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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
鬼界篇

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264. 汐の誓い

 尾定の手当てを受けたあと、俺は柊士の言葉の通り、父と本家を出た。


 亘の事をモヤモヤと考えながら歩いていると、不意に、ザアっと風が吹き抜ける。顔を上げれば、父が不安そうな目で俺を見ていた。


「大丈夫か?」

「……うん」


 余計な心配は掛けまいと、視線を上げて周囲の空気を思い切り吸い込むと、人界の爽やかな空気が体の中に入ってくる。


 それとともに、ようやく周囲の景色に目が向いた。


 青く澄んだ空に流れる白い雲。色鮮やかな山々と稲を刈り終わった後の田んぼとあぜ道。明るく優しい太陽の光に、頬を優しく撫でる風。

 幼い頃から歩いてきた道。父と共に、何度となく見てきた景色。

 また、こんな風に、この場所を並んで帰れる。それは本当に有り難いことなんだと、ふと思った。

 この故郷で、この人達に育ててもらってここまで来た。それだけは変わらない。たくさんの些細な出来事と、そこにあった笑顔を思い出す。


「…………俺、ずっとここに居たいな」

「居たいだけ、居ればいい。お前の家は、ここにあるんだから」

「……そうだね……」


 曖昧に返事をしたからだろう。父は足を止めて俺の腕を掴み、じっと俺の目を見た。


「普通の家庭だって、いつか子どもは巣立っていくものだ。その時がくれば、お前の思うようにすればいい。でも、何年かかっても、学校は卒業しろ。親には子を育てる義務がある。学生であるうちは、お前をきっちり育てる。お前自身がどうなっても、俺達の息子であることは変わらない。俺からしたら、小さな頃から変わらない、ただ普通の、子どもなんだ。それだけはちゃんと、わかっておけよ」


 その手は、何処にも行かせないとでも言うように、きつく握られている。


 自分の身体も、立場も、義務も、大きく変わってしまった。人じゃなくなって、自分の生き方は見通しがつかないままだ。でも、もう少しの間だけは、普通の人でいていいと、自分達の息子でいてほしいと、そう言われたような気がした。


「……小さな頃から変わってなかったら、さすがに困るだろ」


 泣きたくなるのを堪えながら、俺は広く青い空を見上げて、フッと笑いながら言った。

 

  

 二人並んで、鬼界であった話をポツポツと話す俺達の後ろを、朱が周囲を見回しながら、離れてついてくる。汐は俺のバッグの中だ。

 

 汐と朱にも休みを、と言われたけど、朱は自分だけが秩序の神としての眷属だからと俺についてくることになり、汐も案内役として一緒に来ると譲らなかった。巽が戻れば、交代で休ませる事になる。


 遮光カーテンを閉め切った自室。俺は壁に背を預けたまま、ぼうっと天井を見上げていた。休めと言われたけど、どうしても休むような気にはなれなかった。

 

「……汐、このままだと、亘はどうなる?」

「闇の女神に操られていたことが証明できれば、極刑は免れるでしょうが……私にも、どうなるかは……」


 汐は言いにくそうに眉尻をさげた。


「こんな事になるなら、マソホと一緒に鬼界に置いてくれば良かった……」

「亘が奏太様と行動を共にするならば、いずれ通らねばならなかった道です。今回の件は、白月様も巻き込んでいますし、人界、妖界の者たちからずっと逃げ続けるわけにはいきませんから」


 俺がハアと息を吐き俯くと、汐が慰めるように言う。でも、ここを切り抜けなければ、亘が生きる道が無い。


「……あいつ、心配するなって言ってたけど、どうするつもりなんだよ……」

 

 俺の見通しが甘すぎた。操られていただけだと言えば、咎めは受けても、そこまで重い罰にはならないと思い込んでいた。


「柊士様も仰っていましたが、すぐに裁きが下るわけでもありません。少し、お休みになっては如何です?」


 汐にそう言われたけど、俺は少しだけ考えを巡らせてから、首を横に振って見せた。

 

「……いや、汐だけでも、先に眷属にしてしまおう。汐の覚悟が決まってるなら」


 亘が万が一、極刑にでも決まれば、俺は徹底的に抵抗するつもりだ。甘んじて受け入れるなんてしたくない。たとえ柊士が相手でも。

 

 でもそれに汐が巻き込まれて、似たような状況を招くのは避けたい。


 亀島から雀野に里の行政の主導が代わっても、里の体質は、たぶん、そんなに急激には変わらない。

 文官だって、事件に関与したり直接不正を働いた者達以外はしっかり残っている。

 

 そして、俺も深くは知らないけど、里の規律や暗黙のしきたりは、俺が思っている以上に、そこに属するものに無慈悲だ。守り手至上主義。それを崩す者に容赦はない。


 守り手として尊重される側だったから、それをすっかり忘れてた。

 

 汐が俺についてくるつもりがあると言うなら、さっさと眷属にしてしまって、何かあった時に里の規律から引き剥がせるようにしておきたい。逆に、俺についてくるつもりが無いなら、俺が柊士に逆らっても咎めが及ばないように、遠ざけておいた方が良い。


「どうする、汐?」

「私の心に変わりはありません。奏太様の御身体に支障が無いのならば、お願いいたします」


 俺はその言葉に、少しだけ表情を緩めた。土壇場で断られなくて良かった。


「ならば、私が見届けを。誓いの言葉は?」

「良いよ、そんなの」


 俺が言うと、汐は小さく首を横に振って、俺の前に跪く。それから、深く頭を垂れた。


「いついかなる時も、たとえ悠久の時がすぎたとしても、この身も心も、貴方様の為に」


 汐らしい言葉だと、何となく思った。


「うん」


 俺は、汐の頭の上に手をかざす。


「永遠の命を得るために、与えられる側には少々苦痛が伴うかもしれません。その場合には、複数回に分けられるのが良いでしょう」

「いいえ、どうか、一度に」


 朱の助言に、汐はハッキリと言い切った。


「二度も味わわれた奏太様の苦痛を、どうか、少しでも私にお分けください」

「……いや、そんなの、わざわざ経験しなくても……」


 そう言いかけたけど、決意に満ちた汐の目に見上げられて、それ以上、言葉を続けられなかった。


「……ハァ。俺が無理だと思ったら、途中でやめるからな」

「……承知しました」


 汐は一度、不服そうな顔をしたあと、再び頭を深く下げた。

 俺は気を取り直して、自分の中に集中する。内にある神力を動かし、手を伝って外に。


 金色の光の粒が、サラサラと汐に降り注ぐ。

 寿命を取り払える、最小限のところまで。神々の規律に反しない範囲で。


 金のキラキラを注ぐ間、注意深く見ていたけど、汐は俯いた状態で微動だにしなかった。


 苦痛があるなら止めようと思ってたけど、そんな必要もないまま、必要量を注ぎ終える。


「これで終わりだ、汐」


 俺が声を掛けると、汐はほっとしたように息を吐き出した。その途端、力が抜けたように、ドサッとその場に倒れかかる。


「汐!?」


 慌てて助け起こせば、汐が荒い息遣いをしているのがわかった。


「申し訳ありません。最後まで耐えきるつもりだったのですが……」

「馬鹿、辛いなら我慢しないで態度に出せよ!」

「そうすれば、途中で止めると仰ったのは、奏太様ではありませんか」

「いや、言ったけど、だからって……」


 言いかけた言葉を止めるように、汐は俺にニコっと笑って見せた。


「私は大丈夫です。これで、私も貴方と共に生きられますね」


 唖然としながら汐を見れば、朱がクスッと小さく笑った。


「小さなお嬢さんが、どこまで耐えられるかと心配していましたが、随分と肝の据わった方ですね」

「…………肝が据わってるのもそうだけど、頑固なんだよ、こう見えて」


 俺が息を吐きながら言うと、ムッとしたように睨まれた。



「さあ、奏太様、今日はもう、お休みください。御身体に異常はありませんか?」


 汐は眷属になったばかりで一時動けなかったと言うのに、しばらくすると、甲斐甲斐しく俺の世話を焼きはじめた。


「体に異常があるかも知れないのは汐のほうだろ。俺のことは良いから、休みなよ。客間使っていいから」

「私は大丈夫ですよ。力を与えていただいて、少し元気になったくらいです」

「いや、気の所為だろ」


 俺が言うと、朱がフフっと微笑ましそうに笑う。


「気の所為ではないかと思いますよ。与えられた力は守護の力。貴方様の力が文字通り、その身に力を与えるのです。神力でも陽の気でも、貴方様の力ならば、これから先も、眷属の力となるでしょう」

「……え、陽の気も?」


 聞き捨てならない言葉に、思わず問い返す。


「ええ。どのような力でも、貴方様の力であれば」


 俺と汐は顔を見合わせた。

 妖は、陽の気には体が耐えられない。故意にせよそうでないにせよ、実際、何度か護衛役達の体を焼いてしまったことだってある。


 ……それなのに、俺の力だったら、陽の気に耐えられる?


「それに、少しずつ力を与えていけば、いずれ、日の下にも出られるようになりましょう」


 朱の言葉に、汐はパッと表情を輝かせた。

 

「もしも本当にそうなれば、いつでも奏太様にお供できますね。昼間に行方が分からなくなるようなこともなくなりそうです」


 汐は心底嬉しそうだ。逆に、俺は自分の顔が引きつったのがわかった。


 汐がスッと俺の方に手を差し出す。


「せっかくですし、試してみましょう。できれば、早く日の下に出られるようになりたいです」

「……え? えぇっと……できるだけ、ゆっくりした方が良いんじゃないかな……? 汐の負担になっても、ほら、アレだし……」


 ニコリと笑った汐から視線をそらせば、小さな手に、手首を掴まれた。


「……うっ……うぅ……わかったよ……」


 恐る恐る、汐の指先に触れ、万が一があっても軽傷で済むように、ほんの少しだけ陽の気を流す。しかし、汐は不思議そうに首を傾げた。


「……本当に、注いでいますか?」


 俺が陽の気に慣れさせるのを躊躇った理由を見透かしている汐の、疑わしげな目がこちらを向く。


「や、やってるよ!」


 慌てて声を上げて、出力量を上げる。手のひらがはっきりと光るのを確認して、汐はようやく感心したような声を上げた。


「本当に、奏太様の陽の気ならば、問題がなさそうです。ふふ、これならば、奏太様の体調が許す日は毎日でも御力を分けていただかなくてはなりませんね」


 ……あぁ、力を与えるの、早まったかも知れない。


 いつだったか、『柊士様と二人きりで永遠の時を夢の中で過ごせるようになったらいいのに』という口癖を聞いた時に見せた栞の笑顔と良く似た、今の汐の顔を見て、ふと、そんな後悔が心に浮かんだ。

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