258. 闇の女神
「奏太様!!」
亘に乗って皆のもとに向かおうとしたところで、椿と巽、浅沙達護衛役がやってきた。
「遠くから奏太様が陰の子に飲み込まれたのが見えた時、どれ程、絶望的な気分になったか、お分かりですか!?」
巽が、怒り半分に喚く。
「僕に亘さんの子守を任せて行ってしまうし、いつになったら、僕は大事な時にお側に居させていただけるんですか!?」
「……子守、ね」
亘は不満そうな顔で俺と巽を見る。でも、あの状況だ。どう考えたってお守りが必要だっただろう。でなければ、闇の女神相手に無茶をしていたに違いない。
俺は亘を無視して、巽に視線を戻す。
「頼りにしてるから頼んだんだよ。俺の手の届かないところを任せられるくらい、信頼してるんだ。実際、亘も無事だったし」
巽は、護衛役として扱われる事に強いこだわりと劣等感がある。巽の強みは単純な強さじゃないのに、本人がそれを理解していない。
俺が言うと、巽は困惑と照れが混じるような顔をした。
「結局、私も何も出来ませんでした。近くまでお連れしただけで、それ以上、先に進めませんでしたし」
椿は椿で、悔しそうに唇を噛む。
「あれはしょうがないだろ。椿だけじゃなく、皆、近づけなかったんだ。相手が悪すぎたんだよ」
「……それでも、奏太様が、あの悪鬼にいいようにされている姿を見ても何もできぬ我が身が、どれ程恨めしかったことか……。それに、奏太様が最後に言葉を交わされることを選んだのは汐でしたし……」
涙目でじっと見据えられ、面倒ごとの気配に、俺はうっと息を呑む。それに、汐はハアと息を吐いた。
「遺言を聞かされたのよ。私だって、できたら、あんな御言葉、聞きたくなかったわ」
汐は仕方がなさそうにそう言うと、じろっと俺を睨んだ。
「……いや、でも大事な事だったし……」
「どの様なものだったのだ?」
俺がモゴモゴ答えると、亘が興味を惹かれたように首を傾げる。しかし、汐は首を横に振った。
ハクが犠牲になる時に、亘と汐に隠れていろと言っただなんて、浅沙達もいるこの場では、とても口にできないだろう。
「もう、終わったことよ。でも、どうか、あのような事を仰るのは、これきりにしてください」
汐は真剣な目で俺を見た。
汐の言葉の通り、闇の女神との戦闘は粗方片付いたようで、武官達が一箇所に集まり、怪我人の手当てや捕虜の処理を進めていた。
椿に乗って降り立つと、武官達から、突然、わっと歓声が上がる。
思わぬ反応に目を瞬くと、巽が小さく笑った。
「あの巨大な悪鬼が霧散したのもそうですが、同時に大きな光の塊が見えたんです。僕らは太陽なんて見たことないですけど、あんな感じなのかなって思うくらいで。途端に、大地から草花が芽吹いて、たちまち周囲に草原が広がったのも、圧巻でしたよ」
「……陽の気で、武官達に被害は?」
思った以上の大ごとに青ざめると、椿が首を横に振った。
「悪鬼を包むような白い光の玉が見えたかと思えば、そのまま、すうっと地面に吸い込まれていったので、周囲に光が広がることはありませんでした。もしかしたら、濃い陰の気に遮られていたせいかもしれませんが」
陽の気で仲間を焼いたのではと冷っとしたけど、そうではなかったようで、ほっと息を吐く。
「我が君、少々よろしいでしょうか」
護衛役達と話をしていると朱がやってきて、俺の側に膝をついた。
「闇の御方様を捕らえましたが、我らでは、かつて神であったあの方を処罰することが出来ません。御力をお借りしたく」
「処罰出来ないっていうのは?」
「あの方に僅かに残る神力を天に返していただく必要があるのです。それができるのは、貴方様のみ」
朱は頭下げてそう言うけど、俺にもそんなこと、できる気がしない。
「……えぇっと……やり方、知らないんですけど……御先祖様、どうしたら良いんですか?」
頭の中でずっと聞こえていた声にそう尋ねたけど、何故か返事が返ってこない。
「……御先祖様?」
もう一度呼びかけても、やっぱり反応はない。
ふと、『汝に我が力が完全に吸収されて馴染めば我の意識も消える』と言っていた御先祖様の言葉が蘇る。それから、『あとは頼むぞ』と消え入るように聞こえた言葉も。
「……消えるなら、全部後始末を終えてから行ってください……」
俺は額に手を当てる。ポツリと、そんな言葉が口からこぼれた。
神の力を受け継いだようだけど、体はやっぱり傷つくし、勝手に治ったりしないらしい。
怪我に温泉水をかけられ、更に大量に飲まされ、ガチガチに包帯を巻かれてから、捕虜や闇の女神が集められたところに向かった。
闇の女神は縛り上げられ、完全に消沈した様子で御先祖様の護衛達に囲まれていた。
近くに淕や柾、空木達もいて、周囲の警戒をしている。
「奏太様、ご無事で何よりでした」
「皆も、ちゃんと生きててよかったよ。これで、柊ちゃんとの約束も果たせるし」
二度目の鬼界。約束をしたは良いけど、もう人界に戻れないかもという考えが何度か頭を過っていた。こうして戻れる目処がついたのだ。本当によかった。
「奏太様が何度か無茶をなさったことは、柊士様にご報告せざるを得ませんが……」
「必要なことは俺から報告するって」
これだけ頑張ったのだ。人界に帰って叱られるのは、なんとしても回避したい。
俺が言うと、淕は小さく息を吐いて首を横に振った。
「そういえば、マソホは?」
「こちらでございます」
声のした方を見れば、倒れた一体の鬼の側、跪いてこちらを見ていた。
「……ダメだったのか?」
マソホは闇の女神に支配された、かつての仲間を助けたいと言っていた。しかし、恐らくその仲間と思われる者は、もう息をしていない。
「はい。仕方がありません。最期はこの手で」
「そうか」
それ以上、なんと声をかけたら良いか分からず押し黙る。すると、マソホは俺に深く頭下げた。
「それでも、貴方様のお陰で、滅びる運命だった多くの鬼界の者が救われました。それに、このような恵みまで」
マソホは地面の草花をそっと撫でる。
「心から、感謝申し上げます。秩序の神よ」
俺自身は、俺とともに鬼界に来た者たちや、人界で待つ者たちの為に必死だった。でも、救えたのはそれだけじゃないのだろう。守り手になって初めて鬼に遭遇したときからずっと恐れ警戒してきたのに、こうやって鬼界の者に感謝されるのは、なんだか面映ゆいような感覚がした。
……あと、神って呼ぶの、やめてもらえないかな。
朱に導かれ、護衛役や淕達に守られながら闇の女神の前に立つ。闇の女神は俺に気づくと、物凄い剣幕でこちらを睨んだ。
「よくも、あの子を……!!」
朱は闇の女神を一瞥すると、俺に目を向ける。
「陰の御子様が消えるとともに、この方の力も大きく削れたようです。我らに抵抗する力も残っていません。あとは、貴方様の御力で裁きを」
「……裁き、か……」
さっき言われた時には、何をどうすべきか見当もつかなかった。でも、闇の女神を前にした今ならわかる。
秩序の神の力を使い、闇の女神に宿る力とその身体を、元あった場所に返すのだ。そうすることで、闇の女神は完全にこの世に溶けて消える。
「あの子を返せ!! 我が子を封印したばかりか、卑しい陽の子に力を宿し、同じ子であはずのあの子を消し去るなんて!!」
俺の中の御先祖様に向かって喚く闇の女神を前に、俺はギュッと拳を握った。
闇の女神がしたことは、許されざることだ。
闇を広げて鬼界の者の生活を奪い、無数の鬼を虚鬼に変え、自分の子すら悪鬼にかえた。
広がる深淵のお陰で、貧しい暮らしを強いられ飢餓に陥った者もいたはずだ。それによって争いが起き、命を落とした者もいるだろう。
マソホのように、故郷や家族、大事なものを深淵に飲み込まれ、仲間を闇の女神に奪われた者も。
命をもって償わねばならない程の大罪。
わかっている。けれど、自分の手で裁きを下さねばならない、そう思うと、鉛を飲み込んだ様な気分になる。
「……淕、湊の処刑は、柊ちゃんが決めたの?」
淕は、痛ましいものを見るような目で、俺を見る。
「はい。御当主様の務めとして、最期まで見届けられました」
「榮の時は、伯父さんが?」
「ええ」
「……そっか……」
榮と湊の事だ。きっと、目の前の闇の女神のように、恨んでやると、憎んでやると、そう呪いの言葉を吐きながら死んでいったことだろう。
いくら罪人と言えど、命は命。それを奪うのは、どれ程の重荷となるのだろう。
俺自身の手で、命を奪ったことがないわけではない。自分と友人の命が脅かされて。亘を失った悲しみに駆られて無意識に。でも、こうして、自分がこの存在を消すのだと、真っ直ぐに向き合ったことはなかった。
「我が君、どうか、その力を持つ者の義務をお果たしください」
朱に言われ、俺は一度、ギュッと目を閉じる。
それから、静かに闇の女神を見下ろすと、その頭上に手をかざした。
「この世を乱しし者の力を元在りし場所へ。混沌を呼びしその身を、この世の一部へ。秩序の神の名に於て、返し奉らん」
この世を創りし更に上位の神々へ。御先祖様から引き継がれた、秩序の神の義務として。
自分の中に宿る力に導かれるまま、闇の女神に力を注ぐと、金色の光の粒が降り注ぎ、それが触れたそばから闇の女神の体が消え始めた。
「……このっ! 恨んでやる! 絶対に許さない! この力が消えようと、この身が世界に溶けようと、永遠に、どこまでも呪い続け、その身を蝕んでやる。大切なものを全て失い、苦痛に苛まれ、永らえることを後悔するほどの責め苦を、必ず味わわせてやろう!」
闇の女神は消えゆく体で、怨恨の籠もった呪詛を吐き出す。でも、決して目を逸らしてはいけないと、そう思った。自分の手で消えゆく者の末路を、見届けなければならないと。
「この世の全てに混沌をもたらし、お前もろとも、いつか必ず――……」
全てを言い切らせることなく、金の光は闇の女神を包み込む。その光が天に向かってサアっときえると、闇の女神の姿もまた、完全に消え去っていた。
「御立派で御座いました。新たなる、秩序の神よ」
そう言いながら跪く朱達を、俺は微妙な心持ちで眺める。
「帰りましょう、奏太様」
不意にそう呼びかけられて振り向くと、汐が俺の腕に手を置き、静かに微笑んだ。
これにて落着!




