閑話 ―side.柊士:祭りの後―
フッと大岩様の向こうから、奏太の声が途絶えた。
意識的に注いだわけではないので陽の気の減りは然程でもない。徐々に引き出されて行くのはあまり心地の良いものではないが、奏太の被っている苦痛に比べればこんなもの蚊に刺されたのと同じだ。
話を聞く限り、今の奏太の状況はかなり危うい。それでも、無事に生きていた、それを知れただけで苦しくて仕方がなかった重圧がふっと軽くなったように感じられた。
柊士はフウと息を吐き出す。
……少なくとも、手遅れにはなっていない。助けようと思えば助けられるはずだ。
「柊士様」
不意に淕に声をかけられ周囲を見ると、那槻と葛が周囲に目眩ましの結界を張り、粟路が難しい顔で側に立っていた。
「人の祭りの席です。不審に思われるような行動をなさるなど、らしくないではございませんか」
「……悪かった」
柊士が詫びると、粟路は少しだけ片方の眉を上げる。
目眩ましのおかげで、結界の向こうに見える祭りは問題なく執り行われているように見える。粟路が機転を利かせてくれたのだろう。
「それで、奏太様はご無事でいらっしゃいましたか?」
「今のところは、だ。護衛役、案内役とも逸れて鬼に囚えられているらしい」
「亘達と逸れたのですか!? それでは、鬼界にお一人でいらっしゃるとおっしゃっていたのは……」
淕がたまらず声を上げた。
どうやら、柊士の声は聞こえていても、奏太の声までは聞こえていなかったようだ。側にいた者達の視線が柊士に集中する。
「鬼に囚えられてはいるが、害を与えられているわけではないようだ。陽の気が必要な奴らの為に陽の気を搾取されているらしい。限度を超えたり余計な騒ぎを起こしたりしなければ、しばらくは大丈夫だろう」
ほっと息を吐いた淕に、柊士は厳しい視線を送る。
「他のやつらと逸れた状況にかわりはない。この扱いがいつまで続くかも分からない。武官を追加で送ってでも奏太を人界に戻す。次はお前が指揮をとれ、淕」
柊士の為に奏太を差し出した淕を、本人達がどう考えているかは分からない。信用ならないと拒絶する可能性もある。
ただ柊士からしてみれば、柊士自身の命がかかってさえいなければ、これほど信頼のおける武官がいないのも確かだ。汚名を返上し贖罪の機会にもなる。何より、この件は淕にきっちり責任を持たせたい。
「しかし、私が向かいあちらでお会い出来たとて、奏太様に受け入れていただけるか……」
「受け入れてもらえるようにするのも、お前の務めだ。俺が赦すのは、奏太の赦しを得てからだと言ったはずだぞ。今は処分を保留にしているだけだ。この機会をふいにするつもりか?」
「……承知いたしました。お心遣いに感謝申し上げます」
淕は言いたいことを飲み込むように膝をついて頭を垂れた。
「しかし、淕、亘、柾が不在で、さらにこれ以上武官を派遣するとなると、人界の護りが心許なくなりますが、どのようになさるおつもりで?」
粟路は怪訝そうに眉根を寄せる。
「派兵は妖界側にも協力させる。そもそも、奏太を巻き込んだのはあちらだ。奏太の置かれた現状を訴えて責任を追及し要求を飲ませる。それに、白月のためにもあちらは力を貸さざるをえないだろう」
「……では、そのように手配いたしましょう」
完全に納得したわけでは無さそうだが、突っぱねるほどではなかったのだろう。粟路は恭しく頭を下げた。
「書状は用意する。あちらの対応は、俺の代わりに粟路に任せる。俺は動かない方がいいんだろう?」
「ええ。守り手様は、今やこの人界に御一人きり。貴方様には今まで以上に周囲にお気をつけいただかねばなりません。新たな守り手様を迎える気がないのなら尚の事」
粟路はそう言うと、結界の向こう側、喧騒の中に目を向けた。未だ、手を光らせた少年の取り込みを諦めていないらしい。
柊士はそれを、フンと鼻を鳴らして受け流す。
「人界側の編成は淕に任せる。例の呪物の研究者が何やら作っていたから、そっちも確認しとけ」
「仰せの通りに。それにしても、亘が奏太様を見失う様な失態をおかすとは、あちらで何があったのでしょう」
「詳細は聞いていないが、襲撃を受けたようだ。不意を突かれた可能性もある」
詳しい話は、もう一度奏太からの聞き取りが必要だ。相手の狙いが奏太の力であったことは不幸中の幸いだった。相手の目的によっては、すでに殺されていてもおかしくなかっただろう。
「亘が暴走していなければよいのですが……」
淕は難しい表情でポツリと呟く。
奏太の護衛役を任された当初、亘の意識はあくまで結の護衛役のままだった。結の後継として奏太が相応しいか見定めるような態度もあったと聞いている。
しかし、近頃の亘の奏太への入れ込みようは、どこか危うさを感じる程だった。安定感のあった白月を遼から救った直後の関係性から、拓眞の襲撃、白月への過失、転換の儀の偽装、湊の刺客、その後に起こる一つひとつの出来事を、天秤の片側に錘として乗せていくように。
「後先考えず行動していてもおかしくありません。万が一、周囲の状況も顧みず術でも行使していれば、味方も無事では済まない可能性があります。結様や奏太様が抑止力であったのに、そのお二方が側にいらっしゃらないとなると、どうにも不安です」
柊士は亘が術を使うところを見たことがない。使い勝手が悪いと本人がこぼしていたと聞いた事はあったが……
「人里に被害をもたらし監視対象として里に連れてこられる程に強大な力ですから……自制がきいていればよいのですが……」
淕は困ったように頭を振ったが、柊士の方は今まで耳にしたことのない話が出てきたことに眉根を寄せた。
「……あいつは外で何かやらかして里に連れてこられたのか?」
淕は、柊士の反応が意外だったのか、あ、と小さく声を漏らしてから、粟路の方に気まずそうな視線をむけた。
「……え、ええと……もう百五十年以上前の話ですが……」
そんな話は初耳だ。そういえば、淕達と違い亘は里の外から来た者達が住む南側に居があるが、どうやって里に来ることになったのかは聞いたことがなかった。
粟路は淕の視線にハアと息を吐いた。
「守り手様には忠実に尽くすので、わざわざお耳に入れる程の事でもなかったというだけのことです」
「亘に重大な過失があるなら、そもそも守り手の護衛役になんてなれなかったはずだ」
「半分以上は柾が亘の強さに興味を持ち周囲の被害も鑑みずに挑んだことが要因でしたから」
……なるほど。
その状況がありありと目に浮かぶようだ。
「……あいつらは、昔からああだったってことか」
呆れた声しか出てこない。何度、里の中に被害を撒き散らしたことか。まさかそれを、術まで使い人里近くでやっていたとは。
「でもそれなら、榮が黙っていないだろう。特に守り手の護衛役になんて」
「重大事ではありましたが、亀島には知らせず私と当時の当主様で処理を行いました。当時から雀野を飲み込み里の筆頭の座に野心を燃やしていたことで当主様も亀島に手を焼いていたものですから」
亀島も昔から相変わらずだったらしい。
「幸い、ほとんどの被害が山中に集中し、人家まばらな農村の田畑や蔵の一部に損壊があった程度だった為、自然災害として片付けられました。一方で、その山中は酷い有様だったこともあり、亘を野放しにするのは危険だと判断して里に取り込み、柾には相応の罰を与えることで決着をつけたのです」
里の問題児はやはり問題児だったことを再認識させられた気分だ。そして、その問題児が二人揃って鬼界におり、一方は最初から制御不能、もう一方は制御できる主を失っている状態だと。
「…………いずれにせよ、現状把握と情報収集からだな…………」
見通しなんて最初から立っていない。しかしそれ以上に事態を引っ掻き回しそうな者達を抱えていることに気づき、柊士は頭を抱えた。




