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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
妖界篇

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27. 春休みの思い出

 俺達は山の中を道に沿って下り、途中ですれ違う救急車やパトカーから身を隠しながら下山した。

 潤也が心配だったが、尾定の薬草と蓮花で素早く手当したおかげか、意外に元気だ。


「潤也は大丈夫なのか?」

「大丈夫だよ。あのおじさんみたいに深く刺されたわけじゃない。皮膚を少し切っただけだから」

「それならいいけど……」


 口には出さないが、潤也の他に、俺にはもう一つ懸念があった。

 鬼が居たということは、あの周辺に鬼界への綻びがあったと考えるべきだ。できたら早々に塞いだほうがいい。

 でも、軽症とはいえ怪我をした潤也を連れ回して捜索するわけにはいかない。

 本家に報告するからと断わり、少しだけ二人から離れて電話先の村田に汐達への言付けを頼んだ。

 伯父さんから話を聞いた以降顔を合わせていない汐と亘に会うのは気まずい気もするが、開いているかもしれない鬼界の入口を放置するほうが問題だ。

 連絡さえしておけば、バスが停まった周辺の捜索をしてくれるだろう。ペンションの場所も伝えたので、見つけ次第呼びに来るはずだ。


 街に出たあと、俺達はまっすぐ徒歩で潤也の親戚が経営するペンションに向かった。

 歩くにはそこそこ距離があったが、どうしてももう一度バスに乗る気にはならなかったからだ。

 途中で昼休憩をはさみつつ、ペンションについたのは夕方。

 見事に一日目の予定はキレイに消え去った。


 せっかくのキャンプは蝦蟇に潰され、今回も鬼に計画を滅茶苦茶にされるなんて、どうしてこんなにタイミングが悪いのだろう。

 ハアとため息をつかずにはいられない。


 ペンションの中に入ると、潤也によく似た顔のお兄さんが迎えてくれた。兄弟と言われても納得できるくらいに似ている。


「お前、どうした、首」


 お兄さんは潤也を見るやいなや、声を尖らせる。


「安全に過ごさせるって叔母さんに約束したのに、こっちにつく前に怪我してくるなよ」


 俺達はその言葉に顔を見合わせる。

 お兄さんの言いたいことは理解できる。でも、不可抗力だ。誰も死ななかっただけマシなくらいだ。

 事情を説明したところで信じてもらえないだろうし、信じられたとしたら、それはそれで今後一切の外泊が認められなくなりそうだから、誰も何も言わないが。


「大げさに包帯を巻いてあるけど、擦り傷みたいなもんだよ」


 潤也はそう言うと、パラと包帯を外す。

 すると、紫色になりつつあった傷口まわりの色がもとに戻り、ポツンと赤い傷だけが残っている。


「なんだ、本当に擦り傷みたいなもんじゃないか」


 お兄さんは呆れたように、息を吐き出した。


「だから言っただろ。絆創膏がなかっただけだよ。じゃあ、俺達、部屋に行くから」

「おう。七時に夕飯だ。時間になったら降りてこいよ」


 そう言うと、お兄さんはチャリっと部屋の鍵を潤也に持たせた。


 荷物を置いて休憩しているうちに夕食になり、美味しい海鮮定食を食べたあと、初日のせめてもの思い出づくりにと、持ってきた花火を海の見えるペンションの敷地内でやらせてもらう。


 ひらりと青い蝶が飛んできたのは、それから間もなくのことだった。

 持って来た花火の三分の二以上がまだ残っている。


「……もうちょっと、空気を読んでくれたらいいんだけど……」


 蝶を見ながらぼやくように言うと、聡が首を傾げる。


「何の話だ?」


 しかし、俺がそれに反応する前に、ひと目も憚らずに汐は口を開いた。

 まあ、ここには俺達しかいないし、潤也は汐に会ったことがあるから今更だけど。


「鬼界への入口を探すように託けてくださったのは奏太様でしょう」


 蝶から不満気な女の子の声が突然響いたことに、聡はぎょっと目を見開いたが、潤也は訳知り顔で聡の肩をポンポンと叩く。


「それで、見つかったの?」

「ええ。海岸沿いの崖の影に」


 俺はちらっとまだ半分も使っていない花火を恨めしく思いながら見たあと、ハアと息を吐き出した。


「わかった。行こう。亘は?」

「今は上空に」


 汐がそう言いながらふわりと翻ると、大鷲がスゥっとこちらに滑空してくる。

 あまりに大きいからだろうが、視界の端で聡が絶句している。


「先日本家でお会いした時に少し落ち込んだご様子だったので心配していましたが、お元気そうで何より」

「……別に落ち込んでたわけじゃないよ」


 ……本家や関わりある者たちに不信感を抱いただけで。


 口には出して言わないが、表情には出ていたのだろう。亘は小さく息を吐いた。


「まあ、ひとまず参りましょう」


 俺もそれ以上は何も言わずに小さく頷く。それから、こちらの様子を伺っていた二人を振り返った。


「鬼がこれ以上出てこられないように、穴を塞いでくるから、二人は花火の続きしてて」

「いや、お前一人で行かせて遊んでられるわけ無いだろ」


 潤也は眉を顰める。ただ、二人を連れて行く気はさらさらない。


「一人じゃないよ。この二人がいるから。それに、鬼に怪我をさせられた潤也はあんまりふらふらしないほうがいいだろ。聡は見張りな」


 俺はそう言いつつ、亘の背に乗る。

 そして、不満そうな表情を浮かべている二人に、


「そんな時間かからないよ。すぐ戻ってくる」


と言い残し、亘と汐と共に空に飛び立った。



 鬼界の入口は、本当に目と鼻の先にあった。海に面した岩壁にあるせいで鬼灯は実っていない。

 岩壁の窪みにあいた鬼界の入口は、大人ひとりが屈めば通れるくらいの大きさで、黒い渦の中央から向こう側が見えている。

 暗くて良くわからないが、砂漠のような大地に、枯れた木の幹がポツンポツンと生えているように見えた。


「入口付近に鬼がいなくて良かったです。さっさと塞いでしまいましょう」


 人の姿に変わった亘が言う。

 それに頷くと、俺はいつものように黒い渦に向かって光の粒を注いでいった。


「あれだけ大きい穴が開きっぱなしだったってことは、他にも鬼がこっちの世界に来てるってことはないの?」


 その場に座り込んで休憩しながら尋ねると、汐が表情を強張らせる。


「可能性はあります。ですから、我らの仲間が引き続き捜索しています」

「でも、今日見た鬼は、最初は人に化けてたんだ。ちゃんと見つかるかな」

「手分けして、潜んでいそうな場所を虱潰しに捜すしかありません。日中、鬼や妖が潜んでいられる場所など限られますし、そういった場所に、まともな人は殆ど居られません」


 そうは言われても、本当に大丈夫なのか不安は尽きない。

 しかも、今回のように見逃されていた鬼界の入口が幾つかある可能性だってある。

 今に始まったことではないのだろうが、よく人間は今まで無事に生きてこられたものだ。


 ……いや、今までも無事では無かったのかもしれない。


 今日の事件がどう処理されたかは知らないが、獣に切り裂かれたような傷のある者がいれば、熊の被害と言われるかもしれないし、鬼に食われた行方不明者がいれば、事件事故で片付けられるかもしれない。

 そうやって、鬼や妖による被害が、人が納得できる理由をつけて結論付けられて報道されているだけなのかもしれない。



 ペンションに戻ると、潤也と聡は不安そうな顔で俺の帰りを待っていた。

 部屋に備え付けられたテレビからは、山中に停められた路線バスを警察が調べている映像が繰り返し流され、運転手の覚醒剤使用の疑いと熊被害という悲劇が重なったのだと説明されていた。


 そして翌朝。

 近所での熊の被害を心配した各保護者から、危険のないうちに帰ってこいと連絡が入り、結局春の思い出も、此の世ならざる者のせいで露と消えたのだった。


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