250. 闇の訪れ②
廟の戸口から声がかかったのは、それからしばらくしてからのこと。
行けば、汐ともう一人の武官が日石もどきの御守りを抱えていて、マソホと空木、他数名が本物の日石を抱えていた。
「……城内でも暴動があったようです。我らを陥れたかつての主は、既に殺されていました。虚鬼にではなく、何者かの武器によって」
マソホの主は、代替わりしたばかりのこの国の王だったそうだ。でも、鬼界そのものが危機に陥り、絶対に安全と思われた都が深淵に侵食され始め、国の体を成さなくなった。生き残りに話を聞けば、恐慌状態に陥った者達が城に攻め入り、玉座やそれに近い者など今まで鬼界の上位で胡座をかいていた者達を片っ端から殺していったそうだ。
結果、城も深淵に呑まれ、生き残った者達も虚鬼に成り果てたらしい。
「ただ、それにしては、城内にほとんど虚鬼の姿がありませんでした。大きな地震の後、何かに導かれるように外に出て、一斉に一方向に向かって駆け出して行ったと」
空木の言葉にマソホも頷く。
「確かな事は言えませんが、虚鬼は、闇の主である陰の子の目覚めに導かれたのかもしれません」
二人の話に耳を傾けていると、朱がやってきて声をかけられた。
「若様、目覚めた陰の御子様が動き出したそうです。ただ、少々様子がおかしいと」
朱の言葉に、俺は眉を顰める。
「おかしいって、どういう事ですか?」
「我が君の声どころか、陰の御方様の御声も届かず、虚鬼を取り込みながら、真っすぐにこちらへ突き進んでいると。ここへ辿り着く前に止めねばなりません。急ぐようにと我が君が。我が君も、眷属と共にこちらへ向かっておいでです」
「え、御先祖様って、動けるんですか?」
「陰の御子様の封印を守る必要がなくなりましたから。それよりも、どうかお早く」
朱は急かすように言った。
「すぐに用を済ませます」
俺はそう言うと、ハクと朱にも手伝ってもらい、集めた日石をすべて大岩の真下に固めて置いた。
それから、パンと手を打ち付ける。
「私もやろうか?」
ハクにそう言われたけど、俺は首を横に振った。
「いや、ハクは、この後のために陽の気を残しておいてよ。俺も余裕は残しておくつもりだから」
俺はそれだけ言うと、祝詞を声にだし紡いでいく。大岩の下の日石と大岩自体に陽の気を注ぐと、先ほどと同じように人界の昼間のような白い光が廟いっぱいにあふれる。
「ちょっと、奏太!?」
ハクが慌てた声をあげた。
更に廟の戸の方からは、
「まさか、これ程の陽の気を……?」
「奏太様は、ご無事なのか?」
という妖界勢の戸惑う声と、
「日の力が溢れているぞ!!」
「神の御力だ!!」
という鬼達の歓声が聞こえてきた。
このまま、どこまでも陽の気を注いでおきたいところだけど、この後、何にどれ程の力が必要になるかわからない。
ある程度のところで止めると、大岩の下にあった日石の山は、全てが白い輝きを湛えていた。
ほっと息を吐くと同時に、グイッと肩を掴まれる。
「奏太!! 一気にあんな量の陽の気を使うなんて!!」
ハクに鬼の形相で睨まれた。
でも、さっきと同じだ。俺は、そんなに言うほど陽の気を使っていない。
「大丈夫だよ。体が作り変わって、容量と効率が変わったみたいなんだ。体の中の力はそんなに減ってない。目眩もないし、問題ないよ」
俺はそう言いながら、ハクに手を差し出す。気の流れがわかるハクなら、たぶん、見てもらったほうが早い。
ハクは疑う様な視線を俺に向けながら、俺の手をギュッと握った。
「………………確かに、大丈夫そうだけど……」
しばらく気の流れを確認していたハクは、そうボソリと呟くと、もう一度、確かめるように俺の目を見る。俺はそれに、ニコッと笑って見せた。
「わかった。でも何度も言うけど、お願いだから無茶はしないでね」
「大丈夫だよ」
俺はそう言うと、もう一度、大岩に触れて陽の気を注ぐ。
「柊ちゃん」
「奏太か? 今のは一体……」
「一時しのぎだけど、陽の気を注いだんだ」
「人界側で大岩様が光る程だぞ!? お前、どれだけの力を――」
「ハクにも説明したけど、俺は大丈夫。詳しいことは、ハクに聞いて」
さっきから、朱がソワソワしている。たぶん、急いだ方が良いのだろう。
「柊ちゃん、俺、行ってくるよ。それまで、何とか耐えてて」
説明も早々にそう言うと、柊士は大岩の向こうで仕方がなさそうな息を吐いた。
「わかった。人界で、お前が無事に帰ってくるのを待ってる」
「うん。柊ちゃんも、どうか無事で」
俺はそれだけ言うと、大岩からパッと手を放す。
「朱さん、行きましょう。ハク、ここはお願い」
「うん。気を付けて」
俺は人界勢の分の御守りだけ抱え、ハクの言葉を背に廟を出た。
扉の前に俺達が姿を現すと、再び門に向かって道ができる。
「空木、同行者に御守りを」
空木に御守りを託せば、手際よく指示を出して人界勢に配布を始めてくれた。
「さっきと同じだ。同行者は人界の者達。負傷者はついてこなくて良い。汐、どうする?」
「お供いたします」
「どうか、私も同行させてください」
マソホが、俺の側まで駆け寄り膝をつく。力を尽くさせてほしいという願いに許可を出したのだ。約束を違えるつもりはない。俺は手元に残していた御守りをマソホにポンと投げた。
「日石の代わりだ」
「奏太様、本当に連れて行くおつもりですか?」
椿が声を上げ、人界の者達も厳しい視線をマソホに向ける。けど、針の筵みたいな状態でも本人に着いてくるつもりがあるなら、着いてくれば良いと俺は思ってる。
「一人くらい、鬼界の者が見届けたっていいだろ」
この世が滅びるにせよ、救われるにせよ、当事者である鬼界の者にはこの世の行く末を見届ける権利があると思う。
「奏太様」
不意に、背後から呼びかけられた。振り返ると、そこには、璃耀が厳しい表情をこちらに向けて立っている。
「何か?」
「蒼穹と数名をおつけします。どうか、お連れください。全てを人界に押し付けるわけには行きません」
「ここは良いんですか?」
「ここの守りは、他の者達でまかないます」
璃耀の言葉に、蒼穹が一歩前に出た。それから、片膝を地面について頭をたれる。
「どうか、同行を御許可ください。この命をかけて、殿下を御支えいたします」
俺は、本当に連れて行って良いのかと、廟の中に目を向ける。すると、ハクがこちらにコクと頷くのが見えた。
戦力は多い方がいい。何より、蒼穹は妖界の軍団大将だ。
妖界の者だけに、完全に心を許せるかと言われると疑わしいところはあるけど、腹黒い璃耀達と違って、蒼穹は善良な方だと思う。
「御守りは?」
「お供させていただくつもりで、こちらに」
蒼穹の手には、しっかり御守りが乗せられていた。準備万端ということだ。
「わかりました。よろしくお願いします」
俺はそう返事をすると、蒼穹達の御守りを手に取り、陽の気を込めてから返却した。
それから、先ほどから姿が見えない巽を探す。
今回は、さすがに亘は置いていくつもりだ。柊士が心配で仕方ない淕も置いていくつもりなので、亘の面倒もついでに見ておいてもらえばいい。
そう思ったのに、巽と亘の姿がどこにもない。キョロキョロと周囲を見回せば、少し離れた石小屋のところで、巽が扉を必死に押さえている様子が見えた。
「え、あいつ、何をやって……」
そう言いかけた時だった。
バーン!! と大きな音を立て、巽ごと、石小屋の扉が吹っ飛ぶ。
「巽!?」
巽は危なげなく翅を広げて空に舞い上がったけど、扉は地面に容赦なく叩きつけられて大破する。
一体何が、と石小屋の中を見れば、亘が苦しそうに胸のあたりを押さえながら、人の姿で立っているのが見えた。
人界、妖界の者達が、警戒するように亘と俺の間に入る。
「淕、柾、亘を捕らえて、ここに」
亘に匹敵する力を持つ人界の二人に声をかければ、二人は即座に動いた。
「淕さん! 柾さん! 亘さんは正気です! ただ奏太様に置いていかれるのが嫌なだけで――」
上空から巽が二人に呼びかける。
「置いていかれるのが嫌だ、だ? あれだけの事をしておいて我儘を言うとは、何処の子どもだ、亘?」
柾が挑発するように言う。淕も眉根を寄せて亘を見た。
「亘、お前は、自分の立場がわかっているのか?」
亘は二人を前に、苦虫を噛み潰したような顔になる。しかし、そのまま何も言い返す事をせず、静かにその場に両膝をついて頭を垂れた。
「……わかっている。奏太様にも、お前らにも、申し訳なかったと思っている」
亘の態度に淕は更にギュッと眉根を寄せ、柾は気を削がれたように亘を見下ろす。
「おい、二度目だぞ? そうやって奏太様を盾に連れ去ろうとしたのは、今日の昼間の話だ」
柾は苛立たしげにチッ舌打ちをした。俺がいたせいで攻撃すら許されなかったさっきの事が、余程悔しかったらしい。
「主を前に不意打ちをしたような奴を信用できるわけもない。守り手様の護衛役を続けられると思うなよ」
柾の言葉に、淕も同意する。
「少なくとも、今のまま奏太様の前には連れていけぬ。拘束させてもらうぞ」
「……わかった」
亘はそう、短く返事をする。淕と柾は顔を見合わせつつ、縄で亘を縛り上げた。亘はその間、抵抗どころか身動ぎ一つせず、されるがままになっていた。
淕と柾に連れてこられた亘は、両腕を拘束されたまま、俺の前で膝をつかされる。護衛役達が武器に手をかけピリッと警戒をしていた。
「亘」
「申し訳ございません。奏太様。どのような処罰もお受けいたします」
はっきりと戻って来る返答。亘の顔に手を伸ばし、今まで何度も確認したように、気の流れを確認する。昼間の時とは違い、異常はない。
そのまま顎に手をあて顔を上げさせ、その目をじっと覗き込めば、しっかりとした視線がこちらを向き、それからふっとその目が伏せられた。
その顔も、昼間とは明らかに違う。今までずっと近くで見てきた亘と同じだ。
俺は、ハアと息を吐き出した。
「俺に、置いていかれたくないって?」
わざと呆れた声を出せば、亘はグッと喉を鳴らす。
「たしか、淕が自分の代わりに俺の護衛役になったって嫉妬してたんだったな」
「……あ……あの…………奏太様……?」
わざと意地悪く言えば、亘が戸惑うような声を上げた。けど、無視だ。
「淕に俺を奪われまいと必死だったっけ。誰にも触れさせないように、深淵の奥底に永遠に閉じ込めておこうとするくらいだもんな」
亘がギュッと奥歯を噛んだのがわかった。その耳は既に真っ赤だ。顔を背けようとしたけど、顎にあてた手を放してやるつもりはない。
「俺が死んだと思って悲しくなったんだろ? 正気を失うほどに」
「…………それは…………その…………」
耳の赤は顔にも広がっていく。
「だって、偽物がいる事も許せなかったんだもんな? 唯一の主を騙るなって、すごい剣幕だったし」
俺に顎を上げさせられているせいで俯くことも許されず、どんなに居た堪れなくても、亘は目を泳がせることしかできない。
汐も隣でフンと鼻を鳴らした。
「今回のことで、私達が目に入らないくらいに奏太様がお好きなのだって事がよくわかったわ」
そう言うと、呆れ果てた顔で亘を見下ろす。
「淕さんへの対抗心でいっぱいでしたしね」
椿も、それに同調する。
「さっきなんて、目覚めて早々、奏太様の元へ行かせろって、すごい勢いでしたよ。奏太様と片時も離れたくなかったんでしょうね。僕ごと扉を蹴り飛ばすくらいですから」
巽もまた、スゥーっとこちらへ飛んできた。
亘は羞恥に耐えきれなくなったように、体を小刻みにプルプルと震えさせている。
「俺が好きで好きで仕方がないって事だ。いいこと聞いたな。なぁ、亘」
俺はそう言うと、真っ赤な顔で表情をゆがませた亘の顎を、ようやくパッと放してやった。
それとともに、亘は勢いよくがばっとその身を折りたたむ。
「誠に、申し訳ございませんでした!!!」
その様子に、思わず、クッと笑いが漏れた。
人界、妖界、鬼界の者達までいる前で辱めてやったのだ。散々心配かけた事への報復は、これくらいで良いだろう。
「淕、放してやってよ」
「しかし……」
「犯した罪の償いは人界で、そういう話だっただろ? 濃い陰の気も晴れてる。もう大丈夫だよ、亘は」
俺は、淕だけでなく、その場にいる人界妖界の者達を見回す。
「目が覚めたんなら、連れて行く。妖界の者達はハクがいるところに亘を置いていかれたくはないだろ」
璃耀の方を見れば、険しい表情ではっきりと頷いた。
「もう、闇に支配されんなよ、亘」
「……はい、申し訳ございません……」
亘は情けない声で、もう一度、そう繰り返した。




