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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
妖界篇

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5. 手術室の牛鬼

 動くことを拒否する足に鞭打つように、一歩一歩先に進む。

 (わたり)を先頭に、俺、(うしお)の順だ。

 完全に二人に守られる立場である。情けない。


 しかし、手術室の扉に入った途端、僅かに湧き上がったそんな思いは、あっという間に消し飛んだ。


 残されていた手術台の上にいたのは、鬼のように二本の角を生やし、裂けたような口から鋭い牙をのぞかせた毛むくじゃらの頭に、巨大な蜘蛛の体を持った、凶悪な見た目の化け物だった。


「う……うわぁぁ!!」


 慌てて入口にむけて這い出ようとする俺の襟首を亘が掴んで引き止める。


「大丈夫、妖です!」


 それの一体何が大丈夫なのだろうか。鬼じゃなかろうが、化け物は化け物だ。

 

 しかし、亘は平然とした顔でその化け物と向き合う。


「汐、代われ!」


 亘が声を張り上げると、汐が俺の側まで駆け寄り、ぎゅっと腕を握った。

 妖とはいえ、幼い風貌の女の子に腕を掴まれているのに、それを振り払って逃げ出せる訳が無い。


 亘は汐が俺の側まで来たのを確認すると、懐から短刀を取り出す。

 

 それを構えたかと思えば、背から翼を生やし、身軽な様子で化け物の攻撃を(かわ)しながら一度二度と斬りつけた。


 あんな姿にもなれるのかと思っているうちに、ギャア! という叫び声が聞こえて、化け物が手術台から転げ落ちる。

 

 腕が立つとは言っていたが、あんな巨体に小さな刀で攻撃を繰り出せるのだ。亘は本当に強いらしい。


 転げ落ちた化け物は、床に蹲るような仕草を見せる。

 

 それにとどめを刺そうと、亘が小刀を振りかざす姿をみて、俺はほっと息を吐き出した。

 どれ程大変な事態になるかと思っていたけれど、結構簡単に片が付きそうだ。


 しかしそう考えた瞬間、突然、亘の背後にフッと不審な影が見えた。背丈や身体付きは人に似た型。けれど、耳が生え顔が獣の様で鼻と口が前に突き出ている。


 それが長い鉄棒のような物を振り上げ、化け物の相手をする亘の頭上目掛けて思い切り振り下ろす。


「あ、危ない!!」


 俺は反射的に、腕をつかむ汐を振り切って飛び出した。


 グアッと迫る鉄棒。そこに身体をねじ込むようにして亘との間に入リ込む。咄嗟に自分の体を捻って背側に走る衝撃を覚悟しギュッと目を閉じた。

 

 しかし、その衝撃が訪れる前にグイッと亘の方に思い切り腕を引かれた。

 ドッと無様に尻餅をつくと、俺の上に影が出来る。


 視線を上げると、バキっという嫌な音と共に、亘が俺を守るようにして、自分の腕で鉄棒を受け止めたのが目に入った。


「ご無事ですか?」


 平坦な亘の声が真上から響く。

 助けに入ろうとして逆に助けられた事に気付いて、俺は息を呑んだ。


「……ご……ごめん……!」


 もしかしたら、余計な事をしたのかもと一気に青くなる。


 しかし、亘はそれを気にした様子もなく、自分を殴りつけた鉄棒を掴み、勢いをつけてブンと大きく振るう。

 その拍子に、「うわっ」という間抜けな声が何処かから聞こえ、更に亘はそちらへ向かって、もう片方の手で持っていた刀で空を切るように一閃した。


 直後、ギャッという悲鳴が響き、白っぽい塊がボトッと床に落ちる。


 そこへ、今度は全く違う方向から別の白っぽい何かが飛び出してきて、亘に飛びかかり噛み付いた。


 猫くらいの大きさの動物だが、細長くて耳が短い。イタチだろうか……

 

 亘はそれもまた、ものともせずに容赦なく振り払う。ギャウっと悲鳴を上げてイタチが床に叩きつけられた。


 俺は呆然と白いイタチを見たあと、それが飛び出してきた方に目を向ける。

 気づけば、先程までいたはずの化け物の姿はどこにもなくなっていた。


 手術室の中には、俺、亘、汐と、亘の前に体の一部に斬りつけられた赤い痕の残るイタチが二匹転がっているだけだ。


「……いったい、何だったんだ……?」


 俺はポツリと呟く。


 ふと、誰かの視線を感じて見上げると、亘がまじまじと俺のことを見下ろしていた。


「何故、飛び出してきたのです?」

「ご、ごめん。危なそうだったから、思わず……」


 助けようとした亘に、結果的に守られたかたちだ。あれなら、俺が飛び出す必要は一切なかっただろう。自分でも馬鹿な事をしたと思っている。


「腕、大丈夫? すごい音したけど……手当て、しないとだよね……」


 気まずい思いで亘の腕を見る。服に隠れて見えないけど、あの勢いで鉄棒を叩きつけられたら、最悪骨折、そうでなくても酷く腫れているはずだ。

 

「あの化け物が恐ろしかったのではないのですか?」

「……え、うん……まあ、そうなんだけど……化け物は亘が退治してたし、相手は人に似てたから……なんか、気づいたら飛び出してたっていうか……」


 咄嗟のことだったし、改めて理由を問われると困る。申し訳なさで一杯になるから、そんな風に見ないでほしい。


「……ごめん、俺のせいで、余計な怪我を……」


 けれど、亘は責めるような雰囲気ではない。むしろ、戸惑いとも驚きともつかない顔で俺のことをただじっと見ていた。


「……まるで、結様を見ているようね」


 不意に、汐がそう呟く。

 

「え、結ちゃん?」


 俺が言うと、亘はハッとした顔になる。それから、ばつが悪そうにツイッと俺から視線を逸らした。



 イタチ二匹は怪我を負ってはいるものの命に別状はなかったようで、互いの状態を確認しあうような素振りを見せたあと、恨めしげな四つの瞳をこちらに向けた。


「……子どもの(てん)だな」


 亘はそれを見下ろしながら呟く。

 イタチではなく、テンというらしい。どこかで聞いた事がある種だ。


「何かに化けるのが得意で、いたずら好きなのです」


 汐がそう説明してくれる。


「……さっきの化け物と亘を殴ろうとしたヤツは、この仔達だったの?」


 あの化け物の正体が、こんなに可愛らしい生き物とは、なんとも拍子抜けだ。亘によって斬りつけられ、床に叩きつけられたのが何だか可哀想にすら思える。


「大丈夫なの? 二匹の怪我は」

「ええ、大丈夫なはずです。手加減しましたから」


 亘のその言葉を証明するように、貂二匹は口々に悪態をつき始める。


「っちぇ。せっかくいいところだったのに」

「そこのソイツも逃げ出させたら、連続百人達成だったのに」

「なんで逃げないんだよ。人間のくせに」

「武器を持ってくるなんて卑怯だぞ!」

「そうだ! 大人の妖なんて連れてくるな!」


 可愛いが、言っていることは悪ガキそのものだ。


「全然大丈夫そうだね」

「貴方たち、人界の妖? それとも、あの穴を通ってこっちに来ているの?」


 汐の質問に、二匹はツンと顔をそらす。

 それに亘が二匹の頬をつまみ上げた。


「答えろ。今からあの穴を塞ぐんだ。お前らの家があちらにあるなら、帰れなくなるんだぞ」

「痛い痛い! やめろよ!」

「放せよ! あっちから来たよ、悪いか!」


 二匹の答えに亘がぱっと手を放すと、二匹は涙目で頬をおさえてこちらを睨む。


「何で閉じるのさ。せっかくあと一人で百人だったのに!」

「そうだ! 俺達の楽しみが無くなるだろ!」


二匹が喚くと亘は拳を握りしめる。ゴチンと音がしたと思えば、亘は有無を言わさず二人に拳骨を落としていた。


「妖にとっては(よう)の気が毒で、人にとっては(いん)の気が毒になるからだ!」


 俺はそれを呆然と眺める。

 

「……なんか、亘は手慣れてるね」


 子どもの貂二匹に説教をし始めた亘を見ながら言うと、汐は小さく頷く。


人界(じんかい)に生まれた妖の子ども達の指導もしてますからね」

「えっ、先生してるってこと?」

「まあ、似たようなものです」

「いや……それにしては……」


 前回、(ゆい)に執着するあまりぞんざいに扱われたことは、忘れていない。


「まあ、子どものようなところがあるから、子どもの扱いもうまいのでしょう」


 汐も亘を眺めながら、苦笑を浮かべた。



 しばらく亘と子ども達の様子を見ていたのだが、子ども達がみるみるうちに今までの勢いを無くしていくのがわかる。

 何を言っていたのかまでは聞いていなかったが、あの姿を見ていると、亘が先生だと言っていたのもあながち嘘ではないのだと思えた。

 子ども達は、ついにはしゅんとした様子で俺と汐の前に正座する。


「……迷惑をかけてごめんなさい」

「まあ、反省してるならいいけど……」


 俺が言うと、二人はコクリと頷く。


「ほら、謝ったらさっさとあちらへ帰れ。穴を塞げぬ。(よう)の気に晒されて酷い目には会いたくないだろう」


 亘の言葉に、二人はサァっと顔を青ざめさせる。相当亘に脅されたのだろう。

 

 手術室の奥にあった灰色の渦にすごすごと戻っていく二人の姿を見送りながら、亘はふうと息を吐いた。


「さあ、()り手様。出番ですよ」


 渦を指し示す亘に、俺はハアと息を吐きだす。まだ何もしていないのに、何だか凄く疲れた気がする。

 

 正直気乗りはしないが、またあちらからやってきた妖に騒ぎを起こされるのはごめんだ。

 灰色の渦に向き合うと、俺はパチンと手を合わせた。


 頭に浮かんでは過ぎていく祝詞を口から紡ぐ。すると、前回同様に、掌から白いキラキラした光が溢れ始めた。

 それが灰色の渦に届くと、徐々に穴が小さくなり塞がっていく。

 遂に渦そのものが消滅すると、俺はその場にストンと座りこんだ。


「……何だか凄く疲れた」


 子どもの(てん)二匹に驚かされたせいで、余計なパワーを使った感じだ。


「それにしても、あんなに人を驚かすことに執念燃やしてるなんて。そりゃ、有名な心霊スポットにもなるよ」


 所謂(いわゆる)心霊スポットと呼ばれる場所がこんなふうに妖が好き勝手している場所だと思うと、今まで感じていた恐怖ではなく面倒過ぎて近づきたくない。


 そう思っていると、汐がボソッと冷たく言う。


「ただ、先程のような、人のくせに面白半分にこういった建物に入り込んでくるような手合いを心底脅かしてやりたくなる気持ちはよく分かります」


 ……人のくせに……


 汐はここにも一人、人が居ることを忘れているのでは無かろうか。


 表情一つ変えずに言う汐に、亘は苦笑を漏らした。


「侮られて腹が立つ気持ちはわからなくもないが、少し落ち着け。汐があの者らよりも長く生きているなどと誰にも分からぬ」


 なるほど。

 表情が変わらないから分からなかったけど、どうやら相当怒っていたらしい。


 それにしても、妖だからと年齢なんて気にしたこともなかったが、汐は大学生グループっぽいあの人達よりも年上らしい。


「……汐って何歳なの?」

「遠に30を超えています」

「妖にしては、まだまだ子どもです。50でようやく大人の仲間入りですから」


 人からすれば、30年も生きていれば、立派な大人だ。汐さん、と呼ばなくてはならない年齢じゃないか。


「ちなみに亘は何歳なの?」

「さあ。途中で数えるのを辞めてしまいましたからよく分かりませんが、二百くらいでしょうか……」

「二百!? 江戸時代から生きてるってこと!?」

「ああ、江戸の町には行ったことがありましたね。それに、吉原は、それはそれは素晴らしいところでした」


 懐かしそうな表情を浮かべる亘に、汐は呆れた目を向ける。


 ……それにしても、まさか、リアルタイムで江戸時代を知っている者に会うことができるとは思いもしなかった。


「凄いね。初めて亘を尊敬するよ」


 俺が言うと、汐は今度はこちらに呆れ顔を向けた。


「吉原に行ったことは手放しで羨ましがられても可笑しく無いような場所でしたが、今の時代、奏太様には少し早いのでは?」


 亘のその言葉で汐の視線の意味に気づいて、俺は慌てて顔の前で両手を振って否定する。


「ち、違うよ! 吉原じゃなくて、江戸時代に生きていたってことをだよ!」


 しかし、汐はジトっとした目をこちらに向ける事をやめる様子はない。


 亘はその様子に、クッと面白がるような笑いを漏らした。

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