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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
鬼界篇

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255. 闇の悪鬼②

 喚く闇の女神の声を背に、陰の子の元へ向かう。

 俺の周囲に残ったのは、汐、椿、浅沙、哉芽、紺だけだ。


 少し心許ない気がするけど、闇の女神やそれに追随する者たちを足止めしておいてもらわなければならない。


 悪鬼と化した陰の子に近づくにつれ、どんどん陰の気が濃く重たくなっていく。しかも時折、悪鬼は咆哮のようなものを上げ、その度に大きな波のように濃密な気が押し寄せる。 


 周囲の者たちが、陰の子から発せられているその波によろめき、椿もまた、体をぐらりと揺らす。


「椿、大丈夫?」

「申し訳ありません。陰の気が濃すぎて、私にはこれ以上は、近づけません……」


 見れば、汐や他の護衛役達もまた、辛そうな顔をしていた。無理をすれば、闇に囚われたり虚鬼のようになる者が出てくるかもしれない。


(うぬ)が一人で行くしかなかろう』

「……まあ、そうですよね」


 俺はまだ、この中でも耐えていられる。体の重さはあっても、蝕まれるような不快感はない。


「椿、少し離れて、一回降りよう」

「……申し訳ございません……」


 椿は悔しそうに言うけど、無理をして何かがある方が困る。汐や護衛役達が耐えられるところまで離れて降りると、俺は真っ先に、その場にいる全員分の御守りに陽の気を注いだ。


「ここから先は、俺一人で行く。お前らは、できたらここで虚鬼達が寄ってこられないようにしておいてくれると助かる」

「「奏太様!?」」


 全員が目を剥き声を荒げる。でも、妖には近づけないのだ。それ以外に方法がない。


「お待ちください! 御一人でだなんて、何かあったらどうなさるのです!?」


 汐が声を尖らせた。


「そうです! それに、あそこまでまだ距離があります。たどり着く前に虚鬼に襲われでもしたら……!」

「万が一があれば、陽の気をつかうよ。でも、たぶん、大丈夫だ」


 椿の言葉に、俺は、自分達の近くを素通りしていく虚鬼に目を向け、顎で示す。

 

 地上に降りてから、皆、虚鬼を警戒して周囲の状況を伺っていた。でも、不思議な事に虚鬼達は、まるで吸い込まれるように一目散に陰の子に向かっていっている。こちらに目もくれずに。


「しかし、何があるかわかりません」

「でも、誰もあの濃い陰の気に耐えられないだろ。たどり着けるとしたら、俺だけなんだよ」

『汝ならば、問題なくあの子に手が届く。心配いらぬ』


 少しだけよぎった不安に応えるように、御先祖様がそう言った。


「俺を助けようとしてくれるなら、お前らは、これ以上あいつが虚鬼を取り込まないように、集まってきている奴らをできる限り近づけないようにしてくれよ。虚鬼を取り込む度に、ちょっとずつ力が増してるんだ。できる限り、強大化を抑えたい」


 その場にいる全員が、何かを言いたいのに言えない悔しさに表情をゆがませた。

 それに俺は、軽く笑って見せる。


「近づいて陽の気を放つだけだ。そんな難しいことじゃない。きっと大丈夫だから」


 それだけ言うと、俺は汐を少しだけ離れたところに呼び出した。

 

 皆がついてこようとしたけど、それを押し留め、離れて護衛しているように命じる。椿にすごい形相で睨まれているけど、できるだけそちらは見ない方がよさそうだ。


「汐、あのさ、俺に万が一の事があったら、なんだけどさ……」

「奏太様!!」


 汐が悲鳴めいた声を上げる。それを、俺は自分の口元に指を当てて黙らせた。

 

「いいから、聞いてよ。もしも俺が失敗したら、たぶん、次はハクを犠牲にしなきゃならなくなる。汐と亘は戻らない方が良い。全てが終わるまで、何処かに隠れて出てくるな。大義の為に、何度も犠牲にされる姿なんて、見なくていい」


 結を送り出した時のように、いや、今度はハクが健康な状態であっても、その身を犠牲に差し出さなければならなくなる。

 

 万が一、俺が失敗して死んだりすれば、むしろハク自身がそれを選ぶ可能性が高い。そうしなければ、世界が滅びるのだから。


 転換の儀で結を送らねばならなかった二人には、きっと酷な展開だろう。


 そう思って言うと、汐は辛そうな、今にも泣き出しそうな顔で、俺の手を両手で握った。


「その前に、貴方を失うかもしれぬなどということを、考えたくありません」

「……汐」

「どうか、その身を犠牲になど、しないでください。立派な守り手様になど、ならなくて良いのです。ただ、お側に、仕えさせていただけるのなら……それだけで……」


 ポロッと汐の目から涙が溢れる。


「……ですから……どうか…………置いていかないで……」


 それは、何度も聞いた、汐の悲痛な心の叫び。

 結を送り出したその時から、恐らく、ずっと抱えていた痛み。


 俺は、小さく震える汐の手を、ギュッと握り返した。


「万が一、だよ。俺はちゃんと帰って来るつもりでいるから」


 約束したのだ。たくさんの者たちと。

 それに、俺自身も主として、できる限り、汐や亘、椿や巽の痛みにはなりたくない。

 

「きっと大丈夫だから、待っててよ。約束だ」


 汐の目を見て微笑めば、汐もまた、濡れた目で気丈に笑みを浮かべた。それから、スッとその場に膝をつく。

 

「無事のお帰りを、お待ちしております。奏太様」

「うん。行ってきます」



『随分、慕われておるのだな』


 一人、陰の子のいる場所に歩みを進めはじめると、御先祖様の声が聞こえた。


「まあ、いろいろありましたから」


 何も分からない高校生が本家に突然呼び出されて、守り手の仕事を任された。真っ先にさじを投げた柊士に代わって、頼るべき相手が汐だった。右も左も、なんなら前さえ真っ暗で、進むべき道すら見えなくて、全てが手探り状態で。


 その名のとおり、汐が俺に道を示してくれた。案内役として。


 戦い傷つき、心配をかけて、時に怒らせ、時に泣かせ、それでも汐は、守り手としてどうしようもない俺を、見捨てず、支え、導き、ずっと付き合ってくれた。


 汐がいなければ、きっと、亘と二人、あらぬ方向に突き進んでいたかもしれない。いや、もしかしたら、亘を諭し仲を取り持ってくれた汐がいなければ、とっくに仲違いして空中分解していたかもしれない。


「頼りになる、案内役なんですよ。ああ見えて」


 あの小さな手に、どれ程支えられたか分からない。本当に。


 俺は得意に笑って、御先祖様へそう言った。

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