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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
鬼界篇

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215. 鬼界の大岩②

「奏太!」


 岩の向こう、焦ったように自分に呼びかける従兄の声が響いたのは、それからしばらくのことだった。


「奏太!! 聞こえてたら返事をしろ!!」


 鬼界に来た日数から考えれば、それほど久しぶりではない。御役目がない時には、顔を合わせるのにこれくらいの日数が開くことは少なくなかった。それなのに、これほど懐かしい思いになるとは思わなかった。


「柊ちゃん!!」


 俺は手に陽の気を込めてバンと大岩に手をついた。


「奏太!!」

「柊ちゃん、聞こえてる! 俺だよ、奏太だ!!」


 しかし、柊士からの反応はない。

 こちらの声が聞こえていないのだろうか。先程の少年のときもそうだった。向こうと話ができるまでに時間がかかるのか、それとも何かきっかけが必要なのか。

 

 俺はもどかしい思いで、先程少年と話した時のように手に込める力を強める。


 不意に、柊士の声で

 

「……陽の気か」


と呟く声が聞こえた。そしてそのすぐ後に、栞に離れていろと呼びかける声が響いてくる。


 ……まさか、直接陽の気を?


「柊ちゃん、待った!! 直接陽の気を注いだら、前みたいに……!」


 以前、大岩様に陽の気を注いだ時のようになるのでは、と慌てて止めようと声を上げる。しかし、向こう側から騒ぎのようなものは聞こえてこない。栞がいるなら護衛役もそばにいるはずだ。柊士に異変があったとしたら、淕が放っておくわけがない。


 ……大丈夫だったのか?


 そう思ったところで、再び自分に呼びかける声が大岩の向こうから聞こえてきた。


「……奏太、奏太なんだろ? 聞こえてたら、答えてくれ……」


 返ってきたのは、先程よりも少しだけ落ち着いた声。

 

「……奏太……頼むよ……」


 でも、その声には先程よりも切実さが滲み出ている。


 いつもなら、怒られるか呆れられるか面倒がられるか。そんな事ばかりだった。頼りになる従兄が、こんな風に弱さを俺に見せることはなかった。その声音に、何だか胸が締め付けられてやるせない気持ちになる。

 

「柊ちゃん、聞こえてる! 聞こえてるよ!!」


 呼びかけに応えているのに届かない。それが、どうしようもなく、もどかしい。

 俺は更に陽の気を大岩に注ぎ込む。


「柊ちゃん!!」

「…………奏太…………頼むから……どうか、無事で居てくれ……」


 擦り切れるような懇願の声。まさか柊士が、そんな声を出すなんて。

 

 随分心配をかけていたのがよくわかる。柊士を差し出すわけにはいかないと自分で決めて鬼界にきた。でも、もしも自分が柊士の立場でそれを聞いたらどう思っただろうか。それを想像すると、キリキリと胸が痛んだ。


「……心配かけて、ごめん。柊ちゃん……」


 聞こえているかどうかは分からない。でも、ポロッとそう言葉が漏れた。その直後、


「……奏太? 奏太!!」


 柊士の声の強さが変わった。先程までの弱さがなくなり、最初の勢いを取り戻している。


「奏太! 聞こえるか!?」

「……もしかして、聞こえるの? 柊ちゃん」


 半信半疑で聞き返す。

 

「聞こえてる!」


 その返答に、俺は目を見開いた。ようやく声が通じた事への安堵と、久々に会話ができることへの喜びが湧いてくる。

 

「良かった! やっと届い……」


 しかし、全てを言い終わる前に、

 

「お前、無事か!? 怪我は!? 今、いったいどういう状況だ? 白月はどうなってる!? 他の奴らは……」


と、食い気味に怒涛の質問攻めがやって来た。

 

「は? ちょ、ちょっと待った! いっぺんに聞かれても答えられないって!」


 勢い込んでいろいろ聞かれても、すぐに答えられるわけじゃない。

 

 しかも、さっきと同じだ。張り詰めている時には気づかないのに、安堵とともにどっと陽の気を使いすぎたツケが回ってくる。


 クラリと体が揺れそうになるのを、大岩に頭をつけて支える。


「俺は無事だよ。怪我もない。ハクはまだ見つかってないと思う。……でも……他の奴らと逸れて、状況が分からないんだ」

「逸れた? 亘達は?」


 柊士は怪訝な声を出す。

 

「……亘達も、近くにいないんだ」

「は!? じゃあ、まさかお前、鬼界で一人でいるのか!?」

「いや、一人じゃないよ。それに、俺はここから動かなければ、しばらくは危険もないと思う」


 チラっと鹿鳴を見ると、鹿鳴もコクと頷いた。無理に歯向かうことさえしなければ利用されるだけで、鹿鳴と同じく生きられるのだろう。でも……


「今問題なのは、俺じゃない。拠点を鬼に襲撃されたんだ。俺を追ってきた巽は……もしかしたら、もう……」


 最後に見た姿を思い出し、ギュッと目を瞑る。

 

 ずっと不安だったことを口に出すと、途端に足元が崩れそうなほど辛くなる。


「柾達と違って、あいつらは俺が連れてきたんだ。それなのに、こんな鬼界なんかで……」

「奏太、そっちで何があったか分からないが、少なくとも鬼界に行ったのはお前のせいじゃない。そんなことまで自分のせいにして気負うな」

「違う。あいつらは反対したんだ。鬼界に行くなんてって。なのに、俺が……」


 弱音を吐き始めると、モヤモヤと考え続けていた負の感情が、どんどん湧いてきて止まらなくなる。


「……護衛役と案内役を解任してでも、置いてくるべきだったんだ……それなのに……」

「馬鹿な事言うな。あいつらが、そんなこと望むわけないだろ。話は淕から聞いてる。責任の所在は俺にある。お前はあんまり思い詰めるな」


 そんな事を言われても、あの状況を目の当たりにしておいて、気にしないで居られるわけがない。答えられないまま黙っていると、柊士が小さく息を吐く音が聞こえた。


「とにかく、今のお前の状態を教えろ」

「……鬼に捕まって、陽の気を発する大岩がある廟に閉じ込められた。陽の山とか陽の泉みたいに、強い陽の気を発してるから鬼は安易に近づけない。高い壁に囲まれてて、上空もたぶん陰の気の結界が張られてる。いろいろ調べたけど、鬼が複数で見張っている門以外に出られるところがないんだ」

「捕まってる? 本当に怪我はないのか?」

「うん、それは大丈夫。大人しくしてれば危害も加えられない。けど……」


 陽の気がそろそろ厳しい。まだまだ話したほうが良いことはたくさんある。でも、途中途中で休憩を挟んではいるものの、今日はずっと陽の気を使っている。


「けど?」

「……陽の気が、ちょっと……キツイ」

「陽の気?」


 柊士がそう言う前に、大岩に当てていた手がズルっと滑った。そのまま、体を支えきれずにズシャッと地面に膝をつく。

 

「日向君!」


 鹿鳴が慌てて俺の体を起こそうと支えようとしてくれる。でも、どうにも足に力が入らない。とにかく、大岩に陽の気を注ぎ続けなければ、柊士と話を続けることはできない。せめて手だけは離さないようにと気力を振り絞る。


「大丈夫です。まだ、話をしないと……」

「奏太、そこにいるのは誰だ?」


 ……ああ、そうだ、鹿鳴さんの話もしないと。


 まだ、鹿鳴についての説明をしていなかった。俺は訝る柊士に説明しようと口を開く。しかし、その前に鹿鳴が声を上げた。


「俺は鹿鳴だ。奏太君と共に、この廟に囚えられている」

「……囚えられている? 里の者じゃないな。妖界の武官か、それとも鬼か?」


 柊士の声が途端に低く警戒したものに変わる。


「鹿鳴さんは人間だよ。陽の気に触れられるから間違いない」 

「人間? 鬼界に?」


 信じられないのも無理はない。人間なんて、本来鬼界に迷い込んだらすぐに死んでしまうだろうから。


「陽の気に満ちてる、この廟の管理をさせられてるんだ。それから……」


 そこまで言いかけると、鹿鳴に制止された。

 

「俺の話はいい。それより、今は奏太君だ。そっちからじゃ分からないだろうが、彼は恐らくもう限界だ」

「限界?」

「彼は、日石という石に陽の気とやらを貯めさせられてる。日の力の乏しい鬼界のために、毎日ヘトヘトになるまで搾り取られているんだ。今日はそれに加えて、君と話すために、ずっとこの大岩に陽の気を注いでいた。もう自力で立っていられないくらいに消耗している」


 大岩の向こうで、柊士が息を呑む。


「本当か、奏太」

「まだ大丈夫だよ。それより、話しておかないといけないことが他にも……」

「ホントの事を言え」


 低く脅すような声。


「いや、だから……」

「奏太」

 

 こうなると、柊士は本当の事を話すまで追及をやめない。多少こっちの話を聞いてくれてもいいのに、頑なに話を逸らすことを許さない。気が進まないけど、諦めて白状したほうがよさそうだ。

 

「…………えぇっと……今すぐこの場で地面に倒れ込みたいくらいには……陽の気を……使って……ます……」

「早く言え、この馬鹿!!」


 何だか言いにくくて最後の方をゴニャゴニャと濁してみたが、見事に怒鳴られた。この怒鳴り声も何だか懐かしいけど……


「けど、話しておきたいことがあるのも事実……」

「黙れ。今日はもういい。明後日、同じ時間にここに来る。それまでに少しでも体力を回復させとけ」

「明後日!? あいつらがどうなってるのかも分からないんだ! 何でもいい。情報は全部渡すから、俺に今すぐできることがあるなら、教え……」

「黙れっていってるだろ」


 柊士は有無を言わさない構えだ。


「陽の気が枯渇したらどうなるか、お前が一番わかってるはずだ。今お前になにかあっても、すぐには助けに行ってやれない。お前自身がどうにかしなきゃならないんだぞ」

「俺なら、まだ大丈夫だっていってるだろ! それよりあいつらを……」


 俺が言いかけると、柊士は呆れと怒りが入り混じった様子で、あえてこちらに聞かせるような大きな溜息をついた。

 

「じゃあ聞くが、あいつらがお前に一番望むことはなんだ? 自分達が助かることか? お前の無事か? あいつらのためにお前が無理を押して動いて何かあったら、あいつらはどう思う?」

「……それは……」


 考えなくてもわかる。それが余計に悔しい。

 俺が口を噤むと、柊士は少しだけ口調を柔らかくした。

 

「お前をそこから出す方法は考える。翠雨と璃耀が繋がっているなら妖界側には別の情報があるかもしれない。ひとまず情報を集めたり里の方針を取りまとめる必要がある。追加派兵をするにしても、鬼界への綻びを見つけるところからだ。こっちにも時間が必要なんだよ。従順にしていれば安全だというなら、しばらくそこで大人しくしてろ。陽の気は無理のない範囲であれば、くれてやればいい。ただし、絶対に無理はするな」

「……わかった」


 今は、柊士の言葉に頷くしかできない。

 


 柊士との会話を終えてその場にへたり込んでいると、鹿鳴にポンポンと肩を叩かれた。

 

「よっぽど君のことが心配なんだろう。いい兄貴だな」

「従兄ですけどね」

「なんというか、不器用だけど弟を心配する兄貴みたいに聞こえたよ」


 まあ確かに、兄というものが居たら、ああいう感じなのかなと思ったことがないわけではない。本家で御役目をこなすようになるまでは、少し距離のある親戚に過ぎなかったのに、不思議なものだ。


「それにしても、話は一通り聞かせてもらってたけど、結局君らは、いったい何者なんだ?」

「え、前に説明しましたよね?」

「いや、聞いたけどさ……」


 鹿鳴はそう言うと、納得いかなそうに首を捻った。

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