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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
鬼界篇

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229. 囚われの鬼①

 体が自由に動くようになったのはあれから更に三日。

 最初は大して人の時と変わらないと思っていたけど、時間が経って気がついた。人の体では無くなったことで、妖連中と同様に飲食が全くの不要になっていたことに。


 全く喉が渇かず腹も減らない。用意された食事も食べる気にならずほとんど残し、水差しの水位が朝から晩まで全く変わっていないことに村田が気づいた事で、定時診察の前に尾定を呼ばれた。


 水さえ飲めないなら点滴でもするかと話があがり、別に飲めないわけじゃなくて、必要性を感じないから飲まないだけだと説明すると、


「……もしかして、飲食が不要な体になったんじゃないですか? 僕らと同じように」


と巽に言われて、その場にいた皆が息を呑んだ。

 

 妖達の飲食に関する感覚を聞けば聞くほど、今の自分の状況に合致している。巽の推測が正しいと認めざるを得なかった。

 

 まさかそんなところで、人じゃなくなったのだと実感する事になるとは思わなかったけど……


 それから、陰陽の気に左右されなくなったことで変わった点もある。


 一つは視力。今までも夜目は普通よりも効く方だったけど、これまで以上に、暗闇の中でも周囲の状態がよくわかるようになった。妖連中もその傾向にあるらしいけど、これも、体が作り変わり陰の気満ちる暗闇に順応できるようになった結果なのかもしれない。


 更に、大きく変わった点がもう一つ。


 要介護状態で色んな者に世話されながら気づいた。触れた相手に集中すると気の流れが、なんとなく分かるようになっていることに。


 例えば、父や尾定など、守り手以外の人間の中には、すごく淡い光の筋が血管のように体中を巡っていて、汐達妖の中には、同じような黒に近い灰色の筋が巡っている。

 一方、柊士は眩く輝くような光の筋が絶え間なく全身を覆っていて、意外な事に、ほんの少しだけ陰の気も混じっていた。ハクは柊士と同じ強い陽の気に、はっきりと濃い灰色の筋が交差する。

 

 なるほど、守り手が特別なわけだと、それらを比較して納得した。

 

 そして自分に集中すれば、ハクと似たような状態で、白く強い光と黒い線が複雑に流れているのがわかった。けれど、黒の色は灰色ではなく、漆黒と呼んだほうが良い程どす黒かった。何となく、夢の中の空で見た黒と白が交差する川を思い出させる。


「陰陽の気を持ってるからか、私も、他者の体の中の気の流れがわかるの。奏太ほど明確じゃないけど」


 ハクは視線をほんの少し上に向けながら教えてくれた。


「守り手が結界石に触れると陽の気の残量がわかるでしょう? 妖も陰の気を持つものに触れるとその量がわかる者がいるの。感じ取れる力の明度と彩度みたいなのは対象と自分、それぞれの状態に左右されるみたいだけど」

「俺達は両方持ってるから、それが分かるようになったってこと?」

「たぶんね。しかも、より強い力がある方が、それがはっきり見えるっぽいの。それが、私と奏太の差」


 ハクには、柊士の中の微量の陰の気は見えなかったらしい。それに、普通の人間や力の弱い妖に流れる気の力も。

 

「……でも、それじゃあ、俺の方がハクよりも力が強いみたいに聞こえるんだけど……」

「それは間違いないと思うけど……」


 ハクはそう言うと、チラッと一緒にいた柊士の方を見た。柊士はそれに難しい顔をしただけだった。


 柊士は、俺が人ではなくなったという事実が少しずつ明確になっていくにつれて、どんどん表情を曇らせていく。

 それは柊士に限った話ではない。俺自身は助けてもらったという意識の方が強いけど、ふとした瞬間に、自分以外の皆が、まるで鉛でも飲み込んだような顔で俺を見ていた。目が合えば、普段通りの表情に戻るのだけど。


 

 ようやく一人で歩けるようになると、里の何処かに捕まっているらしい鬼と話がしたいと柊士に願い出た。柊士は険しい顔で俺を見た後、きっぱりと首を横に振った。


「あんな事になった元凶にわざわざ会いに行くなんて、何を考えてる?」

「深淵に連れて行かれたからああなっただけで、直接危害を加えられたわけじゃないよ。それより、どうしても聞きたい事があるんだ」

「じゃあ、淕にでも用件を伝えろ。聞きに行かせるから」


 柊士の側で書類を抱える淕に目を向けると、淕はスッと頭を下げた。

 

「お身体の事もございますし、どうか私にお任せください」

 

 淕からは、俺が目覚めた翌日に正式に謝罪を受けていた。 

 ただなんとなく、俺自身がというより、あの時俺の前に立って守ってくれようとした者達の心情の方が大事な気がして、結局何も言えなかった。今は亘も椿も居ない。そんな中で、勝手に話を終わらせるべきではないと思ったのだ。

 

 だから、現状は平行線。許しを得られない状態のためか、淕は今まで以上に恭しい態度で俺に接していた。

 

「誰かに任せるんじゃなく、俺が直接、深淵であった事の確認をしたいんだ」

「万が一にでも危険があればどうする? 妙な力を隠し持ってる可能性もある。用心するに越したことはない」

「そうかも知れないけど、誰かを通じて話をするんじゃ伝わりにくいと思う。実際に見た者同士じゃなきゃ」

「…………実際に見た者同士、ね……」


 そう言うと、柊士はわざと音を立てるように、タンと、使っていたペンを机に置いた。怒られるのだろうかと少しだけ構えると、覚悟した小言の代わりに深い溜息が聞こえてきた。


「なら、俺も行く」

「え、でも……」

「聞かれちゃ困るような話をするのか?」

「いや、そういうわけじゃないけど……忙しいんじゃないの? あんまり寝てないでしょ」


 柊士は、俺が目覚めるまでは、仕事をしながら俺の看病をしてくれて、夜間も念の為に陽の気を注いだりしてくれていたらしい。目が覚めてからも、目を離した隙に死ぬとでも思っているのかというくらい、ちょこちょこと様子を見に来てくれていた。


 でも、当主仕事は当然あるし、ハクだけならまだしも翠雨達まで滞在しているせいで、そちらへも気を配らなければならない。自分は行けないからと、俺達をもう一度鬼界へ送り出す準備も買って出てくれている。結果、また倒れるのではと思うくらいに多忙を極めている状態だ。


「お前が気にすることじゃない」

「でもさ」

「……あの、ならば、私が奏太様と共に行ってご報告しますので、柊士様はこちらに……」


 淕も同じ事を心配したのか、おずおずと柊士に進言する。しかしすぐに、淕は鋭い視線で睨まれた。

 

「お前は奏太のことで俺に意見できる立場か?」

「…………申し訳ございません……」


 柊士の体調を気遣っただけなのに、たった一言で完全に黙らされた淕が、ほんの少しだけ気の毒に思えた。



 結局、柊士の同行なしには許可しないと押し切られ、ついでに、鬼に会う前に深淵で何があったのか確認したいと、洗いざらい喋らされた。


 あの鬼から聞き取りをしていると汐が言ってたから、大まかな流れは把握しているのだろうと思ってたけど、どうやらそうではなかったらしい。

 

 深淵に連れて行かれて精も根も尽きるほど陽の気を搾り取られた話を自分から柊士にするのは躊躇われたけど、俺が話すまでは鬼に会わせないと、柊士は全く譲らなかった。

 

「鬼は何も話しませんし、あの様な目に遭われた奏太様にお話を伺うのは負担が大きいだろうと、柊士様はずっと躊躇っていらっしゃったのです。ただ、奏太様が鬼の元へ行かれた際の御心への影響も考えればお話を伺わないわけにはいきませんから」

「余計な事を言うな、淕」

 

 素っ気なく言う柊士に、淕は仕方がなさそうに微笑んだ。

 

 俺からしたら、こんな話、むしろ柊士の方に負担がかかるのではと思っていた。本人は何も言わないけど、柊士が一連のことに随分責任を感じているらしいという話が、ほうぼうから聞こえて来ていたからだ。

 

 こんな風に押し切られる形でなければ、必要なこと以外は言わずに済ませるつもりだった。


 実際、深淵での話をする間、柊士は両手を組み、爪が食い込む程にギリギリと握りしめながら話を聞いていた。


 話しながら思い出した事もあって、口に出して説明することで自分の中でいろいろ整理された気がしたけど、一段と難しい顔をしている柊士を見て、やっぱり話さなければ良かったと、少しだけ後悔した。


 

 亘も椿も居ないので、臨時の護衛が三人つき、そのうちの一人に乗って里に行った。名前を、浅沙(あさざ)(こん)哉芽(かなめ)という。

 二人は、以前から俺の家の周りの警備をしてくれていた者達だ。ついでにしれっと一人増やされているが……まあいい。

 

 俺を乗せる気満々だった巽には悪いけど、やっぱりちょっと怖いので遠回しに遠慮し、代わりに以前と同様、俺が落ちた時のために少し下を飛んでもらった。まだ体に完全に慣れたわけじゃないので、安全対策だ。


「何度も言いますけど、わざと落ちるのは絶対に無しですからね!!」


 出発前に巽に散々懇願された。あまりに同じ事を繰り返したせいで柊士に怪訝な目で見られ、俺は慌てて巽の口を塞ぐ。

 いろいろあったせいで忘れられているけど、鬼の子を拾ったってだけで説教だと言われたのだ。反対する者達を振り切る為にわざと亘から落ちただなんて、口が裂けても言えない。


 里に着くと、晦と朔が迎えてくれた。

 二人はすごく俺の事を心配してくれていたようで、あんな非道な手段を取るなんてと妖界の者達に怒り、元気な姿が見られて良かったと飛び出した尻尾をパタパタと振って喜んでくれた。


 そこから瑶に会い案内されたのは、里の最奥にあると思っていた御番所の更に奥。複数の頑丈な扉と強固な陰の気の結界で護られた地下へ深く続く階段だった。


「壁も床も格子も、呪物を使って全てを結界で覆い、万が一にも罪人を出さないようになっているんです。ついでに、枷には陰の気を吸い取る機能もあって、力をギリギリまで奪い抵抗できないようになってます」


 地下へ続く階段を降りながら、声が響くのを気にするように、巽が小声で教えてくれた。


「随分と厳重なんだな」

「まあ、凶悪な罪人が万が一にも外に出たら困りますからね。湊様も一時期ここに収監されていました」


 それを聞いて、思わず納得してしまった。あんな風に謀略を張り巡らせて誰かを陥れようとした者が、万が一にでも逃げ出して自由を得た時のことを考えるとゾッとする。


 軽犯罪は別の場所に収監するが、重犯罪者や力の強い妖をここに入れるのだそうだ。


 階段を降りきると、長いトンネルの先に再び重そうな鉄の扉が現れる。俺はそこで、思わずピタリと足を止めた。


「奏太様?」


 汐に声をかけられ、ハッとする。


「ごめん、何でもない」

「……しかし……」

「ホント、何でもないから」


 ニコリと笑って見せて、再び足を動かす。長いトンネルの先の鉄の扉が、以前、遥斗に無理矢理連れて行かれた、湊の土牢を思い出させたのだ。


 足と腹を刺された苦痛、鋭い胸の痛み、朦朧とする頭、ハクを死に追いやった悔恨。思い出したくもない場所の記憶。


「……ハクが一緒じゃなくて良かった」


 思わず、そんな呟きが口から漏れた。

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