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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
鬼界篇

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247. 鬼の都の災禍①

「あそこですね」


 朱に乗ってどれほど経ったか。視線の先には以前に見た鬼たちの都があった。

 

 しかし、そこに広がる光景は、当時の様子からは完全に掛け離れたもの。

  

 以前は人界の山里のように草木が生え、うねる道に家々が軒を連ね、日暮れだったから鬼の姿はまばらだったけど、それでも、一見平和そうに見えた。


 しかし今は、草木が枯れかけ、あちらこちらから燻る煙が上がり、夜なのにワーキャー叫ぶ声が響いている。


 虚鬼が道を跋扈し、身なりの良い女子どもを追い回し、男は何とか虚鬼と戦おうと武器や棒のようなものを振り回し、別の場所では力敵わず鋭い爪に体を引き裂かれて押し倒される者がいる。

 家の扉は無残に破られ、中からズルズルと血まみれのまま引きずり出されていたり、道の真ん中で虚鬼に食いつかれている者も。


 地獄絵図を現実世界に引っ張り出してきたような光景。


 完全にすべてが深淵にのまれたわけではない。でも、濃い陰の気が漂っている。


「想像以上に良くない状況ですね」


 朱が苦虫を噛み潰したように言った。


「闇の発生源は、右前方の城壁のあたりでしょう」


 朱の言う方角を見れば、城にほど近い一角を深淵ほどの闇が覆い、さらにその中に黒い闇を濃縮したような場所があった。まるでそこが核だと主張するように。


 闇は都と城の両方に手を広げ、一部を既に侵食している。範囲は次第に拡大していき、さらに、それに引き寄せられるように、離れたところにあった深淵が、まるで天気の急変を告げる黒雲のように、少しずつ、しかし確実に近づいてくるように見えた。


「とりあえず、俺、あれを祓ってきます」

「奏太!」


 ハクが咎めるような声をあげたけど、朱はコクと頷く。


「若様に行って頂いた方が良ろしいでしょう。あれほどの闇を祓うには、かなりの力を必要とします。姫様の気の力では、少々心許ないかと」

「そんな事まで分かるんですか?」


 陽の気の力の強さが分かるとは思わず目を瞬くと、朱は小さく笑った。


「これ程長く御二方をお乗せしていれば、さすがに分かりますよ。決して姫様の力が弱いわけではありませんが、若様は神の力の一部を宿していますからね」

「……でも……」

「大丈夫だよ。あれを祓ったのは初めてじゃないし、あの時と違って、今なら負担も少ないと思うから」


 前回は、あれを三箇所祓って限界だった。深淵の耐え難い陰の気のせいで、余計に陽の気を消費していたのも、たぶん良くなかった。

 でも、今は深淵に入っても余裕がある。あの時のようにはならないだろう。


「ハクは、朱さんと廟の様子を見てきてよ。終わったら、すぐ合流する」


 俺はそう言うと、周囲を見回した。

 護衛役達はしっかり俺達を囲むように飛んでいる。巽も朱の真下で、チラチラ俺の様子を見ては、異常がないか確認している。

 その中で、俺は一番近くを飛んでいた椿に目を留めた。


「椿、今の話、聞いてた?」

「はい。概ね、お話は理解しました」

「俺はあれを祓いにいく。このまま椿に飛び移るから、うまく拾ってよ」


 俺が言うと、椿はぎょっとしたように目を見開いた。汐もまた、険しい顔で声を荒げる。


「奏太様、おやめください!」

「危険です! せめて、下に降りてから……」


 でも、この大所帯だ。ハクも乗っている以上、朱が下に降りれば、いちいち全員が下に降りなければならなくなる。ただでさえ地上は虚鬼のせいで大混乱なのだ。朱から乗り換えるだけで時間を浪費するのは、どう考えても非効率的すぎる。


「大丈夫だよ、万が一のことがあっても、巽がいるし。無駄な時間を使いたくない。椿が拾ってくれれば問題ないよ。念の為、浅沙と哉芽も下にいて」


 俺が側を飛ぶ護衛役に目を向けて言うと、二人は困ったように顔を見合わせた。しかし、微妙な顔をしながらも、一応指示に従って移動してくれる。聞き分けが良い。

 

「奏太様!!」


 汐が叫ぶのを聞きながら、俺は浅沙と哉芽が真下で俺を拾い上げられる位置についたのを確認した。


 優秀な護衛役がこれだけいるのだ。万が一にも、地面に叩きつけられる事にはならないと思うのに、心配しすぎだ。

 

 巽は二人が急に降りてきた事に首を傾げていたが、たぶん浅沙が事情を話したのだろう。


「今すぐ中止してください! 奏太様っ!!」


という泣き叫ぶような声が聞こえてきた。

 

 そうは言っても、巽には悪いけど、俺はもう椿に飛び移る姿勢になってしまっている。今更中止するつもりはない。


「……巽、かわいそうに……」


 そんなハクの呟きを背に、俺は亘を抱え、揺れる朱の背の上でうまくバランスを取りながら椿に向かってバッと飛び出した。


「奏太様!!」


 汐と巽の悲鳴が響く。


 しかし、すぐに俺の体は椿の柔らかな体に拾い上げられた。ほとんど落ちていなかったのではと思うくらいの時間差だ。


「さすが、椿」


 俺が言うと、椿は不満いっぱいの声を出した。


「人界に戻ったら、きっちり柊士様に叱っていただきますから!」

「椿を信頼してるから飛び降りたんだ。これくらい、見逃してよ」

「僕は、絶っ対に、見逃したりしませんからねっ!!!」


 椿ではなく、涙目の巽から喚き声が返ってくる。更に、


「奏太様、状況が落ち着かれたら、柊士様の前に、まずは私としっかりお話しをしましょうね」


と、汐がキレイな笑みを浮かべた。


 俺は、ハハッと誤魔化し笑いをする。人界に戻る頃には皆がすっかり忘れている事を祈るとしよう。


 そんな事を思いながら、俺は城壁の暗闇に目を向ける。 


「椿、御守りの陽の気はまだある?」

「はい。暖かさに変化はありません」


 念の為に確認すれば、そう確かな声が戻ってきた。


「ハク、廟の方は頼むよ。ついでに、淕も連れてって!」


 朱に乗るハクに声をかければ、淕がぎょっと目を剥いた。


「何を仰るのですか! 私も、奏太様と共に……っ!」

「柊ちゃんの事が心配で仕方ないんだろ? ハクと行って、状況を確認してきなよ。 気も(そぞ)ろな状態でついてこられても困るし」


 人界の大岩神社に影響があると聞いてから、淕はずっとソワソワしている。隠そうとはしてるけど、柊士の事が気になって仕方ないと完全に顔に書いてあるのだ。柊士に気を取られている時の淕は、正直信用できない。


 図星だったのだろう。淕が言葉を失っている間に、俺は椿の背をトントンと軽く叩いた。


「行ける? 椿」

「はい。もちろんです」


 すると、ハクから声が飛んでくる。

 

「奏太、絶対に無茶しないって約束して!」

「俺は大丈夫! ハクも気を付けて!」

 

 俺はそうハクに呼びかけながら、今度は自分の周囲を囲む者達を見回した。


「俺は陰の気が一段濃い場所に行く。負傷者と、御守りの陽の気が心許ない者はついてこなくて良いから、ハクの方に回って」

「こちらは皆、問題ありません。人界の者は奏太様にお供いたします!」


 空木の頼もしい声が響く。きちんと、人界の武官達の状況を確認してくれていたようだ。さすが、柾の補佐官だと思う。


 俺はふっと亘に目を向ける。できたら、陰の気の濃い場所には連れて行きたくない。でも、また離れた隙に闇の女神に奪われたらと思うと、心配で目を離すのも不安になる。


「亘が心配ですか?」


 汐が俺の様子をに気づいたように声を掛けてきた。


「せっかく濃い陰の気を祓ったのにまた支配されたらと思うと、ちょっとね」 

「きっと、大丈夫ですよ。陽の気の御守りもありますから」


 ……御守り、か……

 

 俺は、首にかかっていた結のお守りを手に取る。深淵の濃い陰の気の中で、俺を支えてくれたものだ。もしかしたら、少しでも陰の気を退ける力になるかもしれない。


 首から御守りを取り外し、ギュッと握りこむ。それから、これ以上、闇に良いようにされないように、そう願いながら陽の気をこめた。


 亘の首に結の御守りを重ねてつければ、汐が僅かに眉尻を下げる。

 

「良ろしいのですか? ずっと大切に首から下げていらっしゃったのに」

「ちょっと貸すだけだよ。人界に帰ったら、本人に返してもらう」


 いざという時に、無抵抗なままの亘を闇から守ってくれればいい。


 俺はそれだけ言うと、もう一度、椿の背を軽く叩いた。


「行こう」

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