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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
鬼界篇

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205. 襲撃の跡①:side.白月

 静かな砂地の上、啜り泣く声が聞こえた。


「声なんて聞こえませんが……」


 凪はそう言うけど、私には確かに聞こえるのだ。消え入りそうな声が、風に乗ってどこからか。


 しかし、桔梗も凪に頷く。

 

「危険ですし、動かないほうがよろしいのでは……?」


 そうかも知れないけど、どうしても気になる。

 私はセキ達三人を乗せた柾を、自分を抱える凪越しに覗き込んだ。


「ねえ、柾にも聞こえないの?」


 柾は耳も鼻もいい。もしかしたらと尋ねると、柾は耳を澄ませ鼻をスンスンと無らした後、少しだけ首を傾げた。


「聞こえませんね。しかし、風に乗って微かに死の匂いがします」

「……死の匂い?」


 私が眉を顰めると、柾はコクと頷いた。

 

「ええ、死の間際の者が発する特有の臭いです。わかりませんか?」


 柾はぐるりと周囲を見回す。しかし、私も人界妖界の者達も、皆が首を横に振った。その様子を見て、柾と一緒に来ていた人界の一人が見兼ねたように、難しい顔で一歩前に出る。


「柾さん特有の能力だと思います。今までも、柾さんがそう言う時には、決まって近くで誰かが命の危機に瀕していました。間に合うこともあれば、そうでないこともありましたが……」

「つまり、この近くに死の危険にある者がいるってこと? 急げば間に合うの?」

「ええ。何者かは分かりませんが。結様が声が聞こえると言ったのと同じ方向ですよ」


 柾の言葉に、私はもう一度声の聞こえた方角を見る。


「……あの、死の危機にあるとはいえ、鬼の可能性があるので、やはり近づかない方が……」


 桔梗が困ったように言う。

 でも、やっぱり泣くような声を無視できない。セキ達のような子どもの可能性だってある。


「行ってみないとわからないよ。連れて行ってくれないなら、この手を放して。一人で行ってくるから」

 

 凪にぬいぐるみ宜しく抱えられている状態じゃなければ、とっくに声のする方へ行っていたと思う。


「御一人でだなんて、いけません!」


 凪はギュッと私を抱える手に再び力を込めた。痛いし苦しい。

 

「だって、急がないと死んじゃうかもしれないでしょ。拠点が近いのに人や妖じゃないって言い切れる? 手が届く範囲で誰かが死ぬかもしれないって分かってるのに、無視をするのは嫌なの」

 

 凪の腕を短い手でトントンと叩いて言い募ると、凪と桔梗は顔を見合わせた。


「凪、桔梗」

 

 二人をじっと見つめて呼びかける。すると、二人はハアと揃って息を吐いた。

 

「……わかりました」

「わかりましたから、絶対に我らから離れないでください……」


 

 柾の鼻と私の耳を頼りに砂地を進むと、次第に声が近づいてくる。決して大きくはない声。それが、風が止まるとともにピタリと止まった。


 私達も、それに合わせて足を止める。


「ここだと思うけど……」


 周囲にはやっぱり誰も居ない。あの声は一体どこから聞こえてきたのだろう……

 そう思っていると、すぐ背後でボソリと柾が呟く声が聞こえた。


「……巽か?」

「え、たつみ?」


 奏太の護衛役の巽のことだろうか。そう思いつつ柾の視線の先を追う。


 そこにポツリと落ちているものを見て、私は目を見開いた。

 

 そこにあったのは、砂にまみれて半分埋まった、真っ黒の翅と青緑の体を持つ一匹の小さなトンボの姿。すぐ近くには、同じように砂に埋まりかけている見覚えのあるお護りと、白く濁った水の入った小瓶があった。


「た、巽!? どうした、何があった!?」


 人界の者達がわっと声を上げ、慌てて巽に駆け寄る。

 

 その声にハッとして、私も油断して力の緩んだ凪の腕から飛び出し人の姿に変わった。一糸も纏わぬ姿だけど、そんなのを気にしてる場合じゃない。


「どいて!」


 人界の妖達を掻き分けて、巽の側に膝をつく。ずっと首にかけていた山羊七のところの温泉水の瓶の蓋を取ると、巽の体を掬い上げるように持ち上げた。

 

 柾はさっき、死の間際の者の臭いがわかると言ったのだ。周囲には私達と巽以外の姿はない。だとすれば、今まさに命の危機にあるのは巽だということだ。


 ……温泉水を、あの村で使ってしまわなくて良かった。


 巽を乗せる手を少しだけ丸くして、残った全ての温泉水をトンボの身体全体に振りかけた。手のくぼみに温泉水が溜まり、ポタリポタリと指の隙間から少しずつこぼれていく。すぐになくなってしまいそうだけど、少しの間だけでも身体全体を浸せたほうがいい。


 ……まだ、息があればいいんだけど……


 この状態になると、生きているのかどうか、私には見分けがつかない。


「巽」


 そっと、声を掛ける。


「巽、起きて」


 声に反応するように、ピクリと僅かに翅が動いた気がした。


「巽」


 もう一度声を掛ける。すると、今度はしっかり動きがあった。


「…………う……ぅ…………はくげつ……さま……?」

「そうだよ。よかった、気がついて」


 どうやら間に合ったようだ。声が出て、こちらを認識できる状態であることに、私はほっと息を吐き出した。

 

 妖界の温泉水が残っていてよかった。巽の体が小さくて全身を温泉水につけることが出来てよかった。この広大な鬼界の大地で、生きているうちに見つけられてよかった。

 様々な条件が揃わなければ、本当にそのまま死んでしまっていたかもしれない。


 巽はまだ意識がはっきりしないのか、温泉水の中でプカプカとしている。万能薬だけど、すぐに全快になるわけじゃない。

 

 そうやってしばらく巽の様子をじっと見ていると、ようやくハッキリ目が覚めたのか、巽は突然バタバタと翅を動かし体を起こそうとした。


「そ、奏太様!? 奏太様は……っ! っつうぅぅ~〜……」


 体が痛むのか言葉を失い、尾のあたりを丸くして巽は呻く。背に乗せていたセキ達を降ろし人の姿に変わった柾が、それに眉根を寄せた。


「巽、これは一体、どういうことだ? 何故お前だけがここに落ちている? 奏太様がどうした?」


 柾はぞんざいに質問を重ねる。でも、死の間際にいて目覚めたばかりの者には酷だろう。

 

「巽、落ち着いて。ゆっくりでいいから」 

「……柾さん……? 白月様…… うぅ……それが……」


 そう声をかけつつ途切れ途切れに聞かされたのは、私を探すための拠点にしていた場所から、奏太が連れ去られるまでの一部始終だった。

 

 鬼に刺され力を無くし、ただ落ちるだけだった巽が最後に見たのは、鬼に捕らえられたままの奏太の姿だったそうだ。


「奏太様が鬼に連れて行かれたのか……」


 柾は厳しい表情で呟いた。


「……白月様が見つかったのに、今度は奏太様が鬼に連れて行かれるなんて……早く助けに行かないといけないのに……僕は……」


 巽は声に悲痛さを滲ませた。奏太を奪われたことを深く悔いていることが分かる。

 

「巽、この御守りと小瓶はどうした? 奏太様のものだろう」


 柾の指摘に、私は巽のそばに落ちていた御守りと小瓶に目を向けた。見覚えのある古びた手作りの御守り。結だったころ、私が柊士に渡した御守りによく似ている。でもそれが、何故こんなところにあるのだろう。


「奏太様が、ずっと首からさげていたものです。鬼に捕まった時にも……でも、それが何故ここにあるのかは、僕にもわかりません」

「なるほど。奏太様が落としたか、それとも巽の為に残したか」


 柾はそう言いながら、二つを拾い上げる。


「僅かではあるが、気の力が残っているな。結様を呼んだのは、これか? 奏太様の願いに応えたのか、生きたいという巽の望みを叶えたのかは分からぬが」


 呪物は必要な者を呼び寄せその手に渡るものだと、何処かで聞いたことがある。

 

 あれはかつて、私が柊士の為に作ったものだった。

 それがどういう経緯かわからないけれど、奏太の手に渡り、そして今は、巽の手元にある。


 ……あれは、どういう意味で言ったんだっけ……

  

『みっともなくたっていいから、生きて果たすべき役目を果たしなさいよ!』


 柊士に出来たばかりの御守りを投げつけた時のことを思い出す。

 

 役目を捨てて逃げ出した私の目の前に、あの時の御守りがあるなんて、なんという皮肉だろう。


 浮かんだ考えを振り払いたくて、私は頭を小さく振った。


「白月様?」

「ううん、何でもない」

  

 凪にそう答えたとき、どこか遠くから、別の泣き叫ぶような声が聞こえてきた。

 

「白月様ー!!!」


 声がした方を見れば、ものすごいスピードで突っ込んでくる小さな梟の姿があった。


「あちらで動かずお待ち下さいと!!! 申し上げたではありませんかっ!!!」


 何だか拍子抜けするような、情けない声音と表情。

 

「……動かず、とは言ってなかったと思うけど」

「屁理屈で誤魔化さないでください!!!」


 宇柳はバサリと羽ばたき人の姿に変わる。その顔はもはや泣いていた。


「また居なくなられたのかと、どれ程肝を冷やしたと思っているんですか!!! あと、着物をきちんと着てください!! 璃耀様と翠雨様に私達が殺されてしまいます!!」


 勝手に動いたのは申し訳なかったけど、この状況下において、着物のことは正直どうだっていい。一応、見兼ねた桔梗が肩から掛けてくれてたし。

 

「ねえ、宇柳、そんな事よりも……」

「そんな事ではありません!! 大事なことです!!」


 ……そんな、つばを飛ばしながら怒鳴られても。


「話を聞いてよ。こっちだって、重要な……」

「駄目です! お話なら後で伺いますから!」


 宇柳は涙目のままで騒がしく喚き立てる。このままでは話が一向に進まない。

 

……話を優先したかったんだけど……

 

 私はハアと小さく息を吐き、仕方なしに、少しずつ動けるようになってきた巽を人界の者に預けて、着物の残りを抱える桔梗に向き直った。


 

 テキパキと着せつける桔梗にされるがままになりながら身なりが整う頃には、巽も何とか人の姿をとることができるようになっていて、時折痛そうに顔を顰めるものの落ち着いて座り込んでいた。


 その間に宇柳はこちらの状況を他の者達に確認し、私の状態がある程度整うのを待って、ようやく真面目な表情で私の前に跪いた。

 

「それで、奏太の事なんだけど……」

「ええ、状況は把握しました。拠点でも、奏太様の失踪に関しては確認が取れているようです。奏太様を連れ去ったのは、拠点に攻め入った鬼によるものだということも判明しています。拠点の襲撃自体は蒼穹さんの指揮でほぼ制圧できていますが、少々問題が発生したようで……」 

「奏太を連れ去られた以外にも問題が?」


 私が眉根を寄せると、宇柳は曖昧な視線を人界の者たちに向けた。

 

「えぇっと……亘殿が少々……」

「……亘?」

 

 不意に出た亘の名前に、ドクッと心臓が嫌な音を立てた。

 

 あまり考えないようにしていたのに、一気にいろいろな事が思い出されて脳裏を巡る。鬼の体に入った一件だけじゃない。折り合いをつけたはずの一度目まで芋づる式にでてきて身が竦む。


……亘が悪いわけじゃない。仕方がなかったことだと、頭ではわかってるはずなのに。

 

 大丈夫、大丈夫、と自分に言い聞かせながら、私はギュッと袖の中で手を握り込んだ。


「……亘さんが何か?」


 巽が警戒したような表情で宇柳を見る。

 

「それが、奏太様を連れ去ったのは、襲撃してきた鬼が飼っていた砂蟲という巨大な蚯蚓の集合体のような生き物だそうなのですが、それが戦場に複数いたようなのです。それを亘殿が一人であっという間に微塵にして内臓を引きずりだしてグチャグチャにしたそうでして……」

「ああ、奏太様が喰われてないか確認したのか」


 柾は何でもないことのように言ってのけるが、その光景を想像して、背筋にゾゾゾっとしたものが走る。


 巨大な蚯蚓の集合体も、それに奏太が喰われたかもしれないという想像も、内臓をグチャグチャにされる様子も、すべてが怖い。


「そ、それで……?」

「喰われたような形跡はなかったようです。ただ、その後、奏太様の情報を得ようとした亘殿が、捕虜にしていた鬼に片っ端から暴行を加えては殺すのを繰り返し、止めようとした者にも武器をむけたそうで……」


 柾から降りて三人で近くに固まっていたセキ達が、亘の鬼への扱いを聞いて顔を青ざめさせた。


「……捕虜は残っているのですか? 奏太様の手がかりは……」


 巽が聞くと、宇柳は曖昧に頷く。

 

「一応、生き残りがいます。ただ、今のところ随分怯えていて話になりません。しかも、最も情報を持っていた肝心の指揮官を、亘殿がたった一人で連れ去ったそうで……」

「……鬼が怯えるほど苛烈に暴行を加えたと……?」


 巽の言葉に、鬼に入った自分に向けられた冷たい目が思い出される。


「さっきのアレは、そういう事だったのか」

「ええ。止めておけば良かったですね」

「いや、恐らくその勢いで出てきたなら、止まらなかっただろう」


 柾と宇柳の会話に、私は首を傾げた。


「さっきのって?」

「ここに来る途中、遠くを通過していく亘殿を柾殿が見つけたのです。こちらは目眩ましを張っていましたし足を止めるわけにいかなかったので、そのまま見送りましたが」


 そういえば、一度、柾や皆が何かに注意を向けたタイミングがあった。あれは、亘を見つけたからだったらしい。


 他の皆は、宇柳の話に難しい顔をした。


「奏太様を救うにしても、情報が得られないのでは……」

「せめて、残った鬼から何とか聞き出すしかあるまい」

「亘さんは、なんという無茶を……」


 人界の者達が口々に言う中、柾がフンと鼻を鳴らした。


「あの方の境遇に我慢の限界が来たのだ。そのうち、このような事になるのではと思っていた」

「……柾さん」 

「お前の方がよく分かっているだろう、巽。むしろ、あいつにしては、よく耐えたほうだ。奏太様が鬼界に来させられる事になった一件から、随分といろいろな事を、無理矢理飲み込んでいたようだったからな」 


 柾の言葉に、巽はほんの一瞬、私の方へ目を向ける。しかし目が合うと、すぐに視線を地面に落とした。

 

「……いえ、亘さんの場合はその前からです。鬼界の穴の前で起こった一件が大きかったの間違いありませんけど……」


 ボソッと呟かれた声に、周囲の皆が何故か気まずそうな表情を浮かべた。妖界の者も、人界の者も、だ。


「……鬼界の穴の前で、何があったの? 鬼界に来る直前ってことでしょ?」


 私が問うと、宇柳はギクリと肩をはねさせて視線をスッと逸らす。巽はその様子を見て、膝の上で拳が白くなるほど手を強く握って口を噤んだ。


「何があったの? 教えて」


 皆の表情を見れば、何かがあった事は明白だ。でも、宇柳や凪達妖界の者も、何故か奏太と共に来たであろう人界の者達も、私と目が合わせようとしない。


 唯一、柾と視線がぶつかると、柾はめんどくさそうに息を吐いた。

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