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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
鬼界篇

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269. 裁きの行方③

「…………柊ちゃん?」


 俺を掴んだ手が、力を無くしてズルっと滑る。


「柊ちゃんっ!!」


 崩れかかった体を慌てて支えると、柊士がホッと息を吐いたのがわかった。


「……戻ったか」


 柊士は俺の顔に手を伸ばし、片方の目元を親指でなぞる。


「戻ったって……何が……?」

「瞳の色が、金に変わってた。神にお前を取られたのかと……」

「俺の目が? それに、取られるって、そんなわけ……」

 

 体に力が入らないのか、俺に体重を預けてなんとか立っている柊士をその場に座らせながら言うと、柊士は静かに首を横に振った。


「違うって言い切れるか? 周囲の者を圧し潰す程の力を放って、汐の制止の声も届かない。俺が肩を掴むまで、俺の声も聞こえてなかった。あのまま全員殺すつもりだったろ」

「……それは……」


 確かに、そのつもりだった。全部滅びればいいと、本気で思った。

 柊士の顔を見て、今はだいぶ冷静になったけど、あの瞬間、自分でも怒りを制御できなかった。

 我を忘れるっていうのは、ああいう状態を言うのかも知れない。

 

「力に飲み込まれて、お前がお前じゃなくなっていくように見えた。お前の眷属以外は近づけない上に、弱い者はお前の力でどんどん倒れていく。他の者達の中で俺だけが近づけたのは、たぶん、何処かでお前の力の元と同じ血を引いてたからだ。あのまま止まらず力を放ち続けていたら、お前自身、どうなってたかわからない。頼むから、しっかりしてくれよ」


 柊士に言われて改めて見回せば、周囲は酷い有様になっていた。

 少なくとも、直接力を向けた者達に立っているものは居ない。柊士の向こう側には淕達の姿が見えたけど、柊士の言う通り近づけなかったのか、遠巻きにこちらを見て警戒しているだけだ。

 さらに、淕の後ろには、どういうわけか柊士の護衛役以外の武官や文官の姿もあって、どれもこれも顔色が悪く、とりわけ文官は、おびえたような目で俺を見ていた。

 

「……ごめん……なさい……」


 小さく言うと、柊士は仕方がなさそうに息を吐いた。


「淕! もう大丈夫だ。亘の様子を見てやれ。あと、倒れてる連中の確認もだ!」


 グイッと口元を拭いながら、柊士が声を張り上げる。

 

「そうだ、亘……っ!」


 俺はハッと振り返った。怒りに呑まれて、肝心なものすら見失なっていたことに、サァっと全身から血の気が引いていく。


「朱、亘は!?」


 一番近くで亘の様子を見ていてくれたらしい朱に声をかけると、朱もまた、ホッとしたような表情を俺に向けた。


「大丈夫です。息はあります。しかし、だいぶ弱っているようです。どうか、力をお分けください」


 俺はコクと頷くと、真っ先にこちらへやってきた淕に柊士を預けて亘の元へ駆け寄る。もう、邪魔をする者は誰も居ない。


 開け放たれた格子戸の内側に入り近くで見れば、亘の身体の状態の深刻さがよくわかった。よくこれで、生きていてくれたと思うほどに。


「……亘、ごめん、遅くなって……」


 亘の体に触れて、そう声をかけたけど、亘から返事はおろか、反応すら戻ってこない。

 悔しさにギュッと奥歯を噛み、そのまま自分の中にある力を亘に送り始めた。白と金に輝く力が、亘の体を包んでいく。

 

 それを見た周囲からどよめきが上がる。

 けど、そんなの、どうだっていい。

 全部無視して、亘の身体にだけ集中していると、そっと優しく朱に肩を叩かれた。


「奏太様、神力ではなく、陽の気のみをお与えください。強い神力は亘の体の負担になりましょう」


 そういえば、眷属にする時に、汐も亘も苦しそうにしてたっけ。ふとその表情を思い出し、俺はコクと頷いた。


 力の出し方を変えれば、発せられる力の色が純粋な白に変わる。それでも、亘の身体が陽の気に焼かれることはない。正しく、俺の眷属になった証。


「汐、俺が陽の気を送ってる間に、ちょっとでも手当てしてやって。俺の温泉水、使っていいから」

「はい、承知しました」


 汐はそう言いながら、陽の気に包まれる亘の応急処置を始める。


「……なんで、亘さんも汐ちゃんも、陽の気に触れていられるんですか……?」


 巽がポカンとしたように言う。

 

「俺の眷属になったからだよ。俺の力限定で、だけど」

「私達も触れられるのですか?」

「たぶん、大丈夫だと思うけど……」


 念の為に朱を見ると、朱は巽と椿の二人に頷いて見せた。

 

 二人はそれに顔を輝かせる。汐もそうだったけど、陽の気に触れられるというのは、妖達にとって、憧れのようなものがあるのだろうか。 


 ……あ、汐が喜んだのは、別の理由だったっけ。

 

 

 しばらくすると、回復して動けるようになった柊士が、亘の枷を外してくれた。尾定も御番所に呼んで治療できる状態を整えてくれてるらしい。


 柊士が連れてきた文官の一部から咎めるような声が上がり心がザラリとしたけど、すぐに柊士に落ち着けと背を叩かれた。


「神の眷属を里の規律に当てはめて裁こうとした結果がこれだ。怒りをその身を持って体感し、亘が眷属であることを目の当たりにしておいて、まだ、里の規律に縛りつけて裁くつもりか?」

「し……しかし、柊士様……」

「亘はそれでも、守り手様の護衛役であり、里の武官で……」

 

 柊士と共に来たであろう文官達の一部が、諦めきれないように食い下がる。

 

 俺は、苛々と波立つ心を、落ち着け、落ち着けと、呪文を唱えるようにしながら、拳を握って何とか耐えた。

 手が震えそうになるのを、汐が小さな手で上からそっと覆う。


 それを見かねたように、朱がポツリと呟いた。


「この里の者は、何と傲慢なのでしょうね」

 

 それから、俺達と里の者達との間に立つ。


「眷属を殺すということは、神の力を削ぐ行為。実際、奏太様は、亘が死に向かっているのを感じ取り、力を奪われる痛みを感じていらっしゃった。世界を救いし秩序の神を害するに等しい。この里の者はそれを良しとし、神を敵に回す覚悟があるのか?」

「……奏太?」


 柊士の心配気な目がこちらに向く。


「今は大丈夫だよ。力を与えて、亘の状態が安定したからだと思う。さっさと手当てはしてやりたいけど」


 そう言いながらジロリと文官達を睨めば、彼らはジリっと後ろに下がる。


 それを見て、巽が意地悪く笑った。

 

「神に敵対するなんてとんでもない事ですけど、里の規律に当てはめたって、奏太様の眷属となった亘さんを殺して奏太様の力を削ぐってことは、皆さんが散々懸念していた、守り手様を害するってことにも当てはまっちゃうってわけですよね」


 椿もそれに頷く。


「そもそも、日向御当主に承認いただけないからと、その御意思を無視して、里の規律に反するかどうかというギリギリの線で亘さんを始末し、自分達の主張を見せつけようだなんて、やり方が悪質過ぎます」

「しかも、それを里の意思だなんて。奏太様の眷属となったとは言え、里の文官をしていた自分が恥ずかしくなります」


 俺の手に添えられた汐の手に、力がこもった。


 瞬間、堪えきれなくなったように、柊士とともに来た者達の後方から声が上がった。


「さ、里の意思だなんて、まさか、そのような事はありません!!」

「全ての者がそのように考えているわけではございません! どうか、御理解ください!」


 その声をきっかけに、文官達の間から、次々と、今回の件の首謀者達への不満と弁明が上がり始める。


 この惨状を見て朱達の主張を聞いた途端に意見を翻した者がいるのだとしたら、とんだ卑怯者だ。


 そう思っていると、柊士にぐりっと人差し指の腹で眉間を押さえられた。


「全部が全部、亘の処分に賛同していたわけじゃない。反対派と賛同派の話し合いの為に主要な者が集まった隙をついて、事を起こした馬鹿がいたってことだ」


 そう言われて、柊士と共に文官と武官がぞろぞろと現れた理由がようやくわかった。


 俺は、柊士とその周辺以外の全てが敵だと思い込んでいた。けど、どうやらそうじゃなかったらしい。


 うがった見方をしていたことに気づいて、柊士に押された額に手を当て、自分を落ち着けるために息を吐き出した。


 それから、集まってきていた者達をざっと見回す。

 

「里の規律や方針は、俺が口出しすべきことじゃないし、当主の判断に任せるよ。けど、俺の大事にしている者達に手を出そうとするなら、いくら理不尽と言われようと、容赦はしない。それだけは、里の規律がどうのと言われても、変えるつもりはない。たとえ、それによって里と対立することになったとしても、だ」 


 淕の指示で連れ出されていく者達に視線を向け、手のひらから金色の力を溢れさせて見せれば、文官達はさらに顔を青ざめさせた。


 最終的に力で脅した形だけど、これ以上文句を言われたら自分を押さえきれる気もしないし、俺の心の安定の為にも、余計な被害を出さない為にも、必要なことだろう。一番重要なのは、里の規律を盾に俺が大事にしている者達に金輪際、手出しをさせないってことだ。

 

 柊士はそれを見やりハアと息を吐いたあと、スッと立ち上がった。


「俺は里を、神の力を持つ者と対立させるつもりはない。この調子で滅ぼされたら堪らないからな」


 ……容赦しないとは言ったけど、さすがに、柊士が率いている里そのものを滅ぼしたりはしないし、できるとも思っていない。

 

 けど、さっきまで誰の声も届かないくらいに力を暴走させたばかりなので、口はギュッと閉じておく。


 柊士はチラッと俺を見たあと、仕方がなさそうな顔をして、もう一度、この場に集まる者達を見回した。


「全てを踏まえたうえで、秩序の神の敵にまわりたい奴がいるなら、この場で名乗り出ろ」


 柊士の言葉に、その場にいる全員が押し黙った。

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