214. 鬼界の大岩①
「…………はい?」
「毎年きまって、これくらいの時期の日石を回収する時間帯にね。『大岩様、大岩様』って複数の子どもの声で呪文みたいに聞こえるから、最初のうちは怖くてさ。しかも、日石に触っている時に大きく聞こえるもんだから、大事な日石を落として慌てた事もあったよ」
鹿鳴はハハっと声に出して笑う。でも、俺はそれどころではない。
「鹿鳴さん、『大岩様、大岩様』のあと、なんて言ってるかわかりますか?」
「うん? えーっと……」
鹿鳴は思い出すように視線を上にあげて顎に手を当てた。
「……『大岩様、大岩様、我らを御守りください』ですか?」
「ああ、そうそう、そんな感じだった」
「それを、何回も繰り返すんじゃないですか?」
「……そうだけど……でも、何でそれを君が?」
鹿鳴は不思議そうに首を傾げている。それを横目に、俺は大岩に向き合い手で触れた。
鹿鳴の話が本当なら、岩から柊士の声が聞こえたのも空耳ではない可能性が高い。
「……あと、六日後か?」
俺はいくつか指を折る。大岩様の神社の祭り。毎年秋、曜日関係なく決まった日に行われる。
本家で仕事をしている時に、おじさんが祭りの準備を進めていた。俺が鬼界に来てからの日数から考えて、祭りの日は、たぶんその日だ。
「そう、たぶん六日後だけど……君はそんなことまで分かるのかい?」
「え?」
「ここに居ると時間経過が分からないから、家の隅に記録を作ってるんだ。自前のカレンダーだね。あまりに不思議だったから、日記代わりに声が聞こえた日を記録してみたら、声がする日が毎年同じって事に気づいたんだよ」
俺の計算とも一致する。間違いない。大岩神社の秋祭りだ。
「こっちの声はあっちに聞こえるんですか?」
「いや、さすがに試したことはないよ。幻聴か幽霊だと思ってたから会話できるとは思ってなかったし。でも、こっちで何かを言っても、向こうから反応が返ってきたことはないね」
それもそうかと頷く。俺自身も声は聞こえても、こっちからリアクションしようとは思わなかった。それに、こっちで鹿鳴と話すことはあったけど、そこへ岩から声が返ってきたことはない。
次に声が聞こえた時に試してみても良いかもしれないけど……
「ところで、さっきから君ばかりが納得してるみたいだけど、そろそろ、どういう事か説明してもらえないかな」
鹿鳴はニコリと笑う。
……あ。
穏やかそうに見えるのに、強制力のあるその表情は何となく見覚えがある。一体どこで……と思ったら、本家の使用人、村田さんが亘と柾を牽制する時の顔にそっくりだった。
俺は本家の後ろ暗い話は全て省きつつ、要点を絞って守り手の仕事や祭りとの関係、大岩様の話を鹿鳴に説明することになった。
「……なるほどね。じゃあ、この向こうが君の故郷と繋がっているかもしれないってことか」
「はい」
「そして、その大岩様に触れて、陽の気を奪われたと」
鹿鳴と話していて思い出したのは、以前、大岩様に陽の気を直接注いで、無理矢理陽の気を引き出された時のこと。無理矢理奪われた理由まではわからないけど、触れている間にじわじわと陽の気を奪われていくのは、鬼界に来て足元から陽の気を奪われていく感覚に少しだけ似ていた。
「こっちの大岩から陽の気がでてるなら、君の故郷の大岩様が人界で陽の気を吸い取って、鬼界に流しているのかもしれないね」
「そうかもしれません」
謎だらけだった大岩様のことが、鬼界に来てわかるようになるとは思わなかった。
「そう考えたら、声も同じかもしれないね」
「声も?」
「うん。水の流れと一緒で、陽の気が流れてくるのに乗って声が流れてくるのかもしれない。こっちの声が向こうに聞こえないのは一方通行だからかも」
……陽の気が一方通行で流れてくるから、こっちの声が聞こえない? だとしたら……
「……逆流させれば、声が届く……?」
俺は、自分の手のひらを見下ろす。
そうであれば、鹿鳴には出来なくても、俺にはできる。
ただの仮説だ。でも、試してみる価値はある。
普段なら、田舎の神社に人気はない。大岩様にいつ誰が来るかは予測できない。でも今は祭りの前だ。準備で来る者がいるかもしれない。そうでなくても、三日後には必ず子ども達が大岩様のすぐ近くに来る。触れて回る間、こちらから陽の気を流せば届くかもしれない。
「現状を伝えなきゃ。柊ちゃんに……」
ここから出られる手段が見つかったわけじゃない。でも、柊士と接点を持てるかもしれない。それだけで、暗く闇に閉ざされた未来に光えが見えたような気がした。
それから祭りまでの期間、少しでも誰かの声が聞こえないかと大岩のそばでじっと待った。誰かとコンタクトを取れる可能性が高いのは、祭りの準備から片付けの間までだ。ここを逃すと、下手をすれば一年後までチャンスは訪れないかもしれない。
でも、ほとんど何の音も聞こえないまま当日を迎えてしまった。
その日は、大岩様の儀式の時までに陽の気を残しておけるよう、早くに起きて日石に陽の気をためた。とはいえ時間と気力を消耗する作業だ。祭りの時間までに一応の回復時間は取れたけど、心許ない状態ではあった。
鹿鳴が日石を回収するより少し前、祈るような心持ちで大岩に触れると、小さくざわざわとした声が響いてきた。祭りの喧騒だろうか。
大岩様の儀式は、手が光ったことを確認しやすいように夕方から夜に行われる。きっと、そろそろ聞こえてくるはずだ。
じりじりとした思いでその時を待つ。鹿鳴もそわそわとした様子で大岩にペタリと顔を貼り付けていた。
どれくらい経っただろうか。ざわざわとした音が近くなり、子ども達の興奮気味の声が聞こえてくる。それがピタリと止まると、
「大岩様、大岩様」
という高く揃った声が聞こえ始めた。
「大岩様、我らを御守りください」
聞き覚えのある調子にゾワリと鳥肌がたった。
俺はすかさず、大岩に触れたまま、自分の手に陽の気を込める。どのように伝わっていくかはわからないけど、向こう側の子ども達に届く様にと願いながら。
「誰か、聞こえるか?」
陽の気に乗せるようにイメージしながら、そう問いかける。しかし、返事はない。
「誰か、聞こえてたら返事をしてくれ!」
声の大きさの問題だろうかと、声を張り上げてみたが、やはり応答はない。
「誰か!!」
今度は手に込める陽の気の量を増やすようにして訴えかけた。しかし、それでも返事はない。
こちらからの声は、やはり届かないのだろうか。一方通行だけで、全く聞こえないのだろうか。あちらの声は聞こえるのに。
「誰でもいい、返事をしてくれ!」
陽の気を目一杯手に集め、叫ぶように呼びかける。
そうやって、何度も何度も声をかけたけど、やはり何の反応もない。
大岩様の周りを子ども達が歩くのは、十周まで。それ以上は行われない。このチャンスは逃せない。
「誰か!! 頼むから!!」
祈るように声を張り上げる。それでも、返事はなく……もうダメか、そう諦めかけた時――
「……誰?」
ようやく小さな子どもの声が岩の向こう側から響いてきた。
「聞こえるのか? こっちの声が」
「うん、聞こえる。たぶん俺だけにだけど」
何故、これだけの子どもの声が聞こえるのに、一人にしか届かなかったのか、とか、そんなことを気にしている場合じゃなかった。
「届いた! 届きましたよ、鹿鳴さん!」
ようやく声が届いたことに、泣きそうになりながら鹿鳴に呼びかける。鹿鳴も嬉しそうな笑顔を見せた。
一方で、岩の向こうからはキョトンとした声で
「え、何?」
と返ってくる。
俺はすうっと息を吸い吐き出してから、もう一度大岩と向き合った。陽の気が途切れないように気をつけながらもう一度呼びかける。
「ねえ君、そこ、大岩様の神社だろ? ◯◯市の」
「うん、そうだよ」
大岩を通して、子どもから、しっかり返事が戻って来た。やっぱり、俺たちの故郷にある神社だ。
「今、祭りを取り仕切ってる、日向って家がある。そこの柊士って人を呼んできてほしいんだ」
「ひむかい、しゅうじ?」
「そう。いなければ、日向の人なら誰でもいい」
柊士を呼んできてもらえるのが、たぶん一番話が早い。でも、ずっと体調を崩していた柊士が祭りの席に来ているかわからない。
子どもは小さく、ひむかいしゅうじ、ひむかいしゅうじ、と繰り返す。
「うん、わかった」
「日向奏太が呼んでるって伝えて。大岩様と鬼の世界が繋がってるんだ」
「え、鬼?」
だんだん、陽の気を使っているのが辛くなってきた。柊士と話ができるなら、その分の陽の気は残しておきたい。
「危険はない。詳しいことは、柊士って人に聞いて」
とにかく、柊士を呼んできてもらうことが先決だ。鬼の世界の話は、大岩様から声が聞こえた件と丸めて柊士にうまく誤魔化してもらえばいい。
「いいね、日向柊士って人に、奏太が呼んでるって伝えるんだ」
「うん。『ひむかいしゅうじ』に、『そうた』ね、わかった!」
子どもが元気に返事をすると、パッと声が途切れた。
声が届いた安心感か、想定以上に陽の気を使いすぎた影響か、ぷつっと子どもの声が切れると同時に、膝の力がガクッと抜けた。
「大丈夫か、日向君」
「……はい、大丈夫です。でも、良かったです。ホントに」
少なくとも、人界とコミュニケーションが取れることがわかった。それだけでも大きな成果だ。子どもが周囲に話せば、日向の誰かの耳にも届くかもしれない。
あとは柊士と話ができれば……
「あの子がきちんと伝えてくれたら良いんですけど」
「少なくとも、あの様子なら大人の誰かには伝わるだろう。信じよう」
託した言葉が頼れる従兄にちゃんと届くように。問題なく話ができるくらいまで力がさっさと回復するように。祈り念じながら、俺は大岩に体を預けた。




