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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
妖界篇

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3. 最初の仕事

 鬼火を連れ、蝶の姿の汐の案内に従って校舎の裏に向かう。

 さすが古い学校だけあって、物凄く気味が悪い。

 風のない夏の日に、鬼火の僅かな光源を頼りに先に進んでいくのだ。完全に肝試しである。


 田舎のせいもあるけど、周囲はシンと静まり返っていていて、ザッザッという俺と亘の足音だけが響く。


 しかし、しばらく進むと、シンと静まり返った空気の中で何処からかグチャグチャと奇妙な小さな音が聞こえはじめた。


 音のする方に目を凝らせば、校舎裏の隅、暗がりの中で小さな影が動いた。子どもか、それよりも小さな何か。猿だろうか。


「ねえ、あれ、何かいる」


 俺がそう言った時だった。グルリとその顔が向きを変え、光を反射した小さな二つの瞳と目が合った気がした。

 

 瞬間、ギャァアッとけたたましい鳴き声が周囲に響き渡る。

 

 それとともに、その猿のような何かが奇妙に長い腕を地面に着けて、こちらに向かって勢いよくビョンと跳ね上がった。


「うわっ!」


 俺が思わず声を上げると、それに重ねるように、亘が鋭い声を出す。

 

「小鬼だ!!」


 俺は亘の背の後ろにグイッと押し込まれ、亘はどこに持っていたのか短い刀を取り出し構えた。


 鬼火の光で照らされた場所に躍り出たその姿に、俺はゾッとした。

 

「……何だよ、あれ」

 

 猿のような体躯。両手には長く鋭い爪。赤黒く濡らした口周り。そこから伸びた獰猛な牙。頭には二本の角。

 

 そんな動物、少なくとも俺は今まで見たことがない。

 

 その生き物が、まるで獲物を見つけたかのようにニイっと不気味に口元を歪め、ダッと一目散にこちらへ駆け出した。


「お下がりください!」

 

 亘が緊迫した声をだす。

 先ほど俺をからかって遊んでいた者と同一とは思えない雰囲気。

 

 亘は飛びかかってこようとする小鬼に向かって短い刀を素早く振り抜いた。


 ギャッという声と共に、ドサッと地面に重たく落ちる音がする。


 ほんの一瞬の出来事。

 何があったかもよくわからない。


 ただ、再び周囲に静寂が戻ると、ドッドッと胸に鼓動が打ちつける音が耳に響いた。


「汐、どうなっている!? 鬼界との綻びがあるとは聞いていないぞ」


 亘の怒声が響く。ヒラリと青い蝶が舞い降りて来ると、そこから高い声音が聞こえた。


「報告にはなかったわ。偵察の際に見逃したのかも」

「見逃した、では済まされない! また、あの時の様なことでもあればどうする!? あの方は――」


 亘はそこまで言うと言葉を止め、悔しそうに表情を歪めてギリっと奥歯を噛んだ。

 

 二人の様子から、ただ事じゃない事だけは分かる。でも俺には一切、状況が掴めない。

 

「私が周囲の確認をしてくるわ。綻びを見つけたら呼びに戻ってくるから、貴方はここで奏太様を御守りしていて」


 汐はそれだけ言い残すと、再びヒラリと舞い上がる。

 

 遠く離れていく青い蝶の姿を見送ると、俺は亘の向こう側に落ちた、見たこともない生き物の方に視線を向けた。


「あれ、何だったの?」


 俺が尋ねると、亘は刀を構え周囲を警戒しながら声低く言う。

 

「小鬼です。鬼界と呼ばれる、鬼の住む世界との結界の綻びから侵入したのでしょう。どうやら、既に何かを喰っていたようですね」


 亘の視線を追えば、最初に小鬼を見つけた場所に、黒い小さな塊があった。それが何かは、ここからは見えない。

 

「……喰っていたって……」

「動物、人間、妖。奴らは何でも喰います。アレがこちらに飛びかかってきたのも、我らを獲物と認識したからです」

 

 もう一度、地面に落ちた小鬼に目を向けると、刀に切られ地面に倒れた猿の様な身体から、赤い血が大量に染み出している。長く鋭い爪は、乾いた地面に投げ出されているのに、ぬらりと赤黒く染まっていた。


 背筋が寒くなるとともに、吐き気がして俺は口元に手を当てる。


「身体は小さくとも力があります。襲われれば、人間の大人であってもひとたまりありません。他に居ないとも限りませんから、周囲を警戒していてください」

「ほ、他にもいるの!?」


 俺は思わず声を裏返した。


「結界の穴が開いていれば、いくらでも入ってきますよ。小鬼などまだ可愛いものです。だから、貴方に一刻も早く綻びに生じた穴を閉じていただかねばならぬのです。他に被害が出る前に」


 まさか、こんなものが出てくるとは思いもしなかった。


「……か、帰ろうよ。危険だ」


 俺が言うと、亘はスッと目を細め冷めた視線をこちらに向けた。


「やると決めてこちらに来たのは貴方では? 少なくとも、結界の綻びを塞ぐ仕事は貴方と柊士様にしか出来ません。放っておけば被害が広がるばかり。それを放置して逃げ出すのですか?」

「でも――」

「……柊士様といい貴方といい、何故、残ったのが貴方がたなのでしょうね」


 吐き捨てるような言い方。まるで、失望したと言わんばかりに。


「もしも、あの方が――…… いえ、そのような仮定に、もう意味はありませんね」


 亘はそれだけ言うと、自分を落ち着けようとでもする様に、小さく息を吐いた。

 それから、真面目な顔で俺の目を見る。

 

「鬼界の穴を放置し、鬼がこちらに紛れ込めば、死ぬのはあのような動物だけでは済みません。幾人も、人が喰い殺されるでしょう。貴方が成すべきことを成さずここを逃げ出しただけで、です」

「……そんな事言われったって……」 

 

 俺が動かなきゃ人が死ぬ。

 その言葉が重く胸の奥に落ちる。

 

「何故、貴方がたが『守り手様』と呼ばれるかお分かりで? この人の世を、妖鬼から守るのが貴方の御役目。そして貴方がたにしか出来ぬから、我らが護衛につくのです。ここまで来た以上、御役目をお果たしください、守り手様。貴方がその御役目を担うならば、我らもまた、命を賭して貴方を御守りしましょう。それが私の役目ですから」


 そんな重大な役目を負わされるなんて思いもしなかった。しかも、自分の身を危険に晒してまでやらなきゃならないなんて。


 俺が未だに躊躇うのを見て取ったのか、亘はハアと小さく息を吐いた。


「アレが大量に人界に紛れ込み、いずれ貴方の住む地に現れれば、貴方の周囲の者たちはどうなるでしょうね」


 さっきの小鬼。何かをグチャグチャと喰っていたアレが、結界の穴を通って大量に俺達の住む町にまで来る様子を思い浮かべて背筋が寒くなる。

 きっと、大騒ぎになるだろう。もしかしたら、家族や友だちにも被害が出るかもしれない。


 亘の言葉に、俺はギュッと目を閉じた。


「……ホントに、俺と柊ちゃんにしかできないの?」

「ええ」


 やりたくない。このまま知らなかったフリをしたい。 

 だけど……

 

「…………ホントに、守ってくれるの? さっきみたいに」

「貴方が御役目を果たされるのなら、いくらでも。仕事ですから」


 亘に気負った様子はない。先ほどの様子を見るに、それだけの力があるのだろう。


 俺は唇の裏を噛む。


 柊ちゃんは居ない。

 誰かがやってくれるなんて、そんな都合の良い状況はやってこない。


 ホントは怖い。それでも――


「……分かった。やるよ。俺にしかできないなら、せめて結界の穴を閉じるところまで。それで、他の誰かを犠牲にせずに皆を守ることができるなら」


 俺が言うと、亘は何故か、少しだけ拍子抜けしたような顔で俺を見る。それから、厳しかった表情を少しだけ和らげた。


「それだけで十分ですよ。貴方がすべきは、ただその一点だけですから」



 しばらくすると、青い蝶がヒラリと戻ってくるのが見えた。


「亘、鬼界との綻びを見つけたわ。校舎と体育館の間の狭い隙間。ここからすぐのところよ」

「他に鬼は?」

「この周辺には見当たらないわ。とにかく、鬼界の方を早めに閉じていただいて、後処理は他の者に任せましょう。妖界の方は後回しに」


 亘は汐の言葉に首肯する。

 そのまま汐のあとについていくと、建物と建物の狭い隙間に、フラフープくらいの大きさの黒の何かがぽつんと宙に浮かんでいた。真ん中は、ほんの少しだけ穴があいていて、向こう側にこことは明らかに違う場所が見える。


「あれです。奏太様」


 汐が示したそれに近づいて見ると、何だかすごい勢いで黒い煙のようなものが渦を巻いている。本家で汐が言っていたとおり、これが、結界の綻びなのだろう。


「周囲はお任せを。確実に御守りします」


 亘の声に、俺はコクと頷いた。こればっかりは、信用して任せるしかない。


 ただ、やると決めて渦の前まで来たはいいが、肝心の綻びの修復方法が不明なままだったことに今更気づく。


「ええと……ここからどうしたら……」


 ……強く願うと、やり方がわかると言っていたけど……


 そう思いながら、さらに渦に近づく。

 すると、唐突にそれがどういうことなのかが理解できた。

 

 不思議なことに、あの本から流れ込んできた光の文字が頭の中で浮かび上がり、何をすればいいのか、どうすればいいのかが、まるで前から知っていたかのようにわかったのだ。


 俺は、コトンとランタンを地面に置いて、前に進み出る。そして、両手をパンと合わせた。

 

 頭の中には、あの紙束に書いてあったような文字の羅列が光を帯びて次々と浮かんでは消えていく。文字自体が読めるわけではない。でも、口から自然と言葉が紡がれていく。

 

 神社などでおはらいを受けるときなどに聞く祝詞のりとに似た感じだが、たぶん日本語ではない。意味もわからない。

 

 けれど、手を前に突き出して頭に浮かぶそれを口に出して唱えていくと、掌から細い粒子のようなキラキラした眩い白い光が溢れ始めた。


 その白い光が黒い渦に吸い込まれていくと、徐々に渦が中心に向かって収束し小さくなっていく。

 

 自分がやっていることなのに、凄く不思議な光景だ。

 キラキラした光が渦を埋め尽くしていく、美しく神々しくも見える力の奔流。


「これが、鬼も妖も焼き払う、守り手様だけが使うことのできる陽の力です。奏太様。貴方がただけの、特別な力」


 汐の声が耳に届く。

  

 その(さま)に目を奪われていると、収束していった黒の渦が一点に集まり、やがてフッとその姿を消し去った。それとともに、頭の中の祝詞もまたスウッと消えていく。


「御見事です。奏太様」


 満足そうな汐の声が聞こえると、夢見心地から一気に現実に引き戻されたような感覚がして、ぐらりと目の前が揺れた。

 立っていられなくなって、俺はその場にストンと座り込む。急激な疲労に襲われる。身体がだるくて、動けない。


「初めての御役目で御負担が大きかったのでしょう。結界を塞ぐと、御自分の中にある力を相当使うのだと聞きました。また亘に乗って戻らねばなりません。周囲の警戒は続けますので、少しお休みになってください」


 鈴の音の様な声がすぐ近くに聞こえ、伏せた顔をあげると、汐がヒラリと俺の手の上に降りたところだった。

  

「……これで、終わりなの?」

「鬼界の方は、ですがね。ひとまず、お疲れ様でした。守り手様」


 先ほどよりも幾分柔らかくなった亘の声。

 けれど、その内容に何だか嫌な予感がした。


「……えーっと……鬼界の方は、っていうのは?」

「本来、塞いでいただくはずだった妖界との結界の綻びがそのままなのです。けれど、初めての御役目ですし、周囲の確認も必要ですから、明日また参りましょう。奏太様」


 汐の言葉に、俺は思わず息を呑んだ。


 これだけ精魂使い果たし、未知の危険生物の脅威にも晒されてヘトヘトなのに、まさか明日もだなんて……


 しかし、汐に困ったような声音で

  

「鬼界ほどの危険はなくとも、結界の綻びは人に様々な弊害を及ぼしますから」


と言われれば、断る言葉がない。

 

 結界の綻びがあるせいで何が起こるかを身を持って体験してしまったのだ。放置する選択肢は取りにくい。

 

「……わかったよ。でも、その前に、鬼火を放してあげないと」

「逃がすのですか? せっかく捕まえたのに」


 亘はそう言うが、意思があるのは確実だし、本当に人魂だとしたらこのまま硝子の箱に閉じ込めておいて良いわけがない。

 

 亘を無視して硝子の箱を開け放ってやると、鬼火はふわりと箱から浮かび上がり、(たわむ)れるように俺の周囲をくるりと一周したあと、空へ飛んで消えていった。

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