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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
鬼界篇

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257. 闇の悪鬼④

 体が放り投げられ、柔らかく温かい何かの上に落ちる。そこは、外よりも更に濃く濃密な陰の気に満ちた陰の子の体の中。周囲はこれでもかというくらいに真っ黒に塗りつぶされ、闇に閉ざされている。


 地面が動き、近くでガツンガツンと大きな衝撃音が聞こえた。

 

 ……――っ! 歯に噛み砕かれたら終わりだ!


 瞬時に怖い想像が思い浮かび、背筋がヒヤリとする。しかし、そう思う間もなく、舌と思われる地面が再び大きく動き、俺の体は、坂道を降るように、どことも分からないところへ滑り落ちて行く。しかも、ものすごいスピードで。


「うわわっ!」


 ガツンガツンという音が、グングン遠ざかっていく。噛み砕かれるのを免れたのだろう。喉の方へ滑って行っているらしい。ザバリと、ヌメヌメした液体が全身にかかる。

 喉に差し掛かったのか、落下角度が急激に変化した。斜めから真っすぐ下に落ちていく。幸いだったのは、体の一部が壁に触れているおかげで、速度はそれ程大きく変わっていないこと。


 ……落下死は避けられそうだけど、この悪鬼に胃があった場合、胃酸に溶かされるんじゃ……?


 そう考えて、全身が粟立つ。この状態になるまで、そんな事まで考えが及んでいなかった自分を殴り飛ばしたくなってくる。


 でも、ヌメヌメした体内でどれ程、無事な方の腕や足を突っ張っても、俺の体が止まる気配はない。祈るような気持ちで次に起こることを待っていると、突然体がスポンと抜けて宙に投げ出された。

 

 体はそこからすぐに、何か柔らかい物の上に落下する。液体ではないのだ。少なくとも、胃酸の海に落ちたということはないだろう。

 

 自分の体が止まった事に、俺はハアと息を吐いた。


『ここからどうするつもりだ、小僧。もう、自力では出られなかろう』

「……そうですね、出られないかもしれません」


 そう言えば、目的を果たしたとして、出る方法まで考えていなかった。


「まあ、それはやる事が終わってから考えます」

『やる事とは何だ? 汝は何を考えている?』


 俺は、黒い闇の中、使い物になる方の手で、ずっと持ち歩いていた自分のバッグを探り当て、チャックを開けて中をまさぐる。


「体っていうのは表皮に守られてる分、内側が弱いじゃないですか。陰の子も、さっきの反応を見るにたぶん同じだと思うんです。それに、陰の気や陽の気は、体の中を循環する。だから、陰の気を祓うなら、体の中からやった方が効率がいいと思ったんです」

『そんな可能性だけの想像で、ここまで来たのか!? 万が一失敗したらどうする!? せっかく力を与えてやったのに、無駄にするつもりか!?』


 御先祖様は恩着せがましく喚き立てるけど、俺はそもそもそんな事、望んでいなかった。


「絶対なわけじゃないですけど、打つ手無しだったさっきまでに比べれば、十分可能性がある手段です。無闇矢鱈に死のうとしたわけじゃないですよ」


 そう言いながらゴソゴソやっているうちに、目当ての物が見つかった。特殊な形状をしているのだ。見えなくても、すぐに分かる。触った感じでは、壊れているような様子はない。


『何だ、それは?』


 形状を確認しながら、教えられた通りに安全装置を外していると、御先祖様の訝る声が聞こえた。


「うちの護衛役のめちゃくちゃな指示書でできた、とんでも呪物です。使えるなら、その方が良いかなと思って」


 亘の下手くそな絵によってできた、妖や鬼にとっては危険極まりない兵器。 

 込めた陽の気を何倍にも増幅させて、四方八方へ撒き散らす、そう聞いている。危険すぎて試していないからどれ程の威力かは分からないし、陰の子に通用するかも不明だ。そもそも、ここに来るまでの間に壊れていたら、意味がない。


 けど、普通の守り手の陽の気で、里を焼き尽くす威力が出ると言っていたのだ。今の俺なら、かなりの力を使える。普通に体内から陽の気を注ぐより、よっぽど効果的だろう。


 俺は正多面体の硝子が円状に五つ並んだ呪物の中央を探って触れる。


「これに陽の気を注いで、力を増幅させて放ちます」

『力を増幅?』

「まあ、ひとまずやってみますよ」


 俺は御先祖様にそう答えると、自分の手のひらに陽の気集め、一気に中央の硝子に注いだ。

 

 瞬間、キラリと中央の硝子が白く煌めき、細い管を伝って周囲を取り巻く五つの硝子に光が流れる。それらが平等に満たされると、突然、六つの硝子が共鳴するように、一気に周囲に光を放った。

 

 目の前が白で埋め尽くされる。先ほどまで闇に包まれていたのに、今は眩しすぎて前が見えない。たぶん、人界の夏の日差しよりも強い光。目を眇めれば、その奔流が陰の子の体の闇を飲み込み、全体を照らすようにザアっと広がっていくのが見えた。


「……ホント、なんてものを作らせたんだよ」

 

 ぼそっと呆れ声が漏れる。

 俺の手の中にあるのは、まるで、小さな太陽だ。


『……すごいな』


 御先祖様の呆然とした声が聞こえた。

 

「見えるんですか?」

『見えずとも分かる。我が子の陰の気も、周囲に満ちる汝の陽の力も』


 ゴゴオォォォ゙ッ!!


 不意に、耳を塞ぎたくなるような大きな音が響き渡った。陰の子の怒りと苦痛に満ちた声。


 地面がグラリと大きく揺れて、体がどこかに投げ飛ばされる。ドンと壁に体を打ち付け、痛めた体が悲鳴を上げた。


 でも、陽の気を止めるわけにはいかない。きっと今、陰の子が苦しんでいるのだ。このまま祓えるところまで陽の気を注いで、力を削り取っていかないと。


 俺はグッと奥歯を噛む。


「陰の子の気の力が分かるって言いましたよね? どこまで祓ったら封印出来ますか? ハクの力を借りず、俺の力だけで」


 あいつらの為にも、柊士の為にも、俺が生きているうちはハクを犠牲にすることだけは、絶対に避けたい。


『いや、封印はもう良い。このまま、全て祓ってしまえ』

「え……?」

『これほどの力があれば、可能だ。ここで、この子を終わらせる』


 御先祖様の声に、少しだけ寂しさが混じったように聞こえた。俺を鬼界へ送り出した父のことを、ふと思い出す。

 こんな状態になってしまったけど、それでも我が子。それを手放さなければならない寂しさが、御先祖様にもあるのかもしれない。父さんのように。

 

 しかし、次に聞こえたのは、それを全て取り払った毅然とした声。


『神力も使え。我が手伝ってやる』

 

 そんな声が聞こえたかと思えば、自分から出てくる力が更に増した。白い光に、輝くような黄金が粒のように混じる。

 

 それは、どんな闇でも祓ってしまえる大いなる力。 

 全てを照らし出す、恵みの光。

 

「……なんか、神様って本当にいるんだなって感じです」

『何を今更。汝がそれになったのだぞ。ほれ、あと少しだ。集中せよ』


 俺は、コクと頷いて、力を込める自分の手に集中する。

 

 まだ、まだ。

 もっと。

 

 自分に使える限界まで。

 全てを、叩きつけるように。

 

 手の中の小さな太陽に、どんどんと陽の気と御先祖様の力が込められていく。

 

 ゴゴゴーっと低く轟く音が周囲に響き渡り、その中に、ビュヴゥービュゥゥ゙ゥーと奇妙に高い苦しげな悲鳴が混じる。地が揺れる。

 

 奥歯を噛んで力を更に込めると、光は一際大きく膨れ上がった。


 ギイィ゙ヤャァア゙ァァァーーーッ!!!


 耳を(つんざ)くような一際大きな音がし、真っ白な光と金色の光が目の前を覆い尽くす。


 突然、自分を支えていた地面が消滅し、ふわりと内臓が浮き上がる感覚に襲われた。


「う……うわっ!」

 

 ―― 落ちるっ!!


 驚きのあまり、持っていた呪物を取り落とす。込めていた陽の気がふっと消え失せ、まずいと咄嗟に思った。


 けれど、呪物を何とか拾い上げようと手を伸ばした先にあったのは、何の変哲もない草の生えた地面。

 

 いや、この鬼界において、草原は奇跡の産物。

 

 風にざわめくそれが、眼下一面に広がっていた。


「…………これは……陰の子が、消滅したってことか……?」

『ああ、そのとおりだ。よくやった』


 御先祖様の声が、優しく響く。

 

『全ての闇を祓い、汝が恵みをもたらしたのだ。あとは頼むぞ、我が子孫よ――』


 そんな御先祖様の誇らしそうな声は、まるで小さく消え入るように風音に紛れる。


 それと入れ替わるように、自分を呼ぶ声がいくつか重なって聞こえた。

 一番近いのは、守り手になってから、散々聞いて来た二つの声。


 落下する自分の服がグイッと上方向に引っ張られ、スピードが落ちたところで、トンと大鷲の体に下から支えられた。


「……汐、亘」

「……本当に、ご無事で良かった……」

 

 ふっと蝶に変わった汐が、涙声を出しながら、俺の鼻の上にとまった。


「皆、無事?」

「……はい。闇の女神も捕らえられました」

「亘、体は?」

「私の心配より、御自身の心配をなさってください。ボロボロではありませんか」


 苛立たしげに言うけど、それが、心配から来るものだとわかっている。


 夜が明けかけ、少しだけ白んだ空。深淵の濃い陰の気が晴れた草原の上、三人で飛んでいると、ようやく帰ってきたような感覚がする。


 俺は大きく息を吸い込み、ハアと吐き出した。


「…………終わったよ、二人とも」

「はい。お疲れ様でございました。守り手様」


 汐の労いも、すごく懐かしく感じた。

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