207. 襲撃の跡③:side.白月
とにかく非道な手段で連れてこられた奏太を救出して人界に帰す必要がある。そのため、気は進まないけれど、皆と一緒に拠点に入った。夜が来て、虚鬼が来る前にと急かされたのも要因だ。
妖界の者達は喜んで迎えてくれたけど、人界の者達の表情は暗い。
璃耀は静かに私の前まで来て跪き、そっと私の手を取った。
「ご無事で、何よりでした」
勝手に居なくなった事を散々咎められるのだろうと思っていたのに、璃耀が言ったのは、たったそれだけ。ただ、その瞳は真っ直ぐ私の目を見つめていて、多くを語らずとも、言いたいことだけは伝わってきた。
いつになく真剣なその目に、思わず『ごめん』と謝りそうになったけど、ぐっと奥歯を噛んで堪えた。決意は変わっていないのに、口先だけの謝罪に意味はない。
「璃耀、奏太を助けに行く。貴方達が人界に対して行ったことについては、妖界に戻ったら、きちんと正式な謝罪と補償をして」
「では、そのように翠雨様にはお伝えしましょう」
璃耀の言いようは、まるで他人事だ。
「璃耀が、責任を持って見届けるんだよ」
「貴方がお戻りになるのなら、そのようにいたします」
「だから、そうじゃなくて……」
そう言いかけたけど、璃耀は全く表情を変えずに私を見据えている。
「私は、何処であろうと、貴方のいらっしゃる場所におります。妖界にお戻りにならないのなら、翠雨様にご対応いただく他ございません」
私はそれに、小さく息を吐き出した。
私が何を言われても決意を変えるつもりがないように、ここで何かを言っても、璃耀も意見を変えようとはしないだろう。その目が雄弁に語っている。
「………わかった、その話は後回しにしよう。今は奏太を取り戻す事を考える方が重要だし」
私は面倒な問題事を後回しにして、蒼穹に目を向ける。応とも否とも言わなかったことに璃耀が訝るような顔をしたけど、それも一旦見なかった事にする。
「蒼穹、状況を説明して」
「承知しました」
蒼穹からここまであったことの状況を説明してもらい、他の者からも補足をしてもらったけど、概ね宇柳の言っていた通り。認識に大きな相違はなかった。
「捕らえた鬼が言うには、キガク城にいる、マソホという鬼の元に連れて行かれたそうです」
マソホというのは聞き覚えのある名前だ。
「城に攻めてきた鬼だね」
「攻めてきた、ですか?」
蒼穹が言うと、近くにいた宇柳が頷いた。
「キガクという鬼が、反乱を起こそうとしていたようです。王国軍が制圧しようとしたドサクサに紛れて白月様をお連れしたので、こちらとしては助かりましたが」
「つまり、奏太様を捕らえたのは、キガクという鬼の配下ではなく、王国軍の者、ということですか」
「そうなるね」
間違ってなければ、セキ達の村にも同行していた鬼だ。あの時も、キガクの配下ではなく、王宮から来たと言っていたと思う。
「キガク城のある丘から脱出する機を伺う為に情報を集めていましたが、反乱軍はある程度制圧されていました。もしかしたら、キガク城からは、もう撤退しているかもしれません。少々、不穏な話も聞きましたし……」
「不穏な話?」
牢屋から出て木々の生える丘に身を潜めている間、虫の姿になれる者たちが情報収集に動いていたのは知っていたけど、『不穏な話』というのは初耳だ。
「ええ。『これだけ殺して踏み躙ったのだから、日石がなければすぐに闇に呑まれていただろう』と兵が話していたそうです。更に『もともとあった日石も、持ってきた日石も残りの力が少ないから、あと一晩も持たないだろう』とも」
「日石とは何だ?」
蒼穹が眉根を寄せると、宇柳はセキ達に視線を移した。皆の目が一斉に向いたからだろう。三人の肩がビクッと跳ねた。
「……え……ええっと……」
セキが口籠ると、リンが妹と弟を庇うように一歩前に出る。
「……日の力がこもってる石の事よ。少しずつ日の力を出して土地に緑をもたらすの。王様や領主様の城にあるんだって。だから、領主様の城は緑が多いって聞いたことがある。あと、小さい石ころみたいな日石は豪商が持ってることもあるって……すごく貴重だから、私達は見たことはないけど……」
あれ程何もない鬼界で、キガクの城の周辺だけ緑が生い茂っていたのが不思議だったけど、その日石によって土地に陽の気が満たされていたのなら納得できる。
「闇に呑まれるというのは?」
「私達が住んでるところの周りに、深淵っていう、虚鬼が住む闇深い場所があるの。普通の鬼には住めないくらいに荒れていて、中に入れば闇に取り込まれて虚鬼になるから近づくなって教えられてる。普段は領主様の城にある日石のおかげで村も闇に呑まれずに済んでるんだって。だから、領主様に感謝しろって言われるの」
リンが言うと、スズが小さく息を呑んだ。
「……日石の力が無くなったら、村も深淵にのまれちゃうの?」
「呑まれても呑まれなくても、もう戻れないわ」
村は、セキが出た後に焼き払われ破壊されたようだと聞いた。何があるか分からない以上、戻らない方がいいだろう。
宇柳はリンの言葉を引き継ぐように状況の説明を続ける。
「本当はもう少し落ち着いてから脱出するつもりだったのですが、『あと一晩も持たない』という話から、多少危険があっても長居すべきでは無いと判断しました。それに、鬼界の者たちは殊の外、夜を忌避しています。虚鬼以外にも何かありそうだった為、夜闇に紛れることも避けたんです」
「闇は夜と共にやってくるからよ。夜に外にいて闇の女神に気に入られたら深淵に連れて行かれてしまうって、昔から言われてるの。ちょっと前にも、夜に動いていたどこかの領地の部隊が忽然と姿を消したんだって」
リンが補足するように言った。
「ただの言い伝えじゃないってこと?」
私が聞くと、リンはコクと頷く。
「仕方ない理由で夜に出歩いて、姿を消したって話はいくらでもあるの。全部が全部、女神に連れて行かれるわけじゃないみたいだけど……でも、姿形がそっくりな虚鬼に遭遇したって話もあるし。だから、皆、滅多なことがなければ、夜に外にでないの」
「闇の女神って何者?」
「さあ。本当にいるかどうかも分からないわ。闇に呑まれて行方が分からなくなることを、そう言うだけで」
なるほど。ただの教訓話ではないけれど、ハッキリした話でもなさそう、という感じなのだろう。
「もう夜ですが、奏太様と亘殿がどうなったかは分からないまま、ですよね? 日の力が尽きそうな状態で夜になれば城が闇に支配されるのですから、王国軍は城から撤退している可能が高いわけですけど……」
宇柳は、巽や、少し離れたところで難しい表情で話を聞いていた汐と椿の方をチラリと見ながら蒼穹に問う。
「ああ。亘殿が奏太様を救出し何処かに身を潜めているか、移動させられているのを追跡できていれば良いが……」
「……亘が飛び出した時には夜が間近に迫っていました。間に合わなかった可能性の方が高いでしょう。後先考えずに飛び出すなんて、なんて馬鹿なことを」
汐が、感情の浮かばぬ目をフッと伏せた。
「亘さんも、夜が明ければ一度は戻ってくるでしょうから、それを待って皆で奏太様を助けにいけば……」
励ますように椿は言うが、汐はゆっくり首を横に振った。
「きっと、戻ってこないわ。奏太様を助けるまでは」
亘と行動をずっと共にしていた汐の言葉には説得力がある。それに、私もそんな気がしている。
「目的は同じだから、そのうち会えると思うしかないね」
亘には自力で戦う力がある。しかも、里で二本の指に入るほどの。すれ違っていたとしても、別方向から奏太を追ってくれていると思うしかない。
私が言うと、巽も頷いた。
「はい。僕と違って、亘さんがそう簡単に鬼や虚鬼にやられるとも思いませんし、奏太様を助ける道中できっと会えます」
今は、自分で鬼と戦う力がある亘より、奏太ことが最優先だ。
「マソホって鬼のところに連れて行かれたなら、行き先は王宮かな。まだ捕虜が残ってるんだよね? キガクの城以外に連れて行かれそうなところがないか確認してみて」
私が言うと、宇柳がテキパキと部下に指示を出しはじめた。
「拠点も、明日早々に移した方が良いですね。念の為、亘殿と奏太様が戻ってきた時のために数名残しますが、襲撃されたこの場所は危険ですから」
「殺して踏み躙った城が闇に呑まれる、と鬼は言っていたと言いましたよね? 戦による死者もあったでしょうし、捕虜も亘さんが数名惨殺してしまいました。この場所が闇に呑まれる可能性もあるのでは? この夜の間に何かあるのでは……」
空木は表情を曇らせて、その場に集まる面々をみまわす。亘を止められなかった事に責任を感じているのかもしれない。しかし、柾はフンと一度鼻を鳴らした。
「日石とやらが闇を抑えていたのだろう? ここには、日の力そのものを発する方がいるではないか。しかも、無理をせねば尽きることがない程の」
柾が、心底つまらなそうに私を見た。
「この方がいる限り、闇に呑まれる事はあるまい。虚鬼が住み着く深淵とやらは、どのようなところなのだろうなぁ。なあ、空木」
「白月様のおかげで、ここが闇に呑まれることがないようで良かったですけど、お願いですから、これ以上は黙ってください、柾さん」
柾らしい望みだけど、深淵に興味本位で行かれて、これ以上の戦力が分散するのは困る。柾の事は空木が止めてくれそうなので、基本的には任せておくのが良さそうだ。
「拠点を移したら、後のことは蒼穹に任せて白月様は自ら動かないようになさってください。再び白月様まで居なくなられては困りますから」
「え? えーっと……」
璃耀の言葉に、他の皆も頷いている。
でも、それだと、鬼に捕まっているであろう奏太を救うために一番簡単な方法をとれなくなる。
璃耀は厳しい表情で私を見据えた。
「私は可能な限り、貴方のお望みを尊重するつもりです。ただ、貴方の身が危険に晒される事態は看過できません」
「戦を仕掛けるわけでもないし、多分、死ぬことはないよ」
私が言うと、璃耀は眉を顰めた。疑いと否定の混じった表情だ。
「……白月様には、奏太様を救出する手立ての検討がついているのですか……?」
汐が不安そうに私を見る。私は璃耀を視界に入れないようにしながら、ニコリと笑って見せた。
「璃耀達が私を助ける為に奏太を利用しようとしたように、汐達は奏太を助けるために、存分に私を利用すればいいよ」




