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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
鬼界篇

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236. 鬼界への再出発②

 黒い渦をくぐって陰の気に包まれた鬼界に入る。


 見慣れた、どこまでも広がる砂地と草木のない風景。

 振り返れば、白の渦の向こう側で、柊士や翠雨が不安そうな顔でこちらを見ていた。


 今回、穴を閉じるのは柊士の仕事とあらかじめ決めていた。パンと手をたたく動作と共に、キラキラとした光が注がれていく。


「無事に帰ってこいよ」


 消えゆく穴の向こう、柊士の口がそう動いたのが見えた。



「さて、とりあえず、璃耀達を待たないとね」

「以前の拠点があるようですし、危険がないか確認しますので、少々お待ちください」


 翠雨の護衛だったという、律という武官が恭しくハクに頭を下げる。


「少し、急いだほうが良さそうですね。陽の気を使う御二人が揃っている為か、緑の芽生えが早いようなので」


 汐の言葉に下を見れば、足元がもう既に草原のようになっている。


「……守り手様の陽の気で、この様になるのですか……?」

「大地が欲するために陽の気を引き出されるとは聞いていましたが、これほどとは……」

「奏太様、御身体は大丈夫なのですか?」


 今回初めて同行する浅沙(あさざ)(こん)が唖然とした様に呟き、哉芽(かなめ)が心配げに俺の顔を覗き込んだ。


「大量に持っていかれる訳じゃないから、大丈夫だよ。ハクは?」

「私も。今までと同じだから。でも、二倍以上の速さで広がってる気がするんだけど……奏太は本当に大丈夫なの?」


 ハクは、心配気に地面と俺に目を向ける。確かに、二人分の陽の気とは思えないくらいに、足元の草がグングン生えて、その範囲が広がっていく。けど、俺の方の陽の気の減り方は、今まで鬼界にいた時と大して変わらない。


「うん。全然問題ないよ」 

「あまり安心はできません。奏太様は鬼界にいた間、ずっと体調を崩されていたではありませんか」


 汐に言われて、俺はうっと息を呑む。

 

 でも、そう言われて気づいたけど、前回来た時に感じたような、薄ら寒さを何故か感じなかった。人界の夜よりも遥かに濃い陰の気によって空気が重く淀んでいるような感覚も。

 

「前回のあれは、寒さと陽の気を引き出され続けたせいだったんだとは思うけど……前来た時みたいに寒気があんまりしないんだよな」

「油断は禁物ですよ、奏太様。今回は、温かく眠れるように寝袋を持ってきましたけど、陽の気が引き出されていくのばかりは止められませんし」


 そう。巽が言うように、今回はあの寒い夜を過ごさないために、極寒の地でも対応可能と謳われていた御高い寝袋を、日向の出費で買ってもらった。巽と汐が鬼界での惨状を切実に本家の者達に訴えた為に準備されたものだ。


『素材にこだわって選んだので、温かく過ごせるはずですよ、奏太さん』


 村田に、やりきった笑顔で手渡されたそれは、今は巽に背負われている。いつまでも椿を布団代わりにしておくわけにもいかないし、俺にとっては結構重要な荷物だ。


 それから他にも。

 今まで通り、陰の気を抜く呪物と小瓶の温泉水、結のお護りは首から下げているし、璃耀からもらった陰の気を抜く呪物も未だ手首についたまま。

 邪魔にならないように持ち歩けるボディバッグにはペットボトルに詰めた温泉水や、陽の気を無差別に放出する例の呪物も一応詰めてある。他の物資は武官達にお任せだ。予備の温泉水や日石もどきは、淕がまとめて準備していた。


「寝袋は、ちゃんと、白月様の分も用意しているので――」 


 ピイィィー!!


 突然、巽の言葉を遮るように、けたたましい笛の音が鳴り響いた。


 何事かと振り返れば、鬼が一体、人界の武官達によって取り押さえられたところ。


 更に――


「念の為、巣穴を見張っていた甲斐があった。見つけたぞ、日石の男。それに、女神だ!」


 複数の羽音と共に、数十の鬼の姿が闇夜の中に浮かび上がる。先頭の男には見覚えがあった。拠点から俺を連れ出しキガクの城に連れて行った奴らの一人だ。


「あいつ!」


 巽も気付いたようで、ざっと俺の前に立つ。浅沙達も妖界の武官達も同様に、俺とハクを守れる様に前後左右を囲んだ。


「見張られてたってことか? ここを」

「最初の拠点があった場所です。我らが別の拠点に移った後に発見されたのかもしれません」


 汐が蝶の姿に変わり、俺の肩にピタリと止まりながら言った。


「奏太、あの鬼のこと知ってるの?」

「拠点から連れ去られた時にいた奴だ。そこの赤眼の鬼の部下だよ」


 チラッと見れば、赤眼の鬼は縛り上げられたまま、鬼達のいる上空を見上げている。


「日石の男と女神を確保しろ!」


 上空の鬼が声を上げると、鬼達は一斉に飛びかかってきた。迎え撃とうと淕が飛び上がり、人界と妖界の妖がそれに続く。


「白月様と奏太様を御守りしろ!」


 上空で鬼と妖達がぶつかり、瞬く間に戦闘に発展する。


「律、璃耀達に知らせを!」


 ハクの指示に律がすぐに鈴を取り出し鳴らす。


 その間にも、上空の戦闘はどんどん激化していった。淕は次々と向かってくる鬼を斬って捨てて行くが、逆に力に押されて地面に叩きつけられる者もいる。


 こちらに鬼を寄せ付けないように、淕達がなんとか抑えているのは分かる。でも、少しずつ、じりじりとこちらに後退しているように見えた。

 

「浅沙、紺、淕に加勢を。俺の護衛は巽と哉芽が残ってくれれば良い」

「何を仰っているのですか!」


 巽が顔を青ざめさせて声を荒げる。


「前線を崩されたら意味がないだろ。ここを持ちこたえる方が優先だ。守る者は最低限でいい。いざとなれば陽の気を使う」


 俺はそう言いながら、ハクの方に目を向ける。ハクも同じ決断をした様だ。自分の周りにいる妖界の者達に上空の加勢に行かせるように指示を出し始めた。


 上空で戦いが繰り広げられているせいで、ポツリポツリとところどころに血の雨が降る。


「――〜〜っ」


 不意に、今まで大人しくしていた赤眼の鬼が、猿ぐつわの下で何事かを言っていることに気づいた。もっと前から何かを言っていたのかもしれないけど、混乱の中で全然気づかなかった。


「何だ?」


 赤眼の鬼に目を向ければ、何かを訴えかけるようにこちらをじっと見据えている。


「――――っ!! ――――〜〜!!!」

「……汐、布、取ってやって」

「しかし……」

「良いから」


 汐は躊躇うように俺を見てから、すっと人の姿に変わって赤眼の鬼の口元の布を外す。瞬間、赤眼の鬼は怒声を上げた。


「今すぐあれを止めろっ!!」

「はぁ? 仕掛けてきたのはお前の部下だろ」


 俺が眉を顰めると、赤眼の鬼はグッと奥歯を噛んで空を睨んだ。


「リョク! 今すぐ引け!! 闇を引き寄せる気か!?」


 しかし、リョクと呼びかけられた部下はチラッと赤眼の鬼に目を向けただけだ。


「リョク!!」


 赤眼の鬼がもう一度呼びかけると、部下は苛立たしげに武官の相手をしながら声を張り上げた。

 

「闇など恐れている場合ではありません! 貴方が消えた後、深淵がどれほど広がったかご存知ですか!? このままでは都も呑み込まれる! 形振りかまっていられません!! 日の力が必要なのです。何としてでも!」 

「まさか……それほどまでに闇が……?」


 赤眼の鬼はポツリと呟く。


 その時だった。


 ドシン、ドシン


 何処から響いてくるのか、突然地面が大きく鳴り、振動によって小刻みに小石が跳ね始めた。


「……なんだ?」


 周囲の妖達はもちろん、先程まで戦っていた鬼達も騒然として周囲を見回す。


「…………闇の……眷属だ…………」

「は? 闇?」


 ボソッと呟いた赤眼の鬼の目には恐れの色が浮かんでいた。

 

「……闇の支配する時間に死を巻き散らせば、闇の女神の眷属がやってくる」


 その視線の先は俺達を通り過ぎ、更に後方に向いている。


「……何だ……あれ……」


 巽が唖然と呟いた。


 その先にあったのは、人の五倍はある巨大な体躯。


 長い腕についた大きな手がブンと振られると、まるでハエでも始末するように上空にいた二名ほどを一気に叩き落とす。


 更に、その周りを囲むように、奇妙に腕が長かったり、骨格が何処か歪んでいたり、獣のように四足歩行していたりする人と同じサイズの鬼が十体ほどいた。全て虚鬼だろうか。


 それらが、地上にいる俺達に気づくと、一気にこちらへ駆けて来る。


「奏太様、白月様、お下がりください!」

 

 護衛として残っていた哉芽と巽、妖界の武官二名が俺達の前に立ちはだかる。


 けど、俺はそれよりも、虚鬼達と共に来たらしい、上空で翼を広げた二体の影のうちの一体に目を奪われた。

 

 俺が、見間違えるはずがない。ついこの間まで、ずっと側にいて守ってくれていた者の姿。


「亘っ!!!」


 そう声を上げると、今まで向けられたことの無いような冷たい視線が、こちらに向いた気がした。

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