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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
鬼界篇

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225/298

202. 襲撃の後②:side.亘

 城の中、廊下や部屋の中を跋扈(ばっこ)し、襲いかかってくる虚鬼を斬って捨てるのを繰り返してどれ程が経ったのか。どこを探しても、主どころか、意志のある鬼すら見つからない。


「奏太様!!」


 当初は意志ある鬼を捕まえて居場所を聞き出し、余計な戦闘を避けながら探すつもりだったが、亘は早々にその意味を見失っていた。声を張り上げ主の反応を待つ方針に切り替えたはいいものの、声に反応して出てくるのは、やはり虚鬼ばかり。


 ……何故どこにも居ない? あの鬼に騙されたのか?

 

 いや、状況から考えても、複数の捕虜の証言からも行き先があるとすれば、このキガク城しかない。主が救った鬼の子どもが示した城の方角とも一致する。周囲に他の建物らしきものはなかった。


「奏太様!! ――っくそ! 邪魔をするな!!」

 

 どの虚鬼も取るに足らない弱いものばかりだが、全身血みどろになり手が滑るほど斬れば、息も荒くなる。体力が少しず削られていき、時間を経るごとに焦りが募る。


 ……もし、見つけられなければどうする?


 ここではない別の場所にいるならいい。しかし、万が一、虚鬼ばかりのこの場所で……


 ギリっと音が出るほど強く、亘は奥歯を噛んだ。


「奏太様!! 奏太様!! 返事を――」


 そう言いかけた時だった。

 

 前触れも何もなく、背後から突然、フッと冷たく細い指が亘の両頬を覆った。


 たとえ疲れが出ていたとしても、神経尖らせているこの状況で、一切気配を感じ取らせぬなど、尋常ではない。

 

 全身がザッと粟立ち、咄嗟に振り向きざまに刀を振るう。しかし、刀は何の手応えもなく空を斬った。


「まあ、怖い」

 

 そこにいたのは、長い黒髪に黒の瞳、白い肌に鮮血のような赤い唇が浮いて見える細身の女だった。

 角はない。美しいのに、今まで見てきた、鬼、妖、人、どれにも当てはまらない不気味さをまとっている。まるで、この城を包む濃い陰の気そのもののような異様な雰囲気……


「……何者だ?」


 しかし、女は亘の問いには答えず、憐れむような目を向けた。

 

「可哀想に。貴方は大切な者を失ったのね」


 高い声で響く、酷く不快な言葉。


「……一体、何を言っている?」

「あら、失ったのでしょう? これほど必死に探しても見つからないのだから」

「失ってなどいない。きっと何処かに……」


 亘が言い終わるより前に、女はクスっと笑った。

 

「夜の訪れと共に、この城は闇の支配下に置かれたの。城に居た者は、ほとんどが闇に飲まれて心を亡くし虚鬼に変わってしまったわ。そうでない弱き者は漏れなく虚鬼の餌食になったのよ」

「…………虚鬼の……餌食……?」

 

 そう呟くと、女の真紅の唇が弧を描いた。


「ええ、貴方の大切な者は、きっと虚鬼に喰われてしまったのね。ほら、たとえばあそこ」


 女はスッと廊下の隅を指さす。そこには血だまりと血に塗れ何色かも分からなくなった布切れだけが残っていた。


「あれは、一体誰の血かしら」


 その瞬間、意識がズルリと引っ張られる感覚がした。足元の地面が消えたような不安定感に体が揺れ、グニャリと視界が歪んで、思わず目元を手で覆う。

 

 ようやく地に真っ直ぐ足がついた感覚がして体を立て直すと、何故かそこには、虚鬼に囲まれ怯える主の姿があった。


「――奏太様っ!!」


 目を見開き、慌てて駆け出そうと一歩を踏み出す。しかしすぐに、細い指には似合わぬほどの強い力で両肩をグッと押さえられた。


「貴方は動けないわ。あれは過去の出来事。声は届かないし、助けられない」


 耳元で響く女の声に、背筋がざわりとする。強制力のある声。それを振り払うように亘は思い切り腕を振った。しかし、細い指は亘の肩から微動だにしない。


「放せ!!」

「無駄よ」


 駄目だ。このままでは、あの方が……


「奏太様、力を使ってください!! すぐに私が……」

 

 そう言いかけて、先ほどまで動いていた足が石のように固まり、一歩も動かなくなっていることに気付いた。 


「なんだ……これは……?」


 どれ程動かそうとしても、何故か腿から下が何かに塗り固められたかのように、びくとも動かない。


「ほら、よく見て。生きたまま体をズタズタに引き裂かれ、鋭い牙に食いつかれて。痛かったでしょうね。辛かったでしょうね」


 女の細い指が、主の居た方を指し示す。


 見れば、奏太を囲んでいた虚鬼が鋭い爪を振り上げたところだった。


「やめろ!!!」


 思い切り声を張り上げる。しかし、届かない。虚鬼の爪が、一切の躊躇いなくそのまま真っ直ぐに振り下ろされる。


「奏太様!!!」

 

 爪が胸に突き刺さり、鮮血が飛んだ。同じように、腕に、足に、腹に、複数の鬼の爪が容赦なく刺さり引き裂かれる。とめどなく血が溢れ出て、床に血だまりを作っていく。裂かれた傷に鬼が口を近づけすすりはじめる。


「……うぅ……あ……」


 主の呻く声が聞こえた。


「やめろ!! その方をはなせ!!!」


 その血の色が、その声が、鮮明に脳裏に焼きつく。

 

「周りは虚鬼ばかりで、助けを呼んでも誰も来ない。きっと苦痛と孤独の中にいたのでしょうね」

「……うぅ……ぅ…………亘……汐……誰か……」


 鬼に覆いかぶさられ、肉をかじられ血を啜られながら、力ない奏太の声が聞こえた。その目はもうガラス玉のようで、恐らく、何も映し出していない。


「…………亘……助け……」


 その手が、こちらに伸ばされる。


 ……痛い……苦しい……ここから出して……亘……


 不意に、日向本家の地下で聞いた、かつての主の声が蘇った。己に何も出来ず、命が失われていくのを、ただ側で見ていることしか出来なかったあの時を。

 

「クソっ!! 動け!!」


 どれ程力を入れても足は動かない。手を伸ばすのに、届かない。

 

 この方だけは守り抜くのだと、そう誓ったのに……何より大事な者であるはずなのに……


 誰にも掴まれる事もなく、こちらに伸ばされた奏太の手が、力なくポトリと床に落ちた。


「……駄目だ……」

 

 頭が、おかしくなりそうだった。助けを求める主に駆け寄る事もできず、ただただ惨殺される姿を見せつけられる。


 その顔は白く、体はくたりと横たわり、まるで赤く染まった人形のようで……


「……駄目だ、奏太様!!!」


 呼びかけても、いつものように、自分に応える声はない。

 

 面倒そうに、呆れたように自分を見る表情も、自分に乗り笑うあの声も、時に歯を食いしばり、それでも前を向く真っ直ぐな瞳も……もう……

 

「放せ! 放してくれ!!」 

「もう手遅れよ。だって、ほら、よく見て」


 目の前には、先ほどの血だまりだけが残っていた。主の姿も、鬼の姿も、何もない。

 

「…………奏太……様……? どこに……」

 

 一歩も動けずにいた体がフッと突然軽くなる。その拍子に、亘はその場にドサっと膝をついた。体に力が入らない。


「残念だけれど、何も残らず食い尽くされてしまったのね」

「…………何を…………」


 そんなことが、ある訳がない。あの方が、もう此の世の何処にも居ないなどということが、あっていいわけがない……

 

「でも、貴方も見たでしょう? 飢えた虚鬼に寄って集ってズタズタにされて、血も肉も全て……」

「やめろ!! やめてくれ!!」


 聞きたくない。信じたくない。


「骨まで残さず、食い尽くされてしまったの」

「やめろ……!!」

 

 あの方が、自分に残された全てだったのに……何も出来ず、そのまま失うなんて……


「どれ程目を逸らしたくても、これが現実。無念だったでしょうね。やりたいことも、たくさんあったでしょうに」


 …………そうだ……鬼界になど来ず、人界で幸せに暮らしていくべき方だった……

 

 結様にして差し上げられなかった分、せめて、あの方だけは、人界で幸せに過ごし天寿を全うされるのを見届けるつもりだった。

 

 ……それなのに……何故……このような事に……


「もう、何もかも終わってしまった。貴方の手が届かぬうちに」

「……や……めろ……」

「貴方の大事な者は、もう、何処にも居ないの。此の世の何処にも」


 胸の奥底を深く突き刺さされ、大事な物をえぐりとられるような、堪えがたい痛みが全身を支配する。息が出来ず、頭の中が飽和したようになる。

  

「……う……ああぁぁぁぁ!!!」


 もう、正気では居られなかった。意味もなく声をあげ、ダンと床を力いっぱい叩きつける。

 そんな事をしても、あの方は、もう、戻らないのに……


「可哀想に。貴方がもっと早く来ていれば、助けられたかしら。虚鬼に食われずに済んだかしら」 

「………………もう………………やめてくれ……」

「こんなに憔悴してしまって……それ程大事な者だったのね」

「…………頼むから…………もう…………」


 女は、先ほどとは違い、そっと優しく亘の頬に触れて目を覗き込んだ。ヒヤリとした細く冷たい指の感覚。それを振り払う気力も、もう残っていなかった。

 

「まだ、壊れちゃだめよ。だって、私に協力してくれたら、貴方の大事な者を、貴方の元に取り戻してあげられるかもしれないもの」


 絶望に埋め尽くされ、思考が停止した頭の中に、不思議とその言葉だけが明瞭に響いた。


「…………取り……戻せる……? 一体、何を言って……」


 死んだ者は取り戻せない。転換の儀のような特別なことでもない限り。

 

 しかし、女は優しい笑みを浮かべてその目を細めた。


「私も、私の子を失ったの。でも、再び光と闇が混じれば、あの子を取り戻せるの。あと一歩で実現できそうなのよ。きっと、貴方の役にも立つはず。大事な者だったのでしょう?」

「……光と闇が……混じれば……?」


 転換の儀は、印の押された死した体に、陽の気と陰の気を注ぐことで成り立つ。光と闇とは、その事を指すのだろうか。


「……しかし、体がもう……」

「作ってあげられるわ、私なら」

「……作る……? そんな事が……」


 女は、亘にニコリと笑んで見せる。

 

 ……本当に、あの方を取り戻す方法があるのか……? 体がなくとも、転換の印がなくとも、陽と陰の気があれば、それが可能だと……?


 結を失ったあと白月として再会出来たように、あの方とも再び会うことが叶うのだろうか。元気な姿で取り戻し、人界に帰してあげられるのだろうか……

 

 それは、絶望の中に僅かに差し込んだ一筋の光のようだった。


「…………協力すれば……あの方を、取り戻してくれるのか……?」

「ええ、きっと」


 見せられたものが真実か、自分の選択が正しいかどうかなど、もはや亘に判断する余裕は残っていなかった。ただ、一筋だけ残った光に縋り付く以外の道は見えていなかった。


 それが、自分を闇に引きずり込もうとする悪意に満ちた企みだったとしても、もはや自力で気づくことなど出来ないほどに。


「大丈夫。私が助けてあげるわ」


 甘く囁くその声だけが、亘の中に深く入り込む。周囲の音は、気づけば何も聞こえなくなっていた。

 


 カツンと靴音が静まり返った廊下に響く。あれ程いた虚鬼達は、いつの間にか城の中から消えていた。主の仕事を邪魔させないように、男が外に全て出したからだ。

 

「……随分、お気に召したようですね。不安を具現化して見せたのでしょう?」

「ふふ。だって、とても強いんだもの。せっかく作った子達をたくさん殺されてしまったし、代わりになってもらわなくちゃ。濃い闇の中で心を奪われず自我を保っていられるほど強い意志があるのなら、有効活用したほうが良いでしょう?」

「しかし、守るつもりのない約束などして、逆上でもされたらどうなさいます」


 男の言葉に、女はクスっと笑う。


「あら、よく似た虚ろな人形を用意してあげれば良いだけよ。どうせ、この状態で、判断なんて付きはしないわ」


 女はそう言うと、足元で座り込み、顔を伏せたままの亘に視線を落とした。

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