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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
鬼界篇

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235. 鬼界への再出発①

「奏太様、本気であの鬼を連れて行くつもりですか?」


 出立直前、本家の庭で、巽は眉根を寄せて俺を見た。


 視線の先には赤眼の鬼が縛り上げられ複数の武官の監視下に置かれている。俺達が鬼界に行くのに同行させる為だ。言い出したは俺。柊士に無理を通しただけなので、皆が鬼の存在にピリピリしている。


「だって、そのまま里に置いておけないだろ」

「通常、鬼相手なら殺処分が妥当です」


 汐は冷たくそう言い放つ。実際、数日前に俺が柊士にあの鬼の行方を聞いたりしなければ、きっと里の方針に則って、そう判断されていたのだろう。知らない間に処分されて、時間が経ってから知ることになっていたのだと思う。


「たとえ鬼でも、殺すなんて気分悪いだろ。殺らなきゃ殺されるって状況でもないし、一方的に襲ってくる虚鬼でもないのに」

「貴方自身は殺されかけたのに、ですか? そのような慈悲が必要とは思えません」

「守り手様を明確な意思を持って害した者は、妖でも極刑ですよ。未遂であったとしても、です。柊士様が許可されたのも、僕には正直理解できません」

 

 巽も不満気だ。

 

「陽の気を酷使させられたけど、明確な意思があったとは言えないだろ」


 二人が怒っているのは、二人が知らない間に重要な相談を柊士に持ちかけたせいもある。

 たまたま昼間に柊士に会った流れで相談したってだけで、意図して二人を省いたわけじゃなかったんだけど……


「別に、すんなり許可を得られたわけじゃないよ。怒鳴られたし」 

「当たり前です」


 汐からの冷ややかな視線が痛い。


「勝手に決めて悪かったって」

「そもそも、何で連れて行こうと思われたんです? 鬼を殺したくないからってだけじゃないですよね?」


 こういう時、巽は何故か鋭い。


「……ちょっとでも、亘を追う手がかりを残しておきたかったんだ」


 最後に亘を見た場所に行きたくても、それが鬼界の何処かもわからないし、闇の女神が現れそうなところや現れるきっかけのようなものがあるかもしれない。でも、俺にはそれが分からない。だから、何かの糸口が欲しかった。

 思い当たるのがあの鬼だったってだけだ。手がかりになりそうなものが何も無いよりは良い。


 亘はあくまで護衛役。守り手としての本来の目的がある以上、当たり前だけど、そちらが最優先だ。守り手が自ら危険を冒して護衛役を探しに行くなんてとんでもない、というのが周囲の一貫した見方。 

 武官なんだから自分でなんとかするから放っておけという者が半分、他の武官達が探すからじっとしておけという者が半分。

 相談した当初、柊士の言い分も、迷うこと無く前者だた。


「柊ちゃんには、自力でなんとかさせろって言われた。でも、自力ではどうにもならない事態かもしれないし、放っておけないだろ」

「ですから、僕らが探しにいきますから……」

「だとしても、広大な鬼界の、しかも長くいるべきではない深淵の中を無闇に探すわけにはいかないだろ」


 柊士にも同じ事を言ったけど、あまり取り合ってくれなかった。だから、卑怯だってことは重々承知の上で、自分を心配してくれる従兄の気持ちをわざと揺さぶるようなワガママを言った。


 何が何でも亘を探しに行くつもりだと。手がかりも何もないなら、深淵の闇の中で迷ってでも、そのまま果ててでも自力で探すと。


 子どもみたいな事を言った自分が悪いけど、ふざけた事を言うなと胸ぐらを掴まれて怒鳴られた。そして、怒鳴った自分の方が痛そうな顔をしながら、柊士は結局、その後何も言わずに去っていった。


 淕が疲れたような顔で、柊士の許可が出たと報告に来たのがついさっきのこと。諦めていたので目を丸くすると、


「どうか、あの方の御心もお気遣いください……」


と、言いにくそうに言われた。


「そもそも、連れて行ってどうするおつもりです? 拘束したまま連れ回すのですか?」


 汐が呆れ果てたように言う。


「鬼界で亘の手がかりさえ掴めたら、何処かで解放すればいいと思ってるけど」

「解放なんてしたら、また奏太様を狙うかもしれませんよ」

「そうならないように気をつけるよ。護衛役も増えたし」


 一連の流れを黙って見ていた浅沙(あさざ)達の方に目を向けると、心底困ったような顔をされた。


「この命を賭して御守りするつもりではありますが、なるべく危険は避けていただきたく……」

「浅沙さんは、ああ言ってますけど、亘さんだったら柊士様と同じく怒鳴っていると思いますよ」

「……まあ、そうだろうね」


 たとえそれが亘自身のことだったとしても、俺の身を最優先にしろと、亘はきっと言うのだろう。でも、本人が居ないのだ。そんな想像の声を聞いてやるつもりはない。


「無事に帰ってくるなら、いくらでも怒鳴ればいいよ」


 俺が言うと、何を言っても無駄だと思ったのか、巽は小さく首を横に振った。

 


 今、この庭には、鬼界に行く者たちが集まっていた。前回送り出す側にいたのは俺だったけど、今回は柊士が前に出て、武官達に言葉を送っている。


 伯父さんや粟路がいるのも前回と同じ。今回はそこに翠雨達妖界の文官達の姿が加わり、人界側にも父や鹿鳴が加わっていた。


「奏太君、気をつけてな」


 鹿鳴はそう言うと、すっと手に握った何かを差し出された。よく分からないまま俺も手を出すと、その上にそっと、小さな日石をいくつか乗せられた。白日の廟で賄賂に使うと言っていた日石だ。


「研究には向かない粗悪品だけど、ちょっとした時の交渉には十分使えると思うから」


 鹿鳴が未だにこの小さな日石を持っているとは思わずに目を瞬くと、鹿鳴は真面目な顔で俺を見つめた。


「君が今までここでしてきたこと、これから成そうとしていることを聞いたよ。俺は、君達が廟に来てくれたおかげで人界に帰ってこれたと思ってる。俺にとって、君たちは恩人なんだ。何を使ってもいい、逃げ出したっていい。ハクちゃんと二人揃って、ずるく賢く生きてくれ。本当は一緒に行って俺が出来ることがあればしたいんだけど、多分、足手まといになるだけだろうから、俺はここで、君達が無事に帰って来るのを待っているから」

「……鹿鳴さん……」


 俺は、鹿鳴に手渡された日石をギュッと握りしめた。

 俺にとっても、短い期間だったけど、鹿鳴は心の支えだった。その人が、待っていると言ってくれているのだ。帰って来なきゃならない理由が、また一つ増えた気がした。


 鹿鳴からもらった日石を、肩からかけたバッグの中に入れていると


「奏太」


と、父に呼びかけられた。

 振り返ると同時にギュウと手首を掴まれる。

 何かを言おうとして言葉がでなかったのか、父は口を引き結び、辛さを堪えるように眉根を寄せて目をつむった。


「父さん、行ってくるよ」

「…………やっぱり、考え直さないか?」

「ここまで来て、何言ってんだよ」


 俺が言うと、父は唇を震わせながら、深く息を吐き出した。


「……待ってるからな」

「うん」

「絶対に、生きて、帰ってくるんだぞ」

「うん」

「……頼むから、親より先に、死なないでくれよ」


 父の声が掠れる。


「わかった。約束する」


 何かを堪えるように、父は俺の手首を握っていた手に力を込めてグッと強く握りしめた。父の手から、小さな震えが伝わってくる。まるで、手を放したくないとでも言うように。


「……父さん、俺、ちゃんと帰ってくるから」


 静かにそう声をかけると、父は名残惜しそうに、ゆっくりとその手を放した。

 

「……行って来い」

「うん。行ってきます」



 今回はハクがいるから、鬼界との綻びが出来るのを待つ必要がない。出る場所を特定するため、前回と同じ場所に鬼界への入り口を開いてもらうことになっていた。

 

 前回は結界の穴を閉じるために俺が同行したけど、俺もハクもいる以上、穴を閉じる役目は不要だ。けれど、柊士は穴の前まで着いてくると言い張った。


 翠雨も直前までハクを見送ることにしたようで、派兵の数はだいぶ少ないのに結構な大所帯で移動することになった。


 前回の地点まで移動すると、ハクに綻びがあった場所を伝えて結界に穴を開けてもらう。


 ハクが結界に穴を開けている間、律という名のハクの護衛が、リン、リリリン、と鈴を鳴らし始めた。この場であまり思い出したくない音だ。璃耀と翠雨が繋がっていると言われた鈴。

 苦い思いでそれを眺めていると、今度は勝手に鈴がリリリと鳴り始めた。


「彼奴め、やはり、私からの連絡を無視していたのだな」

「き、鬼界との間の穴が開いたからではないでしょうか……」

 

 忌々しいと言わんばかりに吐き捨てた翠雨に、律がなだめるような声を出す。

 

「其方、彼奴の肩を持つのか? 私の側近の其方が?」

「やめなよ、カミちゃん。律、璃耀達、何だって?」

「そう遠くないところにいるようで、直ぐにお迎えに上がると」


 結界の穴を開け終わったハクが声をかけると、律は助かったとばかりに息を吐いた。


「向こうは無事なの? ハク」


 俺が声をかけると、ハクは律に視線を向ける。返答を求められた律はコクと頷いた。


「皆、無事のようです」

「それなら、良かったです」


 俺はほっと息を吐いた。結局、一月くらい鬼界に放置してしまった。何事もなく隠れていられたようで、本当に良かった。

 

 

 ハクが広げた黒い渦の向こう側は、夜なだけあって黒の(とばり)がおりている。人界からでは深淵がどうなっているかまで分からない。


「それじゃあ、行ってくるね。カミちゃん、京をよろしく。私が帰って来なかったら、前に残した手紙の通りにお願いね」

「白月様、そのような事を仰らないでください……」


 翠雨は遺言めいた事を言うハクの手をギュッと握り、眉を下げた。でも、ハクに悲壮な雰囲気は一切ない。


「万が一の為、だよ。こういう事は、ちゃんとしとかないと」


 確かに、残していく者達に、心残りがないように伝えておくことは大事だよなぁ、と思いながら汐に目を向ける。


「汐、栞と話した?」

「いえ、特には」

「……そうだと思った」


 俺は柊士の少し後ろにいた栞の方に汐の背を押し出した。


「挨拶くらいはしなよ」


 汐と栞に目を向けると、汐は気まずそうに視線を逸らす。それを見た栞が、小さく息を吐きだした。


「私、待ってるから」


 栞の言葉に、汐はチラリと視線を向ける。

 すると栞は汐の方に歩み寄り、汐の両手をとってギュッと握った。それから、仕方がなさそうに微笑む。


「汐がちゃんと帰ってくるの、ずっと待ってるから」

「……うん」

「奏太様が一番なのは分かるから、無茶をしないでとは言わないけど、無事に帰ってきてね」

「……うん」

「行ってらっしゃい、汐。気を付けて」

「……行ってきます。栞」


 言葉少なく交わされた言葉。二人が今までどんな風に過ごしてきたのかを俺はあまり知らない。でも、汐が小さく笑ったのが見えて、きっと、二人の関係をこれ以上心配する必要はないのだろうと、そう思った。


「奏太」


 汐と栞のやりとりを横目に、柊士に声をかけられた。今度は俺が気まずくなって柊士から目を逸らす。

 

「……ごめん、柊ちゃん。この前は……」

「ちゃんと、分かってるなら良い。ただ、自分の命を粗末に扱うような事だけは、やめてくれ。頼むから」

「うん。ごめん」


 もう一度謝ると、柊士は眉根を寄せて、俺の後ろにいる護衛役達に目を向けた。


「奏太が危険に飛び込んでいくような選択をしかけたら、何が何でも阻止しろ。絶対に危険に近づけるな。お前らが何よりも優先すべきは、奏太を無事に人界に帰すことだ。体を張って護れ。良いな」

「「はっ!」」


 汐や巽、浅沙達が歯切れよく返事をする。


「淕」

「はい」

「分かってるな?」

「心得ております。全ては、柊士様の御心のままに」


 淕が恭しく頭を下げると、柊士は一つ頷いた。それから、柊士は翠雨と話をしていたハクに視線を移す。


「白月」

「うん、何?」 

「奏太を、頼む」

「もちろん。任せて」


 ハクはニコッと柊士に笑って見せた。

  

 俺が面倒を見られる側かと思うと、なんだか複雑だ。そう思っていると、柊士は今度は俺の方を見た。


「奏太、気を付けろよ」

「わかってるよ」

「……結を、頼む」


 ほんの少し言い淀んだ柊士の目には、不安そうな、懇願するような色が浮かんでいた。

 

「うん。二人で、戻って来るから」


 そう言ってみたけど、柊士はさらに辛そうな顔をしただけだった。

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