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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
鬼界篇

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237. 亘との再会①

「亘っ!!!」


 俺が声を上げた途端、冷たい目がこちらを向く。そして、もう一人に何事か言われたのを無視して、バサリと背の翼を羽ばたかせた。


 こちらへ駆けてきていた虚鬼達と護衛達がぶつかり、巨大な虚鬼もまた、妖も赤眼の鬼の部下達も関係なく襲いかかる。敵味方の区別なく、鬼も妖もその対応に追われ始めた。


「この縄を解け! 闇の眷属を前に争っている場合ではない!」


 赤眼の鬼が叫ぶ。


「奏太様、どうしますか!? 虚鬼に対抗する手が足りないのは確かです! 奏太様!」

「巽、解放して! 奏太、ぼうっとしてないで、しっかりして!」


 俺の代わりにハクが巽に許可を出す声が聞こえる。


「奏太様、確かに亘のように見えますが、何処か様子が変です。お気をつけください!」


 汐が近くまで来て俺の手首を引く。


 スラリと刀を抜き、切っ先を光らせた亘は、ゆっくりとこちらに向かってくる。その目はじっと俺を見据えたままだ。


「白月様! お下がりください!」


 ハクが妖界の武官に遠ざけられるのを横目に、俺はどうしても動けなかった。亘が何故あちらにいるのか、本当に俺達に気づかないのか、俺を見た後でもこちらに戻ってこないのは何故か。

 

「奏太様もお下がりください! 巽、奏太様を!」


 哉芽(かなめ)が虚鬼の相手をしながらそう叫ぶ。

 

「……本当に、闇に囚われたのか?」


 俺の真上、見下ろす視線は、常に敵に向けられていたものだ。少なくとも、自分に向いたことのない目。


「亘さん! しっかりしてください!」


 赤眼の鬼を解放した巽が、守るように俺の前に出た。


「何故」


 バサリバサリという羽音と共に、亘の低い声が落ちてくる。手に持つ刀の切っ先を、真っすぐに俺に向けて。


「何故、あの方の姿を装う? お前は何者だ? 何が狙いだ?」

「……何を、言ってるんだよ?」

「何故、あの方の姿をしているのかと聞いている。あの方は、あの時……虚鬼に……喰われた……はず……なのに……」


 亘は苦しそうに眉根を寄せて片手で目元を覆い、ギリッと奥歯を鳴らした。


「亘、奏太様が分からないの? その刀を下ろしなさい!」


 汐も、俺の手首を握ったまま、亘を見据える。しかし、ふっと顔から手を放した亘の目は、巽のことも汐の事も映していなかった。ただ一点、俺を見据えるだけ。


「……あの方って、誰のことだよ?」

「私の、唯一の主だ。たった御一人、残されていたはずの、私の……」


 会話はできているのだ。意思はある。心を無くした虚鬼のように、ただ襲いかかって来るわけではない。 

 でも、俺に向けられているのは、問答無用で敵に刃を向ける時の目。言葉が通じる気がしない。俺は目の前にいるのはずなに、俺じゃない誰かを見ている。 


「少なくとも、お前のような偽物ではない」

「馬鹿なこと言うなよ。お前は、俺の護衛役だろ!」 

「何処の馬の骨とも知らぬお前が、あの方を騙るな!!」


 不意に、亘が思い切り刀を振り上げた。


「奏太様!!」

 

 そのまま真っすぐに下降し向かって来るのを、巽が刀を構えて受け止めようとする。しかし、巽と亘では力量差がありすぎる。たった一振り。刃の閃きが見えたと思うのとほぼ同時に、巽が地面に崩れ落ちたのが目に映った。

 更に、慌てた汐にグイッと腕を引き寄せられ、代わりに汐が前に出る。けどそれも、亘の刀の柄で容赦なく胸を突かれて突き飛ばされた。


「巽! 汐!」


 声を上げかけた瞬間、グイッと荒っぽく肩のあたりを掴まれ、体のバランスが崩れる。そのまま後ろ向きに体が傾き、ダンッ! と背と頭を地面に打ち付けた。


 あまりの痛みとチラチラする視界にギュッと目を瞑ると、鋭い痛みが首筋に走る。目を開ければ、亘の顔がすぐ近くにあり、刃が首に当てられていた。


「……まさか、俺を殺すつもりか、亘?」

「お前の狙いは何だ? 何故あの方の姿をする?」

「狙いなんてない。お前、誰に何を吹き込まれた? お前の主が日向奏太で合ってるなら、今、ここにいるだろ。それとも、この短い期間で主を変えたのか?」


 亘の目を見据えて問えば、肩を押さえていた手でギリリッと首を絞められた。


「鬼に喰われたあの方に成りすまし、あの方を侮辱するような真似が、許されると思うのか」

「……鬼に……喰われた……? 馬鹿、言うなよ……」


 手を放させようと両手で亘の手を掴み、痛みと苦しさに途切れ途切れに言えば、更に力が込められる。


「う……うぅ……っ!」

「余程、死にたいらしいな」


 亘は刀をパッと持ちかえ、そのままそれを振り上げ――


 横腹のあたりに悲鳴も上げられないほどの激痛が走った。何度か経験のある痛み。見なくても分かる。自分の腹を刺されたってことくらい。


「奏太様!!」


 誰かは分からないけど、そんな悲鳴が聞こえた。

  

「……ふざ……けんなよ……亘……」


 引き絞られるような声しかでてこない。息をするだけで腹が痛む。しかし、亘の表情は変わらない。凍りつくような目で俺を見下ろすだけだ。


「このまま(はらわた)を引きずり出されたくなければ目的を言え」

「……んなもん……あるわけ、無いだろ。……目……覚ませ……馬鹿……っ!」


 そう返せば、本当に腹を裂くつもりなのか、刺されたところに再び激痛が走り、その範囲がズズッと少しだけ広がる。


「ぐっ……うぅぅう……っ!」


 少しでも話せれば、そう思ったけど、亘は全く聞く耳を持たない。絶え絶えに息をするしかできないこの状況では、本当にこのまま殺されてしまいそうだ。


 結を……ハクを、その手に掛けたと思い詰めていた亘の姿が脳裏に過る。


 俺はグッと奥歯を噛んだ。


 ……たとえ正気を失っている状態だったとしても、亘に殺されるわけにはいかない。


 俺は自分の腹のあたりを探り、ヌメヌメと生暖かく濡れる手と、自分の首を押さえつけている手を掴んだ。それから、自分の手にありったけの陽の気を集める。

 

 掴んだ手から亘の体に集中すれば、汐達と同じように亘の中で循環しているはずの灰色の陰の気は、俺の中にあるドス黒い色と同じ色味になっていて、胸のあたりが濃く塗りつぶされているのが見えた。


「……やっぱり……闇に……支配……されたんだな……」


 心の中に、やりきれない思いが広がっていく。

 

 中途半端に脅したって、亘はこの手を放さないだろう。俺はそのまま、亘の中に叩きつけるように陽の気を注ぎ込んだ。一切の遠慮なく、体の中の黒い陰の気を祓うように。

 

 俺の手から亘に向かって陽の気が流れ込むと、亘はキラキラと光る陽の気に驚き、苦痛に表情を歪めた。更に陽の気を流せば、バッと俺の上から飛び退く。

 

 しかし、体の一部が酷く焼けただれているのに、俺から離れた亘は自分の体を気遣う素振りも痛みを堪えるような様子もない。ただ、じっと立ち尽くして俺を見ていた。


「……何故……陽の気を……」


 ポツリと驚愕と動揺が入り混じったような亘の呟きが聞こえる。


「だから……本物だって……言ってる、だろ……」


 腹が痛すぎて体を起こすのもできない。でも、俺の陽の気が入り込んだ瞬間、ほんのちょっとの間だったけど、闇のような黒さだった亘の中の陰の気が、僅かに薄まったような気がした。


 亘が俺の言葉に耳を傾けようとしている様子がわかる。正直、意識を保っているのもやっとだけど、話すなら、今しかない。


 けれど、そう思った途端、


「かかれ!!」


という誰かの怒号が、遥か上空で飛んだ。それとともに、見覚えのある大きな黒犬が、俺と亘の間に入る。


「主と袂を分かつことにしたのか? 亘」


 ハクが呼んでいた迎えのうちの一人なのだろう。


 何処か楽しそうな黒犬の声。期待したところで意味がないのは分かってるけど、黒犬は全然、空気を読もうとはしてくれない。

 

「……柾……待て……」


 亘を正気に戻さないといけない。陽の気で怯んだ今がチャンスかもしれないんだ。

 

 けど、柾はまるで俺の声を聞いていない。それどころか、尻尾を大きく振り、楽しそうに亘に向かって飛びかかっていった。


「待て……って……っ!」

 

 腕を伸ばし引き止めようとしたけど、痛みと熱っぽさで頭が朦朧として、目が霞む。

 不意に、腹にバシャっと冷たい水をかけられ、体がグイッと柔らかいものに抱きかかえられた。


「奏太様っ!!」

「……つ……ばき……? 柾を……止めて、亘を……」


 椿は眉根を寄せて亘達の方に目を向けた後、小さく頭を振った。


「何を仰っているのです。これほどの重症を負っておきながら。今は、亘さんのことではなく、御自身の事をお考えください」

「椿、頼むから」

「なりません」


 椿の真剣な目にじわっと涙が浮かぶ。


「せっかくお会いできたのです。どうか、御自愛ください……奏太様……」

「……椿」

「亘さんの事は、柾さんにお任せしましょう。御二人は長い付き合いです。きっと何とかしてくださるでしょう。奏太様は怪我の手当てが先です」


 俺は戯れるように亘の相手をしている黒犬に目を向ける。亘自身は忌々しそうな顔で柾の相手をしているけど、当の柾は生き生きと楽しそうだ。


 椿の言葉に頷いて俺はふっと力を抜いた。

 里でも間を割って入って二人を止められる者は少数だと聞いた。柾が喜び勇んで行った以上、動こうとしない椿と、一歩も動けもしない俺に何とか出来る気がしない。


「……椿、汐と巽は?」


 俺が聞くと、椿は何処かに視線を向ける。そこに二人がいるのだろう。

 

「他の武官が見ています。二名とも動けてはいるようなので、大丈夫でしょう。ご安心ください」

「虚鬼は?」

「地上に居たものは全て始末されています。あとは、あの巨大な鬼と、翼を持つもう一体だけです。そちらもすぐに片がつくでしょう」


 ひとまず、あの虚鬼達がどうにかなりそうなら良かった。


「ハクも無事?」

「ええ、お元気そうに見えます。ちょうど、いらっしゃいましたよ」


 椿の声とともに、ひょこっとハクの顔が真上から覗いた。不満いっぱいの表情だ。


「私、奏太を頼むって、ついさっき柊士に言われたばっかりなんだけど」

「……ごめん」


 俺が言うと、ハクは大きく息を吐き出した。


「生きてて良かったよ、ホント」

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