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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
鬼界篇

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170. 人魚の予言:side.翠雨

 ―――白月の失踪から数日後、妖界

 

 一番近い川までかなりの距離があるはずの雑木林に、先ほどまでは聞こえていなかった水の音がサラサラと届いた。気付けば、どこからともなく薄っすらと白い(もや)が足元に漂ってきている。


「翠雨様」


 異様な雰囲気に、蝣仁(ゆうじん)の警戒するような声が背後に響いた。護衛で連れてきた者たちからも各々の武器を構える音が聞こえてくる。

 しかし、翠雨に動揺はなかった。この現象が現れるのをずっと待っていたのだから。


「ようやくか」


 思わず、そんな言葉が口から零れた。

 

 ここに来たのは初めてではない。最初は白月が帝位につく前、白月や璃耀(りよう)達との旅の途中で偶然に辿り着いた。薪を拾いに行って姿を消した白月を探している間に、同じように周囲を霧に包まれたのだ。

 

 その後しばらくは、このような場所に用はなかった。再び訪れるようになったのは、白月の連れ帰った(かわうそ)の話を聞いてからだ。翠雨は仕事の合間を縫っては何度かここを訪れた。白月自身に知られぬよう密かに、自分の側近だけを連れて。しかし、霧が出るようなことは最初の一度きり。ここではもう目当てのものは見つからぬか、と半ば諦めかけていた。


 どこからともなく発生した靄は、次第に深く濃い霧となり周囲を包む。気づけば蝣仁(ゆうじん)達の姿も見えなくなっていた。


「ふふふ」


 高い女の笑い声が響く。

 声のする方に歩みを進めれば、ざあッと霧が引いていき、翠雨は一人、いつか見た河原に出ていた。

 対岸には金色の髪を簪で一つにまとめた女が岩の上に腰掛けている。その下半身は、複雑な色にきらめく魚と同じような形の尾びれだ。


「お久しぶり、で良いかしら。あの時はあの子を連れて行っただけで、お話なんてできなかったものね」


 人魚は楽しそうな笑みを浮かべてこちらを見ている。

 

 当時、翠雨がこの人魚と顔を合わせたのはほんの一瞬。人魚の暇つぶしにつきあわされていた白月を元の場所に引き戻す間だけだった。それでも人魚は翠雨の事を覚えていたらしい。


「……こちらは、もう少し早く再会したかったのだが」

「永遠の命を手に入れるために? 残念だけれど、そうやすやすと私の命はあげられないわ。今だって、私が招いてあげなきゃ貴方はここに入れなかったもの」 

「では、何故今頃になってここへ招いた?」


 白月の寿命が自分達より遥かに短いと聞かされてから、翠雨は不老不死の術を探していた。自らを不老不死だと言う(かわうそ)に聞き取りをし、一度人魚に遭遇したこの場所を何度も訪れた。しかし、人魚が現れたのは、白月が姿を消した今になってからだ。


「あら、何も聞かされていないの?」


 人魚はフフッと面白がるように笑う。

 

「あの子が永遠の命を賜る(すべ)を手に入れたからよ。もう、私の肉は必要ないでしょう? あの子を失う事を恐れて不老不死の術を求めた貴方が、あの子を失う事でようやく望んだものを得られるの。皮肉なものね」


 翠雨の思惑通りに事が運ばぬことを嘲笑する人魚に、眉根を寄せる。

 

 人魚の言う『あの子』とは、白月のことで間違いないのだろう。翠雨が失う事を恐れる者など一人しかいない。そして人魚自身の言う通り、翠雨は白月の為に不老不死をもたらす人魚の肉を探していた。


 ……気味が悪い。

 

 千年も前に人魚の肉を喰ったという獺は、人魚には未来を見通す力があったと言っていた。そして、白月が帝を僭称する兄の治世を崩すと予言したのもこの人魚だった。一体、人魚には何が見えているというのか。


「永遠の命を賜るとはどういうことだ? あの方に何が起きている?」


 疑念に満ちた声音を出すと、人魚は楽しそうにフフッと笑った。


「教えてあげてもいいけれど、貴方に一体何ができるかしら? このまま放っておけば全てが丸くおさまるのに、余計な事をして世界の危機と隣合せになるのを貴方は本当に望むの? あの子がその身を差し出さなければ、今度は京だけでなく、妖界も人界も鬼界も全てを巻き込んで滅びに向かう。あの子はそれを承知で向かったの。今更貴方が何をしても、あの子は帰らないわ」

 

 まるですべてを見通しているかのような硝子玉に似た人魚の瞳に不快感が募る。

 

 ……ようやく戻ってきたはずだったのに。


 翠雨は無意識のうちにギリリと拳を強く握った。


 ……我らの知らぬ間に、あの方は再びこの世を巻き込むような大きなうねりに巻き込まれているのだろうか。たった一人伴も連れずに、また御自分だけを犠牲にするつもりなのだろうか……


 幻妖京と引き換えに敵に下った白月の後ろ姿を思い出し、翠雨の中に苦い苦い思いがこみ上げる。もう二度と、あの時の様な思いはしたくなかった。


「……あの方は今、どこにいる?」

「鬼界よ」

「それは知っている。鬼界のどこだ? あの方は何をされようとしているのだ?」

「知ってどうするの? 貴方には何もできないと言っているじゃない」

 

 のらりくらりとした答えしか寄越さない人魚に苛立ちがどんどん湧き上がってくる。当の人魚は、そんな翠雨の反応を楽しむような目で見ていた。


「導いているのは神に等しき力を持つ者。貴方ではもう止められないわ」

「だから何だ? 誰が何をしようが関係ない」

 

 諦めてたまるか。一人で行かせてたまるか。このままみすみす失ってたまるか。たとえこの手が届かなくとも、なにか方法があるはずだ。あの方をこの地に戻す方法が、何か……

 

 翠雨は人魚を睨むように見る。

 知っているはずなのだ。ここから先に起こる未来を。きっとあのときと同じように、あの方を救う術を何か知っているはずだ。そうでなければ、わざわざ今になって自分をここに招く理由がない。手出しするつもりがないのなら、今まで通りに無視をしておけばよかったのだから。

 

 翠雨はここに来てからの人魚の言葉を思い出し、何か手掛かりが無かったかを頭の中で探していく。


 ……何かあるはずだ、必ず。

 

 そこまで考えて、翠雨はふと、今までの人魚の言葉にほんの少しの引っ掛かりを覚えた。

 

「……『私にはできない』そう言ったな?」


 先ほどから、人魚はしきりに翠雨の行動には意味がないと言っていた。それは、人魚の言う『神にも等しき力を持つ者』か、それ以外の何者かには望みがあるということではなかろうか。


 翠雨が少しも人魚の変化を見逃すまいと見つめると、人魚はフっと満足そうに唇の端を上げた。


「ふふ。御明察。貴方に嫌がらせをしたかったのも本当だけれど、あの子を神に取られてまた遊べなくなるのは面白くないもの。せっかく泡沫(うたかた)の雫もあげたのに」


 以前、白月はこの人魚に遭遇した際に真珠のようなものを渡されていた。その人魚の雫を首から常に下げていたことで、陽の泉に重石をつけて沈められても無事でいられたのだ。


「教えてあげるわ。その代わり、人魚の肉を求めるのをやめなさいな。どうせあの子も望まないでしょう。貴方が恨まれるだけだもの」


 人魚からも白月からも、と人魚は笑う。何者かの命と引き換えに不老不死を得たと知れば、白月の怒りに触れるのは想像に固くない。それでも翠雨はそれと引き換えにする価値はあると思っていた。しかし、あの方を取り戻せないのなら、不老不死など意味がない。


「……いいだろう」

「これは契約よ。誓いを破れば、貴方に死よりも辛い破滅をもたらすわ」


 人魚はそう言うと、スッと人差し指をこちらに向ける。警戒しながら見つめると、指先から、ふわりと小さなシャボン玉のような泡がひとつ浮き上がった。

 シャボン玉はそのままスゥっと宙に浮きながら対岸からこちらへ真っすぐにやってくる。ふわふわと揺れながら一度翠雨の前で止まると、弾けることなくゆっくりと翠雨の胸の中に吸い込まれていった。

 

 体に何かが入ってきたような違和感はない。胸のあたりに触れてみても、何かが変わった様子はみられない。これが人魚の言う契約なのだろうか。訝りつつ首を傾げていると、人魚からクスッという笑い声が聞こえた。


「ここから起こるのは、大いなる力の代替わり。選ばれ行けば、永遠の命と引き換えに、その場に囚われ闇を抑える役目を背負う。あの子が自由を得られる可能性を作れる者は、この世でたった二人だけ―――」


 人魚の示す者達を思い浮かべ、翠雨は難しい顔で腕を組んだ。

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