213. 白日の廟③
今まで上納していた日石は、一日に十三だったのに、それが二十六になった。半分は今までどおり大岩の近くに置いて陽の気をためる。もう半分は俺の力で満たさなければならないようだ。
あの鬼達の為になんて、という気持ちはある。
でも、命じられた数が揃わないと廟の管理者……つまり、鹿鳴と俺が罰せられるのだと、鹿鳴は申し訳なさそうに言った。
抵抗したところで碌なことにはならなそうだし、何より、鬼界で出会った同じ人間であり、突然現れて妙な力を使う俺にも良くしてくれる鹿鳴の事を考えると、どうしても拒否は出来なかった。
仕方なく用意された残りの日石に陽の気を注いでみると、これが思ったよりも大変だった。
一、二個に陽の気をためるのは問題ない。でも、全てを一気にやろうとすると全然足りない。陽の気を注いでいるうちに頭痛と目眩に襲われ、結局、休憩を取りながら複数回にわけて陽の気を注ぐことになった。
幸いだったのは、この場所に陽の気が満ちていることだ。力を使いすぎても大岩に体を預けて休むと回復も早いような気がした。それどころか、妖界の温泉水を飲んでも回復しなかった体の重みが一緒にスゥっと抜けていく。
……常に地面に陽の気を奪われていたから、不足状態が続いていたのかもな。
大岩にもたれかかり体に陽の気が戻っていくのを感じながら、何となくそう思った。
鹿鳴は、俺が日石に陽の気を注いだり休んだりしている間、大岩の方の日石の確認をしたり廟の中や外の手入れをしたりして過ごしていた。
ぼうっとしながら何となくそれを眺めていると、雑草を引き抜いては手際よくそれをより分けているのが見えた。
「……鹿鳴さん、それ、何でわけてるんですか?」
「こっちは雑草、こっちは食料」
「ああ、なるほど」
鬼界に来てから野菜の類は野草になっていたので、驚きはない。気になるのは、鹿鳴がそれをザザッと洗ってそのまま口に放り込んだこと。
「え、生で食べられるんですか?」
「食べられるか食べられないか、じゃなくて、食べるんだよ。食事が出るとは言っても最低限だ。腹の足しになるもんは、何でも食うんだよ」
「いや、でも、せめて茹でるとか……」
俺が言うと、鹿鳴はあからさまに嫌な顔をした。
「どうやって火を起こす? 鍋はどうする? 仮に火を起こせたとして、緑が貴重なこの地で捕虜同然の俺たちがそれを食ってるのが見つかったらどうなる?」
「……取り上げられますか?」
「間違いなくな」
妖界や鬼界のものは陽の気に弱い。だから燃やして火を起こせるかもしれないけど、煙が上がるのばっかりはどうしようもない。
「時々、肉もくるんだけどなぁ」
「…………え、あの……それって、何の肉ですか?」
俺が聞くと、鹿鳴はピタリと一瞬動きを止め、それから何事もなかったかのように動き出した。
「……まあ、あんまり気にしないほうがいいんじゃないかな」
……何、その間。
妖連中が取ってくる肉と同じならいい。けど、もしも万が一、鬼界に迷い込んだ……
そこまで考えて、首筋がゾッと寒くなった。考えれば考えるほど怖い想像ばかりが膨らんでいく。俺はブンブンと頭を振ってその想像を振り払った。
夜。鹿鳴が白に変わった日石を回収し、それをやって来た文官の様な格好の鬼に渡すと、交換で食料が渡された。
少なくとも、今日のメニューに肉はない。固くモサモサしたパンっぽい何かが二つ、転がっていた。腹は全然満たされないけど、それでも俺はほっと息を吐き出した。
少ない食事を済ませると、俺は硬い石の台の上に寝転がった。体が痛いし、ここのところずっと椿の翼の中で寝ていたから、肌寒くてたまらない。
あいつらは、今どうしているだろうか。巽は生きているだろうか。
そんな事ばかりがぐるぐると頭の中を巡る。目を瞑ると最悪の状況がまぶたの裏に浮かんできて、どうしても寝付けない。
どうにも耐えられなくて、鹿鳴が寝息を立てる横、俺は静かに石の家を出て白日の廟に入った。
門番は、壁の中なら何も出来ないと高を括っているのか、それともそもそも俺たちに無関心なのかはわからないけど、俺が夜中に出歩き廟に入ったところで何も言わなかった。
明るく温かい光と柔らかな草。安堵の息を吐き大岩に体を預けると、次第にまぶたが重くなっていった。
微睡みの中、何故か柊士と淕の声が聞こえた気がした。いくら人界に帰りたいからって、淕のことまで思い出すなんて……何となく悔しくなりながら、気づけば深い眠りについていた。
翌朝、慌てた様子で鹿鳴がやってきて、俺が廟にいるのを確認し胸をなでおろした。
「無理に外に出ようとして殺されてたらどうしようかと思ったよ」
できるだけ平静でいようと心掛けていたつもりだったけど、鹿鳴からは、それだけ危うく見えていたらしい。
「どこかに行くときは、一言声をかけてくれると助かるよ」
鹿鳴はそう言うと、穏やかに笑う。随分と気にかけてくれているようだ。何だか申し訳ない気持ちになって、まるで叱られた子どものように、俺は小さく謝罪した。
その日から、外の手入れをする鹿鳴を手伝うふりをして、外壁の状態を確認したり、廟の裏の門番の目が届かないところで地面を掘ってみたり、上空の結界をくまなく見たりしてみた。けれど、鹿鳴が言うように穴がない。調べれば調べるほど、その事実を突きつけられるだけだ。
その間にも、日石に陽の気を注がなければならない。
しかも、しっかり決められた数を上納したせいか、日を追うごとに日石の数が一つ、また一つと増やされていく。大岩で回復しやすいとはいえ陽の気の不足で動けない時間が増えていった。
食事は一日二食あれど申し訳程度の量。夜間の寒さ、時間の経過と共に押し寄せる不安感による不眠のせいで、だんだん気力が削がれていく。
腹が減った。陽の気が足りない。体がだるい。
白く染まりきらない日石が目の前に並んでいるのを見ると、絶望的な気持ちになる。
気づけば、俺は出口を探すのも諦め、日夜問わず大岩からほとんど動かずに過ごすようになっていた。
「大丈夫かい、日向君」
「……壊れるまで使いつぶされる充電器の気分です」
自嘲気味な笑みが出る。弱音を吐かずにいられなかった。
「代わってやれなくて、すまない」
鹿鳴はそう言いながら、水を差し出してくれた。ありがたく口をつけると、いつもよりも冷たい気がする。もしかしたら、井戸から直接汲んできてくれたのかもしれない。
「……いえ、こんな力持ってるやつなんて、普通いないんで。連れてこられたのもそのせいですし」
「他にも同じ事ができる人がいるのかい?」
「今は、従兄姉二人です。一人は鬼界に居て、たぶん奴らが探しています。もう一人は人界に」
そういえば、ハクはどうなっただろう。柾達が偵察に行ったけど、戻ってくる前に襲撃を受けた。手がかりを掴めただろうか。彼らは無事だろうか。
「鬼界と人界っていうのは?」
「人の住む世界のことです。人の住む人界、鬼の住む鬼界、妖の住む妖界。本来、結界で隔てられているはずの三つの世界に、時々穴があくんです。その綻びから、鹿鳴さんも俺も、こっちの世界に入ってきたんです」
「……そうか、知らない間に、その穴を潜ってしまったんだね……」
俺は自分の意志でこっちに来たけど、何も知らずに来てしまった鹿鳴は、本当に不運だと思う。
「その穴をまた戻れば帰れるってことかい?」
「いえ、既に閉じられているでしょう。帰るには、別の綻びを探さないと。灰色の穴じゃなく、白く輝く穴を」
もう一つ、ハクを探せば帰れる。結界に穴を開けてもらえばいい。どちらにしても、ここを出なければ何もできないけれど。
「白に輝く穴、か。まるで日石のようだね」
「実際、日の力……俺達は、陽の気って呼んでるんですけど、それの満ち方で色が変わるようです。鬼界は黒、妖界は灰、人界は白。陽の気に満ちるのは人界だけで、最も乏しいのが鬼界なんです」
随分前、初めて妖界に行った時に、そんな話を烏天狗がしていた。
「じゃあ、この岩から日の力が出てくるのは、もしかしたら人界に繋がっているからかもしれないね」
「……え?」
「だって、日の光に満ちるのは人界だけなんだろ?」
そう言われてみれば、妖界でも陽の気の満ちる泉は人界に繋がっていたり、すぐ近くに人界への穴があいていた。陽の気を放つこの大岩が人界に繋がっていてもおかしくはない。
「それに、ここに居ると、時々、不思議と誰かの声が聞こえる事があるんだ。何を話しているかまではわからないんだけどね。幽霊かと思って気味が悪かったけど、もしかしたら岩の向こうの人の声だったのかもしれないね」
それは、俺にも覚えがあった。ほとんどの時間をここで過ごしていると、くぐもって誰かの声が聞こえていた。最初は幻聴かと思った。でも、それは一回だけで終わらず、次に聞こえた時には鹿鳴かと思ったけどそうじゃなかった。
不思議な現象はだいたい妖か鬼の仕業だと思っているので怖いという感覚はなくて、でもどこから聞こえてくるのか気にはなっていた。
……そういえば、最初の夜には柊ちゃんと淕の声に聞こえたんだよな。
きっと誰かの声が、心細いあまりにそう聞こえたのかもしれない。俺は小さく苦笑する。
しかし、次に発せられた鹿鳴の言葉に、俺はピタリと動きを止めることになった。
「そういえば、ちょうどこの時期だよ。夕方から夜あたりに、子ども達の声で『大岩様、大岩様』って声が聞こえてくるのは」




