270. 騒動の結末
「奏太様には、力と感情の制御をする方法を早急に学んでいただかねばなりませんね。どれ程肝を冷やしたことか」
神の力を得た者が直接、地上に生きる者の命を一気に奪うのは、かなりまずい行為だったようで、俺の力に晒されて倒れた者達が、怯えて憔悴しているとは言え無事に生きていたという報告を受けて、朱が心底安心したように息を吐いた。
あれから、亘が目覚めるまでには、二日ほどかかった。
里に戻すのは心配だったので、本家で様子を見てもらっていたけれど、取れかけていた翼は尾定がうまく治療してくれて、更に妖界の温泉水も使ったことで、一応見た目だけはしっかりくっついている。今までどおりに飛べるかは、本人の努力次第、だそうだ。
目を離した隙に無理をしそうなので、しばらく強制休暇だと言って、本家に置いてきた。
柊士の護衛役が本家に常駐しているし、後から騒動を知った柾が、好敵手を不当に奪われまいと本家に入り浸って目を光らせているので、周囲の警備に問題はない。
問題があるとすれば柾本人だが、重傷者に手出ししたら一生戦えなくなるぞと脅したので、唐突に戦いをふっかけることはないと祈りたい。
……やっぱり、連れて帰ってくるべきだったかな……
感情が振り切れるほどの怒りを見せた俺の状態を危惧した朱も、里の者達に対して神の怒りに触れた者の末路を語って脅しまくっていたので、これ以上、亘に危害を加えようと思う者もいないだろう。まあ、朱のいうような天変地異なんて、俺に起こせるわけがないんだけど。
亘を拷問していた連中は、里の規律に照らせば重罰には値しないとして、降格処分と、俺への配慮として俺と俺の眷属への接触禁止、一定期間の謹慎処分が言い渡された。
自分の管理監督不行き届きだったと粟路も謝罪に来て、規律の見直しも約束してくれたけど、殺されかけた亘の状態を思えば、たかだかそんな処分で済まされてしまうのかと、どうしてもモヤモヤが消えなかった。
そう思っていたら、巽がふらっと家にやってきて、そいつらのその後の状況を教えてくれた。
「形式上は軽い罰に見えますけど、現実は結構悲惨みたいですよ」
武官も文官も異例の二段階降級。上級から下級へ、中級から見習いへ。しかも、当主と秩序の神に睨まれた者など、誰も重用したくない。結果、誰もやりたがらない閑職に回されるしかなかった。
「ついでに、柊士様が聴取で長々と弁明を聞かされて疲れた拍子に、できたら顔を見たくない、と仰ったんです。それを拡大解釈した淕さんによって、柊士様への接触も禁止されてます。少なくとも、柊士様の代での昇級は絶望的でしょうね」
障壁は柊士だけではない。人の短い生であれば、三代も下れば罪を忘れられ、元の地位に戻ることが可能だったかも知れない。けれど、俺は永遠に今のまま。つまり、いつまでたってもあいつらが重用される未来はやってこない、というのが大方の見方だそうだ。
「生涯出世が見込めず、閑職確定なので、家族や恋人からも見放されたようです。一方で、もともと、亘さんは女性人気が高かったですけど、奏太様が必死に助けようとなさったのが美談になっていて、亘さんの評判も一緒に上がっています。奏太様の行動から、闇の女神に操られていたのも事実として受け入れられていますし、それすら、奏太様を想う故のものだったと評価する声が多いです。まあ、一部の女性の間では、ちょっと斜め上に昇華されつつありますけど……」
巽がごにゃごにゃと言葉尻を濁したせいで最後の方はよく聞き取れなかったけど、否定意見はあまり出ていないようで何よりだ。
「とにかく、女性人気の高い亘さんを痛めつけた悪役のたどる末路は、結構悲惨なものになりつつあるってことです。……女性を敵に回すと、怖いですから」
最後の言葉だけ、巽はヒソヒソと俺に耳打ちするように言った。
「というか、それらの状況の裏で、コソコソ動いていたのは巽のようですよ」
内緒話が気に障ったのか、汐が不機嫌そうに言う。
「いやだな。事実を伝えて回っていただけなのに」
巽は胡散臭い笑みを浮かべていたけど、要約すれば、柊士の愚痴を拾って淕が拡大解釈するように仕向けたのも巽、首謀者達の家族や恋人に近しい者達に近寄って彼らの将来が絶望的だと吹き込んだのも巽、亘と俺の美談を作り出し噂を流して煽ったのも巽、女性陣の中で悪役が徹底的に憎まれるように誘導したのも巽、ということらしい。
思わぬ手腕に、顔が引きつるのを止められない。噂を操って相手を社会的に抹殺しようと暗躍するだなんて、絶対に敵にまわしちゃいけないヤツだ。
「朱さんが神の怒りについて脅してまわったのも、随分効果的に働いてくれましたよ。いい意味で、畏れのようなものが生まれたようです。奏太様を神聖視する者も出てきてますし。まあ、実際、神様なんですけど」
……たぶん、そこにも巽は一枚噛んでいるのだろう。
前々から文官に向いているとは思っていたけど、もはや怖いくらいだ。ついでに、すべての裏に巽がいるってことに普通に気づいている汐もまた、優秀ということなのだろう。
とりあえず、二人の前で余計なことは言わないようにと、俺は少しだけ警戒心を引き上げた。
その巽と椿は、本人達が望んだように、神力を追加で与えて、亘や汐と同じような眷属となった。
良く口が回る分、失言の多い巽は、亘が言ったのと同じようなことをうっかり汐の前で口を滑らせ、バッチリ汐の怒りを買っていた。きっと、力を与えている間にほんの少しだけうめき声を漏らたことを、永遠に汐にチクチクと突かれ続けることだろう。
……ああ見えて、汐は結構しつこいから。
困っているのは、汐と椿が、競うように毎日、陽の気をねだってくること。身体の負担にはならないから拒否する理由がないけれど、どっちがどれだけ長かったとか、そういうどうだって良いことで揉めるたびにいちいち仲裁に入らなければならないので、心的負担が大きい。というか、正直面倒くさい。
これに関しては、巽も一切関与しようとせず、遠くから傍観しているだけだし。
いっそのこと、毎日交互に与えることにして、互いが目に入らない状態で陽の気を与えた方がいいのかもしれない。
……ていうか、陽の気を与えるのは、できるだけゆっくりにしたいんだけど……
―― それから。
俺の日常は今までとあんまり変わらない状態に戻った。父と約束した通り、普通に大学に毎日通い、毎日父母の居る自宅に帰る。結界に穴が空いたと分かれば塞ぎにいくし、本家にも顔を出す。
感情の制御に課題は残るけど、自分の大事な者達が傷つけられるようなことでもなければ、滅多にあんなことにはならない。ちょっとずつ、力を抑える練習を朱とする予定だ。
普段の護衛には朱が増えたし、浅沙達が引き続き家周辺の警護についたり御役目に同行したりと臨機応変に動いてくれているので、以前よりもちょっとだけ賑やかになった。
亘は、俺の心配も虚しく療養の途中で柾の挑発にちょこちょこ乗っていたらしい。良いのか悪いのか、それが結果的にリハビリに繋がっていたようで、あっという間に今まで通りに動けるまで回復した。
……まあ、本家で大暴れした結果、主である俺を巻き込み、本家の一室で柊士の前に並んで正座させられる羽目になったわけだけど。
変わったことと言えば、毎週末に鬼界に行くようになったこと。
当初の予定通り、深淵に行って残った闇を祓うためだ。深淵の残りと言っても結構な範囲があるので、全て祓うには時間がかかりそうだと、朱が言っていた。
マソホがいつの間にか鬼界立て直しの中心に据えられていたので、鬼界に残った他の眷属達の話と合わせて状況を聞いたりもしている。
もともと朱は、俺の基本拠点を鬼界にさせたかったようで、そこの説得には結構な労力が必要だった。
承諾なしに神の力が譲渡されたことや、御先祖様と陰の子の親子の情を引き合いに出し、俺の今までの生き方を奪うのかと涙交りに語り、最終的に人界で生活させるつもりが無いなら、鬼界には戻らないからと脅したことで、週末二日間の鬼界滞在で決着をつけた。
貴重な週末休みを失ったわけだけど、人界での生活を失うよりはマシだ。
久々に鬼界に行くと、鬼たちから怖いくらいの熱烈歓迎を受けた。勢いが凄すぎて、こちらが引くほどだ。
特に唖然としたのは、陰の子を祓った辺りに建てられた碑に案内され、白日の廟と共に、神――つまり俺と、女神――つまりハクが祀られる社殿のようなものの建設計画を聞かされたこと。
「奏太様とハク様、二柱の夫婦神によって、鬼界は栄えていくのですよ!」
と、以前拾った鬼の子が、誇らしげに言ったけど、ツッコミどころが満載すぎて、一体何から正していけばいいのかもわからない。
「信仰心が厚いようで何よりですね」
朱が満足そうにそう言った。
夫婦神に並べ立てられたハクのところにも、月に一度は行っている。
鬼界の日石を応用して、いずれ陽の気の使い手がいなくなっても妖界の結界石に陽の気を注げるようにしたいと、ハクが張り切って研究を推進しているので、その状況を聞いたり日石の見本を持っていったりしながら、妖界の状態も見て回った。
妖界のパトロールは、御先祖様ができなくなってしまっていた、俺の仕事の一つだそうだ。
結界が弱くなっていれば結界を補強し、陽の気が不足していそうな土地があれば注いで元気にしたり。そういう、妖達の理に関わらない問題事を片付けていたら、ハクをあんまり動かしたくない璃耀に便利屋扱いされ始めたので、来訪頻度を落とすか、幻妖宮への立ち寄りを極力減らすかを検討中だ。
あとは、主様のところにも定期的に通っている。
自分が似たような立場になったことで、主様が随分、俺を眷属にすることに力を使ったのかがよくわかった。そして、与えた力を不当に奪われたということも。
なので、口汚く罵られても、朱が苛々しているのを横目に、俺は粛々と主様の要求に対して動ける範囲で動いている。
主様も、さすがに理不尽な要求はしてこないので、このまま恩返しができればいいと思ってる。
そうやって、慌ただしくも何気ない日々は過ぎていく。
温かく、貴重で、俺にとって何よりも、どんな時代よりも大事な、日常だ。




