222. 奏太の帰還:side.柊士
本家の一室。
尾定に見てもらい、紅翅も白月の名で呼んだのに、奏太は未だに生死の境を彷徨っている。
白月が人界に戻ってきたと聞きつけた翠雨が慌てて妖界からやってきたらしいが、白月も柊士も未だ相手にしていない。妖は白月と紅翅を除いて、この部屋には入室厳禁。
休憩を挟みながらではあるが、白月は奏太の体から止めどなく出てくる陰の気を抜き、柊士はいくら入れても足りない陽の気を注いでいる。
さすがにずっと陽の気を注ぎ続ける事は出来ないので、奏太の状態を見ながら陽の気を込めた呪物も使ってしのいでいる状態だ。
日が昇り人界が陽の気で満たされたら、奏太を日当たりの良い場所に連れていき様子を見ると尾定は言っていた。人界でも、妖界や鬼界ほどではないにしろ夜は陰の気が満ちる。奏太の体が陰の気に蝕まれ続けている以上、予断を許さない。
「奏太君の様子はどうだい?」
ずっと鬼界にいたのだから、ゆっくりしていて良いと言ったのに、鹿鳴はこうして一時間おきくらいに奏太の様子を見に来る。
奏太が随分信頼しているようだとは思っていたが、本当に奏太を心配して良くしてくれていたようだ。
様子を見に来るのは鹿鳴だけではない。柊士の父も、村田もやってくる。
奏太の状態を確認しつつ、尾定と紅翅に任せて少しの間でも休めと声をかけに来てくれるのだが、離れている間に何かがあるのではと不安でどうしてもこの場を離れられなかった。
緊急連絡を入れた奏太の父に関しては、邪魔は絶対にしないから部屋の中に居させてくれと散々粘り、それでも、治療に集中させて欲しいと退室願ったことで、ずっと部屋の戸の前で待機しているらしい。
騒ぎ立てるといけないからと、奏太の母には何も言わずに本家に来たらしいが、今はずっと気が気じゃない思いをしているだろう。
「……何で、こんな事に……」
何度この問いを繰り返したかわからない。
白月からざっと事情は聞いたけど、奏太が連れて行かれた先で何があったのかは誰も知らない。捕らえた鬼は、陽の気で酷く焼かれたおかげで、生きてはいるが、まだ事情を聞ける状況ではないらしい。
大岩を通じて無事を確認できたはずだった。少なくとも、二日前までは冗談を言えるほど元気だったはずだ。それなのに……
黙ったまま、ひたすら陽の気を注いでいると、悪い想像や自分の無力さへの憤りがグルグルと頭の中を巡る。
白月もそうだったのだろうか。しんと静まりかえる中、不意に沈黙を破るようにポツリと呟いた。
「……ねえ、柊士、何で奏太はあんなに陽の気の力が強いの?」
「は? 何の話だ?」
思いがけない言葉に、柊士は眉を顰める。
「奏太、鬼に日石っていう石に陽の気をためさせられてたの、知ってる?」
「ああ、本人に聞いたけど」
最初に大岩を通して話をした時に、鹿鳴から聞いていた。毎日ヘトヘトになるほど陽の気を搾取されていると。
本人は、日石に陽の気を注ぐだけならまだ多少は余裕がありそうな様子だった。最初の日は、大岩を通して会話をする為に無理をしていたのだと。
「私、奏太が居ない代わりだと言って同じ事をやらされたんだけど、あれ、すごく力を使うの。私には、休憩しながらやっても奏太の半分くらいしかできなかった。でも、鹿鳴さんが言うには、奏太は私の倍やってもまだ余裕があったんだって」
奏太の陽の気が特別強いなどという話は聞いたことがない。もしそうなら、汐や亘、今まで複数の守り手に同行したことのある者達から話が上がるはずだ。
いや、一度だけ、奏太が強い気の力を発した事があった。拓眞の襲撃の一件。襲ってきた者達を一気に陽の気で焼き尽くした事があった。あのあと、奏太は陽の気の枯渇を起こすでもなく普通に動いていたはずだ。
その前にも、奏太は陽の気を枯渇寸前まで使った事があった。神社の地下で自称土地神に力を使わされていた時だ。あの時柊士が駆けつけた時には、陽の気を使い続けて三十分経っていたと聞いた。よくもそこまで粘ったものだとは思ったが、その後全く動けなくなっていたし、特別陽の気が多いとは思わなかった。
……その間に何かあったのか?
「……俺にも、よくわからない」
ちょうど、亀島の騒動の最中で、いろいろなことが起こりすぎていた時期だ。何が原因とまでははっきりわからない。
「普段の容量が多いのに、それを死の淵に立つほど使わされて、その空になった器に相当量の陰の気が入って体中に染み込ませてしまった。こうやって生きているのも奇跡的なくらいだよ。無事に山を越えて目が覚めてから、別人のようになっていなきゃ良いけど……」
陰の気が人に及ぼす影響は多岐にわたる。時に精神にも異常をきたす。異常なまでに結に執着した遼のように。
「……もっと早く奏太を見つけて、鬼が来る前にさっさと帰しておけば良かった……」
白月は、悔しそうにキュッと唇を噛む。
でも、違うのだ。道を間違えたのは、そのもっと前。
奏太を鬼界に送ってさえいなければ、こんな事にならなかった。
どれほど悔やんでも、今からどうにかできることではない。でも、せめて無事に取り返そうと心に決めた矢先に、こんな状態で戻ってきてほしくはなかった。
「……お前は、この後どうする?」
聞くべきかどうか悩みながら、小さく問う。これ以上失うのは、もうたくさんだ。そう思ったら、止められなかった。
「……奏太の状態が落ち着いて、私の力が無くても大丈夫になれば、鬼界に行くよ。皆を置き去りにしたままだし」
「それで?」
「……それ、全部わかってて聞いてる?」
翠雨と淕から聞いた話が真実なら、きっとそのまま戻るつもりは無いのだろう。
「お前が行かなきゃいけない訳じゃないだろ」
「私が行かなきゃいけなんだよ」
白月はすべてを諦めたような顔で視線を落とし、薄く笑う。
「全く代わりが居ないわけじゃ無いだろ。何か方法があるはずだ」
行かせたくない。もう、何処にも。目の前の二人を失いたくない。
しかし、白月は首を横に振るう。
「ううん。私だけなの」
「必要なのは何だ? 日向の血か? 妖界の帝位か?」
「違うよ。そういうんじゃない」
白月は、視線を落としたまま、こちらを見ない。聞かれたくない事がある時の、結の癖。
「私が行く理由が分かってるなら、止めても無駄だって分かるでしょ? それに、奏太がこうなった以上、もう誰も連れて行くつもりはない」
視線をあげて目を合わせたかと思えば、眉尻を下げてニコリと笑う。それは、誤魔化して相手を納得させようとする時の仕草だった。
「結」
名を呼ぶと、白月は驚いたような顔で柊士を見つめた。
「誤魔化すな。逃げるな。条件を教えろ。お前が行って何が起きるのか。何も知らないまま全て終わってるなんて、もうたくさんだ」
結は再び目を逸し、何もない壁に向けて空笑いする。
「……あーあ、失敗したなぁ。もうちょっとうまく出て行くんだったよ」
笑って誤魔化して、あくまで最後までしらばっくれるつもりだ。
「結!!」
空いた方の手で結の手首を掴んでじっと見つめると、結はビクっと肩を震わせ、柊士に目を戻す。でもすぐに耐えられなくなったように、再び視線を下げた。
「ちゃんと話すまで、逃さないからな」
柊士が言うと、結は小さく笑った。
「……ふふ、懐かしいね。苛められっ子の柊士の仕返しに行って返り討ちにあった時とか、友達と喧嘩した時とか、榮さんに虐められたときとか……御役目で嫌な事があったときとか…………全部話すまで許さないからなって、柊士はいつも怒ってた」
「お前こそ、言いたくない時にあれこれ言って誤魔化そうとするところは、あの頃のまんまだろ」
掴む手に力を入れると、結は、ハアと息を吐いた。
「ホントに全部言うまで帰してくれないんだもんなぁ……村田さんが呼びに来ても、伯父さんが来ても、うちの親が迎えに来ても……」
「俺は、いつまでも昔話に付き合ってやるつもりはない」
柊士の言葉に、結は一度、ギュッと口を引き結んだ。
「…………人と獣として生まれ、妖に転じ、鬼の因子も取り込んだ、その全てであり、どれでもない存在……」
「……は?」
不意に落ちた結の呟きに、思わず疑問の声が漏れでた。
「そういう存在が必要なんだって。自分の血を引いていて、全てでありどれでもない、自分に近い存在が」
結は自嘲するように唇の端を歪める。
「……転換の儀と、あの水晶玉か」
忌々しい思いで吐き捨てると、結は何も言わず、少しだけ肩を竦めた。
「その、自分っていうのは誰だよ?」
「さあ。私は勝手に、御先祖様かなって思ってる。最初の大君よりも、もっと前の御先祖様」
いつだったか、奏太が、例の土地神に言われたという話を思い出した。
柊士達の祖先が、かつて咎を犯し妖へ成り下がった神だったらしいと言う話。陽の気にも陰の気にも耐える異質の存在だったと。
その話が真実かどうかは置いておいても、確かにそこまで遡るなら、全てであり、どれでもない、に当てはまるのかもしれない。それに、そうであれば、翠雨が言っていた『神に等しき力を持つ者』とも一致する。
「鬼界を囲んでる闇深い場所を深淵っていうんだけど、放っておいたら、それが広がってこの世の全てが闇に呑まれるんだって。それを抑えてる人がそのうちこの世に溶けて居なくなるから、代わりが必要だって言われたの」
「……それがお前だって言うのか? そいつの代わりに、闇を抑える為に、鬼界にいくのか?」
「まあ、そうだね」
何でもないことのように頷く結に、柊士はギリっと奥歯を鳴らした。
闇を消すのではない。抑える役目をしにいくのだ。淕が聞いてきたのは、闇を抑えるために永遠に囚われ自由を失うという話。つまり、戻ってくることはない。
「鬼界で永遠に囚われるって、知ってて行くつもりか?」
「御先祖様は、永遠の平穏を得られるって言ってたけど、まあ、そういうことなんだろうね」
自由を失い囚われるということは、外部からの影響を受けずにいられることの裏返しだ。平穏とはうまく言ったものだと思う。そんなのが幸せであるわけがないのに。
「誰も連れて行かないっていったな。お前は、そんな未来をたった一人で受け入れるつもりか?」
「だって、私しか居ないし、やらなきゃ世界は滅びるし、私が自由を得る結果、奏太や柊士が死ぬのは嫌だもん」
結はそう言うと、奏太の顔に視線を向けて、その頬にそっと触れた。
「……こんな風に傷つけるつもり、なかった。私のせいで誰かが死ぬのは、やっぱり嫌」
「誰かが犠牲になったとしても、みっともなく逃げてでも生きろって言ったのはお前だぞ」
「それとこれとは話は別だよ。柊士だって、奏太を犠牲にしていいなんて思ってる訳じゃないでしょ。それに、私は死ぬわけじゃない。居場所が鬼界になるだけ。ある意味、結界を守る守り手としての御役目の一環だよ」
ニコリと笑って見せた結に我慢できず、柊士は、ダン! と床を叩きつけた。
「そんなの、生きてるって言わないんだよ!!」
奏太に陽の気を注ぐことも忘れて立ち上がり、声を荒げると、戸がバンと開く。
「おい、何事だ!?」
叔父の声が聞こえ、こちらにかけて来るような足音も聞こえる。けど、そんなことを気にしている余裕もなかった。
「ねえ、落ち着いて、柊士。奏太の前だよ」
興奮する柊士を他所に、結はただ静かに、じっと柊士をみあげている。それが余計に苛立ちを煽る。
「落ち着け? 奏太がこんな状態で、その上、今から自分の人生をドブに捨てに行こうとしてるやつが目の前にいるのに、落ち着いていられるわけないだろ!!」
「捨てるわけじゃないよ。そういう生き方を選ぶだけ」
柊士は衝動的に結の側まで歩み寄り、ガシッと両腕を掴んだ。
「選ぶ? 違うだろ、自分の人生を生きることを諦めんなよ!!」
「おい、やめろ、柊士!」
横から叔父が止めに入ったのを、柊士は思い切り振り払う。
「全部諦めて、勝手に捨てにいくなよ!!」
「……じゃあ、どうしろっていうの?」
結は凪いだような目で柊士を見つめた。全部決まったことだと、避けようがないのだと、全部悟って受け入れたような顔で。
……ふざけるな。
「…………言えよ」
「は?」
「自分と代われって言え」
「何いってんの?」
意味がわからないとばかりに、結は眉根を寄せる。それに、柊士はギリっと奥歯を噛んだ。
「自分の代わりに犠牲になれって言えよ! 全部お前のせいなんだから転換の儀を受けて鬼と魂交換してこいって言え!! お前と同じになれば、俺でもいいはずだろ。転換の儀も、湊の件も、全部俺のせいなんだから――」
そう言いかけた途端、パンという音とともに、強い衝撃を頬に感じた。
ジンジン痛む頬に手を当て、驚きとともに目の前の相手に目を向けると、結は柊士を物凄い剣幕で睨みつけていた。
「そんなこと、二度と言わないで!!」
何が起こったのかわからず、唖然としたまま結を見つめる。
「自分のせいだから、私と同じになる? なにそれ、贖罪のつもり? ふざけた事、言わないで!! 誰がそんなこと、頼んだのよ!?」
結はグイッと柊士の胸ぐらを掴んで引き寄せる。
「誰も傷つかず、一番穏便に済む道が見えてるのに、余計な犠牲を払う必要は何処にもない。だから私が行くの。璃耀たちが動かなければ、奏太の犠牲だってなかった。それなのに、よりにもよって、自分が転換の儀を受けて、鬼の因子を取り込もうだなんて、冗談のつもりでも笑えない。あれがどういうことか分かって言ってんの? 私が歩んできた道をなんだと思ってんの? こっちの気も知らないで、私の決意を土足で踏みにじらないで!」
「…………結……」
「お願いだから、もう、余計なことしないで」
まるで突き放すように、結はバッと柊士の服から手を放す。柊士はその手を、反射的にパシッと掴んだ。
「……ダメだ」
「は?」
結はあからさまに顔をしかめる。でも、この手を放してはいけない気がした。
「放して」
「嫌だ」
自分でも嫌になるくらい、子どもっぽい言い方。でも、それ以上、なんと言えば良いかわからなかった。
怪訝にこちらをみる顔に、いい言葉なんて思いつかない。でも、何か言わなければ、きっと結はこのまま離れて行ってしまうのだろう。
全てに愛想を尽かして、全てを諦めて、全てを捨てて、行ってしまうのだろう。置き手紙を残して消えたあの時のように。
「…………頼むから…………行くな……」
喉の奥から、掠れたような声がでた。
「……頼む……」
「…………柊士?」
結から、戸惑うような声が聞こえた。
せっかく帰って来たのだ。二人が、揃って。
今はまだ、手が届くここにいる。
でも、もしもこのまま手を放してしまえば、また、失ってしまうのだろう。今度こそ、どちらも、二度と手の届かないところに。
「…………頼む……俺は、もう、これ以上、お前達を犠牲にしたくないんだ」
こんなこと、言うつもりじゃなかった。少なくとも本人の前で、弱くて、惨めったらしい姿なんて、見せたくなかった。それなのに、もう、そんな言葉しか出てこなかった。
「…………置いて、行かないでくれよ……」
声が震える。
まるで、小さな子どもに戻ったみたいに……母を亡くしたあの頃みたいに、結に縋るしかできないなんて……情けなくて、嫌になる。それでも……
不意に、ポンと軽く肩を叩かれた。
「お前ら、疲れてんだよ。奏太の事は見てるから、ちょっと休んでこい」
見れば、叔父が奏太を見るのと同じように、心配そうな目で自分達のことをみていた。
「…………あ……ごめん……叔父さん……。でも、陽の気を注いで陰の気を取り除いてやらなきゃ……」
そう言いかけたのを遮るように、別の方向から声が聞こえる。
「効果は落ちるが、しばらく呪物でどうにかする。病人の前で暴れられる方が問題だ」
「どちらにせよ、手が止まってるんだ。いても居なくても同じだ」
「……尾定さん……親父……」
気づけば、扉の前には人も妖も、大勢が集まって、不安そうに部屋の中を覗きこんでいた。
柊士と結は、揃って視線を奏太に向け、自分の手を見おろす。
「……ごめんなさい……叔父さん……」
「ひとまず、二人で落ち着いて話してこい。ただし、お前達だけで結論は出すな。ここにいる奴ら皆、お前ら三人の誰かが苦しんで犠牲になることなんて、一ミリも望んでない。奏太も、きっと二人だけで決めた事を押し付けられる事を嫌がるはずだ。あいつの気持ちも、尊重してやってくれ」
叔父はそう言うと、未だ青白い顔で眠り続ける奏太を心配そうに見やった。
キリがいいところまで書いたらとても長くなってしまいました……




