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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
人界編

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157.転換の儀①

「ここから七日、転換の儀までの間、次の帝に何事もないよう、儀式の間の隣にある部屋で厳重に管理される。外部との接触は禁止。儀式遂行のため、護衛役一名、案内役一名のみがお前の側にいることが許される」


 次の帝を護る為、そんな体の良い理由をつけているけど、要は監禁だ。逃げないように、外部にこのことを漏らさないように。そうやって、最期の時まで、閉じ込められるのだ。


 体が震える。人として生きた、18年の全てを捨てなければならないことが、怖くて怖くて仕方がない。


「話は以上だ。淕、こいつらを案内しろ。汐、亘、お前らが責任持って儀式に付き添え。俺も後で行く」


 ずっと黙って成り行きを見ていた淕が、こちらへ歩みを進める。


「奏太様、参りましょう」


 淕に、スッと手を差し伸べられる。これを掴んだら、きっともう、後には戻れない。

 

 どうしても自分から掴むことができなくて、膝の上で拳をギュッと握る。

 淕は見兼ねたように、俺に伸ばした手を掴む形に変えた。


 瞬間、パンっ! と音が響いた。

 俺の前に出た亘が淕の手を弾いたのだろう。淕の手が赤くなっている。


「……ふざけるな」


 亘の目は、深い怒りの色に染まっていた。


「奏太様に手を出すな」

「どういうつもりだ、亘」


 柊士に静かに問われると、亘は怒りに満ちた目でそのまま柊士を睨みつける。

 

「もともと、結様ではなく柊士様があちらへ行くはずだったのです。あちらへ送るのなら、奏太様でなく、貴方であるのが筋でしょう」

「あの時とは状況が違う」


 淕が亘を見据えて言う。

 亘は怒りを押し殺そうと、震える拳をググッと握りしめた。

 

「……淕、お前にわかるか? 己の手で、主を殺さねばならぬというのが、どういう事か」


 少しだけ淕の眉が動いたように見えた。


「死ぬまで出られぬ箱の中に主を閉じ込め、地に埋め、出してくれと願う声に奥歯を噛み絶えねばならぬことがどういうことか、お前にわかるのか?」


 亘のその声に、心中の深い慟哭が覗く。


「短い人の生だろうと、この方はまだお若い。人生を謳歌するのはこれからのはずだ。それを、この手で奪えというのか? 再び、主をこの手にかけろと……あの方を、二度もこの手にかけ、さらに、この方の命まで、私に奪えと……?」


 汐が、ギュッと俺の服を掴んだのがわかった。行かせたくないと言ってくれているような、汐らしくない、本当に小さな抵抗。硬く冷たくなった体の中で、そこだけが何だか温かくなったような感じがした。


 柊士は亘と汐を順にゆっくり見据える。

 

「死ぬわけじゃない。妖に変わって向こうで生きるだけだ」

「ならば、貴方が行けばよいでしょう!!」

 

 声を荒らげ柊士に向って行こうとする亘の腕を、俺はいつの間にか掴んでいた。


 ……俺か、柊士か。選択肢は二つ。


 どちらがいくかなんて、そんなの、選択の余地はない。


 ハクを失ったのは、俺のせいだ。

 それに、日向の当主が居なくなるのは、きっと里の者たちにも混乱をもたらす。

 

 ……それだけじゃない。


 悔しいけど、俺の代わりに柊士を、とは、どうしても思えない。そんな事をしてこの世界に留まっても、きっと死ぬまで後悔に苛まれるだけだ。そんな重荷を背負って生きていくことは、多分俺にはできない。


 俺の為に亘が怒ってくれた。いつも冷静な汐が俺を行かせまいとしてくれた。それだけでも、得るものはあった。


「……汐、亘、もういい」


 二人がピタリと動きを止めて、俺をまじまじと見る。


「……奏太様、何を……」

「どうか、馬鹿なことを仰らないでください、奏太様……」

 

 俺は、小さく笑って見せながら、汐が掴む手をそっと放させる。泣きそうな瞳を向ける汐に、俺はちゃんと笑顔を見せられているだろうか。

  

「柊ちゃんを行かせるわけにはいかないよ。避けられないなら、俺が行くしか無い」


 ただの強がりだ。行きたくない気持ちは変わらない。想像しただけで震えるほど怖いし、人界で出会ってきた者との別れは辛くて胸が痛いくらいに締め付けられる。人生を終わらせてここから去る覚悟なんて、きっと最期の最期まで決められない。


 それでも―――


「…………ありがとう、二人とも。ごめんな」



 俺が受け入れた事で、二人は諦めたように体から力を抜き、それとともに、表情を消した。


 二人に結の時のような思いをさせないと、ずっとそう思っていたのに、結局同じ道をたどることになってしまった。

 いろいろ心残りはある。でも、今一番思うのは、俺を送らせてしまう二人のことだ。


 良い主、そんなものにはなれなかった。心配かけて、怒らせて、泣かせて、俺のせいで大怪我もさせた。いつか、ちゃんと二人が誇れるような主になれたら。まさかそんなことを二人には言えなかったけど、それでも、そう密かに思ってた。せめて、結ちゃんに二人が寄せていた思いのように。


 ……なかなか上手くいかないな。


 このことが二人の重荷にならないように。せめて、少しでも。そう思うけど、二人に、何を言ってあげたらいいのだろうか。主として、最期に。

 その答えは、今の俺には見つけられそうになかった。


 

 淕に連れられて移動する間、本家はいつも以上に静かだった。皆が俺を見て頭を下げて見送っていて、知らなかったのは俺達だけだったのかと、何となくそう思った。


 昨日の夜バタバタしていたのも、今日昼ごろまで起こされなかったのも、もしかしたらそのせいだったのかもしれない。


「……巽を回収してもらわないと。湊のことも。椿や柾は……」

「……そのようなこと、どうでも良いではないですか」


 亘はただ悔しそうに、低く小さく呟いた。



 たどり着いたのは、本家の地下。扉が一つあり、そこを通ると更に二つの部屋に分かれていた。そのうちの一つに通される。

 質素なベッド、木造りの机と椅子、扉の両側にも背もたれのある木の椅子が一脚ずつあった。上の方に小さな窓の付いたドアは、トイレだろうか。

 外へ繋がる窓はない。


「お持ちの荷物を全て出し、こちらにお着替えを」


 淕に差し示されたのは、ベッドの上に置かれていた真っ白の無地の着物。まるで死に装束のようなそれに、汐と亘に手伝ってもらいながら袖を通した。


「これから七日間、奏太様にはこちらのお部屋で過ごしていただきます。身を清め、精進料理を召し上がり、心を鎮めて過ごされてください。本日だけは、お好きな食べ物を、好きなだけご用意いたしましょう」


 ……最期の晩餐。七日間の食事は用意されるけど、意味合いとしてはそういうことなのだろう。

 亘が今にも殴り掛からんばかりの顔で淕を睨み、拳をキツく握っている。


 俺は二人の間に入るように、少しだけ立っている位置を変えた。余計な騒ぎを起こして、亘と汐の立場を悪くさせるわけにいはいかない。これから先、俺が里の上位者との間に入ってやることはできない。


「……俺は、村田さんの料理じゃなくて、母さんの料理が食べたいな……」


 毎日食べた味だ。当たり前に、幼い頃からずっと食べていた味。それが途端に恋しくなる。

 両親には今回の件は全て終わるまで伝えないと聞いた。だから、用意してもらうのは無理かもしれない。

 もう、あの食卓も、戻ってくることはない。……もっと味わって食べておけば良かった……


 しかし、淕はそれにコクリと頷く。

 

「では、弁当を用意して頂きましょう。長い御役目に入られる前に、と」

「……弁当か」


 俺は小さく笑む。

 中学生の頃から、毎日、毎日作ってもらった、母さんの弁当だ。もっと小さな頃は、時々学校へ持っていくそれが、楽しみで仕方がなかった。

 

 ……今日食べるのが、最後になるのか……


 そんな思いとともに、いろんな思い出が蘇る。学校の遠足、運動会、家族でのピクニック……


 こんな状況になって、今更そんな当たり前の日々が愛おしく思えるなんて……

 


「部屋には、奏太様、亘、汐だけになります。ただ、お部屋の扉の前、更にその前の扉に警備をつけます。地下へ降りる階段の前にも。お部屋との行き来ができるのは、柊士様とその護衛役だけ。貴方もここから出ることは許されません。ご入用のものがあれば、お食事を御運びする際に、私か那槻、葛にお申し付けください。柊士様の許可を得られたものだけ、お持ちします」

「……まるで囚人みたいだな」


 自嘲気味に言うと、淕はフルフルと首を横に振った。


「いいえ。次の妖世界の大君であらせられます。殿下」


 その言葉は、ものすごく他人事のように聞こえた。 


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