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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
鬼界篇

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259. 帰還の準備

 椿に乗って鬼の都に戻る為に高く舞い上がると、鬼界の状況がよく分かった。


 陰の子と闇の女神が消えたことで深淵の進行は止まったし、強力な陽の気が一気に地面に吸い込まれたおかげか一定範囲の闇が祓われ、恵みがもたらされた。地上は、見渡す限り草原が続いている。

 

 一方で、全ての闇が祓われたわけではなく、未だ、遠く離れた場所には深淵の黒いベールが見える。


「あんなに苦労したのに、深淵は消えないんだな」

「これ以上広がることはない、それだけで十分ではないでしょうか」


 汐の言う通り、もう深淵を広げる者は居ない。けど、深淵そのものが陰の子によって生み出されたものだとすれば、完全に祓ってやるのも自分の仕事の様な気がした。


 ……できたら、目を瞑って人界に帰ってしまいたいけど。


 結局、あれから御先祖様の声は全く聞こえなくなってしまった。きっと本当に消えてしまったのだろう。あまり自覚がないままに、自分が成すべき責任だけが残ってしまった感じだ。

 


 地上の草原は、闇に呑まれたはずの鬼の都にも届いていたようで、俺達が都に入ると城から出てきた鬼たちから驚くほどの歓声と歓迎をうけた。

 その中に、以前拾った鬼の少年を見つけて、無事に避難出来ていたのかと、ほっと胸を撫で下ろす。あれからどうなったのか、もしかしたら深淵に飲み込まれてしまったかもしれないと、少しだけ気にかかっていたのだ。


 城に入り白日の廟に向かうと、ハクが扉の内側から勢いよく飛び出してきた。


「奏太っ!!」


 そのまま思い切り抱きつかれて、治りきっていない身体が悲鳴を上げる。


「――っ!! は、ハク……っ! ちょ、痛い……からっ!」

「あ、ごめん」


 パッと離れると、今度は無事な方の手を、ぎゅっと両手で握られた。

 

 前に似たような事があった時には妖界の者たちから凄い目で見られた。その時の事を思い出して、恐る恐る周囲の様子を伺ってみたが、璃耀は仕方が無さそうな顔をしただけで何も言わないし、妖界の者たちにも気にした様子はない。


 首を捻っていると、ハクが城にいる間に起こった事を教えてくれた。


「奏太が出ていったあと、どんどん陰の気が濃さを増していって、深淵に侵食されていなかった土地も削られていったの。皆、廟の周囲にぎゅうぎゅう詰めになるくらいに場所がなくなってて……」


 ハクはその間、できる限り大岩に陽の気を注ぎ続け、俺が注いでいった日石も使って何とか耐え忍んでいたそうだ。


 人界は人界で、神社の境内の草木が枯れ、その外側にも影響が及ぶほどだったらしい。

 柊士もハク同様に陽の気を注いでいたけど、次第に無理やり体から陽の気を引き出されるようになっていった。

 これ以上は危険だと向こうの武官達が引き離そうとしたものの、柊士はまだ大丈夫だと粘り、ハクも大岩を通して説得に駆り出され、一悶着あったそうだ。


 柊士は結局、向こうで強制撤退させられたらしい。


 柊士からの陽の気もなくなり、ますます厳しくなってきたところで、突然、周囲にざわめきが広がったのだという。


「私は廟の中にいたからわからなかったけど、外は凄かったみたい。奏太達が出ていった方角で何かが大きく光ったと思ったら、急に闇が消え去って地面に草花が満ちたって。神が起こした奇跡だって、皆、本当に大騒ぎで」

 

 実際、御先祖様の力が移譲された事で解決したのだ。神が起こした、で間違ってはいない。


「御先祖様の力と、陽の気を増幅させる呪物の存在が大きかったんだ。あの呪物研究者には、いよいよ、きちんとした褒章が必要だと思う」


 ある意味、世界を救った英雄だ。望むものを与えたって誰も文句は言えないくらいの功績だと思う。さすがに、欲しがってた水晶玉は無理だけど。


「御先祖様は、どうしたの?」 

「……消えちゃったよ。陰の子が消えていくのと一緒に」


 ……俺の中で。


 俺はそう、心の中で付け加える。 

 いつかはきちんと言うべきだ。わかってる。


 でも今は、世界が救われた喜びを、ただただ皆で噛み締められれば、それでいい。


「とにかく皆が無事でよかった。帰ろう、ハク。約束通りに、柊ちゃんのところに」



 人界に帰ると言っても、陽の気満ちる廟の中を妖達は通れない。どこをどう通って帰還するかや、その後の事をハクや妖界勢、淕達が話している間、俺はこそっと朱に呼び出された。

 俺の護衛役も話合いには残った方が良いので、そっちは浅沙達三人に任せ、亘、椿、巽だけを連れて行く。汐にも残ってもらおうと思ったけど、帰還経路の確認よりも、知らない間に俺が勝手な行動を取るほうが心配だと、こちらについてきた。……心外な。


 周囲にいつものメンツとマソホ、御先祖様の護衛だけが集まると、朱は言いにくそうに眉根を寄せた。


「貴方様にも元の居場所があられるでしょうから、一度お戻りになるのは構いません。ただ、貴方様は秩序の神の力と責務を同時に引き継がれました。未だ深淵が残り揺れる鬼界の安定化を図っていただく必要があります」

「……まあ、そんな気はしてました。人界に戻ったあと、またハクに結界に穴を開けてもらわないといけないけど……」


 また鬼界に戻るなんて、と反対を受けるのは目に見えてるし、頭の中で既にガミガミと小言を言い始めた者たちへの説得にも時間がかかりそうだ。今から気が重い。


 そう思っていると、朱は首を傾げた。


「秩序の神の御力を持つ貴方様ならば、行き来は可能かと思いますが……」

「……俺単独の力で、ですか? やり方が分からないんですけど……朱さんには、分かりますか?」


 ハクがやっているのを見るだけで、自分で試そうとなんて、思ったこともなかった。


「宙に手をかざせば、結界を構成する陰陽の気を感じ取る事が出来るのではありませんか? そこへ、あの方から受け継いだ力を流すようにすれば、あの方の力の方が導いてくださるでしょう」


 そういえば闇の女神を裁く時も、俺自身はやり方を知らなかったけど、自然と力に導かれた。力の方がやり方を知っている、というのは、ああいう感覚を言うのだろう。初めて陽の気を使った時も、そういえば、似たような感じだったっけ。


「それから、どうか私のことは、朱、とお呼びください。敬称も敬語も、必要ございません。他の者も同様です」

「……いや、そう言われても、朱さん達は、御先祖様の……」

「いいえ。何度も申し上げますが、我らは貴方様の眷属ですよ、我が君」


 朱は、俺の目をじっと見つめて言う。他の眷属たちを見れば、同じように真剣な表情でコクと頷いた。


「……なら、俺のことも奏太って呼んでくだ……呼んでよ。我が君って呼ばれると、居心地悪くて」


 ずっと気になっていたのだが、それどころじゃなくて、言い出せなかった。

 

「すぐに慣れるかと思いますが……では、今後は奏太様、とお呼びしましょう」


 いつの間にか、様をつけて呼ばれることにも慣れてしまったから、我が君呼びも、朱が言うとおり、もしかしたらそのうち慣れるのかもしれない。

 でも、どうしても、自分の中の御先祖様をみられている感じがして落ち着かないのだ。自分に呼びかけられているのに、そうじゃない感じがするというか。


「それから、私も人界へ参ります。鬼界の監視も必要ですから、他の三名は残しますが」

「……俺が鬼界に戻ってくるか、心配ってこと?」


 他の三名が鬼界の監視なら、朱は俺の監視だろうか。


 訝りつつ見れば、朱は仕方がなさそうに苦笑した。


「新たな眷属に、貴方様が必死で護ろうとなさったものがどのようなものだったのか、見せてはくださりませんか? 人界の方々には分かっていて、我らには分からぬ事が多いのです。少しでも、貴方様を知る機を与えていただきとう存じます」


 ……そういう言われ方したら、拒否しにくいんだけど……


 俺は、ハアと息を吐き出した。

 

「……わかったよ」

 

 それから、今度はマソホに目を向ける。


「さすがに鬼を人界には連れていけないから、マソホには残ってもらいたいんだけど……ただ正直、これ以上俺にわざわざ付き合わなくてもいいと思ってる。鬼界はもう陰の子にも闇の女神にも脅かされないし、目的は達しただろ。自由にしてくれて良いんだけど……」

「……それは、私は不要、ということでしょうか……?」

「えぇっ?」

 

 いや、何でそんな、顔すんの?


 マソホは明らかに落胆したような表情で俯く。


「……ええっと、不要ってわけじゃないんだけど……でも、これ以上は、俺に付き合う意味もないかなって」

「……意味がない、ですか」

「い、いや、そういう意味じゃなくて! 俺にとってじゃなくて、お前にとってって意味だから!」


 何故かますます肩を落としたマソホに、慌てて言い繕っていると、ポンと巽に肩を叩かれた。


「奏太様、言えば言うほど逆効果です」

「いや、でも……」


 更に、背をトンと亘に叩かれる。


「そもそも、忠誠を誓うと言われて受け入れたのに、終わったから要らないと放り出そうと為さるのは、さすがに如何なものかと思いますよ」

「いや、だから、自由に生きたら良いって話で……」

「一度面倒を見ると拾った仔犬を、やっぱり自由に生きろと元の場所に捨てていくのと何が違うのです?」

「犬と鬼は全然違うだろ!」


 何でそう、意地の悪い言い方をするのか。


「同じだと思いますが。ただの仔犬でななく、晦朔なら、少しは近くなりますか?」


 俺はうっと息を呑んだ。

 捨てないでほしいと、箱の中でうるうるした目でこっちを見る二匹の顔が一瞬、頭を過った。それとともに、目の前で寂し気にするマソホの様子が重なる。


 俺は、額に手を当てて、重たい頭を預けた。


「……もういい。わかった。好きにしろ」

「…………仔犬と鬼は、どう考えても違うと思いますが……」


 汐がボソッと呟いたけど、もう手遅れだ。もっと早く、大きな声で言ってほしかった。


「どっちにしても人界には連れて行けないから、鬼界で待っててくれよ。そのうち戻ってくるから」

「…………」


 ……だから、捨てられる雰囲気でこっちを見上げるのはやめて欲しいんだけど。

 

 ほんの少しでもそう思ってしまった今、もう、そうとしか見えない。

 

 でも、連れて行ったら大騒ぎだ。さすがに討伐はないにしても、危険だと拘束される可能性が高いし、柊士の小言も一時間くらい伸びそうだ。


「残していくならば、眷属となさっては如何ですか? それならば、貴方様との繋がりが保たれますし、この者も安心でしょう」

「……え、俺、そんな事まで出来るの? ていうか、あんな風に体を作り替えさせるのは、さすがにやりすぎなんじゃ……」


 俺が言うと、朱はクスッと笑った。


「体が作り変わるほどの力を与えるなど、普通はありえません。その様なことを簡単にしてしまえば、神々の規律に触れましょう。ただ一滴、貴方様の神力をお与えになれば良いのです。眷属にするというより、守護をお与えになることで主従の関係を結ぶ、という方が正しいでしょうか」


 ……よくわからないけど、眷属にする、と一言で言っても、程度というものがあるらしい。体が作り変わる様な経験を二度もさせられた俺は何なのか、という気持ちにはなるけど、あの苦痛を強いるような大ごとにならないのであれば、俺の方は別にいい。


 俺は、もう一度、マソホに目を向ける。


「本当に良いのか? 自由になるチャンス……ええっと……好機、なのに」

「貴方様の御力を与えていただけるなど、光栄の極み。身命を賭してお仕えさせていただきたく存じます」

「…………わかった」


 マソホの決意は固そうだ。本人が良いと言うなら、主従の関係を結んでしまおう。


 俺はマソホに、コクと頷いて見せた。

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