267. 裁きの行方①
胸に妙な違和感が走ったのは、それから数日後の夜。何かを身体の外に引っ張り出されるような、無理やり奪われるような、鈍い痛み。
誰かに助けを求めるほどじゃない。医者に行くほどの痛みでもない。でも、妙な胸騒ぎがする。頭に浮かんでくるのは、亘の顔だ。
「…………まさか、あいつに、何か……?」
胸に触れてぼそっと呟いた言葉に、汐が心配そうな顔を向ける。
「奏太様? 大丈夫ですか?」
「……いや、なんか、胸が……」
「お薬をご用意しましょうか?」
「そこまでじゃないよ。大丈夫」
そう答えたけど、どうにも気にかかる。柊士に状況を確認した方が良いだろうか。せめて、何か変化がなかったか、だけでも……
そう迷いながらしばらく経った頃、不意にワーワーと騒ぐような声が外から聞こえてきた。
「……何だ?」
眉を顰めて窓の向こうに意識を向ける。すると、遠くから椿と巽の叫ぶような声が聞こえてきた。
「奏太様!!」
「奏太様、このままじゃ、亘さんが殺されちゃいます! 地下牢で酷い拷問を――……」
「黙れ、騒ぐなっ!!」
誰かの怒声と共に、巽の言葉が搔き消え、代わりにうめき声が微かに届く。
「……巽と椿? それに、拷問って……」
声に出し、言葉の意味を理解した瞬間、背筋にゾワッとしたものが走り、全身が粟立った。さっきから、ずっと胸が嫌な感じに騒いでいたのとリンクする。きっと、気の所為なんかじゃない。
バッと立ち上がり、俺は即座にカーテンと窓を開け放つ。
「朱! このまま亘のところに行く!」
そう声をあげたけど、すぐに、派遣されてきた護衛が外から窓の前を塞いだ。
「お騒がせし、申し訳ございません。何でもありませんので、どうかお戻りを」
「はぁ? 何でもないわけないだろ」
俺の視界を塞ぐ武官の向こう、少しの隙間から、巽が別の武官に押さえつけられているのが見える。必死にこちらに視線を向けようとしているけど、地面に顔を押さえつけられ、声を出せないでいる。
「退けよ」
「なりません。監獄など、守り手様が足をお運びになるような場所ではございません」
「護衛役の無事を確かめる必要があるんだよ」
「行われているのはただの聴取です。巽が大げさに申し上げているだけですので」
言葉の通じない武官に、俺はギリっと奥歯を噛んだ。
「大げさかどうかは、俺が巽と椿から直接聞いて判断する。あいつらを解放しろ」
話なんて聞かなくても、二人の様子を見れば、緊急事態であることは明白だ。亘が危険な状態になっていなければ、きっとこんな風に慌てて来ていないだろう。
俺に亘の状態を伝えようとしている二人を力尽くで止めるような者の言葉なんて、信用できるわけがない。
「興奮した状態の武官は危険です。守り手様に近づけるわけにはいきません」
「あいつらは、俺の護衛役だろ! 今すぐあいつらを解放して、そこを退け!!」
「なりません」
武官は一切、俺の要求を聞き入れる気がない。自分の頭に一気に血がのぼっていくのがわかる。
「……退く気が無いなら、もういい」
窓の前から一部も動こうとしない武官を睨み、俺はパンと手を打ち付けた。足止めする気なら、無理やり退かせてやる。
「い、いくら守り手様といえど、このような横暴は……!」
「横暴はどっちだ!? 罪も確定してない護衛役を拷問して、その知らせに来た者達すらも捕らえるなんて! 焼き尽くされたくなければ、さっさとそこを退けよ!!」
堪えきれずに怒鳴りつける。
すると、武官は何故か、途端に顔を青褪めさせ奥歯を噛んだ。
こっちからはまだ何もしていない。しかし、苦痛に耐えるように表情が歪む。
武官の様子に眉を顰めると、背後から朱の声が聞こえてきた。
「我が君、あまり興奮されると、外に御力が漏れます。眷属には問題なくとも、普通の妖の体には負担になりましょう」
「……力?」
そう言われて自分自身を見下ろし気づいた。確かに、先ほどまではそんな事なかったのに、今は陽の気と神力が交じった気が、微かに俺の周囲を取り巻いている。
チラッと汐に目を遣るが、目の前の武官のような異常はみられない。ただ不安そうな顔でこちらを見るだけだ。眷属には問題ない、というのも確からしい。
「……普通にしていれば、ただの人間でいられると思ってたのに、こんなところにも影響があるのか」
思わず、自嘲が漏れる。
……いや、今は、俺のことなんて、どうだって良い。むしろ、都合がいいと思うべきだ。
俺はもう一度、武官に目を戻す。
あえて体に力を入れれば、武官は苦しそうに胸の辺りを押さえて呻き、バサリと翼を動かして俺から距離を取った。
陽の気を使って脅そうと思ったけど、神力を向けるだけで十分そうだ。こうなったら、とことん利用してやる。
「朱、汐」
「はい」
「私も、お供いたします」
名を呼ぶと、即座に反応が返ってきた。
朱に飛び乗り窓から地面に降りると、庭にいたのは、武官三名。それに、巽と椿が取り押さえられているのが目に入る。巽の顔には、殴られたような跡があった。
「巽と椿を放せ」
「どうか、お部屋にお戻りください、守り手様」
俺の気にあてられて青い顔をしているくせに、武官の一人が先ほどの武官と同じように繰り返す。
「聞こえなかったのか? 二人を放せって言ってんだよ」
しかし、武官達は動かない。
「御前をお騒がせしたこの二名は、我らが里へ連れ帰ります。どうか、奏太様はお気になさらず、お戻りください」
「言葉が通じないみたいだからもう一回言うけど、俺の、護衛役を、放せ。今、すぐに」
次々に俺を足止めし、巽と椿から引き離そうとする者達に対して、更に苛立ちが募っていく。それをそのままぶつければ、先ほどの護衛と同じく、次第に武官達の表情が一気に変化した。ある者は顔を先ほど以上に青白くして奥歯を噛みしめ、またある者は冷や汗を流す。苦痛を堪えるように眉根をきつく寄せる者もいる。
「お前ら全員、まとめて陽の気で焼いてやってもいいんだぞ」
苛立ちに任せてそう凄めば、一気に全員の顔が苦しげに歪んだ。
「奏太様」
不意に汐にそっと触れられ、その視線が向かう先を見る。巽と椿もまた、青褪め小さく震えているのが映った。
汐は既に俺の眷属で俺の力に耐えられるけど、巽と椿はそうじゃない。二人の様子に気が向いていなかった自分に、俺は小さく舌打ちをした。
息を吸って吐き、努めて自分を落ち着けると、周囲の表情がフッと緩む。
しかし、先ほどのことがあったせいか、俺が巽と椿の方に足を向ければ、他の武官達が警戒するように身構えた。更に、巽と椿に向けて掌を向けると、二人を押さえていた武官達が、慌てたようにバッとその手を引く。
手を打ち付けてはいないけど、掌を向ける行為は守り手が陽の気を注ぐ時の動作。武官達には、俺が陽の気を注ぐように見えたのだろう。
巽と椿も、不安気に俺を見上げる。
「まずは、マソホと同じ量だ。意味、わかるよな?」
二人を見下ろし俺が言えば、二人は少しだけ目を見開いたあと、承知したように同時に頭を下げた。
「はい。御心のままに」
「この命のすべてを、貴方様に捧げます」
俺は二人に頷いてみせると、手に力を集めていく。
二人に向けた掌からは、汐達を眷属にした時と同じように、白の光ではなく金色のきらめきが溢れる。
普段と違う光景に、武官達から息を呑むような声が聞こえてきた。
一定量の光が二人に注がれ全てが吸収されると、武官の一人が恐る恐る口を開く。
「……奏太様、一体、何を……」
「二人を俺の眷属にしたんだよ。秩序の神の力を与えて、な。眷属にこれ以上手を出すなら容赦しないから」
脅すように睨めば、周囲の武官達は再び顔色を悪くして、揃って怯えたような顔になった。
「朱、俺を止めようとする者がいたら、足止めを。巽、椿、行くぞ」
「「はい!」」
二人に与えた力の量はほんの少しの守護程度。汐と亘の時と違って、問題なく動くことができる。
鷺に変わり翼を広げた椿に飛び乗れば、星が瞬く大空に舞い上がった。
「あ、あの……奏太様? 先ほどのは一体……」
巽が躊躇うような素振りで言う。
「俺もよくわかんないけど、苛々が振り切れたせいで、神力が漏れたみたいだ。眷属なら影響ないみたいだけど」
チラッと朱を見ると、コクと頷く。
「奏太様は、あの方のお力を受け継がれたばかりで、力の制御に慣れていらっしゃらないせいもあるのでしょう。今まで、そのような事はなかったので、余程のことが無ければ大丈夫でしょうが、訓練が必要でしょうね」
「……訓練か」
しばらくの間は人として生きていこうと思っているのだ。早めにコントロールできるようになっておかないと、マズイ。さっきは状況的に都合が良かったけど、ふとした時に余計な被害を出しかねない。
「ひとまず、二人も眷属になったから、いったんは大丈夫だと思う。ごめん、気づかなくて」
「いえ、僕らは大丈夫です」
「はい。奏太様の身に何かがあったので無ければ、良かったです」
自分達が被害にあったのに、椿はホッとしたようにそう言った。
「ところで、二人はなんで、亘の状況を?」
「御番所に行った時に妙な話を聞いたので、淕さんに、僕だけこっそり地下牢に入れてもらったんです。何もせず状況を探ることだけを条件に。椿には外で周囲の動きを探ってもらってて……」
巽が椿に並んで飛びながら言う。
「妙な話って?」
「……ええっと、こういう言い方をするのはアレなんですけど……奏太様が亘さんを特別扱いしすぎなんじゃないかっていう、嫉妬というか、不満みたいなのが武官の間で出てきててるんです。元はといえば一部の文官達が言い出したことみたいなんですけど、それがこの数日の間に急速に武官の間にも広まりつつあるようで」
「特別扱い?」
俺が眉を顰めると、椿が困ったような声を出した。
「そもそも、護衛任務についていて護衛対象を奪われたり傷つけられるのは失態であると見做されます。しかし、私も含め奏太様の護衛役は、今まで奏太様の御口添えで失態の責任そのものが見逃されてきました。亘さんは妖界で戦のこともありますし……。口には出さなくても、同じ武官からすれば護衛役不適格の烙印を押されても仕方ないのに、という不平不満があったのです。その積み重ねが、今回のことで露呈したというか……」
覚えが全く無いわけではない。実際、拓眞には直接その不満をぶつけられていた。でも、他の者たちまで、心の何処かでそういう不平不満を持っているということに思い至っていなかった。
「守り手様の護衛役には、よくあることです。しかし、今回は事が大きすぎたのと、亘の日頃の行いが良くなかったのが要因でしょう。淕も同様に、失態に目を瞑られているところはあるのに、そういう話があがらないのですから」
汐が仕方がなさそうに付け加えた。
「今は、失態や罪は正しく裁くべきという意見が強くなってきていて、そこに、柊士様が亘さんの極刑への承認を退けたって話が出回って……。また奏太様の意見が働いたんだろう、守り手様方の目を覚まさせる必要があるって一部の文官が言い出して、武官を巻き込み始めたんです。里の者達の意志を示すためにも、この機に贄が必要じゃないかと……」
「……贄って……なんだよ……?」
胸の奥がざわりとする。
「私刑に近いやり方です。亘さんに、あれは闇の女神に操られていたものではなかったと認めさせればよし、そうでなければ、聴取にかこつけて武官文官が集まる場で拷問して、そのまま……。それを、里の意志として守り手様方に示すつもりだと」
「はあ!? そんなこと、許されるわけ……!」
思わず声を荒げたけど、巽の調子は変わらない。
「本来はそうなんですが、結果的にそうなったとしても、今の里の規律では大した罰にならないんです。重刑の決定には日向当主の承認が必須ですけど、取り調べの方法は雀野に一任されてて、たとえ拷問でやりすぎて対象が死んでしまったとしても、それは単なる事故として扱われて執行者が免職になるくらいで済んでしまうんです。拷問での尋問が許可されるのは、状況証拠でほぼ重刑が確定している者だけなので……」
「……まさか、雀野が主導してるのか?」
雀野は、亀島なんかよりよっぽどしっかりしていて、まともだと思ってた。それなのに、日向に次いで里の上位に位置する者たちが扇動しているのだとしたら、大問題だ。
そう思ったけど、巽は首を横に振るう。
「いえ、おそらく、調べの承認はしても、亘さんをどうにかしようというのは、粟路様が指示されたことではないと思います。たぶん過激派の独断でしょう。でも、承認された後で何があっても、粟路様が直接そこに入るわけではありませんから……」
……承認さえされれば、やりたい放題ってわけだ。
「柊ちゃんは? 知ってるの?」
「淕さんから伝わってると思います。でも、まだ何も起こってないのに、雀野に権限委譲されているものを強権で止めることはできないと。別の方法で回避できるように手を回してるから、もう少し待てと言われました」
「何かが起こってからじゃ遅いだろ!」
この場合、何かが起こる、が指してるのは、拷問の行き過ぎによる亘の死亡だ。死なせたく無いからこうして動いているのに、それが起こった後に対処されたって何の意味もない。
「だから、淕さんも僕を見張りに着けたんです。万が一やり過ぎがあれば、奏太様や柊士様に知らせて止められるようにって」
「今の状況は知らせたのか?」
「信用できる者に任せました。どう動くかは柊士様次第ですが……」
柊士が動いて丸く収まるのが一番だけど、それを待つ余裕はないのだろう。
「最悪、その場にいる全員を敵に回しても、亘を助ける。里での立場が気になるなら、俺を送った後、その場をすぐに離れろ」
「私は、奏太様と永遠を共にできるようにしていただきました。何があっても、貴方と共におります」
汐が言うと、椿がピクリと動いた。
「えぇ!? 私達のように少量ではなく、ですか?」
「さっきは時間優先だったろ。量を増やすのは、二人の意思を改めて確認してから、落ち着いた場所でした方がいいよ。苦痛も伴うみたいだし」
「では、さっさと亘さんを助けますから、私にも改めて御力をお与えください! 汐と同じように!」
……その言い方だと、亘を助けるのはついでみたいに聞こえるんだけど……あと、声の圧が怖い。
「僕らはとっくに貴方と共に生きることを決めています。今になって手を放そうとしたって、無駄ですよ」
巽は苦笑交じりにそう言った。




