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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
妖界篇

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28. 貴人の来訪

 三年生になり、学校では放課後講習が始まった。受験に向けて勉強しろと、学校から直々に言われている形だ。


 さらに講習が終わったあとも、わからないところを質問し合う……という名目で全然違うことを話し込み、遅い時間まで学校にいる日も増えた。


 その日も、先生から


「お前ら早く帰れよ!」


と声をかけられつつ、生返事をしながら絢香と紗月を含むいつものメンバーで話し込んでいた結果、教室からはいつの間にか人気がなくなり、学校にいる時間としては結構遅い時間になってしまっていた。


「ああ、そろそろ帰らないと」


 潤也が黒板の上の時計を見てそう言ったのをきっかけに、だらだら話しながら帰り支度を整えて教室をでる。


 薄暗い廊下を歩きながら、


「いつも思うけど、この学校古いから、夜になるとちょっと怖いよね」


と紗月がなんの気なしに周囲を見回した。


「ああ、そういえば、神隠しの噂もあったな」


 聡は面白がるように潤也を見る。三人で獺に妖界へ連れ去られたのは数カ月前の話だ。


 潤也も苦笑を漏らしつつ、


「まあ、真実なんて意外にしょうもないことだったりするんだよな」


と、話をはぐらかす。


 絢香と紗月には、獺の話はしていない。

 学校に妖界への穴が開いてるなんて、蛙被害を思えば、ただただ徒に怖がらせるだけだからだ。


「そういえば、着物姿の幽霊が出るって話も聞いたことがあるなぁ」


 絢香がぼそっと呟く。


「それ、いつ、どこでの話?」


 幽霊だなんて、また妖界や鬼界がらみの事件に発展しそうだ。

 俺が眉根を寄せると、絢香はクスッと笑いをこぼした。


「やだ、ただの噂話だよ。随分前に先輩に聞いたの。七不思議なんだって」


 絢香の言葉に、潤也が食いつく。


「なあ、七不思議って、他には何があるんだ?」

「うーん……さっき出た神隠しの話と、夜な夜な着物の女性が学校を徘徊する話、あとは、体育館の鬼の手と、水晶庵のところの池に人魂がでるっていうのくらいかな、私が知ってるのは。あと三つはわからないや」


 何となく、殆どが妖界の入口が開いているせいな気がするし、今のところ害がないなら放置でも良いのだろうが、気になるのは鬼の手だ。


 ただの噂ならいいが、鬼を実際に見たことのある身としては、どうしても不安が過ぎってしまう。


 聡と潤也も同じだったのだろう。三人で顔を見合わせる。


「あとは、夜中にピアノの演奏が聞こえたとか、暗いプールから水音が、みたいなのもあったと思うよ。どっちも部活の生徒が残ってたんじゃないかって。あとは、美術室の女の人の絵が動くとか。それはたぶん光の当たり具合だろうって話」


 紗月がそう言うと、潤也は不安を振り払うように、


「まあ、七不思議なんてそんなもんだよな。」


と頷いた。


 そう、七不思議なんてそんなもんだ。きっと、鬼の手だって、何かの見間違いだろう。

 部活の生徒が夜も含めて体育館を使っているのに、いちいち鬼の手なんかが出ていたら、今頃被害が大きくなっているはずだ。


 そう自分を納得させつつ、潤也に倣って頷く。


 唐突に、紗月の悲鳴が響き渡ったのはその時だった。


 何事かと紗月を見ると、通り過ぎかけた暗い教室の扉の向こうを指差し、小さく震えて青ざめている。


 指差す方向を見ると、ぼんやりとした何かが教室の中で佇んでいるのが見えた。

 最初は先生か生徒のどちらかだろうと思った。

 ただ、よく見ると制服でもジャージでもスーツでもなく、白っぽい着物の姿だ。

 それに、長い髪も白っぽく、暗がりの中でその姿だけがぼんやりと浮かび上がっているように見える。


 その場にいた全員が息を呑んだ。

 これが、七不思議の一つなのだろうか……


 ただ、冷静に考えれば、何か人ではないものが居たとしても、せいぜい妖の類だろう。

 鬼だった場合には困るが、それならそれで、さっさとどうにかしないと被害が大きくなってしまうと思えば、放置する選択肢はあまりない。


 俺はグッと覚悟を決めて、引き留めようとする女子二人を他所に、教室の扉をガラリと開け、パチパチっと教室の電気を全てつけた。


 すると、着物姿の何者かが、ハッと驚いたようにこちらに目を向ける。


「……ハク?」


 そこに居たのは、以前妖界で共に牢に閉じ込められていた、妖界の頂点に君臨する一際美しい少女だった。


「奏太!」


 ハクは、妖界で見たときとは違い浴衣のような着物姿でパタパタとこちらへ寄ってくる。

 それから、俺の両手を握ってニコリと笑った。


「まさか会えると思ってなかったから、会えて嬉しい!」

「え、あぁ、うん……でも、なんでこんなところに……」


 そう戸惑いつつ答えると、俺の背後から、躊躇いがちに声がかかる。


「あの、奏太? そちらの方は……?」

「あ、奏太のお友だち? 私、ハク。よろしくね」


 ハクは俺を避けるように顔を傾け、俺の背後の友人たちにも愛想よくニコリと笑う。

 振り返ると、聡と潤也の顔がほんのり赤くなるのがわかった。


 この妖界の貴人の厄介なところは、無自覚でこういうことをするところだ。


「あの、ハクって……」


 潤也がそう言いかけたところで、不意に、トントンと階段を上がる音が近づいてくるのが聞こえてきた。


「あ、先生かも。ほら、さっきの叫び声」


 絢香の言葉に、俺は慌てて壁際にハクをぐいっと押し付ける。


「ハク、隠れて!」


 声を潜めて言うと、ハクは承知したように、壁にピタリと張り付く。


「さっき叫び声が聞こえたが、何事だ?」


 間もなく、先生が訝しげに教室を覗き込んだ。


「いえ、ゴキブリが出たので、驚いただけです。すみません」


 俺がそう答えると、ハクの方から、俺にだけ聞こえるか聞こえないか、というくらいの声で


「……ゴキブリ……?」


と呟くのが聞こえた。

 別にそんなつもりで言ったわけでは無かったのだが、この状況では弁解も出来ない。


「なんだ、人騒がせな。職員室まで聞こえてきたぞ」

「すみません」

「ったく。お前ら、遊んでないでさっさと帰れよ」

「はーい」


 先生の言葉に、その場の皆が揃って返事をすると、先生は一つ頷く。

 そして、再びトントンと足音を立てながら階段を降りていった。


 音が遠のくなり、皆がほっと息を吐く。

 するとハクはもう一度、今度はハッキリ


「ゴキブリ?」


と繰り返した。顔にしっかり不満だと書いてある。


「しょうがないだろ。他に良い言い訳が思いつかなかったんだから」

「へぇ」


 一応弁解してみたものの、全然納得してくれた様子はない。


「ねえ、奏太。随分仲が良いみたいだけど、ハクちゃんって、奏太の彼女……?」

「ち、違うよ!」


 何故か悲しそうに眉尻を下げる絢香に、俺は必死に両手を振って否定する。

 視界の端で、ハクがニマニマしてるのが非常に鬱陶しい。


「あ……妖なんだ。前に助けてもらったことがあって……ていうか、ハクは何でここに居るの? 他の人たちはどうしたの?」


 誤魔化すようにそう問いかけると、ハクは眉を少しだけ上げて、ヒョイっと机の上に腰掛ける。


「一人だよ。抜け出してきたの」

「えぇ!?」


 一人であることは見ればわかるが、まさか抜け出して来たとは思わなかった。


「誰にも何も言わずに……?」

「だって、人界に行くなんて言って許可してもらえると思う?」


 ハクは首を傾げてこちらを見つつ、足をぶらぶらさせる。


「……いや、それはそうだけど……大丈夫なの? 今頃大騒ぎになってるんじゃ……」

「妖界はもう皆寝てる時間なの。就寝中は、部屋の外に護衛が居るだけで、中には入ってこないから朝までに帰れば大丈夫」

「いやいや、だって万が一バレたら……」


 ハクを守ろうと目を光らせていた者たちの事を思い出して血の気が引く。


「や、やっぱりダメだよ。帰りなよ」

「……奏太までそんなこと言うの?」


 ハクはピタリと動きを止めてわかりやすく眉根を寄せる。


「だって、ハクの立場を考えたら……」

「立場! そんなものを盾にされて動くに動けないからこうして一人で人界に来たのに、こっちでも立場を理由に追い返されるわけ?」

「いや、でも……」


 俺達が口論していると、聡が割って入るように、俺とハクの間に立った。


「なあ、奏太。俺達にもわかるように説明してくれよ。ハクは一体何者なんだ?」


 皆も頷いてじっとこちらに視線を集めている。


 俺はちらっとハクに視線を向けたあと、自分を落ち着けるために、ハアと息を吐き出した。


「……妖界の帝だよ。妖の世界で一番偉い人……」

「……ハア!?」


 教室中に皆の声が響き渡った。

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