266. 亘の誓い
「そっちの言い分はわかった」
柊士は疲れ果てたようにそう言った。
汐への嫉妬心からから、栞は先程からピタリと柊士の側にへばりついている。汐も、栞の気持ちをわかってて、わざわざあんな煽り方をしなくてもいいのに。
「理解はしたが、亘はまだ眷属ではないんだろ? 俺は表向き、処罰から逃れる為の協力はしてやれないぞ」
「……裏でなら、協力してくれるってこと?」
俺が言うと、柊士は嫌そうに顔を顰める。
「いちいち、口に出して言うな。とりあえず、しばらくしたら休暇ついでに淕をこさせる。あいつに作った貸しでも返してもらっておけ」
自分は手を出せないけど、淕を協力者にしてくれるらしい。
「ありがとう、柊ちゃん」
「……だから……、もういい。そっちがうまくいくなら、その後の処理はこっちでどうにかする。無理でも、妥協点くらいは探っておいてやる。白月も極刑には後ろ向きだ、なんとかなるだろ。ただ、その時は体の一部を失うくらいの覚悟はしとけ。何もなしに譲歩できるのはそこまでだ」
命を失うような事態だけは免れそうだけど、うまくやらなければ、亘が行き着く先は暗いままだ。
俺は、真面目な顔でコクと頷いた。
翌々日の早朝。外の武官達が日の出を前に引き上げていく隙をつくように淕がやってきた。
本来、亘の主である俺が裁きが下る前に会いに行くのは、口裏合わせ、逃亡幇助の観点から、厳重な管理下のもと行われなければならないらしい。
けど、今から眷属にして罰から逃れる手助けをしようとしてるのに、厳重な管理なんてされては困る。
だから、昼夜逆転した妖達が寝静まる昼下がりを狙って監視の目を掻い潜り、こっそりと亘に会いに行く手伝いを淕にしてもらうのだ。
真っ昼間の移動故に、陽の気に耐えられる朱に乗り、淕を日に当てないよう遮光性の布で包んで里に向かう。
汐は念の為に部屋で留守番をしてもらっている。誰かが訪ねてきたら、俺は体調不良で寝ているという事にしてもらう予定だ。伯父さんの立場が分からない以上、人間側にも隠しておきたい。
あくまで他の奴らにバレないように、こっそり行って亘を眷属にしてしまう算段である。
真っ昼間、外から里の中に入ろうとする者はまず居ない。妖連中は外に居れば陽の気で焼かれるし、里に関わりのある人間も、妖達が活動していない時間にわざわざ里に来ることは無い。だから、警戒されることを覚悟して、それなりの理由も用意してきた。
けど、そんな準備も他所に、拍子抜けするほどあっさりと、俺たちは里の入口を通された。
さらに里に入ってからも、淕の案内でガラリとした細い裏路地を走り抜け、誰にも遭遇することなく、すんなりと小さな通用口のようなところから御番所に入る。
向かう先は、以前マソホが囚えられていた地下牢だ。御番所内を誰の目にもつかないように静かに進んでいき、地下牢前、淕が牢番に何かを見せると、そこも、ささっと呆気なく中に通された。
こんなにスムーズに、誰の目にも留まらずに動けてしまうものかと感心するほどだ。いや、むしろ……
「……いくら昼間とはいえ、こんなに、さらっと入れちゃうと、逆に不安になるな」
淕が里に害をもたらすような者では無いから良いものの、湊みたいなやつだったら、重要施設にこんなに簡単に入れるのは、問題ではなかろうか。
そう思っていると、淕は小さく首を横に振った。
「柊士様が随分と骨を折ってくださいましたから」
「柊ちゃんが?」
自分は協力できないからと、淕を動かしてくれたのかと思っていたのだが、違うのだろうか。
「通常、里の門番は昼間の出入りには慎重になりますし、牢番も当主の事前通達なしには通しません。柊士様への忠誠心厚い武官がどちらの番にもついている時間を作り出していただき、栞から個別に通達があった結果です。でなければ、これほどすんなりと、ここには辿り着けませんでした」
コツコツと地下牢の石階段を下りながら淕は言う。
どうやら、裏で柊士は随分頑張ってくれていたようだ。
そう思っていると、淕は何やら迷うような素振りをみせたあと、眉尻を下げて俺を見た。
「……鬼界に移ったその日に、亘が奏太様に危害を加えたという知らせが入ってから、里では亘の処遇に関する検討が水面下で始まっていたそうです。そこに、深淵で起こった件が加わり、更に罪が重なりました。規律に従えば、亘の極刑は確実。しかし、奏太様が無事にお戻りになれば、貴方が阻止に動こうとされる事は予想できたことでした。そのため、里の主要な者達は、奏太様が裁きに関与できないよう柊士様に進言していたそうです」
淕は言いにくそうに俯く。
「……俺が規律を曲げて亘を助けられないように、里の者達が動いてたってこと?」
「ええ。柊士様は、当主になられたとはいえ、お若く経験が浅いのは事実です。老獪な里の文官達に束になって訴えられれば無視はできません。そういった文官達によって里の機能が維持され回っている部分も大きいですから……」
以前、瑶にも言われた事がある。俺や柊士を若輩と侮る者もいる、と。それは何も亀島に限った話ではないのだろう。里の者たちからの圧力に似たものが、柊士に対してかかっていたらしい。
「文官達の目だけではありません。そもそも、亘の件で、あの方が表立って貴方に手を貸すことは許されないことです。里の規律を、当主たるあの方が私情だけで捻じ曲げてはならないからです。操られていた証拠もなく、守り手様に手出しした者を許せば、今後、貴方を含む守り手様方を守ることもできなくなります」
一つ例外を作ってしまえば、例えば湊のように、悪意を持って守り手に近づき害した者がいた時に、おなじように罪を逃れようとするかもしれない。あいつはああだったのに、何故自分はと、正当に裁くことができなくなるかもしれない。当主が公平な目で物事を見て判断しなければ、余計な歪みが生じてしまう。
淕の説明は、確かにそうだろうと納得せざるを得なかった。今回の亘の件は、客観的にみれば、証人が複数いて疑いようのない決定的な事実。にも関わらず、俺の私情だけで裁きを覆そうとしているに他ならない。
……わかってる。わかってるけど……
俺が唇を噛むと、淕は仕方が無さそうな顔をした。
「客観的に見ればそうであっても、亘を処分する事が、貴方にどれ程の痛みを負わせる事になるかも、あの方は分かっておいでです。だからこそ、同じ守り手様の護衛役であり、貴方への罪滅ぼしをせねばならぬ私を貴方のもとにつけ、あの方が表立って動かずとも貴方の望む形に着地できるよう、裏で手を回されてきたのです」
俺と話した時には、面倒そうにしながらも、柊士はそんな大変そうなこと、おくびにも出さなかった。でも、実際には俺の主張を聞いて、裏で懸命に自分の手を尽くして俺のわがままに付き合ってくれている。
「……ホント、柊ちゃんには頭が上がらないや……」
俺が言うと、淕は小さく微笑んだ。
石階段を下った先、牢が並ぶ一番奥の方に亘はいた。以前、マソホがそうだったように、手足を枷で繋れて。本当に重罪人と同じ扱いをされている姿を見ると、堪らなく悔しくなる。
俺達が牢の前で足を止めると、音に目を覚ましたのか、亘は閉じていた目をゆっくりと開いた。
「……何故、貴方がここに? ……それに、淕まで……」
亘はギュッと眉根を寄せて淕を見る。
「案内を頼んだんだ。柊ちゃんの配慮だよ」
「柊士様の?」
「いろいろ、事情があるんだ。俺もさっき聞いたばっかりだけど」
操られていようがそうじゃなかろうが、亘は、淕が俺と一緒にいるのが気に入らないらしい。なんとも不服そうな顔だ。余裕があればからかってやりたいほどに。
今はあんまり長居すべきじゃないから、目を瞑っておいてやるけど。
「ところで、素直に捕まってるみたいだけど、俺に付き合うって話はどうするつもりだよ、亘?」
俺が言うと、亘は淕から視線を外し、俺の方へ少しだけ眉を上げて見せた。
「私から言い出したことですし、御約束を違えるつもりはありませんよ」
「刑罰に耐えればいいって? そもそも極刑を免れるかどうかすら分からないし、たとえ身体刑で済んだとしても、どんな目に遭わされるか分からないだろ」
「奏太様が御口添えしてくださったのでしょう? 命さえあれば、どうにでもなります」
「ていうか、重犯罪者と同じ場所に囚われているのに、なんでそんなに楽観的なんだよ。お前自身のことだぞ」
自分の命の行方が人頼みするしかないような綱渡り状態にもかかわらず、こんなに落ち着いていられる精神状態が、俺には全く理解できない。
「別に楽観視しているわけではありませんが……もしも落ち着いて見えるとしたら、柾と二人でここに何度も閉じ込められすぎて、感覚が麻痺しているせいかもしれませんね」
「……は?」
思わず、間の抜けた声が出た。
「柾のとばっちりで、ですよ。二度、里で騒ぎを起こしたあと、三度目はないと瑶殿に脅されたのですが、まさかそれ以降、本当に毎回、ここに入れられる事になるとは思いませんでしたけどね」
「……毎回……?」
柾に喧嘩をふっかけられて里で大暴れした挙句に牢屋にぶち込まれたという話はどこかで聞いたことがある。でもまさか、重犯罪者が収監される場所に入れられていたなんて、思いもしなかった。
「……こんなところに慣れる前に、学べよ。馬鹿か」
「柾に言ってください。まあ、さすがに柾とここに入れられる時にはこの枷は嵌められていませんでしたが。気を無理やり奪われるというのは、なかなか厄介なものですね。鬼界で貴方が苦労なさっていたのも、今更ながら理解できました」
以前ここに来た時に、壁に繋がった枷には陰の気を奪う機能があって、力をギリギリまで奪い抵抗できないようになっていると、巽が教えてくれた。
こんな目に遭ってまで危機感なく平然とした様子の亘に、なんだかもう、どっと疲れが襲ってくる。
「……なんか、心配して損した気分だ」
「そんなことはありません。私は嬉しいですよ」
からかうようなニヤニヤ笑いで言われても、こっちは全く嬉しくない。
「……もういい。ひとまず、柊ちゃんが、極刑を避けられるように妥協点を探ってくれるって言ってたのは確かだ。ただ、避けられるなら、身体刑だって避けた方がいいだろ」
「それはそうですが、そうすると逃げる以外の方法がありません。一応ここに入れられる直前に、柊士様から、最悪の場合は機を作ってやるから辛抱しろとは言われましたが……」
「……機って……?」
「どうやら、逃げ出す為に、協力をしてくださるようで」
まさか、淕に俺の手助けをさせるだけじゃなく、亘にまで手を貸してくれると思わなかった。
「……柊ちゃんが、亘の為に……?」
「私の為なわけがありません。あの方の最優先は、どこまで行こうと、結様と奏太様ですから」
亘が逃げ出したりすれば、必ず誰かが責めを負わされるだろう。それが、里の責任者である柊士にプラスに働くわけがない。それを背負ってまで、柊士は俺に協力しようとしてくれてるってことだ。
『――亘を処分する事が、貴方にどれ程の痛みを負わせる事になるかも、あの方は分かっておいでなのです』
さっき、淕に言われた言葉を思い出し、俺は、ギュッと拳を握りしめた。
「……逃げずに済む別の方法がある。そっちも柊ちゃんの力が必要だけど、逃げるよりは穏便に済むはずだ」
「別の方法、ですか?」
「お前には、約束通り、俺の眷属になってもらう。里の武官、守り手の護衛役ではなく、秩序の神の眷属に。里の管理下にない者を、里の連中は勝手に裁けないだろ」
「……それはそうかもしれませんが……しかし、それをどの様に証明するのです?」
柊士と同じ疑問だ。陰の気に支配されていた事が証明できないから、亘は今、こうなっている。当然、証拠を求められるだろう。でも、それに関しては、決定的に示せるものが既にある。
「方法はあるから、心配しなくていいよ。立ち合いは、朱と淕か。力を与える量が多いと苦痛があるらしい。汐は声一つ上げなかったけど、お前はどうする?」
挑戦的に見れば、亘は不満そうに眉根を寄せた。
「汐が先に眷属になったのですか?」
「……順番なんて、どうだっていいだろ」
呆れて言うと、亘はフンと鼻を鳴らす。
「以前申し上げた通り、一度にお願いします。汐に耐えられたものを耐えられずに、護衛役は名乗れません」
「案内役を下に見るなって怒られるぞ」
汐の表情でも思い出したのだろう。亘はニッと笑った。
「それは、巽の反応が楽しみですね。本来は、貴方の前に跪き頭を垂れるべきでしょうが、枷が邪魔で動けません。このままでも?」
「それこそ、どうだっていいよ」
すると、亘は目を閉じ、拘束された状態で軽く頭を下げた。
「この身命を賭して、貴方自身と、永久に続く貴方の未来をお護りいたしましょう」
……未来を護る、か。
俺が失いたくないと願うものも出来る限り護りたい、後悔などない明るい道を歩んでほしい、以前、そう言っていた亘を思い出す。
終わりの見えないこの先もずっと、きっと、そうやって隣で支えてくれるのだろう。今までが、そうであったように。
「約束、だからな。勝手に死ぬなよ」
俺は、亘に向かって手をかざした。
汐やマソホの時のように、頭上から降らせることはできない。陽の気を注ぐように、まっすぐ手のひらを亘に向けて、集中する。手を打ち鳴らし祈る必要はない。
自分の中にある神力を、眷属となる者の為に。
手に力を込めれば、金色の光の粒は、吸い込まれるように亘に向かっていく。
ピクリと亘の肩が動き、眉根を寄せるのが見えた。けれど、汐と同じように声を出すことはなく、じっと光の粒を受け止め耐えている。
スウっと、最後のきらめきが亘の体に消えると、フウと小さく息を吐く声が聞こえた。
「大丈夫か?」
「ええ」
亘は息を整えるようにしながら、そう返事をする。
汐は直後に倒れかかったのだ。やはり、負担が大きいのだろう。
亘の様子が心配でじっと見つめていると、俺の顔を見た亘が、クッと笑いをこぼした。
「御心配には及びません。力を与えてくださり、感謝申し上げます。秩序の神よ」
「…………お前、絶対からかってるだろ」
「いえ、滅相もない」
そう言いながら、いつも俺をからかう時と同じ胡散臭い顔で亘はニコリと笑った。




