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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
鬼界篇

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244. 亘の思惑②

 稲光を纏わせた巨大な竜巻は、まるで生き物のように、その場のあらゆるものを巻き込み成長しながら移動を始めた。地上も、上空も、敵も、味方も、関係なしに。


「…………やめろ」


 声が震える。


 妖界の武官が数名飲まれ、雷に打たれ、風に吹き飛ばされたのが目に入った。ムカデの巨体が竜巻にぶつかり、体が捻り切られるように途中で折れて巻き上げられる。それに人界の武官がぶつかり渦の中にのまれていく。


 何処に進むか分からない竜巻に右往左往する者たちの姿が見え、意思のない虚鬼は逃げ惑いながらも容赦なく巻き上げられていく。


 亘が更に羽ばたけば、再び似たような竜巻が近くに出現した。


「やめろ、亘っ!!!」 


 怒声を上げて亘の背を思い切り叩きつける。

 

 大きな亘の背からすれば、俺の力で殴ったところで大した衝撃ではなかっただろう。


 しかし、俺の声が届いたのか、それとも用が済んだのか、亘はようやく、地上に向けて風を送るのをやめて竜巻を眺めるようにその場で旋回を始めた。

 

 でも既に、地上は混乱の坩堝だ。


「亘、今すぐあれを止めろ! 下には、汐たちも、ハクだっているんだぞ!?」

「無理です。私の手から既に離れたものを止めることはできません」


 虚鬼も妖達も関係なく巻き込んでいくチカチカ光る黒い竜巻を、亘は何の感情も浮かばない瞳で見下ろす。


「何、言ってんだよ? このまま何もしないで、全部、壊すつもりか!?」

「全て、ではありませんが、概ねその通りです。貴方を追う者をこの場で排除します。あの方のことは、妖界の者達が護るでしょう」


 まさか、肯定の声が返ってくると思わず、言葉を失う。

 

「…………バカなこと……言うなよ……そんなことして、いったい何の……」

「二度と、貴方を失わぬ為、ですよ」


 亘から返ってきたのは、きっぱりとした短い答え。


「……は? 俺を……?」

「邪魔なのです。貴方を奪い返そうとする者たちが。これから向かうのは、深淵の奥深く。鬼も、虚鬼も、妖も、日向でさえも触れられぬ場所です。そこならば、誰にも貴方を奪えません。貴方には未来永劫、そこに留まり続けていただきます」


 さも当然のように発せられた言葉に、背筋がゾッとした。 

 

「……お前、俺を深淵の奥底に閉じ込めておくつもりなのか? 永遠に?」

「ええ。貴方を危険から遠ざけるには、それしか方法がありません。ただ、その為には、今貴方を追おうとするハエを払っておかなくては。いつ、淕のような者が現れるともわかりませんから」


 さっきから、心臓が嫌な音を立てている。亘が正気じゃ無いことは分かってた。でも、これは狂気に等しい。


「意味分かんないこと言うなよ。俺は、そんなこと望んでない! そんなことの為に、ずっと一緒に戦ってきた仲間達を傷つけるな!」

「貴方が望もうと望むまいと、関係ありません」

  

 俺は、ギリっと奥歯を噛んだ。今の亘には、俺の言葉が届いていない。聞いているはずなのに、理解して受け入れるつもりが一切ない。


「……ふざけんなよ」

 

 これが、亘自身の考えであるわけが無い。


 亘はいつか、俺が失いたくないと願うものも出来る限り護りたいと言っていた。命が護られる前提ではあるけれど、明るい道を歩んでほしいから、と。

 

 それなのに、突然、こんなに極端なことを言い出すわけがない。亘にわけのわからない事を吹き込んだ奴がいる。じゃなきゃ、到底納得なんてできない。

 

 そう、例えば――


「お前、闇の女神に何をされた? 何を言われたんだよ?」

「何も。ただ、貴方を取り戻し、護る方法を教えていただいただけです」

「そんなわけないだろ! 闇の女神なんかに操られんな。さっさと正気に戻れよ!」 

「操られてなどいません。私は、極めて正常ですよ」


 亘はそう言うけど、この手に伝わってくる陰の気は、未だに闇を溶かしたような黒色で、全く正常なんかじゃない。亘自身の言動も、思考も、だ。


「……やっぱり、陰の気を薄めなゃダメか」


 やり方なんて知らない。何が正解かもわからない。でも……

 

「死んだら、ごめん」

「……は?」

「万が一そうなったら、このまま一緒に逝ってやるよ。どっちにしても、一蓮托生だ」


 俺は、そう言いながら首にかけたままになっていた、陰の気を吸い出す呪物をとりはずして亘の背に押し付けた。璃耀からもらった手首の呪物も同様に、亘の背に当たるように調整する。少しでも、陰の気を吸い出した方がいいだろう。


 そして、もう片方の手を亘の背に真っすぐに当てて陽の気を集め始めた。


 これで陰の気が薄まるのかなんて、分からない。でも、気の色が陰陽の気の濃度によるものなら、やっぱり、こうやって中和させるしかない。


 あの村で濃い陰の気に陽の気を注いで祓ったように、体の中の陰の気も、陽の気で薄めることができると信じるしかない。


「耐えろよ、亘」

 

 俺はグッと奥歯を噛み、そのまま、亘の背から陽の気を流し込んだ。

 

 無闇に体を焼くわけじゃない。胸のあたりに溜まる黒い淀みを晴らすように。亘の体の中をめぐる陰の気に陽の気を混ぜるように、少しずつ、注いでいく。

 

「グッ……うっ……うぅ……っ!」


 突然背中に陽の気を注ぎ込まれて、亘の体がガクンと大きく揺れた。


「……奏太……さま……なに……を……」

  

 この上空。俺にとってそうであるように、亘にとっても、ある意味、逃げ場はない。

 

 あれほど俺を危険に晒したくないと言っていたのだ。この高度から俺を振り落とすわけがない。

 かと言って、そのまま下に降りれば、淕や浅沙達に捕まるだろう。亘の言葉から考えれば、淕に俺を奪われるのだけは、絶対に避けたいハズだ。

 空中に留まっていることすら不安定な状態なのに、体の中を焼かれる苦痛の中で遠くに飛ぶのだって恐らく難しい。


 亘の体はもがき苦しむように揺れ続ける。俺はそれに必死にしがみつきながら、陽の気を注いでいった。

 

 思いつきでやっていることだ。そんなに上手くいくわけがない。一応狙いを定めていても、どうしても亘の体を焼かざるを得ない。

 

 陽の気を注ぐたびに、亘の体は少しずつ、陽の気に耐えきれずに焼かれてジリジリと燻るような音と匂いをあげていく。


 それでも、気のせいかもと思うくらい少しずつだけど、体を巡る陰の気の色が薄くなり、胸のあたりにあった濃い陰の気が晴れていくような気がした。

 

 亘の体は、フラフラしながら、少しずつ少しずつ、高度を下げていく。でも俺は亘から手を放さずに、陽の気を送り続けた。


「頑張れ」


 もう少し。あと、ちょっとだから。

 

 不意に、亘の体が耐えかねたように、フッと小さな鷲の姿に変わった。それとともに、俺を支えていた浮力がなくなり、再び、ふわっとした浮遊感と共に体が宙に投げ出される。

 

 真下から強烈な風が吹き、自分の体が落下し始めるのがわかる。


 でも、不思議なことに、さっき亘から落とされかけた時のような動揺は全くなかった。頭が奇妙に冴えた感覚のまま、一緒に落ちていく亘の体を掴んで抱え込む。


 それから、自分の胸にかかっていた温泉水の瓶を鷲掴みにして思い切り引き千切った。そのまま、意識を失った亘の口の中に瓶の口を突っ込む。


 ……ホント、図太くなったな。


 亘の口の中に温泉水が流れ込んでいくのを見ながら、ふと、そう思った。


 さっきみたいな不意打ちでなければ、こういう命の危機でも、ここまで冷静でいられるんだから。


『慣れたっていうのは、君がそれだけの経験を積んできたってことだろ?』

 

 なんとなく、鹿鳴が言っていた言葉が頭に浮かぶ。


 でも、こういう状況で冷静でいられるのは、たぶん、危機に慣れた事が理由ではない。

  

 一緒に死んでやる、なんて亘には言ったけど、きっと大丈夫なはずだ。

 

 神頼みだなんて曖昧なものではない。

 

 俺たちが落ちていく先の何処か。そこに、信頼できる仲間達が絶対にいる。きっと、ヒヤヒヤしながら俺たちの方を見上げているハズだ。


「頼むよ。誰か」

 

 仲間達への確固たる信頼感も、きっと、経験の中で得てきたものなのだろう。


 俺は、亘を抱えて真っ逆さまに落ちていく。地面はぐんぐん近づいてくる。


 あと少し。俺はギュッと目を閉じる。


 と、突然、グンっと体が急激に上方向に引っ張られる感覚がして、グエッと息が止まりそうになった。


 涙目でそれを見上げれば、巽と椿、汐が、必死に俺の服を引っ張り上げているのが目に入った。


「はは……っ」


 思わず、声が漏れた。


「笑っている場合ですか!?」


 汐が珍しく大きな声で叫ぶ。人の姿の背には、青く透き通る、キラキラした蝶の大きな翅があった。


「汐、いつの間に、そんな姿になれるようになったの?」

「奏太様が無茶をなさるから、無我夢中で飛んだら、このようになっていたのです!!」

「そっか。助かった。それに、すごい似合ってるよ。綺麗だ」


 俺が言うと、汐は急に顔を真っ赤にさせて、


「ふざけないでください!!」


と、もう一度叫んだ。ふざけてないし、本心なのに。


 そう思いながら視線をずらせば、巽もまた、プルプルと震えながら顔を怒りで真っ赤させて声を張り上げた。

 

「わざと、落ちるのは、無しって、言ったじゃないですかっ!!!」

「……そうだよな、ごめん」


 憤懣やる方ない巽から更に目を逸らせば、椿が涙目のまま、じっと無言で訴えかけるように俺を見ていた。何も言われないのが一番怖い。


「……ホント…………ごめん………………なさい……」

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