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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
人界編

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152.白月の目覚め②:side.翠雨

「璃耀」


 扉の前で待つ蔵人頭の名を翠雨は短く呼ぶ。

 璃耀は白月の側を離れず様子を見ていたはずだ。何も知らないとは言わせない。

 しかし当の璃耀は表情を消したまま、何かを確かめるように翠雨の目を見返しただけだった。


「其方、何を隠している?」

「何を、とは?」

「とぼけるな」


 部屋にいた白月は、白月ではない。

 頭の冷えた今、それは確信に近いものだった。 

 口調が違う。態度が違う。何より、色を使って相手を懐柔する様な真似をする方ではない。

 記憶を失っていたとしても、本質はそう変わらない。それに、翠雨は知っているのだ。記憶を全て失った直後の白月を。

 あの日あの場所で出会ったのがあの方の本質なのだとすれば、今日の白月は全く違う別人格を持つ者だった。


 じっと璃耀の目を見ていると、その視線がスゥッと先ほどまで居た部屋の戸に動く。


「場所を変えましょう。浩、しばらく外す。蒼穹、ここの護りを厳重にし、すべての者の()()()を許すな」

「「はっ」」


 璃耀は二人の了承にコクリと頷くと、階段へ向かって歩き出した。


 

 階下にある璃耀の部屋に案内されると、翠雨はドサリと無造作に座る。目の前にいる部屋の主が翠雨の様子を探るように見てくるのがどうにも気に入らない。


「璃耀、あれは何者だ?」 

「翠雨様は、どの様にお感じになられましたか?」

「どうもこうもない。姿形は同じでも、まるで別人ではないか」

 

 ―――まるで別人。それは確かだが、姿形を似せた何者か、と言うにはあまりに似すぎていた。まるで、中身がそのまま入れ替わってしまったかのように。

 

 以前、鬼が部下に化けて紛れていた事があった。その時も見破ることは出来なかったのだが、これ程間近に、そして、ずっと御側にお仕えしていたあの方の姿を見間違えたとは思いたくなかった。

 

 見た目は紛れもなく白月のものだった。細くしなやかな体躯も、白い絹のような肌も、そして…… 

 翠雨は先程まで触れていた濃い桃色の唇を思い出して目元を覆う。


 あれはあの方ではなかった、そう否定しつつも、どうにも頭にこびり着いて離れてくれない。

 

 何者かが対象者に化けた、という話ほどではないにせよ、妖が体をそのまま乗っ取るような話は時折耳にする。恐らく、そちらの方が有力だ。

 

 人界で鬼に襲われるまでは、確かにいつもの白月だった。そして鬼に襲われてからはずっと紅翅、凪、桔梗が付き添い、蒼穹達軍団の精鋭が誰の手にも触れさせぬように、何者も近づかぬよう守っていた。

 更に温泉地についてからは璃耀が常に側にいたのだ。この男が白月の周囲の不審な動きを見逃すはずがない。

 

 不審者が近づきすり替わるような機など無かったはずだ。ただ、それならば、体の中身が入れ替わるような機も無かったということで……


 いったい白月に何があったのか、本当に鬼に襲われた事が原因で記憶を失っただけなのか、どう考えても、翠雨には見当がつかない。

 

「記憶が無く口数の少ない今、普段と様子が異なるのは仕方がないこと、それが皆の反応です」

「其方はどうなのだ? 違和感があるから、私をここに連れてきたのだろう?」


 ジロリと睨むと、璃耀はようやく不快そうに眉根を寄せた。

 

「今上階にいるあの方は、私の知るあの方ではありません。ただ、皆が多少なりとも違和感を持っていたとしても、確信を持っているのは、私と翠雨様だけです」

「色を使われたか?」


 白月の体で璃耀に自分と同じような態度を取られたと想像しただけではらわたが煮えくり返りそうだ。

 何とか表情を押し殺して璃耀の反応を探ろうとジロリと見ると、璃耀はハアと小さく息を吐いた。

 

「未遂です。あの方が私に触れる前に押し留めました。ただ、そう仰るということは、貴方にも同じ事をしたということですね」


 未遂だと言い切った璃耀の言葉にほっとすべきか、己の弱さを恥じるべきかわからない。

 ただ少なくとも、この男は、同じ状態に陥っておきながら、あそこに翠雨を放り込んで両者の反応を伺おうとした、ということだけは確かだ。

  

「私を試したな?」


 イライラと尋ねるが、璃耀はそんな事を気にもとめずに真っ直ぐに翠雨を見返した。


「試したつもりはありません。ただ、翠雨様がどの様にお感じになるのかを確かめたかっただけで」

「記憶を失ったあの方を見るのは二度目だ。本質はそう変わらぬはずなのに、こうも性格が変われば誰でも疑う」

「誰でも、では無かったから確かめたかったのです」


そう言うと、璃耀はスッと一枚の折りたたまれた紙を差し出した。妖界で見る和紙ではなく、人界のツルツルとした丈夫なものだ。


「これは?」

「人界からの文です」

「……人界から? どうやって?」


 人界と妖界を繋いだ穴は、今は厳重に閉ざしている。文のやり取りは許可したが、基本的には全ての書が翠雨に渡るように指示を出していた。

 ここ数日で向こうから文が来たという報告は受けていないし、自分を飛ばして温泉地にいる璃耀が受け取っている事自体が不可解だ。

 

「白月様の開けた公の道ではなく、陽の気の泉から届けられたものです。人界の医師の弟子から文が届けられたと知らせがあり、紅翅が蓮華の園に戻り受け取ってきました。何でも急ぎの知らせとか」


 翠雨は目の前に置かれた文に目を細める。

 

「信用してよいのか? 人界の者など」

「その弟子の師匠は、紅翅が蓮華の園の管理をしていた頃から良く知った仲だそうです。紅翅も弟子本人に何度か会ったことがあるようで、信用しても問題ないだろうと」

「其方は読んだのか?」

「ええ。貴方の御判断を賜りたく」


 璃耀が翠雨に判断を求めるのは珍しい。そもそも立場の上下関係はあっても、璃耀はどこまでも白月の臣下だ。心から翠雨に従い頭を垂れることはまずない。

 その璃耀が、翠雨に正しい判断を求め見定める様な視線をこちらに向けている。

 白月に関わる重大なことでもなければ、この男は恐らくこうはならない。

 

 璃耀の真剣な瞳に促され、翠雨はカサリと人界の紙に手を伸ばした。


書かれていた内容は眉に唾をつけるような話。


「……こちらに書かれていることを全て信用して、あちらの都合の良いように動けと? こんな事をしていて、万が一あの方が戻らねばどうする? 」 

「辻褄は合います。それに、今、上階にいる者は白月様でないと判じたのは貴方御自身でしょう」


 手紙の内容を知り自分の目で白月の変化を感じ取っておいてなお、白月の部屋に何も言わずに翠雨を放り込んで二人きりにさせたのは、翠雨自身に状況を判じさせる目的があったらしい。

 いやらしい璃耀のやり口に苦い思いがこみ上げる。

 

「いかがなさいますか?」


 素知らぬ顔で判断を仰ぐこの男の顔に、ペチンと人界の硬い紙をぶつけてやりたくなる。だいたい、この男の事だ。翠雨の了承をわざわざ得るのにもなにか裏があるに違いない。

 

「私が応と言わずとも、普段の其方ならば、独断で動いているところだろう」

「それはそうですが、左大臣様の了承があるとなしとでは大違いですから。それに、黙っていれば怒鳴り込んでいらっしゃったでしょう?」


 素知らぬ顔どころか、悪びれる様子もない。璃耀のすました顔が非常に腹立たしい。人界の指示に従うのなど、もっとだ。

 しかし、今のまま、あの方が何故ああなったのか、原因も元に戻す術もわからぬのでは困る。


 自分がお仕えしたいのは、いつものあの方だ。情報を持つのが人界ならば、協力姿勢を示しながら、その情報を少しずつ得ていくしか無いのだろう。ただし―――


「あちらの言い分を完全に信用する訳にはいかぬ。あの方に万が一のことがあれば、人界を潰しても収まらぬ」

「それは同感ですが、あちらの言に従う以外、こちらに打つ手は今のところありません。念の為、宇柳にはこちらの状況だけでも探らせていますが」


 翠雨の許可など待たずとも、既に出来る範囲で手を回しているらしい。有能な蔵人頭殿の手腕が恨めしい。

 

「ならば、宇柳を使者に出してどちらも探らせろ。あの者は奏太様とも面識があるだろう」

「承知しました。仰せのとおりに」


 璃耀は慇懃無礼とも思える仕草で頭を下げた。


 ……ああ、そうか。表情には表れぬが此奴も腹を立てているのか。

 

 いつもとほんの少しだけ違う璃耀の態度にふとそう思い至り、翠雨は沸騰しかけていた頭が少しだけ冷えたような気がした。

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