがもう一度、ちゃんと笑えるように、俺達が助けるよ。それが、結ちゃんと遼ちゃんにしてあげられる、俺達の唯一のことだと思うから」


 もし救えるとしたら、それは結ではなく、ハクだ。それでもきっと、遼にとっては、結、と言ってあげた方が、きっと、せめてもの救いになる。


「……ああ、そうか……」


 遼はそう息を吐きながら、ゆっくりと天を仰ぐ。


「……俺は……側で笑ってくれるあいつを……もう一度、見たかったのか……」


 遼の目から、一粒の涙が零れ落ちた。


 それは、後悔か、悲しみか。


 遼は、陰の気に支配されてやり方を間違えた。でも、遼だってきっと、失う前からずっと、本当は結の幸せを願っていたはずなんだ。


「……あいつを……結を……たすけてやってくれ……もう、これ、いじょう……」


 掠れ、震える声は、遼のものとは思えないほど弱々しく、懇願の色を濃く映し出していた。


「うん。約束するよ」


 俺がそう言うと、遼はほっとしたように、体から力をふっと抜いた。


 すると、隣に誰かがザッと歩み寄る音が聞こえた。そちらを見上げると、凪が厳しい表情で遼を見下ろし、刀を首元に突きつけた。


「ここまでの事を犯したのだ。其方はもう、生きていられぬぞ」


 凪は静かに、重々しくそう言い放つ。


「凪さん、遼ちゃんはもう……」


 きっともう永くない者に告げる言葉としては酷だと思う。せめて、静かに眠らせてやってもいいんじゃないか。そう思った。


 しかし、俺が声を上げると同時に、グイッと亘に腕を引かれて立たされ、遼と凪から引き離される。


「あの者が犯した罪は、赦されざるものです。処分は免れません。それに、あのまま放っておいては苦しみが長引くだけです」

「でも……!」


 俺は抵抗の意を示そうと声を上げる。

 しかし、遼からは、諦めとは違う、これから自分に起こるすべてを受け入れようとするような声音が返ってきた。


「……わかってる。……俺……は……どうなったって、いい……だから……あいつを……たのむよ……」

「無論だ」


 凪はそう言うと、スッと刀を構える。


「これもまた、あの者が選び取っていった結末です」


 亘の声が、酷く冷たく俺の耳に届く。


 そして、キラリと光る切っ先が、遼に向かって思い切り振り下ろされた。

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